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模倣犯の楽園  作者: 綾見 恋太郎


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第一話 招かれた十一人と、最初の死体

 最初に異様だと知れたのは、静けさではなかった。

 整いすぎていることだった。

 真壁彰が目を覚ました瞬間、まず目に入ったのは、白い天井へ柔らかく滲む間接照明だった。ホテルにしては影が少ない。照度は十分にあるのに眩しさがなく、目覚めたばかりの人間を刺激しないよう、最初から計算されている光だとわかる。

 知らない部屋だった。

 白を基調にした壁。余計な装飾のない家具。大きな窓の向こうには、夜の海。ベッド脇のサイドテーブルには水差しとグラスが整然と並び、椅子の背には脱がされた自分のジャケットが皺ひとつなく掛けられていた。靴はベッド脇に揃えられている。腕時計も財布もある。奪うためではなく、運んで、寝かせて、目覚めさせるために扱われた部屋だった。

 真壁はゆっくり上体を起こした。

 頭痛はない。吐き気もない。舌の痺れも、喉の乾きも、薬を盛られた後の不快な鈍さもなかった。にもかかわらず、ここへ来るまでの記憶が曖昧だった。最後に覚えているのは、仕事帰りに車を降りたところまでだ。そのあとがきれいに抜けている。

 意図的に削られた記憶の空白を前に、真壁の背中へ冷たいものが走った。

 すぐに立ち上がる。床へ足を下ろすと、絨毯は新品めいて柔らかい。ホテル特有の香料の匂いも薄い。掃除したてなのではない。長く無人だった場所とも違う。人が使い、人が整え、その直後に人だけが消えたような部屋だった。

 ドアへ向かい、ノブを回す。鍵はかかっていない。

 廊下へ出ると、さらに強くそれを感じた。

 整いすぎている。

 空調が一定の温度で流れ、床の絨毯は毛足が乱れていない。壁のアートフレームは一枚も傾いておらず、観葉植物の葉先まで水分を保っている。ホテルなら、人がいればいるほどわずかな乱れが生まれる。誰かの足音、どこかのドアの閉まる音、遠くの話し声、清掃用ワゴンの気配。そういうものが一つもない。

 人がいないだけではない。人がいなかった痕跡まで消されている。

 右手の奥で、別のドアが開く音がした。

「真壁」

 二階堂壮也だった。

 髪は乱れていない。眠そうな顔もしていない。けれど、口元からいつもの薄い笑みが消えているだけで、こいつがどれだけ警戒しているかは十分にわかった。シャツの袖を一度だけ引き直し、真壁と同じように廊下の左右を見ている。

「起きたか」

「おまえも」

「らしいな」

 短く言葉を交わしたあと、二階堂は顎をしゃくった。

「九条はあっち」

 廊下の先、ラウンジへ続くガラス張りの通路の手前で、九条雅紀がしゃがみ込んでいた。床へ指先を触れさせ、タイルの継ぎ目をなぞっている。

 真壁が近づくと、九条は顔を上げずに言った。

「自動洗浄の跡がある」

「何だって」

「床の乾き方。人がいなくなってから長時間放置された感じじゃない。清掃して、乾いて、そのあとで人の往来がない。止まってからそんなに経ってない」

 ようやく九条が顔を上げる。相変わらず眠そうな目をしているが、焦点ははっきり合っていた。

「ここ、人だけ抜かれてる」

「言い切るな」

「言い切ってない。そう見えるって話」

「同じだろ」

「真壁が否定しない時は、だいたい同じこと考えてる時だよ」

 そう言われて、真壁は反論しなかった。実際その通りだった。

 三人でラウンジへ出る。

 目の前に広がったのは、海へ向かって大きく開かれたリゾート施設の中心部だった。ガラスの向こうに夜の海。人工島らしく、護岸沿いに等間隔で外灯が並び、黒い水面へ白い道をつくっている。テラスには閉じられたパラソル、整然と並ぶデッキチェア、照明に照らされたプールサイド。ラウンジの内部も同じだった。ソファの位置、カウンターの磨き方、テーブル上のメニュー立て、すべてがあまりにきちんとしすぎている。

 にもかかわらず、誰もいない。

 フロントにも、バーにも、ラウンジにも、人の姿はなかった。

「気持ち悪いな」

 二階堂が低く言った。

「ホテルの無人って、普通もう少し生活感が死ぬんだよ。ここは逆だ。生活感だけ残して、人だけ抜いてる」

 真壁はすぐにフロント裏へ回った。電話は不通。内線も繋がらない。非常口ランプは点灯しているが、通用口の電子錠は下りている。海側の搬入口も同じだった。

 その間に、他の客室から人が出てき始めた。

 最終的に集まったのは、真壁たちを含めて十一人。

 全員が初対面だったわけではない。仕事や記事、テレビで顔を見たことがある程度の者も混じっていた。だが、親しく言葉を交わせる相手はいないらしい。名乗りの前に、まず戸惑いがあった。

