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泣いていたら馬車が不自然な止まり方をした。アメリアがこれまで乗ったどの馬車よりも良い馬車だから、そういう止まり方なのかと思ったがあまりに止まり方が雑で急だ。
呼びかけても御者から返事がないので、そおっと扉を開けて外に出た。霧が濃いが、なだらかな山道だ。
「ひっ」
馬が泡を吹いて倒れている。御者は苦しそうに喉をかきむしりながら、投げ出されたようで離れたところで呻いていた。密室が苦手だと御者の隣に乗っていた娼館の関係者もピクリとも動かずに倒れ伏している。
山賊の襲撃ではない。これは一体、何? もしかしてここは幽霊でも出るの?
「ほぅ。この中で立っていられるのか」
この場にそぐわない、深い落ち着いた声がして慌てて振り返る。
さらにアメリアはギョッとした。鳥の頭の形をしたマスクをかぶった、おそらく男性が立っていた。服装がぴしっとしたジャケットにズボンとあまりに小ぎれいで山という立地と今の状況に一切似合わない。
「あ、あれ?」
急に手足に痺れが来た。アメリアは細かく震えながら膝をつく。
「ここまで吸っても、その程度か。君、名前は?」
「あ、アメリア」
「娼館に売られそうだったのか?」
「もう、売られました」
「そうか。今どんな感じだい? 体の状態は?」
「て、手足が動かなくて……立ってられなくて」
小ぎれいな服装と丁寧な問いかけ、そして何が起きているのか分からない恐怖で思わずアメリアは答えてしまう。
「実はこの一帯には毒ガスを撒いて実験している」
「は、毒?」
「商人も通る予定がなく、誰も近付かないはずだったんだが。君たちには悪いことをしたね」
「あ、なた、だれぇ?」
「呂律が回りにくくなってきたか。期待通りの効果だ。私はウィリアム・ライデッカー。しがない藪医者だよ」
医者が毒ガス? 何それ?
「なんで、お医者さ、んがぁ」
「まだ喋れるのか。即効性があるはずなのに。君はすごいな」
マスクさえなければ紳士という言葉が似合うであろう格好と穏やかな口調の彼は、懐から何かを取り出してアメリアの口元に押し付けた。
「飲みなさい」
「こ、えなに?」
「解毒剤だ」
アメリアは痺れる手で解毒剤を掴もうとする。この男は危険だと頭のどこかで激しい警戒音が鳴る。でも、何となく分かる。このままだとさっきの大人二人のようにアメリアも死ぬ。
痺れながらも解毒剤をつかんで口元に持っていこうとしてうまくいかないアメリアの様子に、また彼は感嘆した。
「素晴らしい」
何が? 声に出す暇もなく、彼は解毒剤を掴んで開けアメリアの口に流し込んだ。
「飲めるかな? 飲めなければ死ぬだけだが」
医者どころかこの人、殺人鬼では?
根性で飲み込んだところでアメリアの意識は途切れた。
目を覚ますと知らない部屋に寝かされていた。気だるさを感じながら起き上がると、ベッドのそばに人の気配がある。その人は本を読んでいたようだ。
「あぁ、生きていたか。目覚めないから心配していた」
そのセリフはあんまりじゃない? しかもあまり心配そうな声音ではない。
「あの毒ガスにあれほど耐える人間がいるとは。計算外だ」
やっぱり、殺人鬼かな。
男がアメリアに顔を近付けた。金と茶の混じったような髪に琥珀色の目。長めの前髪が左目を覆っているが、整った顔の男だった。三十代あるいは四十代だろうか。部屋には試験管や難しい本が並べてある。部屋だけは医者らしい雰囲気だ。
「面白くて連れ帰ってしまったが……しかも生きている。素晴らしいね。君はなぜ娼館に売られたのかな? 見たところ、下位貴族の令嬢のようだ」
珍獣扱いか。
華奢ではない、ゴツく厚い体つき。医者はみんなひょろっとしているんだと思っていた。
「そうですけど……あなたは? 本当に医者? 殺人鬼?」
「人を救うことができるということは、人を確実に殺すことができるということだよ」
医者だとしても絶対にまともな医者ではない。この人はきっと殺人鬼だ。
「……もし、あなたが殺人鬼なら……お願いがあるの」
視線をそらさずに手を握りこむアメリアに対して、男は面白そうに口角を上げた。
「喋れそうなら喋ってごらん。水を飲むかい? あぁ、大丈夫。これに毒は入ってない」
全く安心できないことをさらりと言いながら、男はコップを差し出した。喉が渇いていたので、臭いを嗅いでから飲み干す。
栽培禁止の植物が見つかったことで罰金を科せられ実家が没落しそうなこと、アメリアが娼館に売られるしかなかったことをポツポツと喋った。
「絶対、うちは嵌められたんです。隣のソーン伯爵家に」
「ソーン伯爵家……あぁ、コートニー・ソーンは王太子の婚約者の最有力候補というウワサだね。だって彼女以外の令嬢はほとんど婚約している。なるほど。だから隣の領である君のところに植物を移し替えて後ろ暗いことは何もないことにしたと」
「はい」
「証拠はないんだろう?」
「……ないです。どのみち発見数日前の大雨で全部流れてしまっています。調査隊も何も見つけられなかったんですから」
ふむ、と男は考え込んだ。仕草がいちいち上品な男だ。正直、父親の男爵よりもよほど気品にあふれている。貴族だと言われたら信じるだろう。
「でも、お隣の伯爵領はずっとおかしかったんです。特産品が大してあるわけではないのにずっと羽振りが良かったし……王都では豪遊していないから気付かれなかったかもしれないけど、領地であれだけ贅沢できるのはおかしいんです。だから、ソーン伯爵夫妻と伯爵令嬢を殺してくれませんか? お金は一生かかっても払います!」
顎に手を当てたまま、にこりと男は上品に微笑んだ。
「伯爵夫妻はそうでもないけど、娘はおそらく将来の王太子妃。かなり高額になるよ?」
「それでも、です」
「何でもできるのかな?」
「はい。だって私、娼館に売られる覚悟もしたんですから」
「じゃあ、君が殺しなさい」
男が表情を変えることなく何を口にしたのか分からず、アメリアは一瞬呆けた。
「え?」
「私が教えよう。とびきり美しい殺し方を。君が将来王太子妃となったあの女を殺しなさい。訓練すればちょうどいい頃合いだろう」
「えっと、あなたは本当に殺人鬼なの?」
「殺人鬼と一緒にされるとは心外だよ。私は殺し方に美学を持っているし、そこそこ名の通った暗殺者だよ」
上品な男は笑みをたたえたままだ。嘘をついているのかどうかさえ分からない。でも、この男は会った時に毒ガスを散布していたのだ。十分にあり得る。絶対医者じゃない。




