表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪郎の幸福論  作者: ま行


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
71/76

会話 前編

 進は気が付くと夢の中にいた。そこが夢の中であると一瞬で理解できた理由は、何度か悪郎と一緒に同じ体験をしたことがあるからであった。


 しかし周りの風景が以前とはまるで違っていた。悪夢を見ていた時の暗闇や教室、小坂拓巳が変容した何と似ても似つかぬ怪物などは存在せず、その気配すら感じることのない真っ白な空間が広がっていた。


 どこを見渡してもつなぎ目一つない白一色の空間は、自分は確かに立っているはずなのに、その自信を失わせてしまうほど感覚が狂わされるものだった。果たして自分は立っているのか浮いているのか、それすら定まらない。


 そのただただ白いだけ世界に一人ぽつんと存在する進は、底知れぬ恐怖心を抱くと共に、何となくこの空間が自分の夢の中ではないのではないかと思った。そう考えると当然の帰結として導き出される答えを進は口にした。


「ここが、悪郎の夢の中?」


 そう進がつぶやくと、どこからともなく拍手の音が聞こえてきた。きょろきょろと辺りを見回したのちもう一度視線を戻すと、目の前に突然悪郎の姿が現れた。


「うわあっ!お、驚かすなよ!」

「ははっ悪い悪い。さ、立てるか?」


 驚いて尻もちをついた進に悪郎は手を差し伸べた。その手につかまって立ち上がった進はもう一度悪郎に文句を言う。


「まったく、何もかも突然だな本当に。絶対驚かせずに出てこられただろお前」

「そりゃそうだよ。今のはただ進の反応が見たかっただけだ」

「はあ…、もう分かってたけどさあ…。で?」

「で?とは?」

「とぼけるなよ。わざわざ誰も干渉してこない夢の世界に僕を呼び出したんだ、お前の様子がおかしかった理由を聞かせてくれるんだろう?」


 進がそう聞くと悪郎は嬉しそうにくくっと笑った。笑いごとではないと進はむすっと顔をしかめたが、悪郎はそれでも嬉しそうにしていた。


「それじゃあ話をしよう進。そして覚悟しておいてくれ、これがあくろうとお前にとって最後の会話になるからな」


 悪郎が指を弾く、すると真っ白な空間に何の変哲もない普通の椅子と机が現れた。先に腰掛けた悪郎が手で進の着席を促す。最後の会話という宣言に戸惑う進であったが、座るまで話す気はなさそうだと分かると大人しく従って対面に座った。




「覚えているか進?俺とお前が出会った時のことを」

「何だその質問は、忘れるわけがないだろうが。あの日から何もかもが変わったんだ、本当に何もかもが…」


 悪郎を召喚して進の未来を決定づけた日、その時のできごとを忘れることなどできなかった。


「お前の召喚に応じた時、俺は本当にまったくもってやる気がなかった。進に抱いた感想も、面倒かつ無意味なことに呼び出しやがってクソガキがと、大変ネガティブなものだったよ。俺にとって価値も面白みもなければ、やるだけ無駄な取引だった。魔界のことは好きではないが、あの時だけはとっとと進の魂を奪って早く帰りたかったな」

「え?いや、確かに以前悪郎から似たような話は聞かされたけど、そこまでだったの?」

「実はそこまで苛立ってたんだよ。ま、気づかれないようにはしたし、俺はずっと仕事が上手くいってなかったからその反動もあったんじゃあないかな。こうして正直に話したんだし頼むから大目に見てくれよ」


 今更その話を蒸し返す気もない進はこくりと頷いた。そんなに嫌われていたのかと思うとショックだったが、それも仕方ないかと思えるほど自分でも当時の何もかもが酷いものであったという自覚はしていた。


「ただお前がこちらのやり方をすべて受け入れることを承諾した時は、流石にちょろすぎて心配になったよ。取り決めも何もなしって正気かこいつって思ったな」

「し、仕方ないだろ。あの時はそんなこと考えてる余裕なんてなかったんだよ」

「そうだろうな。俺もそのつもりで話を持ち掛けたし」

「今思い返しても散々な目に遭ったよ。一日の厳しいスケジュール管理に、健康体を取り戻すためのトレーニング、生活リズムを整えるために早寝早起きが徹底されて、家族との円滑なコミュニケーションを取り戻すように促されて、礼節から身だしなみ、勉強までみっちりと教えこまれた。そう思うと学校の方がよっぽど手ぬるいね」


