ラリラリアッパラパー
どこまでも続く高天に加え、振り向けば穏やかな大海原が広がる雄大な景色だというのに、いっぽう町は寂れていて、真っ先に頭に浮かぶのは不気味の三文字。
その答えは民家の中にある。ハルモニアにミストは真相を垣間見て、それで委縮してしまったに違いない。
「ご覚悟を……」
そう、耳元で囁くハルモニア。あらゆる事態を想定し息を吞む。
意を決して戸を引くと、錆びた蝶番が悲鳴に似た軋みを上げた。
「いらっしゃぁい♪」
「……へ?」
「花の港町、ヴァハトゥンへよぉおおおこそぉおおお!」
異様に高いテンション、そして満面の笑みを浮かべる二人の女性が、レサルカーナ上陸後の最初の町、ヴァハトゥンへの訪れを歓迎……いや、大歓迎したのだった。
「ほらぁ」
「見た方が早いですよね?」
「あ……うん」
不気味さに呑まれて、俺は一つ誤解をしていた。
ハルモニアにミストも恐れ戦いていた訳ではなかった。もやもやと、納得し辛い面持ちをしていたに過ぎない。
そしてその正体がこれ。二人は閑散とした町の外とのあまりのギャップに、困惑してしまったのだ。
「あははぁ、立ってないで椅子に掛けて?」
「おほほぉ、私たちとお話しましょー!」
「えと、君たちは……」
「あはぁ、ローザと」
「うふぅ、リリーよ」
古びた木椅子に向かい合うように腰掛ける彼女らは、顔だけをこちらに向けて手を招く。
ローザの頭には猫のような耳が生え、背もたれの隙間からタワシのような尾っぽが覗く。
対面するリリーはこれまた違う種族なのか、同じく頭から生える耳は兎のように長く伸び、けれどエルフと違っておさげのように両サイドに垂れ下がる。
「ええと、俺はネクロ。向かいのレミニセン大陸からやってきて……」
「あっはっはぁ、そぉおおおなのぉ!」
「ほほほほほ! お疲れでしょーにぃ!」
なんだこの温度差は。
酒でも煽っているのか? けれど卓上にそれらしきものはなく空っぽだ。
まさか彼女らは……
「ネクロさん。私もそういう風に思います。きっと何かの中毒症状かと」
「麻薬……彼女らは気が触れてしまってるのか……」
「あっはぁ……とぉっても気分がいいわねぇ!」
「おひょ……世界が輝いて見えるわぁ!」
ローザにリリーも顔は俺に向いてるが、視線は虚空を眺め焦点が合っていない。
「もしかして……住民全員がこんな状態に?」
「先程何軒か確認しましたが、みな同じような症状でした」
「だとしたら、危険なんじゃないの!? この町一帯を何かの中毒成分が包んでるんじゃ……」
「さすがネクロさん。お察しがいいです。ですが仮に外部から湧き出した成分が要因なら、中毒者は家には籠らずに、外に出たがるのではないでしょうか」
確かにハルモニアの言う通りだが、家の中で症状を起こすということは飲み水に含まれる? しかしこの世界の飲み水は魔法で生み出される。
だとしたら海に含まれる成分を魚を通じて飲み込んだ? けれどこちらも、彼女らに禁断症状が出ておらず、未だ高揚感を表している以上、ごく最近までソレを摂取していたに違いない。だが港に人はなく、市場らしきものも見られない。
「何か不気味だ……」
「私的には屋内の方が危険な気はします。ここはお邪魔せずに、このまま屋外を行きましょう」
「あははは、行っちゃうのぉ?」
「おほほほ、また来てねぇ」
戸は開けたものの敷居は跨がず、ローズにリリーも椅子に掛けたまま、結局何も分からずに、扉を閉めて民家を後にする。
「何かしらの情報は得たいけど、まともな会話もできそうにない。それはファッシネイションを使ってもきっと同じだ。脳組織自体がやられているなら……」
「なぁネクロ、どうするよ。他の町を探してみるか?」
「そうだね。なんだか危険な気もするし――」
「ネクロくん」
唐突に俺の言葉を遮るドールは、ひたむきな眼で俺を見つめる
「ネクロくん。このレサルカーナ大陸には、安全な場所を求めて来た訳じゃないはずだよね」
意見を潰したことも然ることながら、裏を返せばまるで俺を危険に晒したいような、そんなドールの一身に皆の睨みが集まる。
「ドール……何を偉そうに……」
「ハルモニアは黙ってて。そうでしょ? ネクロくん。何が目的か思い出して」
惚れている皆は知れないが、俺自身は反論だってやぶさかではない。
そしてドールの問い掛けは、俺にとって必要で、最も大事なことだった。
俺は危険を冒してまで、リムルを救いに来たんじゃないか。
「この現状を何かの自然現象と思ったけど、仮にワルキューレ・アナテマの仕業なら、逃げるんじゃなくって、立ち向かわなくてはならないじゃないか……」
「ネクロさん!? ドールの意見を聞き入れるおつもりで?」
「ネクロちゃん……少し様子を伺うのもぉ……」
「駄目だ。時間は掛けられないと、そういうことも話したはずだ。ミストを発見できたのは本当に偶然で、本来は多少のリスクは承知で調べなきゃ、いつまで経ってもラグナを倒すことなんかできないよ!」
決意を固めて見返すと、凛としたドールの顔は優しく緩んで、淑やかに頷いた。
「……憎らしい」
その声は床下の、陽の当たらぬ腐泥から滲むような、どす黒く淀んだ濁声だった。
身も竦む悍ましさに、固めたばかりの精神が亀裂を刻み、じわりと嫌な汗が、皮膚一枚を濡らしたのだった。
だが――
「憎いのならやるがいい」
「あら? 聞こえてましたぁ? ついつい本音が――」
「でもね、ドールは死なないよ。何故ならドールは不死だから」
きょとんと呆けるハルモニアだが、間を置いて息を吹き出すと、これまでに聞いたことのない甲声でドールに嘲笑を浴びせ掛ける。
「はぁ……はぁ……死なないだなんて……ぷふ……お腹が捩れて痛いですぅ。お間抜けなお子ちゃまドールにいいことを教えてあげまぁす。不死身なのは肉体的に寿命のない、天使である私の方ですからぁあああ! ざんねぇえええん!」
煽るハルモニアだが柳に風。
涼しげなドールは静かにぽつりと、しかしはっきりと――
「寿命はなくても、歳を取ると耳が遠くなるのかな?」
「あぁ!? 歳の話をするんじゃ――」
「不死身じゃないよ、不死なんだよ。それが分からないのなら、ハルモニアは不死にはなれない」
突き刺す榛の視線に、ハルモニアは一歩退いた。
この時点でもはや決着。
ハルモニアが次に何を言おうが、負け惜しみにしかならなくなった。
「……殺す……殺す殺す殺す……最も酷く惨い死を……いつかお前に……」




