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悪郎の幸福論  作者: ま行


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新生活

 契約延長の合意が成され、人間態となった悪郎との生活が始まった進。対価を払う日がいつかくると知りながらも、残された日々をどう生きるべきかと考えを切り替えていた。


 もっと葛藤したり、拒絶したり、怯え足掻き暴れてもいいものだと進自身思っていたが、不思議とそんな気になれずにいた。死というものに実感がなく、一度は諦めていたことで感覚が鈍化しているのかも知れないと進はそう思っていた。


 兎にも角にもその日がくるまでは精一杯生きる。悪郎と契約した進が出した今の答えであった。


 それよりも現在は目先のことを進は心配していた。悪郎が転入生としてやってくる、悪郎が教室に入ってきた時の反応がどういったものになるのか、進には何となく予想がついていた。




 杉山に連れられて一緒に廊下を歩く悪郎、いつもは進の後ろで透明化して飛んでいたので、廊下を踏みしめる感触に新鮮味を感じ心地がよかった。


「佐久間…、あーこれじゃあ呼び方が被るな。ええと、悪郎と名前呼びでもいいかな?」

「勿論です先生」

「では遠慮なく。悪郎、一通り案内は受けたと思うが新しい土地に新しい校舎だ、何かと不便に思うこともあるだろう。何か困ったことがあったら遠慮なく先生に言いなさい」

「ありがとうございます先生。だけど進も居るので大丈夫だと思います」

「そうだったな。君は佐久間…ええとややこしくなるな。進の親戚だと聞いているよ。仲はいいのか?」

「付き合いは短いものですがそれなりに」


 あながち嘘も言っていないなと悪郎は思った。人間として生活するために様々な手段を講じて自分の存在をねじ込んだが、進との関係性については特に弄る必要も設定を作る必要もなかった。


「じゃあ進がいじめに遭っていたことも聞いているかい?」

「ええ。深くは聞きませんでしたけど知っています。進の口からそれを語らせるのは酷ですから」


 聞くまでもなく見たからなと悪郎は心の中で呟いた。一部始終見てきたし、どう決着したのかも立ち会っている。それどころか自分が解決の仕掛け人である。悪郎は我ながらよくここまでしらっと惚けられるものだと感心した。


「こう願うのはおかしな話だとは思うが、なるべく進の側にいてやってくれないか?いじめに関わったものは反省して謝罪もして事態の解決にこぎつけたが、進に対する皆の態度は硬化したままだ。味方が一人でも多く居てくれると心強い」


 確かにいじめに関わっていたものは、拓巳を除いて全員改心して謝罪をした。しかし謝罪したからといってすぐに関わり方を変えるのは難しい、せいぜい数年の付き合いで人となりのすべてを知ることはできない。


 進が何を不快に思い、どんなことに傷つくのかをクラスメイトは知り得ない。不登校の期間があったので交流不足が祟り、なおさらその傾向は強かった。どう接するべきか測りかねているのが現状であった。


「心配いりませんよ、元々そのつもりでした。ここで俺の知り合いは進しかいませんから、基本的に彼にくっついていようと思っています」

「そうか、確かにそうだな。だけど皆と仲良くなるのも大切なことだぞ、一時的にとは言え時間と空間を共にするんだ、自分の世界を広げるためにも積極的に話しかけてみるといい」

「はい先生」


 一度夢の中で大方覗いてしまっているとは言えなかった。杉山の人の良さを感じられるだけに、悪魔でありながらも罪悪感を感じざるを得なかった。




 悪郎が背を向け黒板に名前を書いている間、クラスメイトたちはざわざわと色めきだっていた。女子生徒たちは互いに声をかけあい時に小さく悲鳴を上げ、男子生徒たちは眉間にシワを寄せぐぬぬと様子を伺っていた。


「先生からも紹介されましたが、改めまして佐久間悪郎です。両親が急に海外へ出張することになり、親戚である進の家でお世話になっています。新参者ですが、仲良くしてください」


