恋愛初心者。
ガサガサ、と草むらが揺れる。
魔の森の境界近くに身を潜めながら、俺は手元の遠見の魔導具を覗き込んでいた。
レンズの向こう、検問所に立つひとりの門兵の姿を捉える。
「いた! 今日も真面目に頑張ってて偉い!」
我ながら何をしてるんだと思うが、今日も俺は遠見の魔導具越しにスゥを見ていた。
お、動いた。
ちょうど昼時だからだろう。
他の門兵たちがスゥに二言三言、言葉を交わすと、そのままぞろぞろ持ち場を離れていく。
ひとりだけ残されたスゥが、何も言わずに背筋を伸ばしたまま立っていた。
「あいつら、またスゥに仕事を押し付けていきやがったな!」
レンズから目を離して憤慨する俺に、すぐ隣から勢いよく声が飛ぶ。
「坊っちゃま、今ですよ! 声を掛ける絶好のチャンスです!」
「そ、それは……まだ早くないか!?」
横で拳を握りしめて俺を励ましてくれているのは、俺より少し年下の少年、ハンス。
すると反対側から、今度は料理の乗ったトレイを抱えた少女が顔を出した。
「坊っちゃま、昼食の準備が整いました!」
「そ、そうだ! 先ずは腹ごしらえだな!」
同じく年下のこちらはハンナ。
最近、頻繁にひとりで最奥の邸宅と養成所を行き来する俺を心配して、養成所の所長が「せめて護衛を!」と必死に縋り付いてきた。
あまりにうるさいので、適当に選んだペアに名を与えて側に置くことにしたのが、この二人だ。
まあ、実際にはひとりで出掛けているわけでもないのだが……。
昼食が整ったテーブルの椅子へ腰掛けると、ハンナからすっと紅茶が差し出された。
湯気と一緒に、柔らかな香りが立ちのぼる。
「良い香りだ。お前たちも一緒に食べよう」
そう言って二人を促し、ついでに背後の何もない空間へも声を掛ける。
「……お前らもだぞー!」
開けた空間に、ぽつんと白いパネルが浮かび上がった。
【ありがたき幸せ】
ハンスとハンナは初めこそ心臓が止まるほどビックリしていたが、今ではもう見慣れたものだ。
この白いパネルが最初に浮かび上がった時、二人は襲撃だと完全に勘違いし、果敢に戦闘態勢を取りながら俺を守ろうとした。
……そして、一瞬でボロ雑巾のように負けた。
それでもボロボロの体で
「坊っちゃま、逃げてくだ、さい……!」と踏ん張った熱いガッツを認め、今や俺の信頼を得た大事な舎弟である。
しかし、あの時の秒殺劇。
あれは先輩たちからの洗礼ってやつだったんだろうか。
陰から見守る身内たちの規格外の強さを思い出し、なんとなくこっちが恥ずかしくなってしまう。
やれやれだ。
「先輩方を差し置いて……いえ! 死ぬ気で食べます!」
ハンスが決死の覚悟を滲ませながら、おずおずとテーブルにつこうとする。
「ただの昼飯で死ぬ覚悟をキメるな!!」
「坊っちゃま! ありがとうございます、本当にありがとうございます!」
ハンナにいたっては、九死に一生を得たような涙目での感謝ぶりだ。
これがここ数日の定番のやり取りになっている。
サンドイッチを口に運びながら、俺は今朝エミリアから渡された報告書へ目を落とした。
『お兄様。愛は数々の障害を乗り越えてこそ、美しく燃え上がるものですわ!』
ハンカチを目元に当てて劇的に語る妹から渡されたその紙束には、スゥの悲惨な生い立ちから最近の行動、趣味趣向、好き嫌い、得意不得意に至るまで、恐ろしいほどの密度で詳細に書き尽くされていた。
……いや、いくら何でも調べ上げすぎじゃねえか?
