最後の晩餐
-アビスダンジョン 49階層-
40階層のレイドボス”魔人ヨグトス”が下層を徘徊している可能性を意識しつつ、私たちはその影に怯えながら慎重に歩を進めていた。下層ともなれば強力なモンスターが数多く蠢き、戦闘は苛烈を極める。
攻撃役と盾役を兼務するアルラトは体力的には余裕を見せていたが、戦闘の連続に「飽きた」と言わんばかりの溜息を何度もついていた。そして、長きにわたる10日間の探索を経て、ついに私たちは49階層へと到達した。
このフロアはゲームの設定と同様、強力な結界によって守られており、モンスターは一切出現しない。その壁にはこの世界の歴史が荘厳な壁画として描かれ、まるで神殿のような静けさと威厳を湛えていた。
私たちはフロアの中央部にキャンプを張り、夕食を囲む。明日はいよいよ暗黒神ザナファとの最終決戦。生きて現実世界に帰還できるのか、それとも屍となってこの地に眠るのか……。誰もがその重さを胸に抱え、最後の晩餐のように口数少なく夜を過ごしていた。
その重い雰囲気を払拭するかのように、サクラが口を開いた。
「もし生きて帰れたら、リアルでオフ会をしないでござるか?」
「それは名案ですね。私は賛成です」
「……ふむ。悪くない思惑だ。最高の宴となろう」
サクラの何気ない一言に、武器の手入れをしていた2人が思わず顔を上げる。話を聞くうちに分かったのは、彼らがオフ会を考えていたものの、ネカマプレイが露見するために諦めていたということだ。
しかし、この異世界でオープンネカマとして過ごすうちに、その羞恥や抵抗感は不思議と消えていたらしい。ある意味、最強に自由な存在へと変わりつつあるのかもしれない。その話を聞いていた私は、突っ込まずにはいられなかった。
「……いや、そこは気にしなよ。一応、リアル女性限定ギルドっていう規約があったんだし」
「うぐっ……それを言われると耳が痛いでござる。しかし、シノブ殿は仲間たちとリアルでも会ってみたいとは思わないでござらんか?」
――そう言われると、今となってはサクラたちが男性だと知っていても、リアルで会うことに抵抗はないかもしれない。長い異世界での旅を通じて、彼らの良いところも悪いところも知ったし、生死を共にする戦闘で背中を預け合ってきた。その関係は、友人というより盟友に近い親密さと信頼に結びついていたからだ。
「面白そうだけど……私、高3になったばかりだし、一応受験生なんだけど」
私は親の希望もあり、大学へ進学する予定で学校へ進路を提出している。SMOのサービス終了は、残念だけどむしろ丁度良いタイミングだったのかもしれないと、諦めに似た感情を抱いていたくらいだ。
「シノブは進学組なのか。それじゃ、すぐにオフ会ってわけにはいかないな」
ドッちゃんが銃のスコープを調整しながら会話に加わる。その瞬間、ふと自分の言葉に違和感を覚えた。高3になったばかり――。
SMOのサービス最終日は4月の初めだった。なら、現実世界の私は今どうなっているのだろう……? もしかして昏睡状態で入院しているのだろうか。この異世界で過ごした時間はすでに半年以上。もし病院にいるのなら、休学や留年は避けられないんじゃ……。
現実の自分を思い出した途端、胸の奥からじわじわと不安が込み上げてきた。気付けば、この世界での生活に慣れすぎて、あちらをすっかり忘れていたのだ。
「ね、ねぇ……今ふと思ったんだけど、私たちの現実の身体って、どうなってるのかな?」
私が問いかけると、皆はそろって首を傾げ、考え込むような仕草を見せた。どうやら、誰もが現実世界のことをすっかり忘れていたらしい。
「寓話でよくある筋書きよ。現世の肉体は昏き眠りに堕ち、魂だけが異界に囚われる……。そしてこの肉体は、かつて虚構遊戯で我が操っていた傀儡が器となっている――それこそが、その証左だ」
ハーちゃんは長杖を掲げ、どこか愉しげに語る。……つまり、ハーちゃんの考えは私が想像した通りの様だ。現実世界では昏睡状態にあり、意識だけがこの世界に転移している。それはゲームで使っていたアバターに憑依している事が、その証明だと。――彼の言いたいのはそういうことだ。
もちろん、この不思議な世界の謎が今さら解けるとは思っていない。けれど「ちゃんと帰れるのか」という不安が、今更になって胸の奥で広がりはじめていた。
「――ということは、拙者は無断欠勤の末、クソ上司に発見され、病院へ搬送されたのでござろうな。あのクソ上司が無断欠勤を2日も放置するはずがない。必ずアパートに押しかけてきたはず。……されば、すでに発見されているでござろう」
サクラは顎に手を添え、遠くを見つめながら淡々と呟いた。サクラは悲しみと憎しみが複雑に入り混じったような表情を浮かべている。
彼と上司の確執はゲーム内でもよく耳にしていたが、アバターを介しているせいで、そこに浮かぶ表情までは分からなかった。普段は何気なく「ふーん」と聞き流していたけれど……こうして目の前で見ると、サクラがどれほど苦しい思いを抱えていたのかが伝わってきて、胸が詰まる。
「ま、まずいな……」
「私も、少し不味いかもしれません」
急にドッちゃんとサクヤが焦ったような口調で頭を抱えた。
