9.あなたの力になってみせるから。
館の中は薄暗く、ジメジメとした空気が充満している。天井から落ちた照明の残骸や、割れた窓ガラスが散乱した床は、王女用に誂えられた機能性よりも見栄えを重視した靴では歩きにくかった。「大丈夫?」と自然な動作で差し伸べられたリールの手を、有難く借りることにする。
誘拐犯との攻防は思いの外あっけない幕引きとなった。
館の中には想定していた通り、複数人誘拐犯の仲間がいた。けれど、建付けの悪いドアがはめ込まれた一室にいた男たちは、すでに誘拐が成功して気が緩んでいたのか、酒とカードゲームに興じていた。どう見ても油断しきっていた男たちは、リールに一瞬で無力化させられる。
リールはすごかった。武器も魔法さえも使わないのに、どんどん男たちが倒れていくのだ。私は、結局事が終わるまで扉の前でぼけっと見ているだけだった。
最後の一人を蹴り飛ばしたリールが、私を振り返る。少しの疲れもない様子でリールが笑った。
「なあに?」
「いや、あ、あなた、強いんですね……」
「惚れてくれた?」
「それはないです」
リールは、残念、と肩を竦めた。
リールを手伝って、失神した男たちを拘束する。拘束しながら男たちの顔をよく見てみるが、やはり見覚えはなかった。城の人間ではないようだ。
やっぱり、なんだかおかしい気がする。
男たちの顔を確認しながらふと思う。あまりにも迂闊すぎやしないだろうか、と。聖女候補を誘拐するというのは重罪だ。こんな城内で酒を飲んでいる暇があれば、城の外に脱出する手段を考えるものではないだろうか。何よりも、聖女候補誘拐を企む人間にしては、男たちはあまりにも凡庸だった。いや、決して弱いわけじゃない。リールがいなければ正直、ここまでスムーズに誘拐犯を無力化することはできなかっただろう。けれど、そう、例えばあの、館の前を監視していた男。いくら不意をつけたからといって私ごときに倒されるというのが、どうにも腑に落ちないのだ。あれで本当に、サクレという監視の厳しい場所から聖女候補一人を誘拐できるものなのだろうか。ゲームだったらそういう「ご都合主義」もありえただろうけれど、これは現実だ。私の考えすぎなのかもしれないけれど、現状に違和感がありすぎる気がした。
「アリシア?」
リールに名前を呼ばれたところでハッと我に返る。顔を上げると、リールの手元にはじゃらじゃらとした鍵の束があった。男の一人から奪ったというそれは、館内の部屋の鍵のようだった。私はふう、と軽く息を吐く。考えるのは後にしよう。今は助け出すのが先だった。
リールが男たちを失神させる前に吐かせた情報によると、彼女は洋館の地下にある、騎士の懲罰房に入れられているようだった。ちょうどこの部屋の近くに地下へ降りる階段があったはずだ、と私はリールを案内する。
けれど、部屋を出たところで、立ち止まったリールが再び「はい」と私に手を差し出してきた。え、と思わず差し出された手を見ると「危ないでしょう?」とリールは笑う。先ほど通ってきた床が酷い状態だったので、また手を貸してくれるようだった。確かに、この靴だと足元がおぼつかない。少し逡巡して、また有難く捕まらせてもらうことにする。リールはまるで舞踏会でダンスに誘うように、優雅な所作で私の手を取った。女性の扱いに慣れているな、という印象を持つ。普通に綺麗な顔立ちをしているし、身分も高いとくれば、女性たちは放っておかないだろうなあ。
「うん? どうしたの、そんなにジッと見つめてきて。やっぱり俺に惚れてくれたのかな」
「いえ、それはないんですけど、不思議な人だなと思って」
身分は高そうなのに、こういう荒ごとにとても慣れているような気がする。けれど所作は一流の貴族のように綺麗だ。ジッと見つめていると、リールも私をジッと見つめてきた。いつのまにか距離はつめられている。至近距離で私の顔を見るリールの茶色い瞳を見返していれば、リールはおかしそうに笑って私の鼻をぎゅ、とつまんだ。
