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模倣犯の楽園  作者: 綾見 恋太郎


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第二話 断れば死ぬ、従っても終わる

 朝が来ても、何一つ救いにはならなかった。

 ガラス張りのラウンジに淡い光が差し込み、夜のあいだ黒い板のようだった海が、今は無機質な青を広げている。護岸は白く、波は整えられた縁へ規則的に砕けていた。遠くに本土らしい影が見えるのに、距離の実感がない。海の上へ切り取られた展示空間。そんな印象だけがある。

 ラウンジ中央へ寄せられたソファの周囲に、十人がばらけて座っていた。

 誰もまともに眠っていない。目を閉じれば昨夜の岡本の死体が浮かぶ。白いタイル、水面、照明の反射、首の角度。あれが現実だったと、朝の明るさのほうがかえって突きつけてくる。

 真壁は窓際に立ったまま、海ではなくガラスに映る室内を見ていた。誰が誰を見ているか、その反射のほうがよくわかる。

 昨夜まで、見知らぬ者同士が閉じ込められたにすぎなかった。だが、岡本が死んでからは違う。ここにいる全員が「次に誰かを殺す役」を押しつけられる可能性を持っている。その可能性があるだけで、人の視線は変わる。

「整理する」

 真壁は振り返って言った。

「今夜も同じことが起きる。放送はそう言った。単発じゃない。誰か一人に割り当てが来る。従えば一人死ぬ。断れば本人が死ぬ。その前提で動くしかない」

「納得してるみたいに言わないで」

 杉本が膝を抱えたまま言う。昨日まで無理にでも場を軽くしようとしていた調子は消えていた。

「前提って何よ。そんなの認めたら終わりじゃん」

「認めてるんじゃない」

 真壁は即答した。

「無視していい段階は終わったって言ってる」

「端末なんか見なきゃいいんだよ」

 岡本の席が空いていることを思い出して、真壁は一瞬だけ語感の違和感に気づいた。もう岡本はいない。そこへ座っていたのは入口だった。焦りが集団の中で名前の輪郭さえ曖昧にしている。

 入口が言い直した。

「通知が来たって開かなきゃいい。皆で固まってれば――」

「そういう問題じゃない」

 二階堂がテーブルの上へ並べた端末を指先で弾いた。十台。画面の明るさも機種も同じだ。

「個別通知は共通文と別系統で出してる可能性が高い。未読でも向こうは困らない。読んだかどうか自体、関係ないかもしれない」

「じゃあどうしろっての」

「一人で抱えないことだ」

 真壁が言った。

「今夜、もし誰に来ても、その場で言え。隠すな」

 長い沈黙のあと、長尾がゆっくり言った。

「言えると思いますか」

 その一言で、皆が口を閉ざした。

 言えない。わかりきっている。

 通知が来た、と自分から言った瞬間、その人間は「今夜の犯人役」になる。可哀想な被害者として見てもらえるとは、誰も信じられない。実際はもっと曖昧で、もっと残酷な見られ方になるだろう。気の毒だと思われながら、同時に「この人がやるかもしれない」と見られる。

 そんな状態で、正直に言える人間がどれだけいるか。

「対策は決める」

 真壁はテーブルへ両手をついた。

「日中も単独行動は禁止。二人か三人で動く。夜は客室へ戻らず、ラウンジを拠点にする。トイレも飲み物も必ず声をかける」

「部屋を交換するのは」

 入口が言った。

「誰に来るかわかんないなら、最初から部屋と人をずらしとけば」

「意味があるかもしれない」

 二階堂が頷く。

「相手が部屋単位で管理してるなら撹乱になる。ただ、人単位で認識してるなら薄い」

「人単位だと思う」

 九条が言った。

 彼はソファへ座らず、昨夜から少し離れた位置に立っている。ラウンジの展示棚から抜き取った資料を一枚ずつ見ながら話す。

「模倣のズレ方が、人に合わせて無理やり動かしている感じがする。完全な手駒ならもっときれいに再現できる」

「つまり」

 沢口が訊く。

「割り当てられた人間が、迷いながらやってるってこと?」

「そう見える」

 九条は言う。

「だから、変調は出るかもしれない」

 その一言で、場の空気がまた一段冷えた。

 変調。

 それはつまり、今夜の犯人役にされた人間はどこかで挙動がおかしくなるかもしれない、ということだ。返事が遅れる。視線が泳ぐ。端末を隠す。一人になろうとする。

 人は一度そういう基準を与えられると、互いの動きへ急に意味を見出し始める。

「やめたほうがいい」

 大城が言った。

「そういう見方を始めた瞬間、何もしてない人まで怪しく見える」

「でも見ないで死ぬよりは」

 二階堂が言いかける。

「鈍いって言いたいの?」

 沢口が鋭く返した。

「初日からそこまで考えられる人ばかりじゃないでしょう」

 二階堂は口を閉じた。正論だった。

 彼がやろうとしていることは、たしかに誰かを救うためだ。だが同時に、それは「今夜の役」を先に見つけようとすることでもある。その矛盾を、彼自身がいちばん理解している顔をしていた。

