第1話:【職業:アパート管理者】!? すべてを奪われた男の最悪な異世界召喚
タイトル変えました(*´ω`*)
頬に触れるアスファルトが、ひどく冷たかった。
降りしきる雨の匂いと、排気ガスの混じった生ぬるい風。
薄れゆく意識の向こうで、体温が指先からぽろぽろと零れ落ちていく。
――俺の人生、どこで間違えたんだろうな。
幼い頃、小さな不動産屋を営んでいた親父は、よく頭を撫でながら言っていた。
『巧、住人を家族だと思え。土地と住まいを守り抜くのが、大家の矜持だ』
その温もりを思い出すたび、胸の奥がきりきりと痛む。
親父が病気で逝った途端、群がってきた親戚どもの浅ましい顔。
騙され、印鑑を押させられ、土地も遺産も根こそぎ奪われた。人間不信で精神を完全に壊した俺は、働く気力すら湧かず、ただ部屋に引きこもった。食事も喉を通らず、緩やかに死を待つだけの虚無の日々。最後はその部屋すら追い出されて――。
結局、路地裏の片隅で野良犬のように野垂れ死にか。
……ふざけるな。なんで俺ばかりこんな目に。俺の人生を、居場所を、全部返しやがれ……!
奪われたことへの強烈な憎悪と未練をドロドロと胸に抱えたまま、重い瞼を閉じる。
冷たい闇が、ゆっくりと全身を呑み込んでいった――はずだった。
「……おい。起きぬか、たわけ。いつまで狸寝入りを決め込んでおるのじゃ」
……なんだ?
死後の世界にしちゃ、ずいぶんと騒がしい。
無理やり瞼をこじ開けると、埃っぽく濁った光が目に飛び込んできた。
「う……あ……?」
アスファルトの硬さはない。背中を支えているのは、体重をかけると今にも軋みそうな、ペラペラの古いフローリング。
鼻を突くのは、カビと黄ばんだ壁紙が混ざり合った――どこか懐かしく、ひどく侘しいあの匂いだ。
ここはどこだ。どう見ても、病室......じゃないよな。
身を起こし、周囲を見渡す。
目の前にあるのは紛れもない六畳一間の空間。小さな流し台はあるが、コンロも冷蔵庫もない。おまけに風呂もトイレも見当たらない、どう見ても見覚えのある『ボロい1K』だった。
夢なのか。俺、死んだはずじゃ――。
ペチン、と額に軽い衝撃が走った。
「痛っ!」
思わず額を押さえ、見上げると『それ』は浮いていた。
体長三十センチほど。碧眼の瞳と、頭から生えた小さな二本の角。背には小鳥のような白い翼があり、腕組みでもするように前脚を折り曲げ、宙をゆらゆらと漂っている。
……羽の生えた、白いトカゲ?
呆気に取られ、思いついた言葉が口からそのまま零れた。
「トカゲじゃと! 無礼者め! 我は聖なる大樹の守護竜、シルヴァ様じゃ!」
白い小さな竜――自らをシルヴァと主張するそれは顔を真っ赤にして怒鳴った。本人は威厳たっぷりに吼えているつもりなのだろうが、サイズが小さすぎて、怒った小鳥が鳴いているようにしか見えない。
「トカゲが喋った。……ああ、やっぱりタチの悪い夢か」
「話を聞かんかたわけ! 夢ではないと言うておろうが!」
シルヴァはフシューッと鼻から小さな煙を吹き、必死に体勢を保ちながら言い放った。
「ぬしは異世界から召喚されたのじゃ! 我が全魔力を捧げ、この世界を救う才覚を持つ魂を引き寄せたのだぞ!」
召喚。異世界。
ぽかんと口が開く。異世界転生――前世で現実逃避に読み漁ったネット小説の常套句だ。
「......ほう?じゃあ何か。俺は死んで、チート能力かなんかもらって、ヒーローとして呼ばれたってわけか」
「ふん。さっさと己のステータスとやらを確認してみるがよい。我が選んだ魂なのだからな」
半信半疑のまま、ネット小説の知識を頼りに、頭の中で『ステータス』と念じてみる。空間がわずかに歪み、淡く発光するウィンドウが浮かんだ。
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【名前】不破 巧
【職業】アパート管理者
【戦闘能力】測定不能(一般人以下)
【保有スキル】
・『???』
