救出作戦
「――と、いうわけで、和解しました。ご迷惑をかけて申し訳ございませんでした。それで、私たちも住民の救出に参加することにしました。だから、その……」
“仕事を辞めたい”――その一言が、どうしても口から出てこない。どうしてだろう?
忙しかったけれど、楽しくて充実していたこの日々が、終わってしまうのが嫌なのかもしれない。小さいけれど、そんな感傷めいた感情が、喉元に引っかかっている気がした。私が口ごもっていると、先にシゲオ店長が口を開いた。
「仕事を辞めたいってことか……?」
「ええと……」
「はっきりしねぇな」
シゲオ店長の表情に苛立ちが露わになっていく。サクヤは別室でゴウトと作戦の打ち合わせ中だ。残念ながら、助け船は期待できそうにない。
「はぁ……。なぁ、おめぇには何か、使命みたいなもんがあるんだろう?」
シゲオ店長は大きく溜息をつき、その後、真剣な眼差しで私を見つめた。その瞳には、まるで揺らめく炎が映っているかのような、揺るがぬ意志が宿っていた。
「はい、すみません。私とサクヤはギュノス国へ向かい、仲間の救出と住民の解放をしに行きます。……だから、まことに勝手ながら、辞めさせてください」
シゲオ店長は俯いて頭を抱え、また大きく溜息をついた。
「“辞めさせてください”……なら、駄目だ。お前ぇさんの覚悟や目的は、そんな優しいもんじゃねぇんだろ」
感傷を引きずって足を止めようとしている私の心を、見透かすような鋭い視線。――シゲオ店長の目が私を射抜く。できるかどうかはわからないけれど……私たちは暗黒神ザナファを倒し、現実世界へ帰らなくてはならない。だから、ここで立ち止まるわけにはいかない。私は気持ちを奮い立たせるように顔を上げ、店長へと向き直った。
「私には、果たさないといけない目標があります。だから……まことに勝手ですが、今日限りで仕事を辞めます」
その言葉を聞いて、シゲオ店長の表情がわずかに緩む。そして目を瞑り、口元に柔らかな微笑みを浮かべた。
「ちゃんと、言えたじゃねぇか。……分かった。酒場のことは心配すんな。こっちでなんとかするさ。――って言っても、お前ぇさんたちほど、仕事のできるヤツはいねぇだろうから、しばらくは難儀しそうだけどな」
シゲオ店長はそう言って、苦笑した。それが本心なのか、お世辞なのかはわからないけれど――なんだか、胸がくすぐったくて、嬉しくもあった。その後、シゲオ店長から話を聞かされた女将さんとリナとリオは、驚きの声をあげていた。
「シノちゃん、辞めないで!」
リオが私にしがみつき、懇願してくる。リナも「急だよ……」と呟き、俯いてしまう。さっきまでの決意――店長に辞意を伝えた時の感情が、彼女たちの言葉で胸を締め付けてくる。
「仕方がないさ。シノブとサクヤは冒険者なんだ。いつまでも、ここに留まってはいられないさ」
女将さんが、シゲオ店長と私たちのやり取りを受け止め、駄々をこねる2人を優しく諭すように言った。私もわかっている。今の忙しさで急に従業員が抜けることが、残る人たちにどれだけの負担をかけるのか。だからこそ、後ろ髪を引かれる思いが拭えなかった。
「すみません。本当に急で……。そこで、私の顧客に何人か、お店を手伝っても良いと言ってくれる娘たちがいます。後ほど紹介します」
サクヤはそう言って私の隣に立ち、申し訳なさそうに頭を下げる。どうやら、サクヤ目当ての常連客の中に、お店を手伝ってもいいという人がいたらしい。サクヤは、いつかこの日が来ることを見越して、何人かに声をかけていたのだろう。――ちゃんと先のことを考えて動いていたんだな。その行動力に、改めて感心してしまう。
「サクヤ殿、シノブ殿。お時間よろしいでしょうか?」
部下を解放して態度が元に戻ったゴウトが、私たちを呼びに来た。どうやら、私たちにかけられた誤解をすべて部下の騎士たちに説明し終えたらしい。今度は、正式に私たちを紹介したいのだという。
私たちは店を出て、町の端にある広場へと案内された。広場には複数の松明が立てられ、周囲を煌々と照らしている。その場には、広場を埋め尽くすほどの騎士たちが集まっていた。どうやら、ギュノス国の周辺で待機していた騎士団の大隊も呼び寄せたらしい。……ということは、総勢1500名近くの騎士が集まっているわけだ。私たちは用意された壇上へと上がり、ゴウトの両脇に立って待機する。
「諸君、先ほど話したように、情報に誤りがあった。裏付けが甘く、諸君に無用な心配をかけたことを深くお詫びする!」
