第二十九話「異臭の屋敷」
「それではジャンナッツ警部とマルセイユさん。私の愛車で、モンソレイユ邸までご案内いたしますわ」
アデル嬢は地下の駐車場に停めてある愛車と称する大型の四駆に乗り込んだ。
「これ……軍用じゃないのか?」
「そうです。道なき道を突き進む、まさに我が道を行くその走破性能にときめきます。凄いの一言です」
キャッキャと少しはしゃぎ気味のマルセイユ。
(なんだ……コイツ? やけにハイテンションじゃないか……)
ふと……ガンギマリのネコを想像してしまう。
(いやいや……あれはネコ用だろ?)
ジャスティンは頭を振ってから、マルセイユに続いて後部座席に乗り込んだ。
二人が乗り込むとアデル嬢の運転でモンソレイユ邸に向けて走り出す。
ゴツゴツとしたシートと硬めのサスペンションに、ジャスティンは戸惑ってしまう。
一方、マルセイユはシートをぱんぱんと叩きながら——。
「なんか……黒猫部隊にいたことを思い出します」と呟く。
さらっととんでもない発言をするマルセイユを、ジャスティンは驚いた表情で見つめてしまう。
(え? コイツ……今、黒猫部隊って言ったか……?)
ルヴェ侯爵の事件以上に、気になるネタをいきなり放り込まれて、ジャスティンは動揺してしまう。
黒猫の名前は聞いたことがあった――。
ジャンナッツ家の誇る精鋭の猫だけで構成された秘密特殊部隊といわれている。
けれども、ジャンナッツ家に生まれたジャスティンでさえ、その部隊は噂の中だけの存在であった。
黒猫部隊は極秘中の極秘扱い――秘匿中の秘匿とされる謎の存在であった。
幼い頃に母や姉に訊ねてみたことはあった。
だが当時もやんわりと話をはぐらかされたことを、今でも憶えている。
否定はされなかったことから、黒猫が存在することは確かのようであった。
(そこに所属していた……? マルセイユが……?)
「お、おい……マル――」
ジャスティンはマルセイユにその事を訊ねてみたかったが、ミラー越しにアデル嬢の視線とぶつかる。
ジャスティンは咄嗟にマルセイユの呟きが聞こえていないふりをした。
一つ咳払いをしてから冷静さを取り戻し、アデル嬢に話しかける。
「あの……アデルさんは、モンソレイユ邸にはよく行かれるのですか?」
「そうですね。カミーユがいた頃は……」
ミラー越しに、ジャスティンを一瞥する。
「あ、警部はカミーユをご存知ですよね?」
「ええ。亡くなったルヴェ侯爵のご息女ですよね? 確か……現在は海外に留学中だとか……。明日、帰国予定と伺っていますが――」
「いえ……最終便が取れたとかで、昨夜、帰国したそうですわ」
「そうなんですか。それは知らなかった」
ジャスティンはファイルを確認してみたが、帰国予定は10月12日……明日になっていた。
「ですから、私が午後からお休みを頂いたのも、彼女に会うためですわ」
ミラー越しだが微笑んでいるのが分かる。
はとこ同士で、歳も近いので仲が良いのだろう。
「それじゃあ、彼女に会うためにモンソレイユ邸にちょくちょく行っていた感じですか?」
「いえ……少し違いますわ。カミーユが留学する前は、週末になると一緒にクレールヴァルまで帰っていたというのが、正確ですね」
「クレールヴァル?」
「ご存知ありませんわよね」
フフと笑う。
「モンソレイユの丘を超えた先にある森の、その奥にありますの。ルヴェの一族が住んでいた小さな街ですわ」
「隠れ里みたいな感じですか?」
「そうですね……。外から来た方達には、そう見えなくもないですわね」
アデル嬢はミラー越しにジャスティンに笑みを浮かべる。
「週末だけそこに行くというのは、何かしらの理由があるのですか?」
「いえ、特にありませんわ。強いて挙げるとすれば、カミーユが車の運転ができないからですわね」
ジャスティンは首を傾げる。
「でも免許証なんて必要ないでしょう? ルヴェ家の領地なのですから」
「仰るとおりですわ。ここはルヴェ家の領地ですから、一族の者が領内を走るぶんには、免許証なんて気にしなくても良いのに……」
ため息を一つ。
「私がいくら言っても、頑なに運転しようとしないんです」
「週末の仕事終わりに、一緒に里帰りをしていた——そんな感じですか?」
「ええ。彼処は、カミーユと私の生まれ育った所ですから……。何もないですが、静かで良い所ですわ」
「その言い方からすると、アデルさんはヌーヴェル=ルヴェはあまりお好きではないようですね?」
ジャスティンはミラー越しにアデル嬢の表情を窺っていた。
彼女の表情が僅かに険しくなるのが見てとれた。
苛立ちと不安が混じっているようにも映る。
「新しい領民が悩みの種ですか?」
ジャスティンの一言が核心をついていた。
「率直に言ってしまえば……そうなりますわ」
アデル嬢は嘆息を漏らす。
「ルヴェ領は、元々、地場産業もない領地です。ですが、領民たちは穏やかで皆、親切な方ばかりですから……」
彼女の言う領民に、おそらく新領民は含まれていない。