「な、なんですか?」
「いや、面白い顔だなあ、と思って」
「あ、あなたが鼻をつまむからです」
「あはは」
「今のは笑うところじゃないです」
リールはよく笑う。胡散臭い雰囲気はどうにも拭えないけれど、私のちょっとした行動にもゲラゲラと笑うので、笑いのツボが浅いのかなと思った。
館の階段を下って地下に入ると、空気はさらに淀んだ。違反を犯した騎士を罰するためにあったらしい独房は石造りで、息が詰まるような圧迫感がある。この壁の作りには見覚えがあった。前世の記憶だ。オレンジ色の淡い街灯が等間隔で並んだ地下通路は、確かにあのイベントで登場した背景だった。間違いなく、ここに彼女はいる。
「アリシア?」
いくつかの扉を通って先へ進んだ先、堅牢な作りをした格子戸が立ち塞がる。鍵のかかったそこを持っていた鍵の一つで解錠したリールは、後ろで立ち止まったままの私を振り返った。
「……どうかした?」
動きをとめた私を、リールが不思議そうにのぞき込んでくる。
この先に、彼女がいる。そう思うと、さっきまで「彼女を助ける」という使命感に隠れていた罪悪感が顔を出してきた気がした。彼女に、酷いことをした自覚があった。彼女という一人の人間を見ないまま、彼女に私の都合を押し付けた。彼女はもう、私の顔など見たくないかもしれない。私は一度深呼吸をする。
それでも、彼女に合わせる顔がないとしても、今は助けることが優先だった。こちらの様子を伺うリールに、私は「なんでもない」と首を横に振った。
■
格子の扉を開ける。一番奥の独房だけ、微かな明かりが漏れていた。リールと目を合わせて、その独房に駆け寄る。黒く錆び付いた鉄格子の向こうに、彼女はぐったりと横たわっていた。息を呑む。格子越しに彼女に呼びかけると、ゆっくりとした動作で彼女は起き上がった。そして、私の姿を見つけて、微かに顔を硬らせる。
「……あ、なた」
「……っ待たせてごめんね! 助けにきたよ! 敵はもう全員倒したから!」
「俺がね」と後ろでリールの突込みが入ったけれど、気にする余裕はない。
ざっと確認した感じ、彼女は身なりこそ汚れていたが、怪我をした様子はなかった。そのことに一先ず安心する。今すぐそこから出すから、とリールに鍵束をもらったところで、座り込んでいた彼女が身じろぎをする。彼女は、私を見据えて言った。
「……いらないわ」
ゆっくりと、首が横に振られる。
酷く冷たい言い方だった。まるで、来なくてもよかったのに、と言いたげな彼女の言葉に、私は目を見開く。
「どうして、」
「助けてくれなくていい、と言ったの」
彼女は私のよく知る無表情のままだったが、いつになく感情が表に出ているように感じた。彼女はけだるげに、煤汚れた亜麻色の髪をかきあげる。
「帰って」
冷めた表情でそう告げられて、私は言葉を飲み込んだ。怒っている、とは少し違う気がした。悲しんでいるわけでも、不安がっているわけでもない。彼女はそう、まるで、絶望しているような。
「アリシア」
不意に静かに声がかけられた。突如かけられたリールの真面目な声に、私は鉄格子から手を離して振り返る。すぐ後ろにいたはずのリールは、気づくと入り口近くに立っていた。
「……リール?」
「屋敷に人が入ってきた気配がする。それも複数人」
私は息を呑んだ。
「まさか、誘拐犯の仲間がまだ?」
「んー……そこまではわからない。でも可能性はあるかもね」
緊張感のない様子で、リールは肩を竦める。リールは扉の外をちらりと見た後で、私の傍に戻った。
「俺が様子を見てくるから、君はここにいて」
「な、そんなの」
相手が何人いるかもわからないのに危険だ、と言いかけて、けれど彼の強さを思い出す。逆に私が一緒に行く方が足手まといになって迷惑をかけることは明白だった。閉口した私に、リールは甘やかな笑顔を浮かべる。状況に似つかわしくない、酷く嬉しそうな笑顔に私が訝しむと、リールは声色まで嬉しそうに言った。
