第058話 切り札 * 学校〈ユスラン〉
ユスラン目線。
「レイ……」
やはり、憶測は、間違ってはいなかったのだ。
ギリっと奥歯を噛みしめると血の味がした。
信じたくはなかった。
進行を強引に遮られて興奮する馬を、うまく操りながらレイは呟いた。
「命知らずね。危ないじゃないの」
突然の出来事にしては、ひどく冷静な声だった。
まず先に、『こんなところで何をしている』と問わないのか。
想定通り私が現れたといったような口調にも聞こえる。
纏う雰囲気は、いつもの社交的で軽快なものではない。
紅の瞳には隠しきれない苛立ちの色が混ざり、感情を閉ざした口元は微かに皮肉げに歪んでみえた。
だが、構えた剣は下ろすつもりはない。力を込めて立ち向かう。
「レイ、このような時間から何処へ向かうのです?」
「ユスラン様こそ、物騒なもの構えちゃって。
わたくし、急いでるのだけれど」
そうだろうな。だが、行かせるわけにはいかない。
「馬を下りてください」
「なぜ?嫌だと言ったら?」
「全力で止めます」
「あなたねぇ…」
大袈裟にレイはため息をついた。
今まで私には見せたことのない、不服と落胆、そして反抗の意志をくっきりと匂わせた。
知らないレイが顔を出した瞬間だ。
逆に言うと、疑念が確信に変わる瞬間でもあった。
「あたしに勝てるとでも思ってるの?」
明らかに蔑んだ瞳だと思い、それから息を飲む時間もないような一瞬の出来事だった。
「!」
反応しようと剣を持つ手に力をいれかけた瞬間、動きは強制的に停止させられる。
もう既に、目の前には、きらりと光る剣先があったからだ。
いつ腰の剣に手を伸ばし、いつ振りかざしたのか。
早すぎてわからなかった。
目を見開いたまま、時が止まったように茫然と、近すぎてぼやけるその刃先を眺めるしかなかった。
後れて、心臓が激しく脈打ち、首筋から脂汗が流れ落ちた。
完全に、殺されていた。何気ない、この瞬間に。
それを自覚すると、自ずと息が上がる。
「他愛もないわね」
刃を上に向けてサッと引いた瞬間、髪をまとめている頭に巻いた布が綺麗に真っ二つに裂かれ、ついでに数本の前髪が斬られてパラパラと舞い落ちた。
まるで隙のない、手品のように。
何の反応も出来ず、無様に剣を構えたままで、他人事のようにそれを眺めただけだった。
想像をはるかに超えた強さ……。
奥歯を噛みしめた。
悔しい。何もできなかった自分が。
選考会に選抜されて、天狗になっていたとでも言うのか。
私は、彼の足元にも及ばないなどと。
これ程までに強い男が、学校に、いや、私の周りに居たなどと……。
後から後から湧いてくる自分に対する焦燥感と、初めてだろう。他人に、こんなにも燃えたぎるような感情を抱いたのは。
女みたいに話す男に、全く手が出せない状態で為すがままに完全な情けを掛けられ、今、その男から塵を見る様な目で見下ろされている。
越えられない高い壁のように立ちはだかるのは、最近まで事あるごとに媚を売ってきた、親しげに振る舞っていた男だ。
この、詐欺師が。
リュカも、彼の正体を知っているのか?
レイの試合終了後見せた、リュカの嫌悪の表情を思い出すと……既に知っているのだろう。
これ程の屈辱は、今まで受けたことがない。
「それが、あなたの実力なのよ」
…言われなくてもわかっている。
完全な実力の差は。
間違いなく勝てることのない相手だと、その一瞬で察した。
だが、どうしてだ。
悔しい気持ちの裏側で、事を冷静に分析すると変な違和感を感じる。
リュカが彼に狙われているとしたら、剣を交わしたことがあるに違いないが、いくらリュカでも、この的確で圧倒的な速さに太刀打ちできるはずがない。
何かが、おかしい。
では、何故、リュカはこれほどの実力があるレイに殺されずに済んでいる?
……いや、そんなことを考えてる場合ではない……。
今は、リュカの元へ、こんな危険な男を行かせないことだ。
馬鹿にされたとは言え、ここで引き下がる訳にはいかない。
この私に情けをかけ、斬って捨てなかった理由はわかっている。
悔しいが、私が『ユスラン・セブシェーン』だからだ。
「…リュカの敵は私の敵です…」
もう一度しっかり剣を構え、一つの覚悟を決めた。
レイと言う男には、絶対、負けてはならない。
プライドからか、どうしても、負けられないと思った。
「どうしてそういう発想になるのよ。あなたも懲りない人ね。
あたしは今から家の急用ですぐに出なきゃいけないから、あなたのお相手は出来ないの。また今度にしてくれない?
申請はすでに学校側に受理されているから」
まだそんな茶番劇を続けるつもりか。
苛々する。
頭に血が上った状態だったが、私はあえて淡々と告げた。
「学校側に受理されているのかは存じませんが、
『私は』納得できません。あなたには色々と偶然が多すぎますので。
馬からおりて、その事情を納得できるように、『私に』、説明していただけますか?
