第83話 陰の扇動者と閉ざされた鉱山の国
謁見の間の扉が、ゆっくりと開いた。
高い天井。
磨かれた白い石の柱。
赤い絨毯が玉座までまっすぐ延びている。
俺とリオナとエルナは、その上を歩いた。
足音がやけに響く気がするのは、場の空気が少し重いからだろう。
玉座には、国王陛下が座っていた。
一年前より少しやつれたように見えたが、目の奥の光は変わっていない。
「よく戻ったな、シゲル。リオナ、エルナも」
俺たちは跪いた。
「一年ぶりですね、陛下」
顔を上げると、国王は小さく息を吐いた。
「お前たちのおかげで、王国と帝国の戦は止んだ。あれから一年……平穏は、続いている。少なくとも、この国の中ではな」
最後の一言に、微妙な重さが混じった。
隣に立つ宰相が、一歩前に出る。
細い指が、広げられた地図の一点をとんとんと叩いた。
「陛下、よろしければ私から」
「うむ。頼む」
宰相は俺たちの方を向いた。
「西方山脈の向こう――ガルダ=インダスト王国は知っているな?」
「名前だけは。鉱物の国、ですよね」
リオナが答える。
俺も聞いたことはあった。
鉄や銀、魔導金属を山ほど掘って、王国と帝国に売っている国だ。
「そのガルダとの交易が、半年前から痩せ細り……二ヶ月前に、完全に止まった」
宰相の声が低くなる。
「最初は、鉱山事故か、輸送路の崩落かと思った。だが違った。ガルダ国内で、妙な噂が広がっている」
「噂、ですか」
エルナが不安そうに首をかしげる。
「“王国と帝国は手を組んだ。本当の狙いはガルダの鉱山だ。いずれ二国の連合軍がガルダに攻め込む”」
……聞いているだけで、頭が痛くなる内容の噂だった。
「そんなこと、あるわけないじゃないですか」
思わず口をついて出ると、国王が苦く笑った。
「もちろん、事実無根だ。帝国との戦は終わり、和平も結んだ。帝国も、あの侵略戦争で懲りている」
「じゃあ、その噂は――」
「作り話だ。しかも、意図的な」
宰相が、別の紙を俺たちの前に差し出した。
そこには、見覚えのある名前が書かれていた。
「元帝国三等参謀、グラナード。覚えているか?」
「……忘れたくても難しいですね」
偽勇者騒ぎの黒幕。
墨塗り全裸三兄弟たちを送り込んできた張本人。
あの一連の騒ぎを思い出すと、遠い目になりそうだ。
「帝国で処罰されかけたが、どさくさに紛れて逃亡。行方不明とされていたが……今はガルダに潜り込んでいるらしい」
宰相は淡々と続ける。
「彼は“陰謀論者”として人々の不安を煽り、取り巻きを増やしている。王国と帝国が手を組み、ガルダを飲み込む――という物語を、実にもっともらしく作り上げてな」
リオナが眉間にしわを寄せた。
「それで、ガルダは国境を閉ざした……?」
「そういうことだ。鉱物の輸出を止め、我らとの往来も制限している。こちらからの使者も門前払いだ」
国王はゆっくりと立ち上がった。
「ガルダは鉱物の国だ。工業は発展しているが、農地は少ない。食料は、これまで王国と帝国からの輸入に頼ってきた」
そこで、国王は言葉を切った。
「このまま交易が止まれば、ガルダは飢える。飢えた民は暴れ、指導者は敵を求める。次に標的になるのは、間違いなく王国か帝国だ」
エルナが唇を噛む。
「……飢饉が、起きてしまうのですね」
「何もしなければ、な」
国王は、真っすぐ俺たちを見た。
「シゲル。リオナ。エルナ。――お前たちの力を、もう一度借りたい」
◇
場所を移し、王の私室に通された。
さっきの謁見の間と違い、ここは本棚と机が並ぶ、落ち着いた部屋だった。
国王は外套を脱ぎ、椅子に腰を下ろすと、少しだけ疲れた顔を見せた。
「公式の場では、あまり弱音もこぼせんでな」
俺たちも向かいの長椅子に座る。
宰相が手を挙げると、執事が湯気の立つ茶を運んできた。
「……率直に言おう」
国王は、窓の外に視線を向けたまま言った。
「ガルダの“技術王”本人は、理性的な男だ。少なくとも、わしが若い頃に会ったときは、戦より鉱山と工房のことしか考えておらんような奴だった」
「じゃあ、今のこの騒ぎは……王様の意思じゃない?」
リオナが首をかしげる。
「そう見ている。問題は、民と工房ギルドだ」
宰相が言葉を継いだ。
「ガルダでは、鉱山と工房が“力”を持っている。グラナードのような扇動屋にとって、これほど扱いやすい土壌はない」
「“王国と帝国に資源を奪われるぞ”と言えば、信じてしまう……ということですね」
エルナの声は沈んでいた。
「だが、こちらから軍を動かせば、“やはり侵略の意思あり”と思われる。大使を大勢送っても同じだ。立派な使節団は、そのまま圧力の象徴になる」
国王は肩をすくめた。
「そこでだ。派手な旗を掲げぬ、小さな駒が欲しい。戦の英雄でありながら、どこか間の抜けた噂も多い、妙な勇者一行……」
「最後の一言いりました?」
「シゲル、お前たちのことだ」
国王は微笑んだ。
「お前たちは、王国の“公式な使者”としてではなく、“信頼できる個人”として動いてほしい。目的は三つ――ガルダの現状の確認。噂の源の把握。そして、可能であれば、暴走を止めることだ」
リオナが腕を組む。
「また厄介な仕事を持ってきますね」
「断るか?」
「……あたしたちが断ったら、誰が行くんです?」
リオナは小さく笑って肩をすくめた。