「君に心配されるの、癖になりそう」
一瞬、この人は変態なんだろうか、という考えが頭をよぎった。
「リール、今は冗談を言ってる場合じゃ」
「冗談じゃなくて本当なんだけどな」
「リール!」
「あはは、怒らないで。まあでも、本当に今回は心配しないで、大丈夫だから。それよりも」
リールはそこで言葉を切る。ちらりと後ろの独房の目をやった。
「君は、ここで後ろの彼女をどうにかしなくちゃ。君の友達なんでしょ? 俺が戻ってくるまでに、任せるよ」
するり、と手の甲を私の頬の表面に滑らせて、彼は微笑んだ。
友達。ストンと、言葉が胸に落ちてくる感覚がある。そうだ、彼の言う通りだった。彼について行って足手纏いになるよりも、私にはここでまだやるべきことが残っていた。
こくりと一つ頷く。リールはそんな私に満足そうな顔をして、そのまま軽やかな足取りで部屋を出て行った。
■
彼女と二人きりになる。リールの後姿を見送ってから、私は彼女に向き直った。彼女は、座り込んだままうつむいている。
彼女は憔悴して、焦って、絶望していた。表情は変わらないけれど、普段の彼女をよく見ていたからわかる。けれど何がそこまで、彼女を追い詰めたのかわからなかった。胸がちくりと痛む。きっと、彼女ともっとちゃんと向き合っていれば、今、かけられる言葉の選択肢は増えていたはずだった。けれど今の私では、彼女にかけられる言葉の数はあまりにも少ない。自分を落ち着かせるように、胸に手を当てる。どくりどくりと心臓の音を掌で確かめて、私は口を開いた。
「……とにかく、話しはここから無事脱出してからにしましょう。今、そこを開けますから」
鍵を取り出して、鉄格子の鍵穴に差し込む。錆びていて少し硬かったが、鍵は問題なく回った。
「……無理よ」
彼女が、再び首を横に振る。やっぱり何か言葉をかけたくなったが、結局私は閉口した。この距離じゃ何も届かない気がしたからだ。
とにかく、今は彼女をここから出すことが先決だった。鍵のあいた鉄格子を引く。―—けれど。
「、どうして」
鉄格子の扉は空かなかった。鍵は外れている。けれど、押しても引いても扉はびくともしない。鉄格子のなかで、彼女がぽつりと言った。
「結界が張られてる」
私は目を見開いた。言われて、よくよく独房を観察する。目を凝らさなければ気づかないほどとても薄くだけれど、魔力があった。彼女を閉じ込めるように独房の扉にかけられたそれは、鍵閉めの魔法よりも高度な、結界と呼ばれる代物だった。捕まえた男たちの顔を思い出す。まさか、彼らの中に結界を張れるほどの魔術師がいたというのだろうか。
鉄格子の中の彼女に目をやる。けだるげの様子の彼女は、無表情に、けれど瞳に絶望をたたえて言った。
「あなたなら、開けられるのかしら」
鈴を転がすような彼女の声は、表情よりも雄弁に感情を伝えてきた。
「開けても、時間がかかるかしら。それとも、その魔力量では難しいのかしら。でも、別に、なんだってかまわないの。開こうが開くまいが、私はここから出ないのだから」
「なにを、」
「聖女試験は、もう始まるわ。間に合わない。失格になるなら、もう、どうでもいいの。いっそのことここでこのまま」
死んでしまいたい。
そう静かな声で囁いた彼女に、私はかーっと自分の頭に血が上るのを感じた。制御しきれない感情が胸の内を暴れまわる。ともすれば何を口走るかわからない口をどうにか閉じて、私は自分を落ち着かせるように目を閉じた。数秒だけ目を閉じた後、開く。
静かに項垂れる彼女が、暗くて寂しい遠いところで、一人ぼっちで蹲っているように見えた。記憶の中にある、図書室の彼女を思い出す。そうだ、あの時から彼女は一人だった。
私は手を鉄格子の扉にかざした。
「……とにかく、話しはここから無事脱出してからにしましょう。今、そこを開けますから」
