第三十二話 これが速さの鬼
知略と冷静さで頂点に立つ朱雀会の頭・吉田“インテリ”。
序盤は冷静に鷹鬼を押していた。
だが、それを上回るものがあった――速さ。
怒りを力に変えた鷹鬼は、速さの鬼となり、朱雀会の王を圧倒していく。
床を蹴る音が響いた。
鷹鬼の姿は一瞬で視界から消える。
「なっ……!」
吉田が反応した時には、もう鳩尾に拳が迫っていた。
ガッ!
とっさに両腕で防ぐ。
だがガードごと押し下げられ、肺に空気が残らないほどの衝撃が走った。
「ぐっ……!」
吉田の口から低い呻きが漏れる。
―
間を与えず、鷹鬼は横へステップを切った。
その速さは、まるで空気そのものをすり抜けるかのよう。
バッ!
右から拳。
ドガッ!
左から蹴り。
吉田は必死に受け止めるが、その腕が震えていた。
「バ、バカな……! 俺が……後手に……?」
―
倉庫の隅で、松浦が叫ぶ。
「み、見えねぇ……! 鷹鬼先輩の動きが……!」
辻も目をこすりながら震えた声を漏らした。
「な、なんだよあれ……まるで残像だ……!」
久里鬼は薄く笑った。
「速さの鬼――本気出した鷹鬼は、誰にも止められねぇ」
―
鷹鬼の拳が再び吉田に迫る。
今度は頬をかすめ、鮮血が飛び散った。
「ッ……!」
吉田の顔から、余裕の笑みが完全に消えた。
目を見開き、必死に追う。
だが、鷹鬼はすでに次の一手を繰り出している。
ドンッ!
踏み込み、膝蹴りが鳩尾を狙う。
吉田は身をひねり回避――したはずが、次の瞬間、背後から拳が迫っていた。
「馬鹿な……!」
辛うじて腕で受け止めたが、その衝撃で膝がわずかに沈む。
「吉田が……押されてる……!」
松浦の声が震える。
辻は恐怖と興奮で胸を押さえながら、信じられないものを見るように呟いた。
「朱雀会の頭が……鷹鬼に……!」
久里鬼は口元を吊り上げ、血に濡れた顔で言った。
「だから言ったろ。心配すんなって。あいつは、こんな奴に負けるタマじゃねぇ」
―
鷹鬼は言葉を発さない。
ただ一撃、一撃に全てを込める。
その速さは誰の目にも捉えられず、吉田の身体を確実に削っていった。
「ぐっ……はぁ……!」
吉田の呼吸が乱れる。
汗が額を流れ、表情から完全に余裕が消えていた。
「双天鬼……恐れるべきは……久里鬼だけだと……思っていたのに……!」
かすれた声が、震えを含んでいた。
鷹鬼の瞳が燃える。
その背中は、倒れ伏す久里鬼と、泣き叫んだ松浦の想いを背負いながら、速さで敵を圧倒する鬼の姿だった。
冷静さと知略を誇る吉田。
だが鷹鬼の速さの前に、その余裕は粉々に砕け散った。
“速さの鬼”――その名に相応しい猛攻が、朱雀会の王を追い詰めていく。
もう吉田の顔に笑みはない。
次に訪れるのは、ただ恐怖と本当の死闘だった。