ただ、スリーサイズといった『乙女の秘密』に類する情報は、エミリアの配慮だか検閲だかで綺麗に削られていた。
スリーサイズ……いや、別に知らなくても困らない。
困らないけど。
……ドレスを贈る時とか、役に立つかもしれないだろ。
「……何がでしょう、坊っちゃま?」
しまった。
完全に声に出ていたらしい。
ハンスが不思議そうに首を傾げている。
するとハンナが、自分の首に掛けられた防犯用のネックレスへそっと手を伸ばした。
「エミリア様より、坊っちゃまがおかしな言動をされた場合はすぐこの魔導具を押すようにと言われておりますが……今ですか!? 今、押すべきですか!?」
「違う! 断じて今じゃない! 手を離せ!」
てか、押したらどうなるんだよ。
一瞬で空間転移でもしてくるのか。
「坊っちゃま。ここ数日、こちらに拠点を張ってスゥ様を観察してますが……そろそろ本当に声を掛けませんか?」
ハンスがサンドイッチを咀嚼しながら、もっともな提案をしてくる。
「ハンス! 坊っちゃまの恋愛計画に口出ししたら、消されちゃうよ!?」
「しないし! むしろお前たちが気兼ねなく意見してくれなきゃ、外すぞ!?」
俺の言葉に、ハンスが嬉しそうに二つ目のサンドイッチへ手を伸ばした。
ハンナは「坊っちゃま……!」と顔を両手で覆いながら、感動のあまり鼻をズビズビいわせている。
「……よりによって、なんで勇者の末裔なんだよ……」
テーブルに突っ伏して、深いため息を吐き出す。
そうなのだ。
俺の初恋の相手は、よりによって勇者の末裔。
このまま突っ走れば、悲恋物語も真っ青だ。
魔王の息子と、勇者の末裔。
恋愛初心者に最初から背負わせるには、重すぎる。
……勇気が足りない。
……圧倒的に、一歩を踏み出す勇気が足りないんだ。
「声を掛けた瞬間、王国の精鋭兵に捕まって大事になる未来しか考えられねえ……」
俺は頭を抱えた。
するとハンスが、実にあっさりと言ってくる。
「でしたら、諦めて違う方を探してはいかがですか?」
「ハンス! 運命の相手っていうのは、変えたくても抗えないものだって副所長が言ってたじゃない!」
ハンナがすかさず反論する。
副所長は、あの心配性な所長のペアだ。
確かにあの二人からは、何やら恋愛上級者みたいな大人びた雰囲気がバシバシ漂っている。
ここでうだうだ、モジモジしてたらダメだってことは、自分が一番よく分かっている。
ただ……。
「色々、重すぎるんだよなぁ……」
俺がぼそっと呟くと、ハンスとハンナは一瞬だけきょとんとした顔をして、それから同時にぱっと表情を明るくした。
「じゃあ、坊っちゃまが救えばいいんです!」
「そうです! スゥ様を、坊っちゃまが!」
救う。
その二文字が、妙に真っ直ぐ胸へ落ちてきた。
スゥを。
王国のあの不条理から。
あの、ひとりで立たされるばかりの場所から。
「――そうか。俺しか、スゥを救えないよな!!」
「そうですよ!」
「まさに闇夜に現れる黒馬の王子様です!」
俺はギュッと力強く拳を握りしめた。
ロミオとジュリエットが悲劇で終わったなら、そうなる前に、彼女を縛る憂いを全部ぶっ壊して、無くしてやればいいわけだ!
「俺! 頑張るよ!!」
立ち上がって宣言した、その瞬間。
視界の端に、スッと白いパネルが浮かび上がる。
【火の海にしてやりましょう(いつでもいけます)】
「ダメだからな!? 俺は平和主義だっていつも言ってるだろ!?」
殺気満々の影たちに全力でツッコミを入れる。
待っていてくれ、スゥ。
君に堂々とプロポーズするために、先ずは君を苦しめるものを俺が消す。
ぜんぶ、綺麗になくしてみせるから。




