第十六話「腐臭の屋敷と黒い影」
「ところでマルセイユ――」
ジャスティンは歩きながら、振り返る。
「お前は、領地捜査局について、どれくらい知っているんだ?」
「申し訳ありません。私は世相に疎い状態でしたので……」
「疎いと言っても、革命が起きたことくらいは知っているんだよな?」
ジャスティンは冗談めかして訊ねてみた。
「そうですね……」
マルセイユは口ごもる。
「十年前——グランディールの王邸宮での事件が元で、革命が起きました。それによって、この国は王国から共和国へと変わったと、聞き及んでいます」
(ん? ――聞き及ぶ?)
「他人事の様な言い方だな。何かあったのか?」
「はい。私は十年前の事件によって、メリシア様がいなくなって以来、屋敷の外へと出ることは禁じられていましたので……」
「ちょっと待て――」
立ち止まり、マルセイユを見つめる。
「他の家猫たちはどうしているんだ?」
すると、マルセイユはジャスティンを見つめ、首を傾げる。
「私以外、野良になりました」
ご存じないのですか……と言わんばかりの表情だった。
(ちょ……野良だって? 屋敷猫の連中、どうしてコイツに禁足を命じて、幽閉まがいな事をしていたんだ?)
ジャスティンは、ため息をつく。
(まあ……余計なことを、考えても仕方ない)
「掻い摘んで説明するが――革命によって政治体制も変わったんだよ」
ポリポリと頭を掻きながら、チラリとマルセイユを見つめる。
「憲法が制定され、新政府が樹立した。けれど――」
彼女はこちらを探るように見つめていた。
「変わったのは、ほとんど建前だったんだよ。身分制度はそのままだ」
「つまり――いまだに貴族は領地を所有している。だから簡単に手出しできない、という事ですか?」
(なるほど……機転は利くようだな)
「まあ、そんな所だ。細かい話は追い追いしていくとして――」
マルセイユに付いてこいと、合図をして歩き出す。
「形式上、貴族様の領地の捜査にあたる組織――」
ジャスティンは、「KEEP OUT」と印字されている黄色いバリケードテープを潜って、領地内へと足を踏み入れる。
「領地捜査局が——三年前に発足されたんだよ」
「一つ疑問に思うことがあるのですが?」と、マルセイユが後ろから声をかけてきた。
ジャスティンは振り返り、話してみろと合図を送る。
「領地捜査局の局員に、その土地の領律は適用されないのですか?」
「残念だが、適用されるんだよ。勝手に領地に足を踏み入れば、殺されても文句は言えないのさ」
ジャスティンはそう言って、肩を竦める。
「だから、俺の様な貴族出身の捜査官が重宝されるというわけだ」
「そうですね。ジャンナッツ家の人間を敵に回すような、頭の悪い貴族はおりませんものね」
(おいおい……それは毒舌すぎるだろ?)
そう思いつつ、ジャスティンは何も言わなかった。
ジャスティンはマルセイユをその場に待たせて、制服を着た警察官と領地捜査局員の元へと向かう。
集まったメンバーを見渡すと、声を張り上げる。
「それじゃあ、捜査を開始する。捜査を妨げる領律はないから、普通に作業を進めてくれ! 以上だ!」
ジャスティンの合図で、皆が一斉に動き始めた。
「俺たちも現場に向かうぞ」
マルセイユに声をかけて、ジャスティンは歩き始める。
◇◇◇
テトレー伯爵の終の住処は、蔦に覆われた2階建ての屋敷だった。
(庭師がいるとは思えないな……。伯爵とは名ばかりか……)
屋敷の周囲を眺めながら、ふとそんなことを考える。
二人は屋敷の裏手にある、使用人専用の勝手口から中に入った。
饐えた匂いが鼻にまとわりつく。
(のっけから不快な気分にさせてくれる……)
「暗いな……」と、ポツリと呟くと、後ろにいたマルセイユが気を遣ったのか、横にあった廊下のスイッチを入れてくれた。
ジャスティンの右横の壁を、黒い影が音もなく動く。
(うわ……あの不快な虫がいるのか?)
すると――。
ダン!
壁を打ちつける音が背後から聞こえた。
振り返ると――。
マルセイユが怯えた子猫のように、涙目になって縋るような眼差しを向けてくる。
「ど、どう……」
マルセイユの声が震えて、身体は固まっていた。
ジャスティンは、マルセイユの右手が壁にめり込んでいるのを見て察した。
そこは黒い影が動いた先だった。
「お前……素手でやったのか……?」アレを……?
マルセイユは、どうしようと言わんばかりの表情で、コクコクと頷いた。
「つ、つい……反射で――」
「そのまま……見ないようにして洗ってこい。ここで待っているから――」
マルセイユは左手で右手首を持ちながら、駆け足で外に出ていった。
ジャスティンは、ふう……と、ため息をついた。
「あの方……変わっていますね?」
領地捜査局の新人、キャンディ捜査官が耳打ちをしてきた。
「ああ、まあな……」
曖昧な返事をする。
「これから領地捜査局の捜査で顔を合わせる機会が増えるから、仲良くしてやってくれ」
「それは構いませんが――」
キャンディは上目遣いに興味深そうにジャンナッツを見つめ、訊ねてくる。
「ジャンナッツ警部と、どういう関係なのですか?」
(まあ、気になるよな……。メイド服姿だし……)
「昔の馴染みだ。ジャンナッツ家に仕える猫だよ」
「猫?」と、キャンディは首を傾げる。
(おっと……暗部組織……なんて説明は——出来ないな……)
「警護をする召使いという感じかな……」
苦笑混じりにそう言って誤魔化すことにした。
(ある意味においてはその表現に間違いはないんだが……)
猫――そう呼ばれる女性だけの暗部組織が、王国時代から密かに存続していた。
諜報から暗殺までを担う一族。
その首領は王国建国の功績により爵位を授けられた。
それが、ジャンナッツ家の始まりだ。
初代当主が女性であったことと、諜報活動での任務は女性が優位であったことから、代々当主は女性が務めることが、ジャンナッツ家の領律により定められた。
だが領律による当主の縛りが、徒になる出来事が起こる。
それが革命の原因でもある王邸宮の失踪事件だ。
この事件に——母と姉も巻き込まれた。
母と姉が同時に失踪宣告を受け、死亡したものとみなされた。
おかげでジャンナッツ家は当主不在と相成った。
そして現在でも爵位がない、みなし貴族という状態のまま。
「いや……やめよう……この話は――」
ジャスティンは頭を振る。
「ええ~。でも、気になるんですよ。警部を持ち上げたり、壁を壊すほどの、あの怪力……人間とは思えないです」
キャンディ捜査官がジャスティンに詰め寄ろうとしたときだった。
「リグを着ているだけですよ」
音も気配もなく、突如としてマルセイユが彼女の背後から耳打ちをしてきたのだ。
キャンディは不意のことに驚いて、飛び退きながら振り返る。
「別に隠すことではありませんよ。このメイド服の下に、グリムリグを着込んでいるのです」
マルセイユは彼女にニコリと微笑む。
「リグ……って、外骨殻――」
「マルセイユ! それ以上、余計なことは話すなよ」
口を閉じろとばかりに、人差し指を口の前に出してサインを送る。
「ほら、行くぞ!」
ジャスティンは踵を返して、歩き出した。
マルセイユも、それ以上何も言わずに、ジャスティンの後ろを付いていくのだった。