 昼になるころには、展示資料に新しいファイルが増えていた。

 『駅前歩道橋転落未遂事件・関係記録』

 ケースの中に収められたコピーを九条がめくる。歩道橋の欄干のそばで若い女が長時間立ち尽くしていた。通行人の複数が異変に気づいた。声をかけかけてやめた者もいる。だが誰も深く関わらない。女は転落し、一度は助かったが、後日死亡した。資料の本文は、被害の残酷さよりも、「誰かが止められたかもしれない場面」を繰り返し並べている。

「まただ」

 真壁が言う。

「気づいてたのに止めなかった話」

「しかも、後からならわかる程度じゃない」

 九条はページを指で追う。

「その場で変だと思っている。危ないと思っている。なのに引いた」

「ここ、犯人役だけじゃないんだ」

 二階堂が低く言う。

「止めない側も裁いてる」

「最悪」

 杉本が乾いた笑いを漏らした。

「じゃあ、犯人にされるかもって怯えながら、他人の変調を見逃しても駄目ってことじゃん」

 その通りだった。

 午後、空気はもっと悪くなった。

 沢口がふと口にした。

「さっきから岡本さん……じゃない、入口さん、端末伏せてますよね」

 誰も何も言っていないようで、実は皆、同じことを見ていた。入口は朝から端末をテーブルへ画面を下にして置いている。

「画面がうるさいだけ」

 入口はすぐ言った。だが言い訳が早すぎた。

「朝からずっと?」

 沢口の問いに、入口は一瞬だけ詰まる。

 その詰まりを、全員が見た。

「やめろ」

 真壁が言う。

「それを今言うな」

「でも変じゃない?」

 沢口は声を抑えたままだった。抑えているぶん、本気なのがわかる。

「変って言葉を使うな」

 大城が割って入る。

「怯えてれば、誰だって少しはおかしくなる」

「でも今夜の役なら、もっとおかしくなるんでしょ」

 沢口は言った。

 その問いに、誰も答えられない。答えた時点で、その見方を受け入れることになるからだ。

 夕食の支度は、レストランのバックヤードに残されていた食材で何とかした。調理の中心は大城と杉本、補助に真壁と入口。包丁を持つ手があるだけで、一瞬、場が凍る。日常の動作が、ここではそのまま緊張の種になる。