「10年前の革命が起きた際、憲法によって移動の自由が保障されました。ですが、領民たちはルヴェの領地から出ていくこともなく、今までと変わらず生活を続けています。流出はありませんでした。それなのに……叔父様はルヴェ領の改革を始めました」
「首都グランディールに労働者を送るためのベッドタウン化ですね?」
「ええ、クレールヴァルに住まう領民との接触をできるだけ避けるためにモンソレイユの丘を挟んで南側に、ヌーヴェル=ルヴェという新領民のための街を作りました。そしてモンソレイユの丘に屋敷を構えることで、新領民たちに威厳を示そうとしたのですが……」
「治安は悪化したと?」
アデル嬢は無言で頷いた。
「上手くいかないものですね……」
「ええ、上手くいきませんね。ですが……改革を止めるわけにはいきません」
確かに……もう後戻りはできないのだろう。
聞くところによれば、鉄道事業に参入するということは、おそらく首都グランディールまで鉄道を敷く計画なのだろう。
すべては領民を増加させるために……。
ルヴェ一族の繁栄のために……。
「叔父様を殺した犯人が誰なのか、何故殺したのか、私には分かりません。けれど……叔父様の亡き後を継いで領主になるのはカミーユですわ。私たちは彼女を支えないといけないですから」
ジャスティンはそれ以上、何も訊かなかった。
アデル嬢も目的地のモンソレイユ邸まで何も言わずに運転を続けた。
◇◇◇
モンソレイユ邸の周囲は塀で囲われていた。
白い石灰岩の外壁と青い屋根瓦が特徴の塀だった。
高さにして三メートルほどもあり、容易に不審者が侵入はできない構造になっていた。
入り口の門の前で車が停止すると、門の支柱に取り付けられた2台の監視カメラが動いて、車の運転席を確認する。
確認が終わると、門扉が自動で開いていく。
アデル嬢は慣れた運転で、屋敷の正面に車を横付けしてくれた。
「思っていたより大きくありませんね」
車から降りたマルセイユは屋敷を見上げながら呟く。
「いや、十分大きいだろ」
ジャスティンは屋敷を見上げて、素直な感想を述べる。
屋敷の外観はネオクラシックなデザインで、屋根は青灰色のスレート葺、壁は塀と同じく石灰色。塔やドームなどはなく水平ラインを意識した設計になっている。
建物全体の構造は、外観から判断するに中央棟と左右のウィングで構成されている感じだ。
アデル嬢を先頭に玄関の扉へと向かう。
すると、正面玄関の大きい扉が開いて、一人の少女が飛び出してきた。
「アデル姉さん!」
少女がアデル嬢に駆け寄ると、彼女の胸に飛び込んだ。
「姉さん! お父様が! お父様が……」
少女は嗚咽を漏らし、泣き始めてしまった。
アデル嬢は何も言わずに彼女を抱きしめると玄関へと彼女を連れて入っていく。
「ジャンナッツ警部——申し訳ありません」
ジャスティンの方へと振り返り、頭を下げる。
「カミーユの傍に付いていたいので――」
「お気になさらず。こちらは大丈夫ですよ」
ジャスティンはニコリと微笑み、そう告げた。
「すぐに執事のジャイルズを呼びますわ」
アデル嬢は少女の肩を抱きながら、奥の部屋へと消えていく。
玄関ホールにはジャスティンとマルセイユだけが取り残された。
ジャスティンとマルセイユの靴音だけがホールに響く。
すると——。
「なんか……この屋敷……」
マルセイユが鼻をクンクンと動かす。
「変なニオイがしますね?」
「事件のニオイとか、言い出すつもりか?」
やれやれと肩を竦める。
「いえ――」
マルセイユが振り返る。
「単純に臭いというか……」
「……そうか?」
ジャスティンも鼻を動かすが、何も感じない。
「俺は——何も匂わないけどな」
「そうですか?」
眉をひそめる。
「でも、なんかクサイんですけど……」
「じゃあ——お前自身が匂っているんじゃないのか?」
「な? 失礼なことを言わないでください!」
マルセイユがプンプンと怒り出す。
「私はフローラルな香りで包まれています。嗅いでみますか?」
ジャスティンに向かって、左腋を上げる。
「なんで、俺がお前の腋の匂いを嗅がないといけないんだよ」
「冤罪です。私は臭くありません」
責めるような眼差しを向けてくる。
「だったら、思い当たるのは――」
ふとあるモノが思い浮かぶ。
「お前が持っている、あのニオイ袋じゃないのか?」
「ええ~。これですか?」
ポケットから例のニオイ袋を取り出すマルセイユ。
「ですが——」
ニオイ袋を嗅ぎ始める。
「これもフローラルな香りですよ」
「それをやめろって! さっきから『変なニオイ』って——」
ジャスティンはそう言って、まじまじとマルセイユの顔を見つめてしまう。
「それのせいで幻覚症状が出ているんじゃないのか? 幻臭……」
「な、なんですか……そんなに見つめて? わ、私が可愛いからって――」
「お前——左眼の瞳孔が開いて、充血しているぞ」
マルセイユは一瞬ギクリと固まり、慌てて視線をそらして袋をポケットに押し込む。
「……気のせいです」
そう言って玄関の大理石の床を見つめたまま、鼻をひくひくさせていた。




