怒り
この世界はプレイしていたMMORPGそっくりで、私たちが目覚めた時にはゲームで使用していたキャラクターになっていた。特殊技能や魔法といった、非現実的な技が使用可能な、まさに夢の世界。
唯一違うのは、ゲームで存在していた”蘇生薬”や”蘇生魔法”が存在しない。この世界の人々に聞いても「そんなのは神の奇跡でもない限り無理だろう」と口を揃えて答える。
ヒーラー職”アークビショップ”の咲耶も、蘇生に関してはどうしても再現はできないと話していた。まるで蘇生魔法そのものが削除されているようだと、開発関係者のハーちゃんも何かの意図を感じている様だった。
そのためゲーム設定上、最高レベルで強いステータスの私たちでも、「死」に関してだけは慎重に考えていた。ゲームのようにターミナルポイントで復活なんて、都合良く出来るとは限らないからだ。
しかし、たった今、目の前で仲間の身体が、氷像となり砕け散った。
敵の放った極低温魔法によって、彼女の全身は分厚い氷に封じ込められていた。皮膚の表面だけではない。吐息も、血流も、生命活動そのものが停止したかのように、透明な氷の中へ閉じ込められていたのだ。そこへ放たれた刺突攻撃。
鋭く尖った忌まわしき巨爪が胸部を貫いた瞬間――甲高い破裂音が響いた。肉を裂く音ではない。巨大な氷塊を内側から砕いたような、耳障りな破砕音。
次の瞬間、全身に走った亀裂が一斉に弾けた。
腕が。
脚が。
胴体が。
まるで陶器細工のように砕け、宙へ飛び散る。飛散した破片の中には、赤黒い色を閉じ込めた氷片も混ざっていた。凍結した血液。砕けた肉片。白く断ち割られた骨。
誰の目にも明らかだった。致命傷――などではない。もう、人の形すら残っていない。
「うわぁぁぁぁああぁ!?」
無意識のうちに私は叫んでいた。喉が裂けるほどの叫び声が、戦場に響く。――それは、紛れもない慟哭だった。呼吸が乱れる。上手く息が吸えない。喘鳴混じりの呼吸を繰り返しながら、震える両手で、砕け散った氷塊を必死にかき集めようとする。
集めなければ。何を――なのかも、分からないまま。不意に身体へ浮遊感が走り、両手から氷塊が零れ落ちる。アルラトの肥大した腕が、私を抱えたまま高く跳躍していた。
「あ……ああっ!」
声にならない音が喉から漏れる。大粒の涙と共に、サクラの肉体を含んだ氷塊が地面へ落ち、さらに細かく砕け散った。そこへ無慈悲に振り下ろされるザナファの前脚。あの場所に残っていたら、私も潰されていたかもしれない。もはやサクラは氷塊ごと粉々に砕け、原形すら留めていなかった。
受け入れがたい現実を前に、私の中で少しずつ肥大していく感情があった。
――それは、“怒り”。
私はアルラトの腕を振り払い、その身体を踏み台にするようにザナファへ飛び出す。もはや無意識に近い。怒りに身を任せた、無謀な行動だった。
「シノッ!?」
踏み台にされたアルラトはバランスを崩し、着地に失敗して地面へ転がる。
「うわぁぁぁ!!」
私はザナファの前脚へ突き刺さった村雨を引き抜くと同時に、“影分身”と"地獄ノ業火連斬"を発動する。
私を含む全ての分身体が黒紫の炎に包まれ、ザナファの皮膚を焼き溶かす。
もはや何も考えてはいない。目の前の前脚へ、悪意にも似た感情を叩きつけるかのように、斬撃を浴びせ続けた。
「落ち着け、シノブ!」
ドッちゃんの叫び声が響いた直後、ザナファは前脚を大きく薙ぎ払う。私と分身体たちは四方へ跳ね飛ばされた。しかし、感情を完全共有した分身体たちは、受け身を取ると同時に地面を蹴る。そして瞬時に“縮地”を発動し、ザナファ目掛け再び駆け出した。
「くっ……ハーデス、援護を! 咲耶とアルラトはシノブを止めてくれ!」
遠隔から無数の銃弾と魔法がザナファを捉え、ヘイトが分散する。右前脚。左前脚。後ろ右脚。後ろ左脚。四体の分身体がそれぞれ駆け上がり、弱点である頭部と胸部を目指して走る。それはまさに高速の火球だった。
ザナファが蜘蛛のような六本の巨脚を屈める。次の瞬間――ザナファを中心として広がるように、激しい電撃を孕んだ衝撃波がフロア全体へと広がった。
私は真正面から衝撃波を喰らい、大きく後方へ吹き飛ばされる。既に身体を駆け上がっていた分身体たちは、至近距離からその攻撃を受け、4体全てが消滅した。
「ハァ……ハァ……」
急激なSP消費により、身体が動かない。今の攻撃を受け、分身体が消滅したことでSPの継続消費も止まり、皮肉にも意識消失だけは免れていた……そんな状況だった。
意識が朦朧としたおかげか、怒りの熱が少しずつ引いていく。冷静さを取り戻し始めたことで、逆に自分の無力さだけが鮮明になった。
