6. 入学はやはり日本式に春でした
そして、ついに――学院入学の日が来た。
胸の奥が妙にざわついている。
緊張……というより、どちらかと言えば期待に近い高揚感だった。
ついに物語が動き出す。
この学院こそが、ゲームでいう「本編スタート地点」。
ここから、主人公である俺の波乱万丈な学院生活が始まる……はず、だった。
校門をくぐる瞬間、俺は自然と身構えていた。
そう――ここで、あの男と出会う予定だった。
「ヴァルガス・デ・ルアント」
原作ゲームでの彼――ヴァルガス・デ・ルアントは、典型的な“悪役貴族”ポジションだった。
冷酷で傲慢、周囲を睨みひと睨みで黙らせる威圧感。
中性的な整った顔立ちを持ちながら、それを気にしている節があり、ことあるごとに“力”で自らを証明しようとする危うさも抱えていた。
初登場イベントでは、主人公である俺と真正面からぶつかり、チュートリアル戦闘でちょっと踏み台っぽい立ち回りで描かれる──はずだった。
……なのに。
「あれ? なんでフォーゼルが?」
校舎前の広場。
そこにはすでにいくつかの生徒の輪ができていて、ひときわ注目を集めているグループがあった。
その中心に立つ、整った顔立ちの少年。
──フォーゼル。
いや、違う。
その名では呼ばれていない。周囲が口にしていたのは、たしかに──
「ヴァルガス・デ・ルアント様」
見間違えるはずがない。
あの気品ある佇まい、礼儀正しさ、そしてどこか優しげな微笑。
あのとき、騎士団の訓練場で黙々と剣を振っていた“努力の化身”のような男──
まさに、あの“フォーゼル”だった。
そして今、俺の目の前にいるのは、“悪役”ではない。
周囲の生徒たちと自然に会話し、慕われ、信頼されている“主人公”のような男だった。
「さすがヴァルガス様、今のたとえ、まるで詩人のようです!」
「はは……いえ、昔読んだ詩集の一節をちょっとアレンジしただけですよ。気に入ってもらえたなら、嬉しいです」
品のある笑顔。
柔らかな口調。
誰に対しても分け隔てなく、驕らず、丁寧で、優しい。
……おいおい、俺の知ってるヴァルガスって、こんなんだったか?
その隣に立つのは、公爵家の令嬢――フィリア。
ゲームではヴァルガスを嫌悪し、距離を置いていたはずの彼女が、今は自然に寄り添い、彼の言葉に楽しげに笑っている。
その目。
その距離。
裏切って重要な情報をもたらすどころか、重要な情報を根こそぎ奪っていきそうな勢いだ。
……あれ、完全に「惚れてます」って顔じゃね?
「いやいやいやいや……どんなモテ方してんだよ、アイツ……」
銀色の髪が風に揺れて、ふと見せた笑顔に既視感を覚える。
――あれは。
柔らかな微笑み。
控えめな仕草。
少し照れたような頬の赤み。
……どう見ても、あのとき、俺に“恋の悩み”を打ち明けてきた訓練場の少女だ。
「ってことは……あのときの彼って、やっぱりヴァルガス……?」
フォーゼルとして黙々と努力し、誰よりも剣を振るい、誰にも見せずに背中で語る男。
そして、恋に鈍感で、不器用で、ただひたすら真っ直ぐな男。
あのときの“彼”と、いま目の前で談笑している“彼”が、ピタリと重なる。
……いや、もはや否定する理由がどこにもない。
ヴァルガスは、かつて俺がゲームの悪役として知っていた人物じゃない。
さらに周囲を見渡してみれば、彼を囲んでいるのは、いかにも優秀そうな連中ばかりだった。
どの顔も引き締まっていて、立ち振る舞いに無駄がない。
かつてゲームで腰巾着ポジションだった取り巻きたちは、今や完全に真の仲間の空気をまとっていた。
「ヴァルガス様、書類の整理は任せてください。午後の面談三件は、すでに時間と場所を調整済みです」
眼鏡をかけた細身の少年が、手際よくメモを確認しながら報告する。まるで若き秘書官だ。
「ありがとう、助かります。さすがだね。無理のない範囲で頼むよ」
「はい、もちろん。ヴァルガス様こそ、昼食はお済みですか?
今日のスケジュール、かなり詰まってますから」
「……そう言えばまだだったかな。ありがとう、助言も含めて感謝するよ」
どこまでも穏やかで、配慮を欠かさない態度。
それでいて、主張すべきところははっきり伝える。
完全にリーダーとしての信頼が築かれている会話だった。
さらにその横では、見た目こそやんちゃな三人組が、口々に喋りながらも妙に礼儀正しく振る舞っていた。
「兄貴、寮の新入り組にも声かけときましたぜ!」
「図書館の自習室も見回っときました! トラブルなしッス!」
「おっしゃ! これで警備もバッチリっスね!」
三人とも、どこか軽口まじりの口調なのに、ヴァルガスを見る目は真剣そのものだった。
表面的には舎弟感すらあるのに、根底には信頼と尊敬がしっかりと根を張っている。
「ありがとう。君たちが動いてくれると、本当に助かる。
それに、本来先輩なのに悪いね」
「いやあ〜照れるっス!」
「兄貴にそう言われると元気出るッス!」
「今夜は祝杯ッスかね!?
もちろん、兄貴のおごりで!」
「そこは自分たちで出すところじゃないかな?」
「っしゃー! 割り勘だなッス!」
そんな軽妙なやり取りにも、どこか家族のような暖かさがあった。
派閥でもなければ、命令関係でもない。
そこには、自然と信頼が集まってくるような“中心”が確かに存在していた。
そしてその中心にいるのが、他でもない──ヴァルガス・デ・ルアント。
俺が知っている悪役の姿は、もはやどこにも見当たらなかった。
完璧に……主役サイドの空気だった。
混乱と動揺で動けずにいた俺に、彼らの一人の男、ヴァルガスが視線を向けた。
「……あれ? 君、新入生だよね?」
気づけば、ヴァルガスがこちらへ歩み寄ってきていた。
その笑みは柔らかく、どこか気品があった。
「僕はヴァルガス。ヴァルガス・デ・ルアント。
入学っていうか学院には以前から出入りしているけど、学年的には同級生だから、堅苦しいのはなしで。よろしくね」
そう言って、手を差し出してきた。
「……名前、聞いても?」
「……レイ。レイ・アルグレアだ」
一拍遅れて答えた俺に、ヴァルガスはさらに微笑みを深くした。
「レイ、か。いい名前だ。
入学おめでとう。困ったことがあれば、いつでも頼って。
ここでは、貴族も庶民も関係ない。努力してる人間には、それだけの価値があると、僕は思うから」
さらりと、そんなセリフを言ってのける。
なんだこいつ、好感度お化けかよ……。
隣でそれを聞いていたフィリアも、にこっと笑って、
「ちっとも変わって無いのね……
よろしくね。頑張り屋さん」
……うん。
なんか、いやな予感しかしない。
これ、完全に「悪役が主人公になってるパターン」じゃないか?
フィリアがあの少女で間違いないなら、フォーゼル=ヴァルガスも確定。
彼が努力の人だったのも、本当のことだったんだ。
俺は入学初日にして、思わぬ現実にぶち当たっていた。
物語はすでに――
とっくの昔に、書き換わっていたのかもしれない。