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(何をやってるんだ俺は!)
そう、心の中で自分にだめだしをする龍城。後悔の嵐に心は落ち着きをなくしていた。
(俺がいるのに山茶花に……だ、抱けだなんて破廉恥なことを!)
落ち込んでいることはわかっていたから、何とかできればと思っていた。吾平が久しぶりに部屋から出たと聞いて、山茶花が共にいることも知っていて、訓練室に二人きりなのも知っていて、そこへ行った。けれど、そこで見たのは消沈して気弱な山茶花と空ろな吾平。だから説教するように言ってやったのだ。結構辛辣な言葉を吐いたと自覚している。
(ノロケはじめやがって)
急に始まった二人の応酬。割り込めなかった。所在がなかった龍城は途中で帰ろうかと思ったほどだ。そもそも、吾平の深い事情を龍城は知らない。
吾平に言ったとおり、龍城は吾平のことを何も知らない。それでも、
「……少しは遠慮しろよ」
(所詮、俺はただの仲間……か)
自分ひとりで何とかできると思っていたわけではない。龍城が何か言ったところで、それで立ち直るようならば山茶花がとっくにどうにかしている
けれど、仲間として。そして肉親を失った傷も、人を殺す罪悪も。共に抱えている、同じ痛みを知っている者として。……その絶望を、知っているから。
立ち止まってほしくなかった。あのまっすぐさが見惚れるほど美しかった。立ち止まらない強さがうらやましかった。前を向き続ける背中が……好きだった。
踏み込む権利も、最初から持ち合わせちゃいないくせに。
「馬鹿か俺は」
(あの強くて綺麗な眼差しに惹かれてしまったのだから……)
見知った気配がして振り返ったら視界が陰った。その瞬間、痛みが――――
その瞬間、吾平が見たものは想像を絶するものだった。
山茶花に促されて龍城の後を追った。ずいぶん時間が経ってしまっているから、周囲の人々に聞いて回らなければならなかった。ただ、(言わなくては)その思いだけで走っていた。そして、見えた背中が……目の前で崩れ落ちる。
「龍城――!!」
抱きとめた体は重かった。
自分よりも体格のいい龍城だ。その崩れかけた体を真正面から受け止めるにしても、その背丈があだになって、その体は膝をつく。
「っ」
小さな呻き。意識は失っていない。それでも、重い体は死体のように無機質に、それでも重い体は命が流れ落ちるように軽く――吾平は己の思考にぶるりと体を震わせた。
「っ大丈夫だ。敵は?」
小さく、龍城が弱い力で体を押し返す。少しできた距離、動いた身体。思えばそれほど重症でもない、背後から不意打ちでも食らったのか。“敵”――襲撃者がいるのだと暗に示されて、気づく。先ほどまで人の賑わいがあった廊下ではない。空気はシンと冷たく留まっている。(ああ……、冬の気配だ)
思考が氷付けになっている。それは、覚悟のない、戦いの意思。
「こそこそ……隠れて背後から、なんて。とんだ卑怯だなぁ!!!サリファンダじゃねぇな、擬者か?」
いつのまにか、吾平を背に守るように立つ龍城。顕現された武器が鈍く、廊下の薄暗い蛍光に光っている。そこに、身を潜めていた影が立った。
「……へぇ、トップが自分で乗り込んでくるとはな」
そこにいたのは、フードを深く被った人型。オメガだった。
「ああ、迎えに来たんだ。といっても、無理やり引きずっていくわけじゃない。導き手だからね、僕は」
龍城の言葉に応対しているようで、その瞳は、その言葉は吾平へと向けられていた。
龍城はとうに立っている。けれど、吾平は、膝立ちの龍城を受け止めた時の姿勢からまったく動けずにいる。下手に動けば隙となる、そんなことが頭を占めていたわけではない。ただ……体が震えていた。恐怖に行動を支配されていた。情けないことに、何を言うこともできず、口を空けてパカリと虚空を生み出す以外に何もできていなかった。
思考さえまともに動かない状況で、オメガはいつの間にか吾平の眼前でひざを着いていた。
「分離の方法は、自分を見つけること」
「え?」
しゃがみこんだオメガが耳元で囁く。注がれる情報は甘美な雫。
「吾平!」
何故か急に動くことのなくなった吾平への不審か、警告か。龍城の叱咤が飛ぶ。
「そうすれば前の彼みたいにあやふやな存在のまま飛び出して体を引き裂くこともない」
吾平が知りたくて知りたくて、でもどうにもならなかったもの。知りたくて、でも本当は恐れを抱いていたこと。知ることを望みながら、知りたくないとも思った事。
「本当の、自分……?」
口からこぼれていた疑問。
オメガは笑った。
「こんな奴の話を聞くんじゃねぇ。どうせろくでも無い、嘘に決まってる!」
龍城は聞くなと言った。でも、オメガは言った。自分は“導き手”だと。迎えに来た、と。……それだけで、わかってしまった。わからざるを得ない。
(この戦争が行われている意味、は――)
オメガが迎えに来た。吾平を迎えに、そのためにここまで事を大きくして、世界を動かして。……そうしてまで、吾平を導こうとしている。