私は、対レイドボス戦では足手纏いだ。何一つ、役に立てていない。唇を噛み締め、拳を地面へ叩きつける。
サクラが……。サクラが、死んじゃった。
何度も、何度も拳を叩きつける。ぶつけようのない悔しさを、自分の拳と地面へ吐き出すように。
その拳を包み込むように、黒い革手袋をした手が優しく触れた。顔を上げる。そこには、防御障壁を展開した咲耶の姿があった。
「シノブ、落ち着いてください。気持ちは痛いほど分かります。ですが、怒りに任せて動いても、良い結果は生まれないと思います」
私の周囲を回復魔法の温かな光が包み込み、重くなっていた全身が少しずつ軽くなる。どこか悲しげな表情を浮かべる咲耶を見て、私はようやく気付いた。咲耶も、私と同じ感情を抱えている。悔しくて。悲しくて。そして、怒っている。きっと、ドッちゃんも。ハーちゃんも同じだ。
感情に任せて暴走したのは私だけ。危険な単独行動をして、皆に迷惑まで掛けた。そんな当たり前のことを、ようやく理解したのだ。
「ごめん。ごめんね…」
誰に対してか分からない謝罪が零れる。止め処なく溢れる涙。そして、私の中でサクラはとても大きな存在になっていたことを思い知る。
「仇は取る。そして、何年かかってでも復活の手段を捜しましょう」
そう言って、咲耶は力強くも優しく微笑む。もともと蘇生薬や蘇生魔法が存在したゲームとそっくりな世界。かならず何処かに復活の糸口があるはずだ。無いと決めつけ、諦めて自暴自棄になってたのは私だけなんだ。
「…うん。絶対にサクラを蘇らせる」
呼吸を整え、冷静に戦況へと視線を戻す。ドッちゃんは立ち位置を変えながら後方からの遠距離射撃、ハーちゃんは間合いを取り、常に中間距離を保ちつつ攻撃魔法で応戦。アルラトは私と咲耶を守るように中間距離で防御姿勢で待機していた。
私と咲耶は、小走りにアルラトの方へと歩み寄る。
「ラト、さっきはごめんね。急に蹴ったりして」
「ん……べつにいいよぉ?」
アルラトはそう言いながら、小さく肩を竦める。
「シノブ、あのままだと死にそうだったし」
「……」
「ボク、今“かばう”ってやつしたんだよ? えらくない?」
冗談っぽく笑う。けれど、その黄金色の瞳だけは妙に冷静だった。
「でもねぇ、ちょっとびっくりした」
「……何が?」
「シノブって、怒るとあんな感じになるんだって」
アルラトは無邪気に首を傾げる。
「人間って面白いよね。さっきまで泣いてたのに、次の瞬間には“殺したい”でいっぱいになるんだもん」
咲耶が僅かに眉を寄せる。空気を読んだのか、アルラトは「あ、失敗した」みたいな顔をした。よく見ると、アルラトの華奢な身体には無数の傷痕が走り、紫色の血液で衣服が染まっていた。
レイドボスであるアルラトですら、LPが無限にあるわけじゃない。私たちを守るために、盾になってくれていたんだ。
「ふむ……やはり、アルの回復は無理だな」
「ブーブー! 僕の傷も治してよ」
咲耶の話では、どれだけ回復魔法を掛けてもアルラトの傷は癒えないらしい。恐らくだけど、彼女の“レイドボス”という設定が、仲間パーティーを認識して回復対象を選定する――そんな当たり前の「設定」から外れているのだろう。こういう所だけMMORPGの当たり前が反映されているのに、なんで蘇生薬は存在しないんだ。……そんな、憎しみにも似たもどかしさが胸に湧く。
「しかし、この消耗戦はまずい。なんとか活路を見出さないと……」
咲耶は顎に手を当てて戦況を見つめ、悩むように瞳を細める。その視線の先には、ドッちゃんの援護射撃を背に、一定距離を保ちながら戦うハーちゃんの姿。肩で呼吸をするほど消耗しており、体力低下は誰の目にも明らかだった。
現在いるアビスダンジョン50階層は、負の魔力に満ちている。その影響で、SP回復量が通常フィールドの「倍」になる設定だったはずだ。
開発に関わったハーちゃんの話では、ド派手な上位技能や上位魔法を連発できる方が戦闘映えするため、ボスの体力増加とSP回復量上昇を組み合わせたらしい。
「まず、2人に合流しましょう。戦線を立て直さないと、ジリ貧になります」
私と咲耶は同時に頷き、アルラトを連れて2人の元へ走り出した。
「ラトはプレイヤーに変身できるんだよね? じゃあ、暗黒神ザナファには擬態できないの?」
突拍子もない発想なのは理解している。それでも、逆転の一手になるかもしれないという望みを込めて問い掛けた。
「……うん。できないみたい」
一拍置いて、残念そうな返答が返る。良い案だと思ったけど、流石に無理か。
「でも、複数のプレイヤーにはなれるはずですよね?」
「うん、それならできるよ」
