☆002 奴隷の少女。
「ほっほっほ。なかなか元気なお嬢さんだ」
闘技場に男の声が響く。闘技場の入場門が開かれ、金のスーツと帽子をかぶった細目で小太りの男が現れた。
背後には禍々しい悪魔型の黄金のゴレムが控えている。歪に伸びた双角と折りたたまれた蝙蝠のような翼、蛇腹のような尻尾の先には短剣が仕込まれていた。
「ひょっとしてあんたがここのオーナー?」
「いかにも。ゴルディー・ゴールドマンと申します。以後お見知り置きを」
慇懃に挨拶をする男の顔には笑顔が貼り付いていたが、その目は獲物を見つけた蛇のように光っていた。
「どうやらこのフロアに初めてお越しのようで、ここのルールを知らないようですな。闘技場では飛び入りは許可されていません。ですが、今回は不問にいたしましょう」
「へえ、太っ腹なのね」
「その代わり、私とゲームでひと勝負していただけますかな。私が買ったらそちらのゴレムを譲っていただきたい」
指輪が幾つもついた太い指で、ノルンの背後に立つ小さな黒騎士を指差す。先ほどの戦いを、見るものが見れば、ノワールが「レガシィ」で「能力持ち」であることがわかる。その価値を認めた上での誘いなのだろう。
「いいけど。私が勝ったら、そこの子をもらうわよ」
ゴールドマンの言葉に、ノルンはノワールの後ろにへたり込んでいる奴隷の少女を指差す。少女がぴくっとノルンの方を向く。
「その奴隷をですか? ゴレムとは釣り合わぬ価値も無い下級奴隷ですが。なんなら上級奴隷でもいいのですよ?」
「いらない。この子が気に入ったのよ。あと、勝負は一回きり。イカサマしたら負けだからね」
念を押すノルンに、肩を竦めてゴールドマンが笑う。
「いいでしょう。ではゲームはなにを?」
「そうね。なんでもいいわ。そっちが決めて」
「それではポーカーなどいかがでしょう?」
勝負は二人きり、賭けるものも決まっているため、変則ルールで行われる。
ディーラーがカードを切り、それぞれの目の前に、カードを交互に配った。
ノルンの後ろにはノワールとコレット、ハヤテが立ち、ゴールドマンの後ろには黄金の悪魔ゴレムと奴隷の少女が立っている。
さらにその周りを取り囲むように、観客たちがゲームの成り行きを興味深そうに見守っていた。
ゴールドマンが伏せられた五枚のカードをわずかにめくり、自分だけがわかるように手札を確認していく。そのうちの一枚をチェンジし、五枚のカードを場に伏せた。
ノルンの方も手札を確認し、二枚チェンジさせる。
「ではお願いします。オープン」
ディーラーの声に、まず手慣れた手付きでゴールドマンが手札を晒していく。
A、K、Q、J、10、全てスペードのロイヤルストレートフラッシュ。
周りを取り囲む客からおおっ、と声が上がった。これ以上の手はない。この時点でノルンの負けは決定だった。
正直、誰しもゴールドマンがイカサマをしたと思っていた。事実、ディーラーの仕込みで、このような役になることはあらかじめ決められていたのだ。
このカジノはゴールドマンの所有するものだ。その場所で勝負しても勝てるわけがない。
ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる客とゴールドマンの中で、コレットだけはじっと勝負の行方を窺っていた。
こういった展開になることを、この小さな少女が予測してないわけがない。必ず何か打開策を仕込んでいるはずだ。彼女が持つ、規格外のゴレムによって。
コレットが見守る中、ノルンが面白くなさそうにゆっくりとカードをめくる。手札はバラバラ。ノーペア。つまり役無し。
「ほっほっほ。これで決まりましたな。私の───」
「そうね。あんたの負けね」
少しも動じていない場違いなノルンの声に、ゴールドマンの動きが一瞬止まる。
「は? なにを言ってるんです? あなたはノーペア。私はロイヤルストレートフラッシュ。どうみても私の勝ちでしょうが」
「普通ならね。でも」
ノルンはゴールドマンの手元を指差して、ニヤリと笑う。
「あんたの袖から落ちたソレ。なんなのかしら?」
ゴールドマンが手元を見ると、スペードのAがロイヤルストレートフラッシュの手札の上に落ちていた。つまり卓上にはスペードのAが二枚あることになる。
「な!?」
「イカサマは負けって言ったわよね?」
ざわざわと客がざわめき始める。全員がゴールドマンはイカサマをして当たり前だと思っていた。ゆえに、この状況を「ゴールドマンがイカサマをミスした」と認識してしまう。
「こっ、これは何かの間違いです! 私はイカサマなどっ!」
「そんなこと言われてもね。ロイヤルストレートフラッシュなんて、滅多にお目にかかれない役を出された後で、そんなものを見せられたんじゃ、疑いたくなるのは当然だと思うけど」
「ぐっ……」
ゴールドマンが口を噤む。確かに状況的には自分がイカサマをしていたように見える。実際にしてはいたのだが、このカードはどこから落ちたのだろうかという疑問が浮かぶ。
しかし、そんなことはどうでもいい。直感に過ぎないが、ゴールドマンは確信していた。これは目の前の少女の仕業だと。
おそらく自分は嵌められたのだ。落ち着くために深く息を吐く。
「……繰り返しますが、自分はイカサマをしてはいません。しかしながら、ゲームに不備があったことは認めましょう。プレイヤーとしてではなく、このカジノのオーナーとして謝罪致します」
