第二十二話 菅野、義理の拳
卑怯で強引に王の座に立ち、双天鬼に敗れた男――菅野。
誰もが彼を嫌い、敵としか思っていなかった。
だが、そんな男にも曲げられぬ筋があった。
その筋は、やがて久里鬼の怒りを呼び覚ますことになる。
夜の繁華街。バイト帰りのみさが一人で歩いていた。
その背後を、数人の朱雀会の不良がにやにやと追いかけていた。
「おい、あれ双天鬼の女だろ」
「吉田さんに差し出せば褒められるぜ」
みさは振り向き、顔を強ばらせた。
「やめて……!」
狭い路地に追い込まれ、背中が壁に当たる。恐怖で身体が震えたその時――。
「……その手を離せ」
低い声が闇を裂いた。そこに立っていたのは、かつて嵐ヶ丘の王と呼ばれた男――菅野だった。
「お前……」
「双天鬼の女に手を出す気か」
かつて卑怯な手を繰り返した男。しかし今は、不器用な義理で拳を握っていた。
―
朱雀会の雑魚が一斉に飛びかかる。
菅野は咆哮し、豪快な拳で一人を壁に叩きつける。回し蹴りで二人目を沈め、三人目を背負い投げで倒す。
「嬢ちゃん、逃げろ! 俺が止める!」
背中でみさを庇いながら、菅野は立ちはだかった。
だが、その前に現れたのは一人の長身の男。
街灯の下、冷たく光る眼鏡。スラリとした体躯。
吉田“インテリ”――朱雀会の頭が、静かに歩み出てきた。
「なるほど。嵐ヶ丘の元王が、犬のように女を守るか」
「テメェ……吉田……!」
「よし、ここで見せてやろう。力だけの王と、知略と技術の王、どちらが上か」
―
菅野が吠えて突進する。豪腕のフックが風を切る。だが吉田は一歩横に滑り、華麗に避けた。
「遅い」
その声と同時に、顎へ正確なアッパー。
菅野がよろめく。さらに膝蹴りが鳩尾に突き刺さり、息が詰まる。
「ぐっ……まだだッ!」
菅野は殴り返す。しかし拳も蹴りもすべて読まれていた。
吉田は軽やかにかわし、的確なカウンターを叩き込む。
顔面、肋骨、足首、腹部――。
無駄のない連撃が次々と浴びせられ、菅野は血を吐きながら倒れていった。
「嵐ヶ丘の王? 笑わせるな」
吉田の声は冷酷で、感情の欠片もなかった。
最後に後頭部へ蹴りが叩き込まれ、菅野の身体は完全に地に伏した。
―
雑魚どもが笑い声をあげる中、吉田はみさの顔を一瞥し、冷たく吐き捨てた。
「興が冷めた。お前はもう行け。
そして双天鬼を呼べ。次は奴らを同じ目に遭わせる」
朱雀会の影が去った後、みさは泣きながら菅野に駆け寄った。
「ど、どうして……私なんかを……」
血に染まった菅野はかすかに目を開け、ゆっくりと唇を動かした。
「……久里鬼……女は……守ったぜ……」
その言葉を最後に、意識を失った。
―
病院。
包帯に巻かれ、機械音に囲まれる菅野を前に、みさは震える声で久里鬼に伝えた。
「菅野さん……私を助けようとして……」
久里鬼の拳が震え、歯ぎしりの音が病室に響いた。
「菅野……お前は敵だった。けどみさを守って倒れた……それだけで十分だ」
怒りに燃える久里鬼は病院を飛び出し、街を睨む。
「吉田ァ……朱雀会ァ……俺がぶっ潰すッ!」
その叫びは、嵐の前触れのように夜空へ響いた。
かつての卑怯な王・菅野。
だが最期に見せたのは、不器用で真っ直ぐな義理だった。
その拳は敗れたが、その意地は久里鬼の胸に火をつけた。
冷酷なる吉田“インテリ”。
双天鬼と朱雀会――次なる衝突は避けられない。




