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「またこんなところに出現しやがって!!!ぶっ殺す――!ぜってぇ許さねぇ……っ!」
怒りも露わにしている吾平から立ち上るのは煮えたぎる殺意か凍傷を引き起こす絶対零度の視線か。ただ、その心の波はこの場にある大量の水よりも揺れているだろう。
「ちょ、おい吾平!身を乗り出しすぎだっ落ちるぞっ!」
人が造った白鳥の背に身を乗り上げようとする吾平に、その意志を留めようと抱きつくようにして押し留める。
動く最中でその行為はいくらなんでも無理だった。しかも水の上、傾くのは必至。
「いいから進めよっ!逃げんだろうがっ」
空を飛ぶサリファンダに向けた強い敵意をそのままに、己の腹部から下にへばりつく龍城を肘で押し返す。もう一方の手は諦めもせずに白鳥の天井部へとかけられていて、龍城が離れればすぐにでも登れる体制だ。だが、登ってどうする、と龍城は思う。
(実は何も考えてないんじゃないか)
たまに考えることがある。吾平のサリファンダへの躊躇いのなさはただの無鉄砲なのではないか、と。とにもかくにも、現状では吾平はとても策略を巡らせているようには思えない。ただ、頭に血が上っているだけだ。
(サテライト・アローがあるんだからこのまま狙えばいいじゃねぇか!)
思っても口には出さない。その能力がどんなものであるか詳細を知らない上に、空を飛ぶ相手に対する攻撃法方が一切ない龍城では吾平のサポートに徹する以外しようがない。
だが、相手は空を飛べるのに対し、こちらは重力に縛られた存在だ。水の上では白鳥に乗る以外、近づくことさえ出来ない。
「くそっ!」
波により不定期に揺れる白鳥の上、結局は乗り上げて攻撃を仕掛けていた吾平。
それではただの的だ。ろくに攻撃を避けることもできない。だが、攻撃する際には移動の出来ない相手の性質から、吾平は攻撃を受けることを甘んじて、自らのサテライト・アローを当てることを目的とする。
だが、波は揺れる。なぜだか、直接と狙われない攻撃は波を揺らすだけ揺らして、吾平を水に落とすことが目的と思えた。定まらない標的が憎く、悪態を漏らす。
大きな波が来た。白鳥が反転する勢いのそれに、もはや立っていられず天井にしがみ付いていた吾平の手が滑った。
ばっしゃーん!
「吾平!……ぁんのバカッ!」
水に沈むのを見た瞬間に飛び込む。小さな身体が波に飲み込まれるところなど見たくもなかった。白い波に掻き消えそうな白い腕を掴み寄せた。そこにあるのは吾平の意志ではない。――重い、人の身体。瞬間的に周囲を見た。青と白の境界線に赤が混じっていないことを確認して、息を大きく吸い込む。ボートの下に潜り込んだ。
次の瞬間には追撃が水を打ち、視界には幾つ物泡ができ、消えていった。
引き寄せた時の重さは意識を失った、肉体の重さだった。頭部かどこかを売ったのだろうと推測し、出血があるかどうかを見たのだが、どうやらそうでもないらしい。すぐさま意識を取り戻した吾平が抵抗する。だが龍城は敢えて水から這い上がろうとする身体を押し留めた。冷静になったのか、次第に込められていた力も無くなってゆき、攻撃も止んだ。
暫く様子を見よう、と更に水の中に留まる。
ふと、気付いた。
(やべぇ、こいつ息)
気付いた時には既に身体が動いてた。
その歯列を割り、空気を送り込む。突然、水の中に叩き落された奴が空気など満タンにあるわけがない。それにもっと早く気がつくべきだった。
岸までを慎重に進む。(――大丈夫だな)
見切りをつけて水から上がった。空を見上げたがそこにサリファンダの姿は無かった。
「おい、吾平。吾平!」
(声をかけても反応なし、か)
とりあえず、ベンチに寝かせて首元を楽にする。
きっちりと上まで閉められていた制服の分厚いコートのホックを外していく。重いと感じたのはこの皮製のロングコートのせいでもある。
だが、そこで龍城は硬直した。
(ってやべえよ。どうしよ、俺)
この場合の正しい判断は軌道の確保、人工呼吸。もちろん僅かでも自発呼吸をしているなら問題はない。だが、息をしていないことは確認済みだ。多少空気を送りこんだとはいえ、空気が必要なのではなく、呼吸が必要なのだ。
(やっぱ人工呼吸だろ。いや、異性だろ。てかさっき奪っちまったしッ!)
目の前、いや目の下で無防備に身体の下で意識を失くしたままの吾平。
コートの中に現れた制服は男物とはいえ、薄くないとはいえ、少女の身体を隠すには適さない。身体に張り付く衣服がその凹凸を露わにしている。
せめて、水浸しのままじゃ風引くし、水滴を取りたいものだが、それにしたってどこを触ればいいのやら、まず視線をどこにおけばいいのやら。
(いや、ちょっと待て。触ること前提にするな!)
徐々に混乱の度を深め、更に顔までも赤くなっていく。
「んっ……」
「(うわぁっ!)」
漏らした声に驚き、飛び退る。だが無様に後ろにこけることで硬直が完全に溶けた。
どごんっ!
何処からか音が空に響き、一瞬にして気配を辿る。龍城は戦闘態勢に入った。
(遠く、たしかあっちは――)
「俺たちが一番近いな」
声に振り向けば吾平が目を覚ましていた。
「ああ、……大丈夫そうか?」
「ああ、問題ない」
答えた言葉には何の感情も込められていない。完璧にいつも通りだ。
だが、その無表情の奥に何を考えているのか、それすらも掴めない。龍城の行動に対する言葉さえない。(何とも思ってないってことかよ)
それがいいことなのか、わるいことなのか、龍城には判断がつかない。
けれど、そんなことを考えている時間も無いようだった。手元のブレスレットを引き寄せ、現象化を行う。呟くワードに光り輝く、褐色。「現象化――――テレパワス・リング」
『あー、こちらPa326、座標566、現場87lkに向かう』
『りょーかいッ!』
一方的に告げた龍城だが、山茶花の声が返ったのでそのまま切る。
テレパワスの効力は通信。しかし、純度の低い大量市販品なのでその使用限度数も3回と少ない。しかし、その分、同じ印を持つ者ならばどんな距離でも複数でも通信することが出来る。使用後は壊れてしまうのだが、今のも入れて2回。後一回使える。
「いくぞ!」
「命令すんな!」
残痕を見つめる龍城を置いて、吾平が先行した。向かう先は、――白。