「飢饉なんて、本当に起きたら笑い事じゃない。戦場に立つより、そっちの方がよっぽどタチが悪いですよ」
エルナが、ぎゅっと膝の上で手を握りしめた。
「食べ物がないのは……祈っても、すぐには何ともなりませんから。戦が始まる前に、何とかできるなら……やってみたいです」
二人の言葉を聞きながら、俺は湯呑みを見つめた。
茶の表面に、窓からの光が揺れている。
戦は、もうこりごりだ。
帝国との一件で、それは嫌というほど味わった。
でも――。
「俺に……いや、俺たちにできる範囲なら、やります」
顔を上げると、国王が静かにうなずいた。
「礼を言う。正式な命令ではない。だが、王として、ひとりの男として、感謝する」
「行き先はガルダ、ですか」
「いきなり国境を叩いても閉じたままだろう。まずは西方山脈の手前、宿場町リュンドへ向かえ」
宰相が地図を指し示す。
「商人たちの情報が集まる場所だ。ガルダから辛うじて逃げてきた者もいる。まずはそこで状況を洗い出し、ガルダへの入り口を探るといい」
「「「了解しました」」」
俺とリオナが立ち上がる。
エルナも続いて立ち上がり、深く頭を下げた。
国王は、最後にぽつりと言った。
「……グラナードという男は、噂を武器にする。裸の勇者も、彼にとってはおもちゃの一つかもしれん」
「おもちゃにされるのは、もう十分ですね」
思わず苦笑いが漏れる。
「今度会ったら、ちゃんと責任を取ってもらいましょう」
◇
城を出る頃には、太陽は中天に差しかかっていた。
白い城壁の外、王都の街並みは一見いつも通り穏やかだ。
ただ、よく見ると違和感はいくらでも転がっていた。
鍛冶屋の前。
炉はまだ赤く燃えているのに、店主は腕を組んで空を見ている。
「どうしました?」
リオナが声をかけると、鍛冶屋は苦笑いを浮かべた。
「ルミナ鋼の在庫が底なんだよ。刃の芯に使う大事な金属だ。ガルダからの荷が止まってから、ずっとこんな調子さ」
店の奥には、柄だけ付いた半完成品の剣がずらりと並んでいた。
「王国の鉱山じゃ、代わりにならないんですか?」
「質が違う。できなくはないが、同じようにはいかん。武器だけじゃない。魔導具の枠も、細工も、ぜんぶ歪みが出る」
鍛冶屋は、煤だらけの手で頭をかいた。
「まあ文句言っても始まらん。うちは修理で食いつなぐさ」
通りを進むと、魔導工房の前でも似たような嘆きが聞こえた。
「この部品がないと、炉が組めないんだよ。ガルダ様のご機嫌が直るまで、うちは扇風機くらいしか作れないね」
商人街では、金属製の道具の値札がじわじわと書き換えられている。
子どもたちが、木の枝でチャンバラをしていた。
「鉄の剣は、高級品になりつつあるな」
思わずこぼすと、リオナが肩をすくめた。
「そうね。武器だけならまだいいけど、鍋や釘まで高くなったら洒落にならないわ」
「物が高くなれば、暮らしが苦しくなって、不満が溜まる……」
エルナの声が細くなる。
「不満が溜まった人たちに、“外の敵”を教える人がいると……」
「戦が始まる、ってことだな」
そこまで言って、俺は一度口を閉じた。
言葉にすると、本当にそうなってしまいそうで。
代わりに、空を見上げる。
王都の空は青く澄んでいる。戦の前触れなんて、どこにも見えない。
でも、あのときもそうだった。
帝国との戦が始まるずっと前、街は笑っていた。
◇
夕方前、三人で荷物をまとめた。
王都の一角に借りた簡素な部屋。
旅暮らしにはもう慣れている。
「西の宿場町リュンド、ね」
リオナが腰の剣を確かめながら言う。
「山の手前の補給拠点。商人の話なら、たくさん聞けるでしょうね」
「ガルダに直接入るよりは、まだ安全だろうな」
俺は背負い袋の紐を締めた。
「でも、噂を流しているグラナードがいるなら、どこかでまた妙な騒ぎが起きてるかもしれない」
「……また墨塗りの全裸とか、やめてほしいです」
エルナが本気でいやそうな顔をしたので、思わず笑ってしまった。
「さすがにあいつも、四度目はないと信じたいけど」
「シゲルが裸で世界を救った、って噂も広がってますしね」
リオナが肩をすくめる。
「ガルダの人たちからしたら、“裸の勇者と手を組んだ国”なんて、余計に怪しく見えるでしょうね」
「……否定できないのが辛いところだな」
笑いながらも、胸の奥は少し重かった。
「でも、行きましょう」
エルナがまっすぐこちらを見る。
「戦が始まってからでは、遅いです。話せば伝わる人たちが、きっとまだたくさんいますから」
「そうね。あたしたちの仕事は、できれば剣を抜かずに済ませること」
リオナがニヤリと笑った。
「で、どうしてもってときだけ、シゲルが脱ぐ」
「最後の一言が余計じゃね?」
思わず突っ込むと、二人とも少しだけ笑った。
その笑いが、妙に頼もしく感じる。
「よし。じゃあ明日の朝一番で発つ」
窓の外では、王都の灯りが一つずつ灯り始めていた。
戦の匂いは、まだ遠い。
けれど、世界のどこかで歯車がきしみ始めている。
ガルダ=インダスト王国。
鉄と歯車の国の、その噂の中心には――あのグラナードがいる。
「……今度こそ、ちゃんと落とし前つけてもらうからな」
誰にともなく呟いて、俺は荷物の紐をもう一度締め直した。
明日からまた、新しい旅が始まる。