 杉本真里奈。二十代後半。明るい茶色の髪に派手すぎない柄のワンピース。怯えているのに、それを笑いに変えようとする癖が顔に出る女だった。

 岡本裕介。三十代半ば。軽薄さを演じるのが得意そうな男だが、目だけが落ち着いていない。

 大城奈緒美。四十代後半。姿勢がよく、声を張り上げずに場を整えようとするタイプ。

 長尾義隆。五十代。落ち着いた口調を崩さないが、指先の癖だけが神経質だった。

 沢口由佳。三十代前半。人の善意をまだ信じたい顔をしている分、不安を隠せない。

 入口和輝。二十代後半。体格がよく、身体の強さでこの状況も押し返せると思いたがっている。

 飯島佳代。四十代。穏やかだが、観察だけは妙に細かい。

 川原慎也。寡黙。最初から人より設備を見ている。

 米本詩音。二十代前半。怖い時ほど表情に全部出る。

 そして、真壁、二階堂、九条。

 誰もが互いを見ながら、自分が今どこにいるのかを確かめようとしていた。

「これって、何」

 最初に口を開いたのは杉本だった。

「ドッキリ? 金持ちの遊び? そういう系?」

「笑えないわよ」

 大城が即座に言う。

「誰も説明しない時点で、まともじゃない」

「朝になれば何とかなるでしょ」

 入口が強がるように笑った。

「船とか来るだろうし」

「その船が見当たらない」

 二階堂が言った。

「桟橋を見てきた。係留ゼロ。監視カメラは生きてる。出入口は電子錠」

「壊せば」

 長尾が口を挟んだ。

「海だぞ」

 真壁が遮る。

「ここは人工島だ。夜の海へ飛び込んでどうする」

 短い沈黙が落ちた。そのときだった。

 ラウンジ各所に置かれた端末が、ほとんど同時に低い電子音を鳴らした。

 全員が身をすくめる。

 客室から持ってきた者もいれば、ラウンジのテーブルに置かれていたものへ駆け寄る者もいた。画面には白地に黒い文字が浮かんでいる。

 真壁も最寄りの端末を手に取った。

 そこに表示されていたのは、短い文面だった。

 ――今夜、模倣犯の役を一名に割り当てます。

 ――割り当てを受けた者は指示に従ってください。

 ――従わない場合、本人を処刑対象とします。

 ――従った場合、対象者一名が死亡します。

 ――割り当て通知は本人にのみ送信されます。

 心臓が一拍遅れて鳴った。

「何だよこれ」

 岡本が言う。半分は笑い飛ばすための声色だったが、残り半分が笑えていない。

「悪趣味すぎるだろ。模倣犯?役?」

「犯人じゃなくて、犯人役」

 九条が画面を見たまま言った。

「そこが一番気持ち悪い」

「何が違うの」

 沢口が訊く。

「人格を要らないことにしてる。殺意があろうとなかろうと関係ない。お前は今夜この役だって札をつけて、責任だけ押しつける」

「でも選ぶのは本人でしょ」

 岡本が言う。

「やるかやらないか」

「断れば自分が死ぬって書いてある」

 二階堂が冷たく返した。

「しかも本人にしか通知しない。つまり、周りに見えないところで一人だけ追い込む」

 米本が青ざめた。

「じゃあ今この中に、もう……」

「来てるかもしれない」

 飯島が呟く。

「割り当てが」

「まず落ち着け」

 真壁は声を低くした。

「端末は全部ここへ持ってこい。一人で動くな。二人以上で行動しろ。勝手に部屋へ戻るな」

 全員が反対もできないまま頷いた。

 そのとき、九条が視線を上げた先で足を止めた。

「展示がある」

 ラウンジ奥の壁に、額装された新聞の切り抜きが並んでいた。古い未解決事件の見出しばかりだ。『プールサイドで発見された女性会社員』『海辺の保養所で起きた不可解な転落』『遺体演出の異常性』。年代も場所も違う。だが共通しているのは、事件の物理的な内容よりも、発見時にどう騒がれ、どう語られたかが強調されていることだった。

