第097話 敵陣突入 * 海辺の街ルフラン〈リュカ〉
リュカ目線。第094話 レイリーの続き。
――――ルフラン。『湾岸警備会』本部前。
「悪いな。宿泊先に連絡を入れんと、俺こそ失踪したと騒ぎが起こりかねんからな」
とシュリは笑いながら後れてよじ登ってきた。
そもそも帰ってこなくてもいいものを……。と言ってしまいそうになったが、また言い合いになりそうだったため、チラリと見ただけで自粛した。
確かに、前に一度、シュリと一緒に泊まった客室は、VIP以外は入れないだろうと思しき豪華な部屋だった。
まさかの事態も安易に想定できるような現場に、この男を本当に連れてきていいものだろうかと抵抗してみたものの、頑としてシュリの意志は固く、聞く耳を持たなかったため、半ば押し切られるようなかたちで彼の参加は決まってしまった。
いつもの黒装束に身を包み、隣に同じように幹に掴まりながら平然と木の上に立つ。表情は見えないが、緊張した様子もない。いつもの堂々とした佇まいだ。
これからこの人数で敵陣に侵入し、よもや下手をすれば命も奪われかねない、という状況をシュリは本当にわかっているのだろうか。
あのしなやかな手では剣を握ったことがあるかどうかも疑わしい……。
『今夜は一緒に居る』ということを一度でも受け入れてしまったため、今更何を言っても仕方がないのだが。
「立派な建物ですね」ジュネクは緊張感なく話しかける。
敵の根城は、かなり広大な敷地があるようだ。
三人は目を細めて、少し離れた見通せそうな木の上によじ登り警備の様子を確認するが、まだ夜も明けていない状態。夜目が利かない者であれば全く状況が掴めないだろう。
野生育ちの自分ほども見えてもいないとは思うが、シュリもジュネクも、見張り小屋や上の方で人が動く様は確認出来ているようだ。
ただ当然ながら、塀が高くて中を見通すことなど出来ない。ここはイグナシオの設立した『湾岸警備会』の本拠地。堅牢な要塞だ。
この手の組織の根城が、警備体制含め外部から筒抜けになるような造りであるはずもないのだが、手元には突破するための情報が少なすぎる。
急な決行だったため情報を集める余裕も作戦を立てる暇もなく、ソフィの料理屋からすぐに向かった。
レイの様子が気にかかる。あれほどの手練れだ。無事であればいいが。
連絡を寄越せない状況と言うのは、重厚なこの建物を前にすると理解することが出来る。
無策故に、緊張が高まってきた。
ジュネクは、筒のような棒を取り出して目に宛がった。
見たこともない代物だ。
「なんだそれは?」と訊ねると、ジュネクは「遠くを見通せる道具ですよ。……あ、伝令鳥が帰ってきたようです」と指をさした。
どこにも見当たらないとキョロキョロしていると、シュリは「また寄りによって物騒な種だな……」とため息をついた。
するとすぐに、かなりの風圧が自分たちの立つ木を撓らせた。
それぞれ木にしがみつきながらジュネクは「ウワッ!やめろ!!」と叫ぶと、目の前に大きな影が出来た。
現れたのは唖然とするほど馬鹿デカく、嘴も目も鋭い、黒い羽の生えた肉食獣。人間の言葉がわかっているかのように、ジュネクの叫びに応え、自重したように羽ばたきを抑えた。
物騒とシュリが言うはずだ。その爪で一掻きしただけで、人間は致命傷を負うだろう。それに、下手すると人一人くらいは丸呑み出来そうなほどの巨体。その姿に呆気にとられてしまった。
「こいつは相当な戦力になりそうだが…使うことはできるのか?」と自分はジュネクに訊ねると、肩を落として返した。
「使いこなせるのは、レ…いえ、たったお一人の方だけです。ちなみに私にも複雑な指示は不可能です。すみませんが、諦めてください」
「……だろうな」シュリは残念そうにジュネクを見た。
ギイイイと複雑な声を発すると、自分は何やらこの声を聞いたことがある気がした。
いつだろう。最近?いや、覚えてないな。
どのタイミングだったか。もう少し、軽快な音程だった気がするが、この声は聞いたことがある。
この獣に、見覚えなんてないのだが。
いや、どこかで見たことがあるのか。
それとも、遠く忘れ去ってしまった過去の記憶か。
不思議な感覚に包まれた。
「どうした?ルクス」シュリがこちらを向く。
「いや…なんでもない。コイツの名前は?」
「確か、『セスナ』と言ったはずです」
枝を伝って伝令鳥に近づく。
「ルクスさん!あまり刺激すると危険ですよ!我々でもあまり近づきませんから」と焦ったようにジュネクは言ったが、自分は野生育ち。獣が落ち着いているかどうかは見ればわかる。
大きな目は、新緑の色。逸らさず真っ直ぐとこちらを見つめる。
何にも動じない、経験を積んだ大人のような瞳。シュリが前に言ったように、知的能力が高いのは表情からもうかがえる。
手をかざすと、セスナはゆっくりと目を閉じた。
あれ?
