82話 破壊の神ヴェロニカ vs 死の神ルエ
前半ロニー、後半ヴェロニカ視点です。
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そこは小さな村の、小さな民家だった。
暖炉と食卓、それから簡素なベッド。
三人ほどで住むのがちょうど良さそうな大きさだったが、ベッドは一つしかない。
そのベッドは箱に藁を敷き詰めただけの貧相なものだ。
3人で寝られるほどには広かったが、今は1人しか使用していない。
彼女は寝ていた。
9歳ほどの小さな女の子。
広すぎるベッドの上でさらに縮こまり、すぴーすぴーと寝息を立てている。
藁の中にはふわふわの桃色の髪が広がっていた。
そして、そのベッドの前で立ち尽くすもう一人の女の子。
眠る幼女より数歳は年上だろうか。
赤毛をお下げにしたその女の子は、その昔、そのベッドで一緒に眠る仲だった。
しかし、今は。
眠る幼女を前に歯噛みし、きゅっと拳を握り締め、ついにははらりと涙をこぼした。
「シアちゃんが……っ、もう……っ」
ふっくらとした頬を、ぽろりぽろりと涙が伝う。
ロニーは、知ってしまった。
スイシアの魔力が消えてしまったこと。
ヴェロニカの魔力に成り代わったこと。
ロニーは間に合わなかったのだ。
ヴェロニカの復活までに、ヒュピを目覚めさせることができなかったのだ。
涙をあふれさせながらもヒュピをキッと睨んだロニーは、さっと両手をヒュピに向け、魔力の腕を飛ばす。
その腕は眠るヒュピに到達すると、彼女の魔力体を鷲掴みにし、持ち上げる。
互いの魔力がばちばちと反発しながらもゆっくりと持ち上がり、怒りと憎しみと涙に彩られたロニーの目の前で高く高く掲げられた。
「なんで、なんで、なんで、目を覚まさないの! アンタのせいで、シアちゃんがいなくなった! おねえさまが動き出した!」
ヒュピを縛る魔力の手に力がこもる。
しかしヒュピは眠ったまま、身じろぎすらしない。
「アンタのせいで……アンタのせいで……っ、いったいいつまで、ロニーたちを苦しめるの……!」
ロニーは泣いていた。
ぼろぼろと涙をこぼしていた。
憎しみだけではない。怒りだけではない。
もはや誰のせいかも分からない。
どうして、妹を恨まなければならないのか。
あまりにも長い時間の中で、変質してしまった想い。
もう、ロニーは答えを見出せなかった。
唐突に、ロニーの姿が変化する。
妙齢の女性の姿。
佇んでいる。
三つ編みを解き、ただの二つ結びとなった髪形。
紅色の髪と瞳。
幼い雰囲気の中に、切れ長の目がツンとした印象を与える。
さっきまでの激情が消え失せたかのように、哀しげに眉根を寄せる。
涙は既に乾いていた。
ただただ過ぎたる日々を悲しむように。
ロニーは歌う。
「ロニーは死んだ。さよならロニー。アタシはクロニカ。おはようクロニカ」
哀愁の込められた音程は。
何かを切り捨てて決別するような、抑揚のないソプラノだった。
掲げていたヒュピを、ゆっくりと下ろす。
ベッドの中に優しく横たえると、藁をそっと被せ、頭を撫でた。
「ヒュピ……ごめんね。アタシ、何もしてやれなかった。……もう、行くね。ヴェリーお姉様が待ってる」
ロニー、もといクロニカは、ふっと、儚げに微笑んだ。
そうしてすぐに、姿を消した。
部屋に残されたのは、安らかなる寝息の音。
何事もなかったように眠り続けるヒュピの表情は、しかし少しだけ、悲しげだった。
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その森は死んでいた。
木々は枯れている。小動物は白骨化している。虫はひっくり返っている。微生物は止まっている。
