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第22話 春の風と、財布の軽さ

 ボロ家の屋根裏に春がやってきた。

 窓の外では小鳥が鳴き、通りを行く商人たちの声が響く。

 なのに俺の心は軽くない。むしろ財布と一緒にずっしりと沈んでいる。


「……残金、銀貨二枚か」


 手のひらの上で転がる銀貨が、まるで俺をあざ笑っているようだ。

 依頼達成の報酬も、屋根裏部屋の家賃と食費で消えた。

 いまや朝食はパンの耳と薄いスープだけ。

 贅沢を言わなければ、生きてはいける。

 だが、生きてるだけだ。


『働け、働け。働かざる者、食うべからずじゃぞ』


 頭の中に、ジジイの声が響く。

 神だ。俺を異世界に連れてきた張本人であり、人生の混乱の元凶。


「お前が原因だろうが……!」


『それでも現状維持できておるのは、ワシのおかげじゃぞ?』


「……あー、はいはい、ありがとさん」


 俺は枕に顔を埋めてため息をついた。

 異世界の春は、財布に厳しい季節らしい。


 ボロ家の屋根裏を出ると、通りには花屋の店先が並び、色とりどりの花が風に揺れていた。

 近くの白風亭の看板からは、パンとスープの匂いが流れてくる。

 その香りだけで腹が鳴った。


「これはもう、働かないと死ぬな……」


 呟きながら、ギルドへ向かう。

 春の風が気持ちいい。

 だが、財布の軽さが心地よさを上書きしてくる。



 ギルドの扉を開けると、ちょうどリオナが受付前にいた。

 腰の剣と金髪が陽にきらめいている。


「やぁ、貧乏魔法使いさん。元気そうね?」


「その呼び方やめろ。ていうか、魔法使いじゃなくて今は無職だ」


「じゃあ“裸になると働ける無職”?」


「その呼び方もっとやめろ!!」


 ギルド内にクスクス笑いが広がった。

 俺は耳まで熱くなり、掲示板の前に逃げる。


 依頼票がずらりと並ぶ掲示板。


 「森の薬草採取」「街道の掃除」「荷馬車護衛」「風車の修理手伝い」……。


 どれも地味で平和そうだ。戦闘系でなければ服を脱ぐ必要もない。


「この“風車修理手伝い”ってやつ、良さそうだな。日当制か」


「いいじゃない。筋トレにもなるし。どうせ暇でしょ?」


「リオナ、それ慰めてる?」


「褒めてるのよ?」


 どうやら暇らしい。リオナも同行することになった。



 郊外の丘の上に、古い風車があった。

 木造で巨大な羽が四枚。

 春風を受けてゆっくり回っている。

 依頼主の老人が出迎えてくれた。


「いやぁ、来てくれて助かる。最近どうも風の流れが悪くてな」


「風の流れ?」


「妙な逆風が吹くんじゃ。おかげで羽が止まってしまう」


 老人の言葉に、リオナが眉をひそめた。

 “逆風”――嫌な単語だ。

 以前、風の噂で聞いた記憶がある。


 俺は軽く息をつき、気を引き締める。

 魔法は使えない。

 だからこそ、こういう作業では慎重にいくしかない。



 俺とリオナは、風車の羽を押さえたり、軸を油で滑らかにしたりと、地味な作業を続けた。

 リオナが手際よく工具を扱い、俺が部品を渡す。

 ――人間、金がかかると真面目になるものだ。


「ねぇシゲル、あんた思ったより働き者ね」


「金のためならなんでもする。服着たまま働ける仕事は貴重だからな」


「……ほんと、あなたの価値観いろんな意味でズレてるわね」


 作業も終盤、風が急に強まった。

 木枠がギシギシと悲鳴をあげる。


「ちょっ、抑えて!」


「わかってる!」


 俺は羽根を押さえ、リオナはロープで固定する。

 だが、突風が吹き抜けた瞬間、羽根がぐるんと回り、バランスが崩れた。

 俺の足元がズルッと滑る。


「わっ!?」


 リオナが腕を掴んだ。

 強い。細腕とは思えない握力で、俺を引き戻す。


「何してんのよ! 落ちたらただじゃ済まないわよ!」


「す、すまん……! 風が――」


 その瞬間、風車の羽が“逆方向”に動いた。

 老人が叫ぶ。


「おおい! また逆風じゃ!」


 確かに、風の流れが変だ。

 山から吹いていた風が、いまは街の方から吹きつけている。


 ……魔力風、か?

 胸の奥に、冷たい予感が走った。


 だが、次の瞬間、リオナが羽根の軸にロープを巻きつけ、

 全身でブレーキをかけた。


「いけっ、止まれぇぇぇっ!」


 軸が軋む音が響き、羽がぴたりと止まった。

 風も、まるで息をひそめるように静まった。



 作業が終わり、老人が何度も頭を下げた。

「ありがとう、本当に助かったよ」


 報酬として、銀貨十枚が手渡された。


「やったな、ひさしぶりの収入だ」


「ひさしぶりて……どんな生活してんのよ」


 俺は空を見上げた。

 春の風が心地よく吹き抜ける。

 ――だが、その風の奥に、微かに謎の気配を感じた気がした。


 ……気のせい、だよな。



 ギルドに戻る途中、リオナが言った。

「それにしても、あんた働く姿、普通に真面目だったわね」


「そりゃそうだ。服着てるうちは“普通の人”だ」


「逆に脱いだら何になるの?」


「……聞くな」


 リオナが肩をすくめ、俺は苦笑いを浮かべる。

 日が沈み、街の屋根がオレンジ色に染まった。


『おお、珍しく真面目に働いたのう。神も鼻が高いわ』


「黙れ。(ジジイ)の鼻なんて、どうせ鼻毛だらけだろ」


『うむ、否定はせん』


 俺はため息をつきながら笑った。

 ――今日も異世界は、ちょっとだけ平和だ。

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