 進は遠い目をしながらそう言った。悪郎によって徹底的に管理された生活は厳しく険しいものだった。もう一度やれと言われて同じことができるとは思えなかった。


 しかしそれらの習慣の一部を、進は今なお実行し続けていた。悪郎が一緒にやるからというのも理由の一つではあるのだが、当時の自分を変えてくれたものであり、そのことに感謝していたから続けることを決めた。


 感謝の気持ちを忘れないためにも習慣として残し続ける。それは自分を律して戒めるためにも必要なことだと進は考えた。辛くとも価値ある日々であったと振り返る余裕が今の進にはあった。


「お前は不出来ながらも、俺の指示することに必死に食らいついてきた。何をやらせても優秀とは言えなかったが、根性はあった。そしてできないなりにどうすればいいか考えることのできるやる気があった。俺はそんなお前に対して色々と教え育てている内にある感情が芽生えた」

「それは?」

「達成感だよ。いくつ魂を堕落させても得られなかったやりがいを感じていた。もっとはっきりと言おう、俺はいつの間にか進と過ごす日々が楽しくなっていた。悪郎という名で呼ばれ、時に笑い合い、共に悩み、一緒にいるからこそ得られる幸せな感情が俺の中に少しずつしみ込んでいったんだ」

「悪郎…。それは僕の方こそだよ。僕も悪郎がいなければ耐えられなかったことがたくさんあった。お前が背中を押してくれたからこそ、僕は前に進むことができたんだ。今の僕は悪郎なくしてあり得ないよ」


 二人は互いに感謝の気持ちを打ち明けた。進が途中ですべてを諦めてやる気をなくしていたのなら今の悪郎はなく、逆に厳しくとも励ましの言葉をかけ、一緒に悩み考えてくれる悪郎がいなかったら今の進はいなかった。


 悪魔と人間、二人は何もかもが大きく違っていた。しかし悪郎の気まぐれな思い付きが思いがけず進の本質を見出し、鳴りを潜めていたひたむきな純真さが悪郎に初めての感情を与えた。


 互いに足りないものを少しずつ分け合いながら、二人は大きく成長を遂げた。出会ったばかりのころ、こんな結果が待っていることは想像もしていなかった。偶然の出会いと些細な積み重ねが二人の関係を切っても切れないものに変えた。それはまさしく、運命の出会いと呼ぶにふさわしいものだった。


「…これを口にするのは恥ずかしいんだが、ええと、うん、まあ、実は言わないより言った方がいいと教わったんだ。だからその…。ありがとう進、お前には本当に心から感謝している。お前の魂を育んでいたつもりだったが、それがいつしか俺にとっての幸福へと変わっていた。お前のおかげで俺は本当にやりたかったことができた。何度でも言いたい、ありがとうと」


 悪郎はその言葉を言い終えると、進からの返事を待つ前にすかさずあるものを取り出して進の目の前に差し出した。それは悪郎と交わした契約書であった。


「さてここからは悪魔としてお前と話す。この契約書の絶対的な決定権は俺にある。今からお前は、俺の定めた通りにしなければならない。いいな、別れを惜しむ時間は与えない。覚悟しておけ」


 進は悪郎の態度が鬼気迫るものに変わったことを感じ背筋が凍り付いた。別れを惜しむ時間を与えないという宣言、その言葉は自分の死を予感させるものでもあった。


 悪郎の気まぐれで結ばれた契約は、次に悪郎の心変わりで期間が延長された。先の言葉通り、進は悪郎のやり方をすべて受け入れなければならなかった。今ここで死んで魂を渡せと要求されても、それを拒むことはできない。


 急にどうして、何故、そんな答えのない不安が進の頭の中を駆け巡った。悪郎が一体何を考えているのか分からない、進は固唾をのんで悪郎の次の行動を見守った。


 真っ白な空間にビリビリと紙が破ける音が響いた。進は驚いてぽかんと口を開いている。悪郎は契約書を跡形もないよう丁寧に細かく破ると、それを空中に勢いよく投げ捨てた。ひらひらと雪のように舞う紙片の向こうで、悪郎が不敵な笑みを浮かべているのが見えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