一面の黒い地面は、枯葉や死骸の風化物。
生命から溢れるはずの魔力さえ、その一帯だけぽっかりと亡くなっている。
そこで生きているのは、魔脈から湧く魔力だけだった。
微かに魔力が揺らいだ。
次の瞬間、それは現れた。
しゃくりと黒い大地を踏みしめる。
緋色のポニーテールを揺らし、死の森をくるりと見回す。
「……分かりやすいこった。ルエ、アンタはやっぱり変わらないね」
クールな面立ちに哀愁を漂わせ、懐かしむように、微かに笑う。
「さて、まずは呼ばないとね」
前方の崖と、そこに口を開けた魔脈の入り口に向き直る。
己の魔力を解放する。
濃密な魔力がヴェロニカの体から球状に展開し、魔脈の魔力を押しのけ、死の森を包み、前方の山をも飲み込んだ。
ヴェロニカが「破壊」の権能を行使する。
何の守りもなくそれに晒された崖とその背後にある山に亀裂が走る。
パキパキと枯れ枝を折るような小気味良い音が続いたかと思うと、重低音を響かせながら内部が崩れ、地鳴りが響く。
落盤によって魔脈の地下通路が埋没した。
入り口だったところからは粉塵が噴き出し、ヴェロニカを含むあたり一帯を包みこむ。
それを実体化による風で上空に吹き上げつつ、待つこと十数秒。
山の地下、魔脈の峡谷から異質な魔力が爆発するように膨らんだ。
それはヴェロニカの魔力を払いのけ、山を覆う。
山が震えた。
岩を叩く鈍い音、石を叩く高い音などを複雑に響かせながら、魔脈の通路を塞いでいた岩石がひとりでに通路から弾かれ、山を下から持ち上げる。
改めて通路の壁となったそれは、補強され、より強固と化した。
終わるや、ヴェロニカの目前にもう一人が出現する。
13歳ほどの少女。
ところどころ破れて素肌の見えるボロ服を纏う彼女は、裸足で黒の大地に舞い降り、肩までのさらさらの白髪をなびかせる。
一切軸をぶらすことなく直立すると、眠たげで気だるげな二重で、ヴェロニカを面倒そうに見やった。
数百年前と何ら変わらないその姿に、ヴェロニカは後頭部に手をやって声を上げる。
「いやー、ほんっとアンタは変わらないねぇ。なんだかお姉さん嬉しくなっちまうよ」
対して、ルエは不思議によく通るハスキーボイスで応える。
「……ヴェロニカ。何の用?」
「おっと、挨拶もなしかい? ものぐさなアンタらしいっちゃアンタらしいけどね。まぁ手間が省けて好都合ってところかな? 時間はないからね」
「……で?」
「あー、アンタにはこう言えば伝わるだろ? ――約束どおり『死』を届けにきた」
ヴェロニカの手中に二本のメイスが実体化する。
殴打時には本来の重量を取り戻すが、それ以外の取り回し時には重さが消える仕様だ。
ゆえに、身長ほどもあるそれを、ヴェロニカは悠々と持ち上げている。
一方ルエは、身の丈2倍の大鎌を携えることでそれに応えた。
両者、構えを取らないまでも、いつ戦闘に入ってもおかしくない。
そんな緊迫した空気の中、ルエは悩ましげに首を傾げた。
「……約束って?」
「ほぇ?」
空気が弛緩した。
うっかり間の抜けた声の出たヴェロニカは、取り繕うようにこほんこほんと咳をする。
微かに頬を赤くしつつ、当時のことを話す。
「アンタ言ってたじゃないか。『死にたい。誰か殺してくれないかな?』って」
「……言ったっけ?」
「言った言った。いや覚えてなくてもいいんだ、アンタの本質は変わってないだろ? 『死』を好み、『死』を求め、『死』に安らぐ愛好家にして収集家。何がアンタをそうさせちまったかは知らないけど、アンタが以前のままなら、自分の『死』すら欲しいはずだ。違うかい?」
「……違わない」
「だろ? だからさ、アンタに『死』をプレゼントしようと思ってね」