 きらりと眩しい笑顔を浮かべると、女子たちはため息をもらした。顔良し、スタイル良し、清潔感もあり笑顔も自然。その立ちふるまいに魅了されない人の方が少数であった。


 男子はというと、突如現れた見た目完璧超人に、もはや嫉妬心すらわかなかった。丁寧な挨拶からは知的さも感じられて、とても敵う相手ではないと思い知らされる。


 進はその様子を見て、最初から飛ばしてるなと思っていた。女子勢がこうなることは母と姉で予習済みで、男子勢が敗北感を覚えるのはそもそも年齢や種族すべてが異なるからである。


 見せつけるかのような爽やかな態度は、悪郎なりの先制攻撃や威嚇の類だろうと進は分かっていた。初対面の段階で徹底的に格の違いを分からせることで、どちらが上の立場であるのかを示している。


「悪魔が中学生相手にマウント取ってる…」


 呆れる進であったが、悪郎の方は得意げであった。表立ってそんな様子を見せることはないが、進には何となくそれが分かった。


 悪郎は進の後ろの席についた。通り過ぎる時に女子の目が悪郎についていく、それを見て男子がまた悔しそうな顔をした。


「学校でもよろしくな進」

「…ご丁寧にどうも」


 苦笑いを浮かべる進に対して悪郎はニコニコと爽やかな笑顔を浮かべていた。




 休み時間になると悪郎の元へ人がわらわらと集まってきた。席に集まるには人が多すぎて邪魔になり、教室の後ろへと移動して囲まれている。


 負けずその輪に必死に混ざろうとした男子は女子に追い出され、教室の片隅で一塊になり女子集団に冷ややかな目を向けていた。


 質問攻めにあう悪郎の受け答えを背越しに聞いている進は、悪郎が何かを答える度にキャーキャーと黄色い声が上がることがちょっとうらやましくなった。進の思考回路も他の男子とそう変わらない。


「佐久間くん」

「うぇっ!?」

「うぇ?」


 突然声をかけられたことに驚いた進は変な声を上げた。目の前にいた紗奈が小首を傾げて聞き返す。


「びっくりした。如月か…」

「はい如月ですよ」


 びしっと敬礼しておどけてみせる紗奈に進は聞いた。


「如月はあれに混ざらなくていいの?」

「あれ?」


 進が指さした先の女子の集団を見て、紗奈はぶんぶんと目の前で手を振った。


「挨拶したいとは思うけどあれじゃ無理でしょ」

「まあねえ…」

「それよりさ、佐久間くんが二人になっちゃったでしょ?あそこにいる佐久間くんについてはまだよく知らないから、こちらの佐久間くんの呼び方を変えていい?」

「あ、そっか。まあなんでもいいよ」

「じゃあこれからは進くんって呼ぶね。よろしくっ!」


 もう一度びしっと敬礼をする紗奈、進はそれを見て平常心を保つことに必死だった。机の下で自分の腿をつねって気を紛らわす。


 悪郎が規格外の美男子であれば、紗奈は対を成す規格外の美少女である。それが小坂拓巳の所有欲を刺激した要因であったし、嫉妬心に火を付ける原因にもなった。


 絹糸のようなつややかな長髪、地毛の色は少々明るめの茶色。それが美しく整った人形のような顔立ちと合わさることで図抜けて可愛らしく見える。そんな女子に気安い調子で声をかけられれば、誰の心であろうとも動く。


「あっと、そうだ。如月に言っておかなきゃいけないことがあった」

「うん?」

「改めてありがとう如月。僕が学校に戻ってこられた理由の一つは間違いなく如月だから」

「…うん。でもそれなら私も進くんにお礼を言わなきゃだよ。ありがとう学校に戻ってきてくれて」

「ははっ、何か変なやり取りだな」

「ふふっ、そうだね。変だね」


 進と紗奈は顔を見合わせて笑った。もう一度友達に戻れるかもしれない、そんな未来を思わせてくれるだけで、互いに嬉しく思えた。


 悪郎は女子を適当にあしらいながら進たちの様子を眺めていた。和やかな空気が二人の間に流れているのを見ると、胸の奥がじーんと温かくなった。

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