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「お前は始め、私に“オルイナ”だと言ったな?だが、」
「オルイナは僕ですよ。それで当たり。でも違う。オルイナは存在だ、人じゃない」
愛羅のそばにいるために、オルイナは存在した。そこに個人というものはなかった。あるとするならば、狂おしいほどの愛。愛羅を求め、――けれど多分、姶良という存在を、吾平という存在を、心のそこから愛してしまった。
「オルイナとは、何なんだ?」
「……器。出来損ないの器ですよ。何の意味も無い。――姶良の幼馴染ではあっても、そんな存在、初めからなかった。僕の、偽り」
ひっそりと息づいていたのは、僕の恋心かもしれなかった。
「オルイナなのか、オメガなのか――自分でも区別できないんですよ」
オルイナの――正確には“山茶花”の一族。彼らは始祖の罪を償うために生まれて、死んでゆく。
「今さっき言った少年の末裔ですよ。そして一族の義務として祖の悪行の責任、世界の守人を司る。柱の復活を目的とした」
でも同時にその血は“彼”に感染しやすい。
教育による人格形成状の問題なのか、多重人格として己の中に彼を育てる。ある程度の精神自立が成り立つ年齢を迎えると急激に覚醒し、二つ目の人格が精神を蝕み、統合へと向かう。一個人から“オメガ”という意識体へと変容する。――だが必ずしも覚醒するわけではない。だが、覚醒すればそれは人の輪から外れ時をさまようことになる。幾星霜もの時の流れに取り残されるただ一人の存在。
「山茶花は選ばれたんですよ。柱の復活を望みつつ、その魅力に狂気に取り付かれたオメガ。そのオメガの意識を受け入れ、やがては統合する」
黴菌が傷口から細菌を広げるようにオメガはオルイナを浸食する。けれど、愛羅を愛する気持ちは変わらない。
奇しくも、今代にはフィグローゼがいた。夢はオメガと繋がり、敵ながら友人だった。同類、他人に理解されない感覚は心を近づけた。
けれど、だからこそ、アイラは壊れた。まるで気分は置いてけぼり。
「オメガは、あなたのこと、友人と思ってました。立場は違くとも、同じ孤独を知る、仲間だと」
「――ありがとう」
「ありがとう、だなんて……」
(……そんな風に思われるほどじゃない。私は――私の隣にはいつだって人がいた)
消える背中に、うっすらと輪郭の残るぐらいの背に聞こえたかどうかわからない。
けれど、(空しい。悲しい)
慰めてくれる人が、何も言わずともわかってくれる心が、差し伸べられる優しい手があった。孤独を感じても、すぐに温もりの中へ帰ることができた。
あいつの、あいつらの悲しみを、絶望を、孤独を、……私は片鱗さえ理解していない。(幸せ者なんだよ、私は)
理解者も、いたのだから。
冬の空が澄んでいて、切ない。
「……どう、すべきなんだ、私は」
逃した背中に魚を思う。
オルイナは軍人だ。山茶花は生徒だ。けれど、オメガは敵だ。
軍人であって、教師であって、人であるフィグローゼには今、自分を何をすべきかわからない。知ってしまった正体を誰かに告げるべきか、どうか。
「オメガかオルイナかわからないって、言ってる時点でお前はまだオルイナだろうが……」
晴れ渡る空を見つめて、苦い思いを噛み砕く。そして、
「あーこちら、フィグローゼ。緊急報告がある。会議場に人を集めてくれ」
こんな時には眠りたくなる。
けれど、それはたぶん、逃避でしかないのだとわかっている。
だから、“友人”として、せめて真正面からぶつかろうと、フィグローゼもきびすを返した。軍靴の高い音が冷たい冷えた石の廊下に鳴り響く。




