すっごく大きくて立派な木
船上で夜を三回、四日目の朝になると、水平線いっぱいに豊かな万緑が顔を出した。
遠目からでも見える西寄りの大木は、富士を取り巻く瑞煙のように姿を隠し、頂点がどこまで続いてるのかも分からない程に逞しく天を衝く。
大陸の東寄りは波の形の山脈が延々続き、岩肌剥き出しの荒々しい姿は、生命を寄せ付けない超常の存在感を放つ。
「こんな景色は……本当に凄い。凄すぎて、なんだか恐れ多いような気がするよ」
「この世界に住むわらわには、ありふれた景色のはずなのじゃが、ネクロ殿と見ると感慨深いのぉ」
これがレサルカーナ大陸。
人間界と区別するなら、魔界と呼ぶのが相応しいのかもしれない。
けれど一目見た俺の頭には、神聖なる神々の世界を思わせる。
「それにしても立派な木ですわね。まるでネクロ様のおチンポみたい」
「ぶっ! ちょっとオルル!?」
「確かになぁ。雲がいい感じに先っぽ隠して、余計にやらしいぜ」
「感動を返してよ!」
「あらぁ、見え方は人それぞれねぇ。私にはぶちまけるザー……」
「眼科に行け!!」
早くも神聖さは穢されてしまった。
こいつらまったく……中学生男子かっての。
リーヴァは空に飛翔すると、右に左に首を動かし、その内にとある一点を凝らして見つめる。
そうして子供のように指を差すと、浮かれた高声を響かせた。
「町があったぜ~♪ 勃木の方角だ!」
「誰が上手いことを言えと……じゃなかった、うるさいわ!」
「だけど枝葉がある訳だしぉ、木の形は╭∩╮じゃなくて╰⋃╯よねぇ?」
「縦読みの人は分からなくない?」
「つまりアレで平常時。わらわ変身して巨大化する魔物ゆえ、膨張率が気になるところじゃわ」
「あれがマックスだよ! いやまだ成長してるのかもしれないけどさ!」
航海中はだんまりだった分はっちゃけているようだが、アクセルペダルを踏み過ぎだということに気付いてくれ。
船はリーヴァの指し示す西寄りの海岸を目指して進路を変える。
舵は当然のこと、この世界では風向きをも魔法で操れる。常に順風満帆で、おまけに一流の魔力を持つ者たちが乗り合わせているのだ。
丸三日分費やした航海だが、これでも通常の四~五倍の速さで辿り着けたのだと思うと、魔法がいかに便利で、そして科学は偉大だということが身に染みて分かる。
泊めるべき港がはっきりと見えてくると、リーヴァは先駆けて町へ飛んだ。俺たちが敵ではないと、そして上陸の許可を貰いに行ったのだろう。
港には海に面して三角屋根の家が立ち並ぶ。北欧に見るようなカラフルな色彩だったのだろうが、今は赤茶け黄ばみ、くすみがかった退廃的な屋根色だ。
他に泊まる船もなく人影らしきものは見られない。あまり栄えていない町なのだろうか。
「まもなく着港するっていうのに……誰も見に来ない。リーヴァはちゃんと話を付けたのかな?」
「話を通さなければこそ、人が集まりそうなもんじゃがの。そもそもリーヴァのような化物が訪れて、何の騒ぎもない方がおかしいわ」
それは確かに。ここが魔界だからというのもあるかもしれないが。
リーヴァは町に降りる様子もなく、低空をぐるりと見渡すように旋回すると、狐につままれたような面持ちで船に戻って来る。
「人っ子一人見当たんねぇぞ。もしかして滅ぼされた町なんじゃねぇか?」
「それにしては町が綺麗じゃなぁい? 古ぼけてはいるけどぉ、壊されたような感じには見えないわぁ」
「ミスト、先に町の様子を見に行ってみてくれないかな。リーヴァだと民家を訪ねるには向かないから」
「おっけぇ」
「あと、ハルモニアも一緒にお願い」
「へ……あ、はい……」
間の抜けた返事をするハルモニア。あの一件以来、どこか上の空のようで影が薄い。
それを落ち込んでいるからではなく、企みがあると勘繰るのは考えすぎか。
「調子悪いなら無理しなくてもいいけど」
「い、いえいえ! そんなことはありませんよ! 元気もーりもりですから! ネクロさんの為に頑張らなくっちゃ」
両腕を折り曲げ力こぶを作る仕種をして見せると、ぷにぷにの二の腕が微かに膨らんだ。
「レベルって概念があるにせよ、あんな細腕で力を出せるなんて不思議だよね」
「あれ、ネクロ様はそれが何故かご存知ない?」
「オルルも随分と細いよね。それでなんで人並み以上の力が出せるの?」
「ゴリゴリのヒロインじゃ、誰も興味湧かないからですわよ」
「……そこは理屈じゃないんだね」
などと、くだらない話をしている内に、ハルモニアとミストは船を離れて町へと飛んでいった。
万一にも無人ならば、上陸に許可も何もないだろうが、果たして。
「何か感じる……」
「ドール? それは何者かの気配かな?」
「ううん。もっと大きな、強いエネルギーが流れている……気がするよ」
「大きいのに気がするって、矛盾してるように聞こえるけど」
「静かに脈動するエネルギーって言えばいいかな。眠るドラゴンに触れてみて? どう猛さは目に見えないけど、内に宿る力強さは分かるよね? そんな感じだよ」
「……それは危険なエネルギーなの?」
「今はとても静か。だけど大きなエネルギーは善悪を問わず危険だよ」
遠い目をする横顔をちらと覗く。
俺にはドールの方が危うく見える。
いったん海上に船を止め、ハルモニアとミストの帰りを待つことに。
ドールの言葉が不安を煽るが、程なくして二人は帰って来た。
しかし先に見て来たリーヴァよろしく首を傾げて、同じように曇りがちな面持ちを並べている。
「やっぱり誰もいなかった?」
「いえ、家の中に住人はおりました」
「い、いるの!? そんな顔してるからてっきり。じゃあ上陸を断られたとか?」
「いいえぇ、許してくれたわぁ」
「ますます意味が分からないんだけど。だったら不服そうにする理由は……」
「お口で説明するよりぃぃぃ」
「見てみた方が早いと思います」
彼女らのことだ。俺に危険が及ぶ事態ではないのだろう。
そうして気持ちは晴れぬまま、俺たちは新しい世界。レサルカーナの地に足を着けたのだった。