ゴウトはそう言って、騎士団の面前で深く頭を下げて謝罪した。その行動が意外だったようで、騎士団全体からどよめきが起こる。まぁ、最初に見た時のイメージは、絶対君主制の暴君そのものだったからなぁ……。
そんな人物が、全員の前で頭を下げるなんて、驚かないほうが不思議だ。――実際は、小心者で泣き虫っぽいけどね。ただ、それを表に出さない強い意志だけは認めざるを得ない。
「まずは紹介する。”爆雷の女神”こと伊集院咲耶殿。爆雷の女神と言えば、ハイメス国屈指の冒険者というのは誰もが知っていることと思う」
ゴウトの言葉に、騎士団の面々から驚きの声が上がった。壇上の脇に控えていた騎士が「静粛に!」と声を張り上げると、ざわめきが徐々に収まっていった。
「そして、我々が誤った情報に踊らされ、迷惑をかけてしまった御方……」
お、御方!? ゴウトの口調が急に変わったのに気づき、次に発せられる言葉に息を飲む。
「――その名はシノブ様だ! この御方は本当の神の”御使い”であり、そして……世界を救う我々の導き手! ”救世主”なのだ!」
ゴウトは、喉が張り裂けんばかりの勢いで叫んだ。その瞬間、周囲は騒然となり、全員の視線が女給姿の私に一斉に向けられる。流れる沈黙の時間――誰もが、この状況にどう反応して良いのか分からずにいた。――どうするんだよ、この空気。もしかして、この大人数の前で私が何か喋る流れなのか!? その時、サクヤがゴウトの前に一歩進み出て、口を開いた。
「ゴウト騎士団長より紹介に預かりました、サクヤです。騎士団長のたっての願いを聞き入れ、”無償”でギュノス国の解放のお手伝いをさせていただくこととなりました」
”無償”の部分が、いやに強調されたように聞こえたのは、きっと気のせいじゃない。サクヤの狙いは、上下関係を明確にし、ゴウトの株を上げることに違いない。サクヤの言葉を受け、騎士団たちは一気に沸き立ち、「うおぉぉ!」と広場全体に咆哮が響き渡った。サクヤは、その様子に満足そうに微笑むと、さらに言葉を続けた。
「先ほど、騎士団長が言った言葉は真実です。ここにいる女給姿の御方こそが、この世界の闇を祓う”救世主”。この中には、すでにその一端を垣間見た方々もいます!」
酒場での一幕を目の当たりにした騎士たちが、周囲の仲間へと語り始めた。「たった1人で、100人以上の騎士の動きを封じ、その全員の生殺与奪を握った」と。その話が広まるに連れて、周囲の騎士たちは驚愕と畏怖の入り混じった視線を私に向ける。
サクヤは空中から雷槌ミョルニルを取り出し、天へと高く掲げた。次の瞬間、一筋の雷光が轟音と共に大槌へと降り注ぎ、辺りを眩く照らす。会場にいた全員がその光景に圧倒され、誰もが息を飲んでサクヤへと視線を向けた。
「私は、シノブちゃ――様の命に従い、ギュノス国の国民を救うことを誓います! そして、ゴウト騎士団長を最高司令官に据えたレジスタンス組織の結成を、ここに宣言いたします!」
サクヤの宣言が、広場全体を包み込むように響き渡る。その圧倒的な迫力に、騎士団全体が押されるように咆哮を上げ、歓声が広場を揺るがした。――男性が好きそうなノリというか、私はこの熱狂的なテンションを少し冷めた目で見つめてしまう。だってこれ、サクヤが考えた台詞を、さもゴウト主導で進めているように演出してるだけだし。まぁ……物事を進める上で必要な茶番、なのかもしれないけど。
その後、ゴウトから作戦内容が発表された。まずギュノス国の南方に避難所を設営し、水や食糧などの物資を備蓄する。おおよそ1週間ほどの準備期間を見込んでいるとのことだった。準備が整い次第、国民の救出作戦へと移行する。
騎士団は4つの大隊に分けられ、それぞれ東西南北に配置される予定だ。そして私とサクヤは西側から反時計回りに守護機兵を撃破していく。全ての”大門”が一斉に開かれた瞬間、各大隊が都市内部へ突入し、幽閉されている住民たちの避難を開始するという作戦である。最高司令官となったゴウトは避難所にて全体の指揮を執り、各部隊へ指示を出す役割を担うとのことだった。
これは憶測になるけれど、多分、都市内部に潜入しているドッちゃんとサクラが、何らかの策を講じてくれていると思う。もしかしたら、住民たちを安全な場所へと誘導する準備を進めているかもしれない。
――こうして、この日。ギュノス国民を解放するための作戦が始まったのだった。
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