あなたが、リュカを排除しようとしている張本人なのかどうなのかも含めて」
一瞬、冴えわたるような目でじっと私を見つめてから、レイは苦痛を孕んだ笑みを浮かべ、意外と素直に馬からおりた。
ふわりと降り立つ赤髪は、いつも以上に背丈が大きく、針で刺すような威圧的に感じた。
「フフ、『私』ねぇ。
そう。受け入れてもらえなさそうで残念だわ。本当に。厄介なことね」
剣を構えるかと思ったが、彼は馬鹿ではなかった。冗談の一つも言わない。
驚くほど正確に、私の放った言葉の意図を掴んでいる。
ただ降参したかのように、馬を下りただけだった。
これは、本当に、あの一緒にいた『レイ』か?
社交的で憎めない人格を演じ、学校生活の真似事を付き合ってあげていた、とでも言うのか。
その瞳には落ち着いた知性を宿して、一介の学生とは思えない世間を知ったような、ずっと年上の顔つきで私を蔑んでいる。
「あたしが分析するに、あなたは、『私』と言う名の『家』をチラつかせて、他人を反抗できないようにする一つのカードとして『家』を使うことを何よりも嫌っていたと思っていたのだけれど、それはあたしの思い過ごしかしら?
表向きは『家』を匂わせず、実力で這い上がろうとする好感度の高い『セブシェーン家最後の良心』と言われる末子も、所詮はただの道化に過ぎなかった、ということなのね」
「何を言ってるんです。……道化はお互い様でしょう。
あなたは、一体何者なんです?私には今更ながら同じ学生とは思えない」
当然答える気もなさそうだ。
確かに、『家』をチラつかせて言うことをきかせるなどと言った横暴な手法は、今まで使ったことはない。
兄や親族は当然の力と思っているようだが、私には抵抗があったのだ。
それは、最終的に、私自身、その力を使った瞬間、逆に『家』の所有物と認定される気がしたからだ。
育ててもらった『家』への恩義は返すつもりだ。
けれど、そこから先の人生は、少しでも自由でありたかった。
レヴィストロース様が選ばれたような、権力に阿らない生き方を。
けれど、今、知った。
人は、簡単に選べてしまうのだ。
自分ではどうすることも出来ない『産まれの差』を武器にするような、あれほど自分自身が浅ましいと思っていた人間に、すぐになれてしまうのだ。
剣を持つ力を一層強め、心の痛みを中和するように皮肉げに笑ったつもりだったが、その痛みを露呈するような悲痛な笑い顔だっただろう。
うまく笑うことが出来なかった。
そう。今、この男に、勝つ方法はセブシェーン家の息子という、「生まれ持ったそれ」しかない。
その現実が、とてもつらかったからだ。
赤い瞳を見ないようにして、目を伏せはっきりと言い切った。
「私はセブシェーン家の息子。裏で手をまわせば、本当のあなたが誰なのか、暴くことさえ出来ると思います。
そう、私も、あなたと一緒。浅ましくも狡猾な生き物。所詮、人間ですから」
すると、レイは初めて本当の声と思われる多少低く通る声で返した。
今まで見ていた彼は誰だったのかと思えるほど、印象はひどく違った。
「へぇ。意外だわね。あたしもあなたと遊んでる時間なんてないんだけど。
その方がずっと親近感湧くわ。
あなた、噂よりもずっと男前なのね」
「馬鹿にしているのですか?」
「いいえ、理想を振りかざすだけの小便臭いガキのような大人になるんじゃないかって、秘かに心配してあげてたのよ。
客観的に見て切れるカードを切らないのは、その程度の本気ってことでしょう?」
彼の言葉は、麻薬のようだ。
”家の名前だけに頼って生きても許されること”
”切れるカードは使え”
そこに落ちれば、私と言う個人を消されてしまうような、深い深い闇を覗くようで怖かった。
この言葉を真に受けて、安易にそれを肯定し続けた時、自分が一番なりたくない人間になってしまう。
彼は、間違いなく剣の実力で、今ずっと避けていたカードを切らせたのは確かだ。
「身の程を知るのは重要だわ。
今のあなたが、あたしに勝つ方法は残念ながらそれくらいだものね。
評価してあげましょう」
ようやくレイの土俵に上がったような、蔑まれた言葉に眉根を寄せ、またぐっと奥歯を噛みしめた。
「フフ。苛立っているわね。
お坊ちゃまは、蔑まれることに馴れてらっしゃらないのかしら?
そうね、大人への階段を一歩だけ登ったことに敬意を表して、一つだけ大切なことを教えてあげるわ」
大切なこと?
また説教くさいことを言われるのか。
彼は白馬の顔を掻くきながら、ついでのように言い放った。
「あたしはリュカの護衛なの」
…護衛……だと?!
ユスランvsレイ。もう一回続きます。