「模倣犯って言葉と繋がるな」

 二階堂が言う。

「手口の資料じゃない。見られ方の資料だ」

「たぶん」

 九条が近づきながら言う。

「ここが再演したいのは事件じゃない。事件が消費された形だ」

 その瞬間、遠くから、何かの落ちる鈍い音がした。

 全員が止まる。

「今のどこから」

 飯島が囁いた。

 真壁は耳を澄ませる。ラウンジ奥、屋内プールの方向だった。

「行くぞ」

 先頭に立って歩き出す。二階堂と九条が続き、他の面々も置いていかれることを恐れたように固まりでついてくる。

 屋内プールのガラス扉が無音で開く。湿度がわずかに上がる。塩素の匂いは薄い。水面は照明を鏡のように映し、誰も泳いでいないプールはただの巨大な展示物に見えた。

 その奥、非常口に近い一角で、何かが不自然な影を作っていた。

「あれ……」

 杉本の声が震えた。

 人が倒れていた。

 プールの縁へ半身を預けるように、うつ伏せとも仰向けともつかない角度で。片腕だけが水面へ垂れ、指先がわずかに水を揺らしている。床の白いタイルに、暗い染みが細く走っていた。けれど真に異様だったのは、その位置と姿勢だった。照明の反射まで計算したように、いちばん見映えのする角度へ整えられている。

 真壁は駆け寄り、しゃがみ込んだ。

 倒れていたのは、岡本だった。

 一瞬、意味がわからなかった。ついさっきまで背後にいたはずの男が、なぜここで死んでいるのか。

「嘘だろ」

 入口が叫ぶ。

「今まで一緒に……」

「下がれ」

 真壁は頸へ指を当てた。冷たい。反応はない。首元には細い索状痕がある。乱暴に絞めたのではない。細いものを強く食い込ませ、しかも位置まで意識している。

 九条が隣へ膝をついた。

「ここで死んでない」

「わかるのか」

「ここで絞めたなら、もっと暴れた跡が出る。水の乱れも足りない。搬送されて置かれてる」

 二階堂がプール脇の壁を見た。そこにはさきほどラウンジで見たのと似た切り抜きが掲示されていた。『水辺の遺体演出』という見出しだけが大きい。

「模倣か」

「完全じゃない」

 九条は即答した。

「元の資料は、発見時に顔がもっと水面側を向いてたはずだ。こっちは反対。似せてるけど、同じじゃない」

「わざと外してるのか」

「そこまではまだ」

 真壁は立ち上がり、全員を振り返った。

「人数を確認する」

 そこで全員が気づいた。

 十人しかいない。

 岡本が死んでいるなら、さっきまで一緒に来たはずの岡本は誰だったのか。誰も答えられない。混乱が遅れて波のように押し寄せる。

「いたよね」

 入口が頭を振る。

「後ろに」

「展示の前よ」

 飯島が震えながら言った。

「ひとつだけ少し離れて見てた」

「じゃあそのあと一人になったのか」

 二階堂の視線が鋭くなる。

「誰かに呼ばれたか、自分から動いたか」

 長尾が静かに言った。

「つまり、割り当て通知を受けた誰かが連れ出した可能性がある」

 その言い方に、真壁は嫌なものを感じた。まだ何もわかっていないのに、人はすぐに「やった側」を欲しがる。

「今決めるな」

 真壁は低く言った。

「決めてない!」

 米本がほとんど叫ぶ。

「でも、だって、一人死んでる!」

 その通りだった。

 一人死んでいる。

 そして今、この場にいる全員が、被害者であると同時に、今夜の加害者役へ押し込まれる可能性を持っている。

 九条は岡本のそばに落ちていた端末を拾った。画面は黒い。操作するとホーム画面は生きているが、通知履歴は不自然に空白だった。

「消えてる」

「共通文も?」

 二階堂が覗き込む。

「履歴ごと。上書きされたか、消されたか」

 ごく薄く、通知バナーの残像だけが端に残っている。個別通知の幅だと二階堂が言った時、ラウンジよりさらに冷たい空気がその場を通った。

 本当に誰か一人へ届いていた。

「全員ラウンジへ戻る」

 真壁は言った。

「今夜はもう、誰も一人になるな」

 岡本の死体へ布が掛けられたあとも、誰もまともに顔を上げられなかった。

 美しい場所だった。海も、照明も、プールも。だからこそ、そこに置かれた死体だけが、ひどく人の悪意に見えた。

 ラウンジへ戻ると、誰も壁際や出入口の近くを選びたがらず、自然と中央へ固まった。誰かが水を取りに行くことすら、気軽に口にできない。

 やがて館内放送が鳴る。

 女とも男ともつかない、加工された声だった。

『第一の模倣は終了しました』

『観察を継続してください』

『第二の割り当ては明夜行います』

 それだけで放送は切れた。

 単発ではない。

 今夜だけで終わりではない。

 明日もまた、誰か一人が犯人役を割り当てられる。

 その現実が、岡本の死よりゆっくりと、しかし深く、全員の胸へ沈んでいった。

 真壁はラウンジのガラスへ映る十一人を見た。いや、もう十人だ。誰もが同じように怯えている。なのに、その視線だけはもう同じ側を向いていなかった。

 この制度は、人を殺す前に、人の見方を変える。

 それがわかった最初の夜だった。


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