やっと見つけた、私の恋
「さくら、久しぶり。元気にしてた?」
「元気だった……っていうかこの間のライブも行ったよ!」
「ふふっ、いつも応援ありがと」
休憩時間、わたしと紅羽しかいない屋上で久しぶりの再会に浸っていた。紅羽が三つ編みをシュルシュルと解いてリボンでツーサイドアップを作ると、地味な転校生から一瞬でアイドルの櫻咲くれはに早変わりした。
「にしても転校してくるなんて聞いてないよ!」
「そりゃそうよ。だって言ってないんだもの」
朝比奈さんは空を見上げる。
「前は芸能人の学校だったんだけどね。でも普通の学校生活を楽しみたいなって」
なるほど、それでこの学校に……。
「この学校を選んだのって、もしかしてわたしと同じ高校に来たかったからなの?」
「さくら、ちょっと自意識過剰かも。転校ってそんな簡単にすぐできるわけじゃないんだよ? それなりの時間かけて手続きしないといけないんだから」
「そ、そっか。それもそうだよね、ごめん」
「でも運命感じちゃうよね、まさかさくらと一緒の学校に通えるなんて」
「それはわたしも嬉しいけど……」
いきなりのことすぎて、もう2度と同じ目線で話せるなんて思っていなかった紅羽が目の前にいる事実がまだ信じられなかった。
「ドラマの撮影は順調なの?」
「あのあとね、監督から演技で褒められることが増えたの!」
「すごい! おめでとう!」
「ねぇ、なんでだと思う?」
「うーん、演技の練習いっぱいしたから?」
「練習は頑張ったけど、それだけじゃなくて」
なぜかもじもじといじらしい表情をする紅羽。
「……恋愛について分かったから、かな」
「もしかして紅羽、好きな人できたの?」
「まぁそんなとこかなぁ」
「えーそうなんだ! ねぇ、誰なの? もしかして同じ事務所の人?」
「そのうち教えるから。そのうち」
友達として嬉しい気持ち半分、ドルオタとしては推しに好きな人ができるって寂しい気持ち半分だなぁ。
「リアリティショーの間、ありがとね。いっぱい助けてもらって」
「わたしは何もしてないよ。紅羽の足引っ張ってばっかりだったから」
「そんなことないよー。いろいろあったけど、楽しかったよね」
「最後の撮影であのバイオレンスなドッキリがなかったら完璧だったけどね」
空は青く澄み切っていて、屋上を吹き抜けていく風も気持ちが良かった。でもわたしの心にはずっと曇り空みたいなモヤモヤが残っている。
「ドラマ以外の仕事も順調だし、またさくらに色々お願いしちゃうかも。ねぇ、私が依頼したらさくらは引き受けてくれるよね?」
「……イヤだ。絶対引き受けない」
「なんでそんな寂しいこと言うの?」
「わたしにはそんな資格なんてないから」
「もしかして、報酬を受け取ってくれなかったのもそうなの?」
「うん、そう」
わたしにはお金を貰う資格なんてなかったのだから。わたしの今の顔は、作り笑いのようになっているのかもしれない。
「資格資格ってさっきから何? 契約してた期間、さくらは私を護ってくれた。ほら、どこも怪我してないよ?」
「任務失敗だよ、こんなんじゃダメなんだ」
「だからなにが?」
「だって、わたしが紅羽との約束を破ったから!!」
お互いの言葉の応酬が苛烈になるなか、わたしは泣きそうになるのを必死に堪える。
「もしかして、最後のときのこと言ってるの?」
「……そうだよ」
「今日までずっと連絡がつながらなかったのもそうなの?」
「……」
紅羽の連絡先を消したのは、わたしへの罰だった。2度と紅羽に関わる資格のない自分への罪滅ぼしだった。
春の涼しい風が紅羽の髪を撫でる。でもその風はわたしには厳しく当たっているような気がした。わたしは紅羽に頭を下げた。
「わたしは紅羽との約束を破った。紅羽、本当にごめん」
「ちょっと待って、どういうこと? さくらは約束を破ってなんかない。あなたは立派に私のこと手伝ってくれたでしょ」
わたしは紅羽にあんなに酷いことをしたのに、この後に及んでまだわたしを持ち上げるのか。これ以上わたしに罪の意識を持たせないで欲しいとさえ思った。
「ごめん紅羽。本当にごめんね……」
「だから、なんでさくらが謝るの? 誰も傷ついてない、ハッピーエンドの大団円だったじゃない」
「紅羽のこと全力で護るって約束したのに。わたしの一番の推しなのに……」
ああ、わたしは涙すらまともに我慢できないのか。なんて情けない。
「最後の最後で紅羽を護る責務を放棄して、わたしは蒼依のところに走ったんだよ!!!」
立っていることがもう困難だったから、とうとう膝から崩れ落ちてしまった。視界が揺らいで、屋上の床にわたしの懺悔の結晶が溢れて止まらなかった。
「篁さんに自分の役目を丸投げして、わたしは蒼依に無我夢中で……。わたし最低だ、本当に最低……」
