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パタン、と閉まる音に、俯いた。
「ははははははは。はははは……」
乾いた声が静かな部屋に篭る。それは嘲笑だ。いつか、どこからか、聞こえる。
いや、誰もが覚えるだろう、滑稽。
(男だ男だとあれだけ騒いで置きながら、生理――?)
己が酷く浅ましかった。汚らわしく、厭わしかった。
それは姶良の体などということでは区切れない。――姶良を疎んじることはない。
ただ、己が酷く穢れているのだと吾平は感じていた。
「なに、やってんだ俺――」
呟いた声は誰に問うこともなく、また己自身にも問いかけの答えはなかった。
新しくなった純白のシーツに身を横たえた。重苦しい体はそれだけの衝動も敏感に全身へと伝播させたが、もはや気にすることもなかった。ただ、腕を目元に掲げた。
誰も見ていないことを知りながら、隠す。今までの吾平にはなかった、無意味な行動。押さえきることも出来ない感情が伝う。
「俺――女に、なっちまったのか……?」
誰もいない空間に、響く。
木魂はしても、答えは一向に返りそうもなく。
ただ、吾平は一人きり。静かな闇に心を慰める。
「そうか、吾平くんが……」
シグマには報告する義務があった。それはチセの気遣いとはまったく別のところにあったが、チセは敢えて無心に吾平の報告を行った。事実を事実として伝えなければ、“隊”が崩れる。女性の身としてはそんなことを異性に知られたくないことは知っている。それは報告をしなければならないチセにもよく身に沁みている。だが彼女の場合はまだよかった。彼女はそれが普通のことであることも知っているし、知るべきひとはただ一人の従兄でしかない。
「これ、隊の方からの認印は押しといたから、彼の担任のほうに提出しておいてくれないか」
「はい」
男性であることに拘りを持っていたのは“吾平”と“姶良”の区別としての絶対的な領域だったのだろうとは察しがついていた。チセも、吾平の事情は少なからず知っている。ただ、皆が知っているわけではない。シグマとチセだけが生徒の中では特別だった。
「チセ?」
用事が終わっても立ち去らない姿に、シグマが問う。俯きかけた顔には苦しげな色が灯っていた。同じ隊として、友人として、女性として、チセは一番近い場所にいたのだ。
「兄さん……」
吾平の感じている痛みが乗り移ったようだった。
シグマとチセは従兄妹同士だ。その二人が今ここにいるのは両親を、友人たちを一気に亡くして、生きる術を失ったからだ。幼い顔立ちながら子供らしさを無くした従妹にシグマはサリファンダに対する恨みを覚えたほどだった。
けれど今、歳相応の顔を見せるチセにシグマはその小さな頭に手を乗せた。懐かしい思い出の時によくやった行動だ。
「気にすることないよ。所詮僕らは他人、何も出来やしない」
吾平自身の問題だ。解決できるのも、また吾平しかいない。
「僕らは僕らにできることをしよう。だから、ね。彼の名を呼ぼう、セルシア」
このアカデミアに入って4年。その間は互いが偽名を名乗る。だからこそ、久しい名だった。本当の名は、誰よりも、何よりも心に響く。
「セイヴァス、兄さん」
優しく宥められて、握っていた服の裾を、放した。
「――情緒不安定。軍人として最悪なパターンだな」
吾平と同じ11隊の唯一の女性隊員、チセ。彼女から上がってきた報告を見て、呟いた。机の上に乱雑に置かれた書類の中から、一つを取り上げる。
「“吾平”――元デマンドの、退役軍人」
姶良と吾平。
しかし、情報の全てはこの場所に留まっていた。全てはフィグローゼが個人的に集めた資料だからだ。吾平という名前に聞き覚えがあった。だから調べた。
そうでなければ何も知らないで終わっていただろう。フィグローゼは軍とデマンドの両方の指令系統を持っているが故に、“外れ”とされることは多い。それでも、フィグローゼの元で情報が乾くことはない。いつだって潤沢なのはその人脈が故。――外れものは何もフィグローゼだけではない。あるいは畏怖され、あるいは近づき難く、あるいは天才によって人に忌避される。
握りつぶされた情報もいくつかある。逆にフィグローゼ側で潰したものもある。だが、
(さすがのアイツも、今回ばかりは形無しか)
――姶良。アイル・ローゼ・ラクシリア・ファルコ。西暦××××年、死亡。
父であるアイル・ローゼ・ラクシリア・ライナスは犯人逃亡助成のため投獄、100年間の幽閉の義務。その際、死亡者20名、重軽症者は100名にも及び、一人は行方不明となっている。オルイナと名乗る、年頃17、8歳の青年。軍歴は5年だが、在籍歴なし。犯人と思われる。また、犯人については自らを“先導者”と称し、オメガと呼んだという――――
「歴史の陰に隠れてきた者が今更何のために――アイラ、なのか」
(鍵は)
夢――フィグローゼ特有の“受動的”能力だ。
これは殆ど通常では役にたたない。能動的にファラカイナを使用するのでは威力も効果も、不明確に過ぎる。それをフィグローゼの知識と思考でカバーしてきた。それゆえに今の地位にいる。能力を補助に実力で昇った、といってもいいぐらいだ。
しかし、夢はそれだけではない。本質は受動――好機と呼べるものがある。使用者であるフィグローゼに対する負担は精神付加。それを前もって払うことにより、能力は引き出される。慢性的な眠気はそのせいだ。そして、――最大限の能力は絶大である。
それによって今まで幾つもの戦場に、勝利を与えただろうか。夢は予知だ。しかし、それは過去視でもある。この世界の成り立ちはフィグローゼにとっては既に過去でも歴史でもなく、実体験のようだものだ。
その中で、幾度も見かけた者。幾度も表れては静観するのみ、人にも化物にも味方しない。だが、密かにそれはサリファンダへと交流を取っていた。
(何者なんだ、オメガとは)
フードを深く被った姿からは顔まではわからない。けれど、分かるのはそれがまるで時を経ていないことだ。そのものの周りだけ、時が止まっている。攻撃も煙も、匂いも、何もが届かない。切り取られた世界にその男はいた。一人、世界から外れてしまった者。
(夢見る聖女、か。強ち外れでもないのかもしれないな)
もしかしたら、私はあの得体の知れない存在に恋焦がれているのかもしれない。そう、フィグローゼは結論付けた。
夢の中での再会はいつだって戦場だ。命が一つたりと手残らないような、そんな殺伐とした世界で、時を歩んでいないものが二人。本能に刷り込まれるように、幾度も繰り返される逢瀬に洗脳されたかのように、その中のフィグローゼはまるで幼い少女のように男の存在へ心を動かされていた。
「ああくそ……」
強烈な眠りの気配に身を委ねるしかなかった。




