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オメガは吾平のその言葉を聞いて……本当に心の底から嬉しげな吾平の様子を見て、自然と笑みを浮かべていた。それこそ、心の底から愛しげに、嬉しげに、吾平を見つめる。
「そっか、話せたんだ……」
呆然と、陶然と、呟くように口の端に登らせる。
「お前のお陰だよ。お前が、俺に勇気をくれた。お前が俺を強くさせる」
だから――。
そう、言って一歩足を踏み出した。“戻って”“帰ろう”“一緒にいて”
その後に、何を続けるつもりなのか。自分でも分からなかった。それでも、それは続く事のなかった未来だ。
吾平が踏み出した一歩に、オメガが腕を突き上げ、指を鳴らした。
――――ドドォオーン!!
何かが爆発したような低い音と、揺れる足元。水平を失った視界に、オメガが歪んで見える。
「雪崩だ、みんな離れろ――――ッ!!!」
怒号が響いた。
戦いをする前に、オメガは戦いを終わらせた。オメガは最初から、戦うつもりはないのはわかっていた。トラップに嵌める為に、自らが囮となっただけに過ぎない。
『いいか、吾平』
あの時、フィガルノに言われた事が頭に蘇る。
『俺たちはあいつを動揺させる。説得したいけど、あいつは頑固だから、多分無理。で、そしたら絶対トラップを発動させる。大規模のものだから、この場合は……雪崩とか。アイツはすぐには逃げない。きちんと、最後まで見張ってるつもり。自分もトラップの範囲内にいるはずだ。だから、吾平はあいつと距離を詰めて、トラップ発動で俺たちが混乱してる間に、アイツに食いつけ。雪崩が迫る、その数分間。――それが、俺たちの勝機だ』
『うまくやれよ。――任せたからな、女神さま』
ギギドナがそう言って吾平の背を押した。それに、吾平は返したのだ。任された、と。
「……逃げないの?」
吾平は、俯いて辛うじて頭を横に振った。思わず、胸元のネックレスをぎゅっと手で握り締める。感傷的気分になっている。それがいい事か、悪い事か、判別がつかない。少なくとも、オメガの興味は引けたようだったが、思考はそのことさえも上手く飲み込めない。
オメガは愛羅を好きだといった。山茶花は俺を、オルイナは姶良を。でも、それって何なんだ?恋愛感情?刷り込み?憧憬?
(ならなぜ、拒否した?)
何を言おうとも、あの時。オメガは拒絶した。言葉が紡がれる事さえ厭うように、トラップを発動させた。それは動揺したからなのか、嫌悪ではないのか。その言葉の先を聞きたくないと、真実を知る事を嫌がる子どものように――オメガは吾平を遮った。
「オメガ……お前は一体何がしたい。俺を、どうしようと思ってるんだ」
戸惑いの浮かんだ吾平の問いに答える言葉はなかった。
それどころか、冷ややかな視線が吾平に落ちてくる。先ほどは吾平が近づいた一歩。しかし、オメガがそれを逆行する。吾平は距離を詰めるオメガの冷えた空気に一歩、震えて下がった。遠くから近くへ、近づいてくる地震。雪崩という状況も忘れて、ただオメガだけを瞳一杯に映し出す。――不気味な沈黙が明け、手がゆったりと上がり、指を指す。
「それ。まだつけてるんだ」
瞬間、吾平の背に怖気が走った。不吉、嫌な予感。言い知れぬ不安感。オメガの視線が捉えたのは、胸元に新たに付け加えられたネックレスだった。一方は常時見につけていたので、今更のこと。ならば、その言葉が指すのは――
「あ……っ」
吾平は握り締めて守る行為をなすこともできず、ただその先を見やった。
いつのまに近づいたのか分からない身が、吾平の手首を捻り上げ、掴まれたネックレスを陽に翳す。――山茶花が渡した、銀の十字架。