・『???』
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「……は?」
思考が、音を立てて凍りついた。
戦闘能力は一般人以下。スキル欄は伏せ字だらけで何一つ分からない。
だが、聞き覚えのある――そして今一番見たくない単語が、そこにはあった。
「ふはは! 見たかたわけ者! 我の狙い通り、完璧な『才能』を持つ魂を引き寄せたのじゃ!」
絶句する俺をよそに、シルヴァは小さな胸を反らして高笑いを響かせる。
「な、狙い通りって……! おい待て、説明しろ! 何なんだよこの『アパート管理者』ってのは! このボロ部屋は何なんだよ!」
「慌てるな。要するにこの世界の核である大樹の魔力が枯渇しかかっており、滅亡の危機にあるのじゃ!」
シルヴァは小さな前脚で、部屋の古びた壁や柱を誇らしげに指し示した。
「大樹はおぬしの知識に呼応し、魔力を集めるための形――この『あぱーと』とやらに姿を変えた! おぬしはこの場所の大家となりて住人を集め、その家賃(感謝と信頼)で世界を再生させるのじゃ! 我の目に狂いはなかった!」
パタパタと得意げに翼を震わせるシルヴァ。だが、世界の危機だの大樹の再生だのと聞かされ、指先から急速に血の気が引いていくのが分かった。
脳裏をよぎるのは、世界の運命などではない。
泥臭く汗を流してアパートを経営していた親父の背中。
そして、親父が死んだ途端に群がり、嘲笑いながら俺からすべてを奪い取っていった親戚どもの浅ましい顔だ。
「――ふざけるな」
「ぬ……?」
「ふざけるなよ……ッ!!」
床を蹴って立ち上がり、血走った目でシルヴァを睨みつける。
「何が世界の危機だ! なんで俺が……自分の人生をどん底に叩き落とした『アパート管理』なんかやらなきゃいけないんだよ!」
「な、何を取り乱しておるのじゃ! 世界を救う大役ではないか!」
「知るかそんなもん! 頼んでもないのに勝手に死んだ奴の魂引っ張り出しといて、一番やりたくねぇ仕事押し付けてんじゃねぇよ!」
俺の怒号が狭い1Kに木霊し、シルヴァが口を開けたまま宙で固まる。英雄として召喚してくれた事を崇められるどころか、全身全霊の拒絶と殺気立った怒りをぶつけられるとは、微塵も思っていなかったというような顔だ。
「俺は絶対にやらない。誰が大家なんかになるかよ。苦労して部屋を維持して住人を集めたところで、最後は強い奴に全部横取りされて、ゴミみたいに捨てられるのがオチだ。異世界まで来て、またあんな思いをするなんて真っ平ごめんだ!」
「……ぬしの言い分は分かった。じゃが、我とて世界の命運を賭けてぬしを呼んだのだ。簡単には諦められん」
「断るって言ったろ――」
「少し頭を冷やすのじゃ! 我もこの状況、どうすべきか考えてくるでな!」
言い捨てるや、シルヴァは小さな翼を必死に羽ばたかせ、隙間風の吹き込む窓の外へ飛び去っていった。
静まり返る1Kの部屋。荒い息を吐きながら立ち尽くしていたが、やがて糸が切れたようにその場へ崩れ落ち、膝に顔をうずめた。
これでいいんだ。異世界だろうがなんだろうが、もう二度と関わらない。
胸の中で強がりを繰り返す。だが、そんな意地をあざ笑うかのように――肉体は容赦なく現実を突きつけてきた。
胃袋を内側からヤスリで削り取られるような、猛烈な飢餓感。
喉の水分が完全に干からび、息をするだけで気道がひび割れそうな生理的恐怖が全身を襲う。部屋を見渡しても、冷蔵庫も、蛇口の一滴すらもない。
夢ではない。本当に異世界に放り出された。このまま一歩も動けなければ、俺はまた誰にも気づかれず、この惨めなボロ部屋で一人朽ち果てるのだ。
掠れた声が、喉の奥から血を吐くように漏れた。
「このままじゃ、また誰にも気づかれずに惨めに死ぬ。……ふざけるな、何か、何かねぇのか……ッ!」
理不尽な運命に対する怒りと、泥臭く這い上がろうとする足掻きが、静かな部屋に重く響き渡った。