「塩どこだっけ」

 杉本が棚を見上げた時、沢口がはっと顔を上げた。

「今、何見た?」

「は?」

「いや、ごめん」

「何よそれ」

 杉本の声が尖る。

「私が何かしたみたいじゃん」

「そうじゃなくて」

「そういうふうにしか聞こえないって」

 その言い合いは短かったが、痛かった。疑いは口にした瞬間、空気ではなく傷になる。

 夜九時を過ぎた頃、入口が突然立ち上がった。

「もう無理だ」

 全員がそちらを見る。入口の顔色は悪かった。額に汗がにじみ、端末を握る手が白くなっている。

「ずっと手元に置いて、皆で顔見て、こいつかあいつかって……こんなの持ってるから駄目なんだよ」

「入口さん」

 真壁が名を呼ぶ。

「落ち着け」

「落ち着けるかよ」

 入口の声が裏返る。

「通知が来たらどうすんだよ。見た瞬間、殺すか死ぬかだろ」

「だから一人で抱えるなって言ってる」

「言えるか!」

 ラウンジに叫びが響いた。

「ここで『俺です』って言った瞬間、皆どう見るんだよ!可哀想な被害者じゃないだろ、今夜の犯人役だって見るだろ!」

 誰もすぐには否定できなかった。

 その沈黙が、入口をさらに追い詰める。

「ほら見ろ」

 彼は笑った。笑いというより歯を剥いたような顔だった。

「同じじゃねえか。何やっても、怪しく見えたら終わりなんだよ」

 次の瞬間、彼は端末を床へ叩きつけた。

 乾いた破砕音が、ラウンジの空気を裂いた。

「入口さん!」

 真壁が駆け寄る。

「いらねえよこんなもん!持ってなきゃ来てもわかんねえだろ!」

「壊しても変わらない」

 二階堂が立ち上がる。

「相手は端末じゃなく、あなたに割り当ててるかもしれない」

「うるせえ!」

 入口が振り返る。その瞬間、何人かが反射的に一歩退いた。

 大した動きではない。だが、そのわずかな距離が致命的だった。

「何だよ、その顔」

 入口の声が低くなる。

「今、思ったろ。俺に来たんじゃないかって」

 沢口は目を伏せた。杉本も口元を強張らせる。誰も「違う」と言い切れない。

「近づくな」

 入口が真壁へ言った。

 その一言で、場の意味が変わった。近づくな、と言った。つまり、誰も近づかせたくない理由があるのではないか。そういう解釈が、瞬時に頭をよぎる。

 真壁はそれを振り払うように一歩進んだ。

「入口さん、違う。今あなたが一人になるのがまずい」

「一人にしたくないのか、逃がしたくないのか、どっちだよ」

 その問いが、真壁の背後にいた連中の迷いを強くした。守ろうとしているのか、確保しようとしているのか。どちらにも見えてしまう。

 九条が一歩前へ出た。

「怖いのは普通だ」

 入口は返事をしない。

「端末を壊したこと自体には意味がない。意味をつけるのは見る側だ」

 九条は静かに言った。

「だから今必要なのは、壊したあとどうするかだ」

 入口の喉が上下した。何か言い返そうとして、言葉が出てこない。

 そのとき、館内放送が鳴った。

『第二の割り当ては、すでに完了しています』

『拒否は本人の処刑に繋がります』

『観察を継続してください』

 放送が切れたあと、ラウンジの中央で立っているのは入口だけだった。足元には壊れた端末。顔は青ざめ、唇から色が消えている。

 それだけで、全員の視線が集まる。

 あまりに出来すぎていた。

「違う」

 入口が言った。かすれた声だった。

「俺じゃない」

 誰も返さない。

「本当に違う」

「だったら一緒にいたほうがいい」

 大城が穏やかに言った。だが距離は取ったままだ。

「今はここで――」

「その言い方だろ」

 入口が笑う。短く、乾いた笑いだった。

「『違うなら一緒にいろ』って、もう前提が違うじゃねえか」

 次の瞬間、彼は踵を返してラウンジの外へ走り出した。

「待て!」

 真壁が追う。二階堂と九条も続く。

 廊下の白い壁に足音が反響する。曲がり角を一つ越えたところで、屋内プールへ続く通路の手前から、何かが倒れる音がした。

 真壁は走る。

 ガラス扉を抜けた瞬間、湿った空気がまとわりついた。水面は昨夜よりわずかに揺れている。照明は青白く、プールサイドの白い床を照らしていた。

 奥に人影が二つある。

 一人は入口だった。腰が抜けたように座り込んでいる。

 もう一人は床へ倒れていた。

「杉本さん……!」

 真壁は駆け寄る。杉本真里奈は、白いタイルの上へ横たわっていた。首元に細い圧痕。近くには倒れたデッキチェア。片腕が不自然に伸び、爪が床を引いた跡が残っている。昨夜より抵抗の形が見えていた。

 駄目だった。

 真壁が頸へ触れた時には、もう何も残っていなかった。

「俺じゃない……」

 入口が座り込んだまま何度も首を振る。

「来たら、もう……こうなってて……」

 二階堂が周囲を見る。壁には昨夜とは別の事件記事が挟まれていた。『夜間プールサイド首絞め事件』。発見時の腕の位置、倒れた椅子の角度まで、今夜の現場に近い。

「昨日より寄せてる」

 二階堂が言う。

「完全じゃない」

 九条が低く返す。

「でも昨日より近い。余裕がないまま、無理に寄せている」

「意味は」

 真壁が訊く。

「追い詰められている」

 九条の答えは短かった。

 真壁は入口を見た。彼は震えている。恐怖なのか、罪悪感なのか、もう簡単には判断できない。だが、場の空気はすでに別の方向へ流れ始めていた。

「やっぱり」

 沢口が、ほとんど聞こえない声で言った。

 真壁は振り返る。

「今のを口にするな」

「だって、タイミングが」

「タイミングで人を決めるな」

「でも――」

「でもじゃない」

 強く言った瞬間、自分でもわかった。いまのは入口を庇っているように聞こえる。周囲の視線が今度は真壁へ向く。なぜそこまで守るのか、と。

 最悪だった。

 ここでは、人を止めること自体が意味になる。

 ラウンジへ戻るころには、入口の周囲だけがわずかに空いていた。露骨に避けたわけではない。だが、人は自分に嘘をつきながら距離を取ることができる。

 入口はその空白を見て、何も言わなかった。

 二階堂は壊れた端末の残骸と各人の画面を見比べながら、長いこと黙っていた。やがて言った。

「次は、変調を拾うしかない」

 その言葉は救済策のようでいて、同時にひどく醜かった。

 誰が今夜の役かもしれないのか、その人間の壊れ方を先に拾う。

 助けるために必要かもしれない。

 だが、その必要が、すでに誰かを「今夜の犯人役」へ近づけてしまう。

 ラウンジの時計は零時を少し回っていた。二人目が死んだ夜だというのに、施設は相変わらず美しい。ガラスも照明も海も、何も変わらない。

 人間の見方だけが、確実に壊れていた。


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