他の客の目もある。なんとか体裁を整えようとゴールドマンは言い訳がましい言葉を並べた。
それを聞きながらノルンが椅子にもたれて、面白そうに口を開く。
「ふうん。謝罪、ね。で、どう償ってくれるのかしら?」
「……賭けにしていたこちらの奴隷をお持ち帰り下さい。もともと賭けには釣り合わない物でしたが。それとも現金の方が?」
「……いえ。その子をもらうわ。私も闘技場でのことがあるし、これ以上はいらない。これで手打ちにしましょう」
気には食わないが、殺すつもりでいた奴隷一人でこの場が収まるなら安い物だ。
ゴールドマンが自分の指から奴隷の所有権を示す指輪を引き抜いた。これは支配者の指輪と呼ばれるもので、指のサイズも所有者に合わせて変化する優れものである。
「支配解除」
ゴールドマンの言葉に反応して、黄金の指輪が銀色に変化した。それを受け取ったノルンが自らの人差し指にするりと嵌める。すぐさま指輪のサイズが収縮し、ノルンの指にピッタリになると、色も金色に戻った。
この指輪は奴隷の首輪と連動しており、持ち主の意思によって、締めたり電撃を流したりできる。奴隷はこの指輪を持つ者を攻撃できず、また、指輪を持つ者にしか首輪を外すことはできない。
指輪の譲渡が為されると、菫色の髪をした奴隷の少女がノルンに引き渡された。
「エルフラウ、と申します。よろしくお願いいたします。ご主人様……」
「ノルンよ。こっちは私のゴレムでノワール」
後ろに控えていた黒騎士が軽く頭を下げる。それを見て、同じようにエルフラウがノワールに対し、頭を下げた。
そのエルフラウを見ていたノワールが、静かにノルンに近寄り、何か小さく囁く。眉をピクリと動かしたノルンを無視して、ゴールドマンが立ちあがった。
「では私はこれで。次に会う機会がありましたらもう一度勝負していただきたいものですな」
剣呑な光を滲ませて、ゴールドマンがノルンを睨む。
「あまり勝てない勝負はするもんじゃないわよ。カジノのオーナーなら尚更ね」
その言葉に歯噛みしたゴールドマンが、踵を返して立ち去ろうとする。その背中に、ノルンが言葉をかけた。
「その金ピカゴレム、再生女王の作品?」
「? いや。城塞都市のガルシア・ガンドレスに依頼して作らせた物ですが? ……どうやらゴレムを見る目はないようですな」
馬鹿にした笑みを浮かべ、ゴールドマンと黄金の悪魔型ゴレムが去っていく。
城塞都市のガルシア・ガンドレスもノルンの姉、エルカ博士には及ばないが、有名なゴレム技師である。
ノルンはあのゴレムを見た瞬間に、姉の作品ではないと確信していた。姉の趣味嗜好に合わないのだ。気分屋の姉は気に入らないゴレムには見向きもしない。ましてや、金や名誉などでは決して動かない。おそらくあれには関わってはいないと思われる。
それでも一応は尋ねてみたのだが、やはり反応はなかった。結局無駄骨だったわけだ。
「ノルンさん、さっきのって何したんです?」
コレットが小声で尋ねてくる。さっきの、とはゴールドマンの手札に落ちたカードのことだろう。
「あの卓でスペードのAが出たことなんていくらでもあったでしょう? その時間のカードを引っ張ってきただけのことよ」
そう。実際にはカードはゴールドマンの袖から落ちてなどいなかった。ノルンの手札にみんなが注目していた時に、別の次元からカードを引っ張ってきただけだ。
ノルンの誘導により、みんなスペードのAがゴールドマンの袖から落ちた、と思い込んでしまった。
ゴールドマンの手元、あのような場所に誰が細工をできるというのか。おまけにゴールドマンはロイヤルストレートフラッシュなどという、イカサマくさい最強の手で勝負にきた。怪しいと思わない方がどうかしている。
「相変わらずなんでもありな能力ですねえ……」
呆れたような声をコレットが漏らした。
確かに万能な力だが、またノルンの身体は巻き戻ってしまっているのだろう。今夜だけで何ヶ月分の代償を払ったのか。もう少し節約するべきだと、人ごとながらもコレットは思ってしまう。頭の中で、赤ん坊になったノルンをあやしている自分の姿を浮かべて、いやいやいや、と頭を振る。
「じゃあエルフラウ、だっけ? とにかくついてきて。色々と話があるから」
「はい。ノルン様」
カジノの出口へ向かうノルンの後に続き、ノワールと共についていく奴隷の少女。歳の頃は14、15と言ったところか。だいたいノルンやコレットと同じくらいだ。もっとも見た目では、歳の割にはコレットは身長が高く、逆にノルンは低すぎるため、三人が同年代に見られることはほぼ無いだろうと思われる。
ちらりとコレットが目をやると、エルフラウはその視線を主人である前方のノルンにではなく、横を歩くノワールの方へと向けていた。関心が無いように装いながらも、ちらっちらっと窺っているのがわかる。そのくせ、ノワールが少女の方へ視線を向けると、そそくさと少女は視線を逸らすのだ。
仕事柄観察力にはそれなりの自負があるコレットだが、この反応にはちょっと首を傾げてしまった。
少女の反応は、特殊な状態にある人間によくある行動だったのだが、どうしてもそれに結びつかない。気のせいか、ととりあえず結論を出し、自分もハヤテと共にノルンたちの後を追うことにした。