やはり……。
その時、既視感を感じた。
自分は、恐らくこの肉食獣と同種に面識があるのではないかと。
目を深く閉じた瞬間、自分は少し戸惑いながらも嘴を摩った。
この感触。一度触ったこともあるようにも思う。
「セスナ」
呼びかけると、大きな目を開けた。
新緑の目に、光が宿ったように見えた。
「力を貸してくれないか」
後ろでジュネクは「危ないですから…!」と慌てていたが、シュリは黙ってこちらを見ているように感じた。
「レイは嫌いだが、言ってきかせないといけないことがある。
だから、お願いだ。お前の力を貸してほしい」
『じゃあ貴様は何を差し出す?』
「!」
触れる嘴から、驚くべきことに声が聞こえた気がした。
それは、先ほどの複雑な鳴き声のようなものではない。
ハッキリとした言葉で、自分は目を丸くした。
いつか、夢の中で誰かが語りかけてきたあの時と似た感覚だ。
声ではない。脳に直接伝えられるものだ。
なるほど。……ということは、心の中で言葉を形にしたらセスナに届くのかもしれない。
一度、変な存在と夢の中で会話した時のように、言葉を紡いでみた。
『じゃあ、何が欲しいんだ?』
すると、反応したかのようにセスナは、カッとその大きな目を見開いた。
もしかして……通じている??
それは、驚きと色々な感情が渦巻いたような視線だったからだ。
『……肉だ。飛行時間が長く、休息もろくにできていない』
その、まさかだ。
確実に通じている。奇跡が起こったか……。
しかも、どうやら交渉に応じてくれているようだ。
『なら、思う存分食べれるぞ』
新緑の瞳は、複雑な色に染まった。
『今から攻める屋敷の連中を食えばいいからな』
『……貴様から同種を軽視するような発言は欲しくなかったが』
とセスナは返した。
「ハハハ!」
面白すぎる!
見た目からは想像できない平和的な発言に思わず笑ってしまったが、突然笑い出した自分が狂ったのではないかとジュネクは心配したようだ。
「る、ルクスさん……?」
『とにかく、切羽詰まってるということなのだ。頼む。自分の肉体はやれないが、人が嫌というなら全てが終わってから、お前のために獣を大量に調達してきてやろう』
『期待はしていないが。わかった。
あいつのように、正確に意志疎通図れる人間が居たことに、今はかなり驚愕している。
それに…貴様にはあの、特別な空気を感じる。私が探し求めてる奴と同じ気配だ。
だから、お前には恩を売っておこう』
あいつとは誰を指しているのかわからなかったが、セスナが参戦してくれることははっきりした。
「では、上空から攻めてくれ」
思わず心の中ではなく口頭で答えると、
「は?」とジュネクは自分が何を口走っているのかと端的に表現した。
振り返って手短に説明した。
「セスナが、今は恩を売っておく、ということで参戦してくれることになった」
シュリも動揺したように訊き返した。
「お前……獣とも会話が出来るのか??」
信じないだろうとも思ったが、「いや。セスナとは意志疎通できるらしい」と返すと傍にジュネクがいることを忘れているのか、大袈裟に抱きついてきた。
「す、すごいな!……俺でもそこまでの交渉は無理だ」
「お、おい、やめろ!落ちるだろ!」
まさかすんなりと信じてくれるとは思いもよらなかったが、抱きつくな…心臓に悪いから。
ジュネクは「……男二人で見苦しいです」と冷たくあしらうと、「さて今からどう動きますか?」と冷静な口調で自分に尋ねてきた。
正攻法で門から突入などありえない。
行ける方法は一つしかない。セスナを使って空からか。
そこまではいいとして、侵入をバレずにレイに会うなど恐らく不可能と思われる。
囚われているならその場所もわからなければ、屋敷の見取り図すら知らない。
けれど闇雲に動き回るなど、得策ではない。この3人と1匹。無事に生きてレイを連れ帰さなければ何の意味もないのだから。
侵入の壁はクリアできたとして、その後か……。
「大抵こういう屋敷には地下通路があり、その先に牢獄がある。
捕らえられていると仮説するなら、恐らくそこに入れられているだろう。
ただし、牢屋がどこにあるかは屋敷によって異なる」
そう口を開いたのはシュリだ。
何でも知っているのだなと目配せした時、横からジュネクは言った。
「それなら恐らく、正門から見て、ここと、ここから見えるあの一番高い建物とを結んだ西側の、広場がある方面にその入り口があるかと」
「え?何故わかる?」やけに正確な情報に、単純な疑問を口にした。
「この湾岸警備会の要塞は、元々オメルタ家の屋敷に似せて作られていると聞きました。それなら、その塔から見通しのいい場所にあるかと」
ジュネクは落ち着いた口調で説明した。そういう情報は持っているのか。
シュリは、ジュネクの顔を静かに見る。ジュネクは「何か?」と問うと、「いや何でもない」と返す。