――そうか。2人は一人暮らしで、しかも自営業のような生活をしている。だから、もし現実世界で倒れていたとしても、誰にも気づかれずに放置されている可能性がある。最悪、未発見のまま腐乱死体に……なんてことも考えられる。現実世界に戻った瞬間、自身の身体が死んでいるとしたら……。そう考え私は思わず背筋が震えた。
「我はもうしばらく、この謎多き世界を巡ってみたいのだがな……。魔法を操れるというのも、なかなか捨てがたい感覚だからな」
ハーちゃんは相も変わらずマイペースに物事を考えている。……確かに、この世界での生活は現実世界では味わうことのできない唯一無二の貴重な経験だった。この強い身体の万能感が捨てがたいと感じるのも理解できる。
「――ねぇ、パパたちはさっきから何の話をしてるの? 全然わかんないよ」
アルラトがむくれた顔で、子供のようにハーちゃんのマントを掴んで揺する。見た目どおり、本当に幼い仕草だ。アルラトは魔人としてこの世界で生まれ、アビスダンジョンの20階層を守るレイドボス。現実世界の事なんて、何一つ知らないから会話が理解できないのは仕方がない。
「ラト、私たちはこの世界の人間じゃないの。異世界から転移してきた……そんな感じなの。この先にいる暗黒神ザナファを倒せば、元の世界に帰れるはずなんだよ」
私が簡潔に説明すると、アルラトは「えー!?」と大声を上げ、「僕も一緒に行く!」と言い張った。けれど……アルラトはもともとこの世界の魔人。現実世界へ行くなんて、きっと不可能だろう。なにより、現実世界に肉体が存在しないからだ。
「……ごめんね。私もラトと一緒にいたいけど、こればかりは私たちにはどうすることもできないの」
――そう。この状況を作り出した神様でもないかぎり、アルラトの願いを叶えることはできないだろう。私はアルラトの隣に腰を下ろし、そっと頭を撫でた。アルラトは納得できない様子で、ぷくりと頬を膨らませていた。
「拙者が思うに、現実世界とこの世界は、必ずしも同じ時間の流れではないと思うのでござる。現に、ゲームで暗黒神ザナファを倒した際も、多少の回線ラグはあるだろうが、ほぼ同じ時間だったはず。しかし、拙者とシノブ殿よりもDOS殿たちはこの世界に2週間も早く転移してきている」
「確かに、ハーデスにいたっては何ヶ月もラグがありましたね。それに、ゲーム内の時間と現実世界の時間は経過速度が異なっている……か」
「うむ。そう考えると、まだ悲観するには及ばぬかもしれん」
現実と異世界で時間の流れが異なる――その仮説が、ドッちゃんとサクヤにわずかな希望を与えていた。
だが、それでもまずは暗黒神ザナファを倒さなければならない。SMOストーリーモードの最終ボスにして「神」を冠する存在。これまでのモンスターや魔人とは比べものにならない力を持っている。
けれど、ゲームでは何度も撃破した相手だ。今まで遭遇してきた魔人たちだって乗り越えてきた。レイドボス級の能力を持つアルラトも味方にいる。――そう考えると、案外余裕で勝てるんじゃないか。私は心のどこかでそう思っていた。
でも、何故か不安を感じていた。”虫の知らせ”や”第6感”のような、得体の知れない予感めいた何かが心のどこかで産声を上げたような……。そんな私の心を代弁するかのように、サクヤがふっと呟く。
「――勝てるでしょうか?」
その問いには、その場にいた誰1人として即答できなかった。誰もが心の奥底で、勝利に対する不安を抱いている。戦闘に勝てるかもしれない。だが“全員が生き残る”という条件がつくと、途端に難易度は跳ね上がる。
暗黒神ザナファほどのレイドボスともなれば、プレイヤーに即死級の攻撃や回避不能の大技を平然と繰り出す。タイミングやランダム性が重なれば、最高レベルのプレイヤーすら死ぬことがある。それを皆が知っているからこそ、誰も「絶対に勝てる」とは言えなかったのだ。
「……きっと、大丈夫だよ。ラトもいるし、勝って、現実世界に戻って――それからオフ会、するんでしょう?」
私は精一杯の強がりを込めて言葉を放った。その声に呼応するように、皆が顔を上げた。
「そうでござるよ。拙者たちなら、きっとやれるでござる!」
「ふふ……私としたことが、少し弱気になっていた」
サクラとドッちゃんの言葉には、気力と同時に確かな自信が滲んでいた。その響きが、なぜか心地よく、そして少し嬉しかった。その言葉を聞いたハーちゃんが、むくれるアルラトに長杖を突き出して叫ぶ。
「アルラト。我が下僕ならば、命に代えても主を現世へ導く役目を全うせよ」
「――むぅ」
アルラトだけが、どこか不満げな顔を見せる。不貞腐れ気味の様子に、生みの親からの厳しい指令が重なる。でも、この方向性の違うマイペースさを持った2人を見ていると、不思議と気持ちが軽くなる。ささいな悩みなんて意味が無いって言われているようだからかも。
「……すみません。そうですね。回復役としての役割に、少し自信をなくしていました。でも、私もリアルのシノブちゃんに会いたいです」
その言葉で、皆の胸に改めて覚悟が宿る。焚火を囲みながら、私たちは最終決戦に向けての意思を確かめ合った。やがて最後の晩餐を終え、それぞれ眠りにつく。
――明日は暗黒神ザナファとの戦い。必ず勝利して、元の世界へ帰る。私はそう強く願い、静かに瞳を閉じた。
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