「だから、無理だと」
「もう一度言います、今、そこを開けます」
やっぱり私には、彼女の何一つも理解してあげることができない。けれど、わからなくてもひとつだけ確かなことがある。彼女を遠いところで、一人寂しく絶望させていて、いいわけがない。そこから引き摺り出して、謝って、それでもう一度話を聞くのだ。
「今度こそ、必ず、あなたの力になってみせるから」
結界を解く方法は、私の知識の中だと二つある。術者に直接解いてもらうか、解術の魔法を使うしかない。
今は後者しか選択肢は選べない。私は自分の中の魔力量を確認した。解術の魔法は、知っている。きっと、使える。けれど、残りの魔力と、この結界の精度。できるかどうか五分五分だった。
けれど、やらないという選択肢はなかった。自然と気持ちは落ち着いていたし、出来る自信もあった。私は頭の中で魔力を編み始める。ここを開けて、邪魔な鉄格子を取り払わなければならない。鉄格子の中の彼女は一瞬眉をひそめたけれど、すぐにいつもの無表情に戻った。
「あなた、想像以上に魔力量が枯渇してるわ。やめたほうがいい」
彼女の言葉に答えず、私は魔法に集中する。複雑に編み込まれた結界の魔法を、丁寧に解いていく。
「……どうして、そこまで」
彼女の瞳が揺れる。私はそこでようやく口を開いた。
「あなたと、友達になりたいんです」
私は鍵ではなく、彼女を見据えながら、言葉を紡いだ。彼女は無表情のまま私の瞳を見返す。
「今度こそ、本当に。何の打算も、目的もなく、一人の人間として、あなたのことを知りたい」
ここはゲームじゃない。彼女はヒロインでもない。ただ目の前で一人で絶望しているこの子を、私が、私の意思で助け出したいのだ。
視界が点滅する。魔力切れの初期症状だった。ふらりと傾きそうになる体を何とか踏ん張って持ち堪える。私の様子に気付いた彼女が、ハッとしたように顔色を変えた。
「待って、やめなさい。あなた、本当に魔力が……」
「……エイミー・クレランド」
ずっと一緒にいたはずなのに、今、初めて目が合ったような気がした。エイミーの目が、焦ったようにゆがむ。ああ、彼女はこんな表情もできるんだな、とぼんやりした思考の片隅で思った。彼女はきっとすごく、優しい女の子なのだと思った。
結界に亀裂が入る。私は自分が器用でよかったと思った。意識が朦朧としていても、変わらず繊細な魔力コントロールができるなんて、今度キースに自慢しよう。私は笑った。
「もし、あなたがまだ、馬鹿な私を許してくれるのなら、もう一度最初から、やり直させてくれませんか」
そしてついに、結界が割れる。鍵が開いて、牢のドアがぎぃぃと甲高い音を立てて開いた。最後の力を振り絞って、私はエイミーとの距離を詰めた。いつかのあの時のように、私はもう一度、彼女に手を伸ばす。
「初めまして。私はアリシア・アマデウス・べネディクトゥス。この国の第一王女です。どうか、私とお友達になってください」
手を、取ってほしい。もう一度。今度こそ本当の友達として、あなたの力にならせてほしい。そう願いを込めて、手を差し伸べた。エイミーは目を見開いたままじっと、私の手のひらを見つめている。
「……あ、なたは」
そうして、ゆっくりと持ち上げられたエイミーの手を見たところで――私は突然急激な眠気に襲われた。ぐらりと視界が揺れる。船酔いしたときのような気持ち悪さだった。この感覚には覚えがあった。魔力切れだ。ギリギリ残るぐらいで調整していたつもりだったけれど、想像以上に結界の精度が高かったようだ。頭の中でキースが怒っている。「あなたが自分の魔力量がどれだけあって、何をどれだけ使えば魔力がなくなるのかいつまでたっても自覚しませんね」と。
アリシア、と名前を呼んだ声は、二つあったような気がする。倒れこんだ私を抱きしめたとき、確かにエイミーの手は私の手を取っていた。