「情報がそれしかないのなら、空から入り一旦そっち側を探すか…」
ため息交じりにそう伝えると、皆は立ち上がった。
セスナの体力を考慮すると、一人ずつしか敵陣に運べないため、自分の事情につき合わせている手前、先陣を切るのは自分だと言い張ってセスナに真っ先に乗った。
シュリは物言いたげだったが、当然それに関しては有無を言わせない。
夜明け前と言えど屋敷の連中に悟られることのないように、ちょうど広場付近にある一番高い木に下ろしてもらい、そこからその木を伝って地上に降り立ち地下通路の入り口を探すという流れだ。
「では、先に行く」
枝を伝ってセスナの翼に乗り移ろうとした時、ジュネクは「気を付けてくださいね」と声を掛けただけだったが、シュリはわざわざ近づいて来て、行こうとする腕を掴みぐいっと引き寄せられる。
「おい!だから順番は譲れないと言っているだろ」と抗おうとすると、反対の手で後頭部を抱き寄せるように耳元で一言つぶやいた。
「俺が着くまで絶対に木から降りるな。わかったか?何があってもだ」
ジュネクからは、ただの別れの挨拶に見えただろうが、それだけを言うと手を放しすぐに解放された。
「………」
フードの影でシュリの表情は見えない。
どういう意味かわからなかったが、とりあえず無言で頷いた。
自分が乗ったことを確認すると、セスナは大きな翼を目いっぱい広げ、『しっかり掴まれ』と言い捨てると力強くはためいた。
体が持っていかれそうな感覚で、一瞬にして空中を舞い上がる。
初めての感覚に、何て言っていいのか。
こんな時に不謹慎だが、正直、感動した。
馬で駆けるのとは全く違う感覚。海風をきるような速度で浮遊するなど、想像以上の体感だ。
そして、目の前に広がる不思議な光景。まだ辺りは暗くて残念だが、空から見る世界はこんな感じなのか。
ポツポツ見える人が灯す明かりに、全てがちっぽけに感じて、セスナや鳥がいつも見ている世界はこんな風に映っていたのか……と、非常時なのに、他所事を考えてしまうくらい気持ちが舞い上がっていた。
現実に引き戻すかのようにセスナは問いかけた。
『リュカ。お前は何のために戦うのだ』
リュカと呼ばれるのが久しぶりだったため驚いた。
セスナは自分の名を知っていたらしい。
巨体に掴まりながら、突然の質問に何て答えていいのかわからなかったが、ありのまましか答えようがない。
『分からない。ただ、今日は、戦いじゃない。レイを返してもらうだけだ』
『そうか。……だが、何の情報もない、言わば無策という状況ではないのか?勝算はあるのか?』
ぐうの音もでない指摘に、口を噤む他なかった。
その通りだ。セスナが言うとおり、限りなく無策だ。
だが、頭で考えても状況が改善するとは到底思えないし、裏返すと、レイが無事である保証もないから、手探りの状況でも今は何か事を起こすしか方法が無いのだ。
『何か良い方法でもあるのか?』
逆にセスナに問いかけたが当然ながら否定的な回答が返ってくる。
『あれば貴様に提供している。こんな状況で簡単に事が運ぶとは思えんが』
……確かにな。
『……だが』
セスナは一瞬飛行速度を落とした。
『どうした?』
不思議に思って訊ねた。
『今なら逃げることも出来る』
逃げる?この期に及んで馬鹿げたことを言う。
『何を言っている!そんな選択は初めからない。レイは必ず返してもらうんだ。
自分を連れて、遠くに逃げるなど絶対考えるな。飛び降りるぞ!』
そうセスナに、心の内で叫んだ後に、逆に見えてしまったものがあった。
……ちょっと待て。
そうだ。セスナを元の木に帰さなければ、こんな無謀な突入に、シュリを巻き込むことはない。
裏切りのような感情が自分の中に芽生えた。
俺が着くまで……。
彼が言った最後の言葉を反芻すると胸の奥がギュッと痛くなる。
剣に期待出来ない彼を連れて行くのは、ずっと気が引けていた。
今夜は一緒に居てほしいと懇願されて、自分はあまり深く考えずに許可した。
それは、自分も彼の傍らに居たかったからだ。
後に向こう見ずの浅はかな選択を後悔したが、あんな風に真剣にお願いされた手前断ることが出来なかったのだ。
やはり、そんな軽い気持ちで彼を連れてくるわけにはいかない。
恐らく、シュリは自分のような下賤の者ではない。
こんなところで野たれ死ぬような立場ではないと思える。
しかも、自分の我儘で、彼に危険を及ぼすようなことは、絶対あってはならないし、何かあった場合は、この一夜の無謀な選択を、自分自身が一生後悔することになるだろう。
……やはり、シュリは巻き込めない。
『セスナ……お願いがある』
自分一人なら、屋敷に侵入出来る可能性がある。
どう言おうが、レイを連れ帰るのは自分の事情だ。シュリには関係ないのだ。
裏切りという行為には胸が痛んだが、自分の中では決定事項となった。
もう、シュリには帰ってもらおう。