ゲームでは、アルラトの守る二十階層へ到達したプレイヤーキャラと、全く同じステータス、無強化で基本値の同型装備を持つエネミーと戦う仕様だった。その偽プレイヤーに勝利すると擬態が解け、アルラト本体との戦闘へ移行するという流れ。
咲耶は何かを思いついたように微笑み、アルラトへ視線を移した。
「それなら、やりようがありそうですね」
「どうせ僕を囮にするつもりでしょ。……別にいいけど、勝ったらお願い一個聞いてくれる?」
「いいですよ。その代わり、期待通りの動きをしてくださいね」
咲耶の返答を聞いた瞬間、アルラトの身体が形状変化を始める。黒い影のような流動体へ変わった後、私たちそっくりの姿へと擬態した。"索敵"を使用しない限り判別できないほど精巧な擬態に、咲耶は満足そうに頷く。
「まずはハーデス本人と交代。牽制を続けてください。残りはそのままついて来てくださいね」
「まかせておけ!」
軽快な返事を残し、擬態ハーデスが本人の元へ走り出す。
私たちはドッちゃんの元へ辿り着くと、咲耶はすぐに擬態ドッちゃんへ援護射撃の指示を出した。
その間に、私たちは間近に聳える巨大な岩陰へ身を潜める。
「…………改めて間近で見ると不気味だな、俺」
「ひどい!」
「ひどい!」
表情には出ていないが、声色から“引き気味”なのが分かるドッちゃんの台詞に、擬態咲耶と擬態シノブが同時に抗議する。擬態ドッちゃんは、本人の性格まで模写しているかのように無言で射撃を続けていた。
少し遅れてハーちゃんも合流し、大岩の裏側で作戦会議が始まる。
「そうか…サクラはもう」
「蘇生の制約。何者かに事象を歪められているのだろう」
“蘇生の制限”――。
それは、何者かによって故意にプログラムを書き換えられている証拠だと、ハーちゃんは言いたいらしい。
「まだ、100%復活できないと決まったわけじゃありません。もともとは存在したんです。何かフラグ的な処理で管理されてるかもしれませんよ?」
「無い…とは言い切れないな。書き換えよりもON・OFF管理の方が楽だからな」
希望はある。――あると信じてる。
「皆、さっきはごめん。冷静さを欠いて、危険で無謀な行動をしてしまいました」
私は中腰のまま、皆に頭を下げる。擬態シノブも何故か私に倣って頭を下げた。
「いや、俺も全体を見れていなかった。…すまん」
ドッちゃんも自責の念を感じているのか、低い声で項垂れる。咲耶やハーちゃんの表情も暗い。皆、それぞれに責任と後悔を感じている様だった。
周囲に沈んだ空気が漂う。その時、ひときわ大きな爆発と衝撃が響き、フロアの大気と地面が揺れる。示し合わせたかの様に、皆の目に鋭さが戻る。今はまず目の前の暗黒神ザナファを倒さないといけない。
「作戦ですが…今、アルラトの作ったハーデスとDOSの擬態がザナファと応戦中。さらに正面から私とシノブの擬態を向かわせます。ヘイトを完全に正面へ集中させます」
擬態咲耶と擬態シノブが作戦を理解しようとウンウンと頷く。
「私たちは、フロアを壁沿いに迂回しそれぞれの配置…私とシノブは左右の側面、DOSとハーデスは背後へ回り込みます。合図と共に背後の2人は頭部へと走り、最大級の一撃をクリティカル狙いで当てに行ってください」
要するに、パーティーの最大火力を誇る2人の弱点至近距離攻撃する作戦か。正面からはアルラトの擬態パーティー、そして側面は私と咲耶が後方から頭部を目指す2人にヘイトが向かないようにする役目という作戦らしい。
「確かにゲームと違い、銃撃や魔法でも至近距離から直撃すれば明らかに傷口は大きいからな」
ドッちゃんは会話を挟みながら最大口径のスナイパーライフルを取り出し、数少ない課金弾丸を装填する。単純に"攻撃力-防御力×属性数値倍率=ダメージ"みたいに数値化されたゲームと違い、物理法則も演算されているこの世界では、"至近距離×弱点×最大火力攻撃”が1番ダメージを与えられるはず。
「じゃ、私は先に行くよ!」「お先!」
作戦概要をあらかた聞いたアルラトの擬態たちは、颯爽と戦線へと飛び出した。説明途中で気が早いけど、今はなんだか頼もしくもある。
「――よし、それで行こう。側面の2人には危険を押し付けるかもしれないが、くれぐれも気を付けてくれ」
「フッ、我が最大の一撃で魂の片割れを確実に葬ってやる」
「合図は私のミョルニルの電撃です。皆が配置に着くまでは、アルラトになんとか頑張ってもらいましょう」
「了解。じゃ私も行くよ」
私たちは互いに視線を合わせ、岩場に身を潜めながらフロアを迂回し配置を目指した。
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