「……そう」
それっきり、風すら死んだかのような無音がその場を満たした。
半目のままアクションを起こさないルエ。
痺れを切らしたヴェロニカは一つ息を吐いて、尋ねた。
「じゃあ、死んでくれるかい?」
「……殺せたら」
「おや、タダじゃ死んではくれないのかい。アンタの望みだろ?」
「……死んだら、もう、死を感じられなくなるから」
「あー、そうきたか。でも、魅力を感じるのは変わらないんだろ? アタシに手加減してくれてもいいんだけどねぇ?」
「……さぁ?」
「あー、参ったねぇ」
ヴェロニカは頬をかく。
彼女の魔力量は全盛期の十分の一もない。
このままルエとやりあえば、勝率は、例えるなら佐々倉啓の魔力よりちょっぴり多いほど。
もはやないといっても過言ではない。
せめて、ルエの戦意をできる限り喪失させ、有利に戦闘を進められればと考えていたヴェロニカだったが、それも失敗に終わったかなと首を振った。
「アンタの戦い方、アタシと似てるからさ、長引くんだよねぇ、戦闘が」
「……神同士の戦いは禁止されてる。……ヴェロニカ、おまえは長老会を敵に回す気か?」
途端、ルエを中心にしてぴりりと空気が張り詰めた。
上位の魔物ですらなりふり構わず逃げ出すほどのオーラを真正面から受け止め、ヴェロニカは言う。
「あぁ、回す気だよ。そうそう、ゆくゆくは世界を壊そうと思ってるんだけどね、ルエ、アンタは見たくないかい? 世界の『死』ってやつをさ」
「……」
ヴェロニカはルエの様子を注視する。
思わぬところで浮かんだ誘い文句だったが、果たして釣れるか、否か。
ルエは、一つ瞬き。
二つ瞬き。
三つ瞬き、答えた。
「……見てみたい」
「おや?」
「けど、世界が死んだら、もう、死を感じられなくなる」
「あー、そっか、なるほどね。そうなるかい」
「……やってみれば?」
「ん? 興味はあるって感じかね?」
相変わらず眠そうな顔してるけど、とヴェロニカは胸中で独りごちる。
それから少し思案して、嘆息した。
「アンタを味方に引き入れられたら面白かったんだけどねぇ。残念だ」
「……」
「アンタと戦うと長引くからさ、嫌なんだよねぇ。あまり時間はかけたくない」
「……おまえが死ねば、早いよ?」
「ははは、そいつは無理な相談さね」
「……」
「なぁ、せめて長老会から抜けてはくれないかい? アンタは成り行きを見守っててくれればいいからさ」
ヴェロニカは往生際が悪かった。
逆に言えば、それほどまでにこの戦いは分が悪かった。
「破壊」一辺倒のヴェロニカに、「死」一辺倒のルエ。
2人の戦い方は似ているがゆえに、能力が拮抗するがゆえに、長期戦となり、持久戦となり、魔力量の少ないヴェロニカが圧倒的に不利。
そのことをヴェロニカは重々承知していた。
それではルエを後回しにすれば良さそうなものだが、それもマズイ。
ルエの能力はヴェロニカに匹敵する。
言い方を変えれば、ヴェロニカの能力に匹敵するのはルエしかいない。
長老会を敵に回す上で、ルエは一番最初に倒しておかなければならない相手だった。
「……断る」
「あー、やっぱり? そこをなんとか考え直してはくれないかい?」
「……戦うのか? 戦わないのか?」
話すのが面倒になったらしく、ルエは催促した。
ヴェロニカは苦笑して、目を伏せる。
……おもむろに目を開くとルエを見据えた。
「戦うよ。誰のためでもなく、ただこの世界を終わらせるためにね」
「……そう」
「何か言い残したことはあるかい?」
「……特に」
「そうかい」
ヴェロニカの前口上に比べ、ルエのそれは簡素なものだった。
直後、示し合わせたように2人から強者の重圧が発せられた。