「あのときは森薗さんが一番危険な状況だった。私も有栖さんも安全だったし、なにより私達が森薗さんを助けるようにさくらにお願いしたんじゃない」
わたしの大好きな推しで憧れの女の子、朝比奈紅羽。蒼依と別れて辛かったときも、あなたはいつもわたしに元気をくれたのに。
「わたしはただあなたに、恩返しがしたかっただけなのに」
わたしが紅羽を護る依頼を引き受けた本当の理由。櫻咲くれは……朝比奈紅羽に少しでも恩返しがしたかった。わたしが腐りそうになったとき、歌とダンスと笑顔でいつも励まして元気をくれたあなたに、貰ったものを返したかっただけなの。
「『ずっとそばにいる』って約束したのに、わたしはそれを裏切った。ごめん紅羽。最後まで紅羽のこと護れなくて、そばにいてあげられなくてごめん……」
わたしはまた自分を嫌いになってしまった。自分が決めたことさえやり通せないのだから当然だ。埒が開かないと思ったのか、紅羽が歩み寄ってきてわたしにハグをした。
「どうしたら泣き止んでくれるかなぁ」
「お願い、わたしに償わせて。紅羽の言うことならなんでもするから」
紅羽の体温を感じながら、わたしは断罪されるのを待つことにした。紅羽はしばらく考え込んだ後、ようやく口を開いた。
「なんでもって言った? じゃあ、目を瞑って?」
「こう……?」
「動かないで。ジッとしててね」
何をされるんだろう、ぶたれるのかな。思いっきり叩かれるんだろうとわたしは思った。わたしが目を開けていたら、きっと反射的に避けてしまうから。
でも紅羽は何もせず、わたしはしばらくのあいだ闇の中にとどまっていた。暗闇の中で裁かれるのを待つ、罪人のような気分だった。
あるいは、ひょっとしてわたしを置いて帰ったのかとも思った。そうすれば、いつまでも目を閉じている間抜けな女子高生の完成だ。
それもいい。罰として笑い者になるのも一興だ。そう思っていたとき、紅羽の匂いが風に乗って伝わってきた。約1ヶ月の間、ずっと嗅ぎ続けていた懐かしい匂いを。
「……紅羽?」
闇の中でそう聞いたとき、ふわりと風が流れるのを肌に感じてまぶたに赤い閃光が差し込んだ。鼻腔が紅羽の香りに支配される。ここ最近会ってなくて久しぶりに感じたこの匂い。
頬にさらさらした紅羽の髪が当たって、唇に柔らかい感触がしたのがわかった。
紅羽はわたしを裁くのではなく、わたしにキスしたのだった。生まれて初めて推しのアイドルからキスされた。紅羽から与えられたのは期待していた断罪ではなく、どこまでも澄み切った好意だった。
「ちょ、紅羽……!?」
許されてもいないのに、反射的に目をぱちりと開けてしまった。さっきまで紅羽の唇で塞がれていた唇を指で撫でて、その感触と温度を再確認する。すぐ近くに紅羽の美しい顔がある。紅羽は半歩だけ下がって、わたしから静かに離れた。
「さくら。私ね、あなたが好きみたい」
「え!? でも、紅羽はお父さんとか元カレのこともあるし。恋愛苦手だって……」
「フリとはいえ、さくらとの恋愛は嫌じゃなかったの。考えてもみてよ。本当に嫌ならさくらにも拒否反応が出ないとおかしいでしょ?」
「それは、たしかに……」
「生まれて初めて本気で人を好きになったの。さくらが私の初恋」
何を言われたのか最初理解できなかった。演技力アップのための疑似恋愛の続きなのかと思ったけど、紅羽に即否定される。
「”恋愛ごっこ”なんかじゃないよ。私は本気でさくらが好き、あなたを愛してる」
よく見ると、紅羽の頬が赤く染まっていた。
「私、わかったの。あなたのことを考えるとドキドキするって。ダンスレッスンしてるときも、ライブが終わった後の舞台袖でも、家で勉強してるときも、あなたのことが頭から離れないの」
「!!」
こんな恥ずかしそうにモジモジする、いじらしい姿の紅羽は今まで見たことがない。
「いつ惚れたんだろ。初めて会った日に暴漢から護ってくれたとき? 私が大泣きした日かな? それとも元カレに本気で怒ってくれたとき?」
紅羽は大切な思い出を愛でるように胸の前で手を握った。
「元カレに怒ったって……紅羽聞いてたの?」
「しっかり見てたし聞いてたよ」
「盗み聞きじゃんそれ!」
「あのときは本当に嬉しかったんだよ。さくらが私のことで本気で怒ってくれたんだもん。思わず泣けてきちゃった」
紅羽は愛おしそうに微笑んだ。あの後やけに目元が赤かったからもしかしたらって思ったけど。やっぱり見られてたのか。
「私、ようやくわかったの。痛くて苦しいけど、同時に温かくて幸せな気持ちになる。恋するのって悪くない気分ね」
紅羽は照れくさそうに微笑んだ。
「正直、人を好きになるのってまだ怖いけど。それでも、さくらが教えてくれたんだよ。本当の恋を」
「本当の……恋」
告白されている間、わたしは紅羽と一緒に過ごした時間の密度の濃さを感じていた。出会ってまだ半年も経っていないのに、紅羽とこんなにたくさんの思い出ができていたんだなってことに改めて気づいたから。
「でもね。いつ惚れたかなんて、そんなこともうどうでもいいの。さっきあなたが泣いてる姿を見てね、心の底から愛おしいって思っちゃったから。ああもう無理、抑えられないなぁって」
紅羽はバツが悪そうに笑った。もうどうしようもないの、って感じで。
「でも紅羽はアイドルでしょ? わたしはただの1ファンで……」
「うちのグループ、恋愛禁止なんだけどね」
「だったらわたしだけこんな抜け駆けみたいなの、ダメだよ!」
「さくらはアイドルが彼女になるの、イヤ?」
「嫌とかじゃなくて。やっぱりアイドルとファンの間には一線を引くべきだと思ってるから」
「そういう真面目なところも好きだよ、さくら」
「~~~~~っ!」
「どうせまた『資格がないから』とか思って私の連絡先消したんでしょ? 嫌いになって無視されたのかと思ったよ」
「無視なんてするわけない。紅羽のこと嫌いになるわけなんか……!」
紅羽がぐいっと顔を近づける。顔のいい女が近い近い! いつも客席からわたしが見ているような、櫻咲くれはのまっすぐな瞳。近くで見ると余計にまつ毛長いんだなって感じる。
「さくらが罪悪感を覚えるなら、公表したっていいよ? 私それぐらいの覚悟はあるから。あなたと交際してるって、世間に向かって宣言するよ」
「わたし付き合うなんて一言も……」
あまりに顔が近すぎて、ドキッとして思わず視線を逸らす。
「あーあ、ファンと肉体関係持っちゃった。これで私もさくらと同じ、約束を破ったもの同士だね」
「言い方がやらしいんですけど」
そっか、紅羽はわたしと同じ位置まで堕ちてきてくれているんだ。
「でもわたしは最低の人間で。暴力ぐらいしか取り柄が……」
紅羽の人差し指がわたしの唇に触れ、言葉を遮られた。
「もう、私の世界一大好きな人をそんなふうに言わないで」
あんな最低なことをしたわたしと同じ目線に降りて会話してくれる、もしかしてわたしの推しは聖母なのかも?
「ねぇ、さくら。今でも森薗さんが好きなんだよね。まだ忘れられないんだよね?」
「なっ……」
「見ればわかるよ、2人は特別なんだって。それでも。ううん、だからこそ私もさくらのこと諦めたくない。私だって森薗さんに負けないくらい、さくらの全部が大好きだから」
「紅羽……」
「ねぇ、さっきのでガマンできなくなっちゃった。もう1回キスしていい?」
「えっ、ちょっと待って。心の準備が……」
「じゃあこの間約束破ったツケを払うって名目なら、いいかな?」
「それは……」
紅羽の整えられた繊細な指先がわたしの頬に触れる。
「じゃあ、いくよ?」
わたしは受け入れることも拒絶することもできず、ただただ目を閉じることしかできなかった。そのとき、屋上のドアからどたどたと人が倒れ込んでくる音がした。
「ちょっと、押さないでもらえるかしら。森薗蒼依」
「いたた……。有栖さんが興奮して暴れるからでしょ」
「別にわたくしは暴れてなんか」
幼馴染の手元できらりと光る銀色のものが見えた。双眼鏡はさすがにテンプレすぎるよ、しろちゃん。
「もう、乙女の会話を盗み聞きってよくないと思うんだけど?」
紅羽が呆れた声でため息をついた。
「朝比奈紅羽、これは一体どういうことなのかしら。わたくしの許可なしにさーちゃんにキスするなんて万死に値するのだけれど」
「なんでわたしのキスにしろちゃんの許可がいるんですかね!?」
普段の優雅な佇まいがまるでなかったかのように、ずけずけと屋上に入ってきたしろちゃん。
「これからは私が積極的にアプローチするってこと! だから、よろしくねさくら♡」
「さーちゃんの貞操はわたくしが護るわ。おばさまと約束したんだから」
「そんな設定あったの!?」
今度実家に帰ったときに聞いてみるか!
「あたしだって、みんなに邪魔されたこの前の続きやってない!」
「ちょ、蒼依!?」
しろちゃんの後ろにいる蒼依も、なんだか煮え切らないモヤッとした表情をしている。
「う〜ん、面倒なことになってきたなぁ」
紅羽は人差し指を口元に当てて、考え込んでいた。
「そうだ、いいこと思いついた! さくら、これでも聴いてて」
「はひっ」
なにか閃いた紅羽は、わたしの両耳にワイヤレスイヤホンをぎゅむっと押し込んだ。あ、これまだ世に出てない新曲の紅羽ソロヴァージョン? 激レア音源なのでは。耳が幸せ~。
そして気づけば闇の中。いつの間にか、ネクタイか何かで視界を塞がれていた。あれ、これわたしが捕虜にされてる感じ?




