プロローグ
グローニア王国領内に存在する、荒涼とした山々が連なる大山脈。枯れた木々が風に吹かれて寂しく揺れるその場所には、砕かれたトロッコや千切られた線路といった、かつては人の手が及んでいた証が残っていた。
プロムテウス鉱山。以前はグローニア王国の内外に行き渡る鉄材が発掘されていたのだが、今となっては人の痕跡はあっても、人の気配が一切ない。そんな侘しい山に、一塊の巨大な鋼が鎮座していた。
それは鋼というよりも、甲羅。小屋ほどの大きさを誇る鋼の甲羅が、岩盤を砕いて鎮座しているのである。
「クルルルルル……」
そんな甲羅に向かって、体の半分が鳥で、半分が蜥蜴で出来た、始祖鳥のような魔物が近づいてくる。
クピードという、人でも狩れる魔物の一種だ。この巨大な甲羅を死体とでも思って死肉を貪りに来たのか、クピードが甲羅の穴を覗き込んだ瞬間、甲羅の大きさに見合う巨大な黒竜の頭が飛び出し、クピードを噛み砕いた。
「グルルルルル……!」
魔物特有の悪臭をまき散らす血飛沫が飛び散り、竜は即座に魔物を呑み込む。……否。クピードを食い殺したのは竜の魔物ではない。
甲羅は小さくなりながら上半身を覆う鱗となり、代わりに蒼炎の翼と鬣が生える。下半身は獣脚となり、先端が三又の槍のような硬質な黒皮の尾が伸びる。
数種の魔物の特徴を持ちながら、それらのいずれにも属さない……キメラと呼ばれる魔物が、クピードを捕食した怪物の正体であった。
(……不味ぅううううううい!! 臭ぁぁぁぁあああああい!! 水! 水ぅうううううっ!!)
万人が見れば万人がその威容に腰を抜かしそうな怪物……ゼオは、自分で食べた魔物の、あまりに酷い味に悶絶し、水を求めて走り出す。
地球で電車に撥ねられて死に、気が付けば異世界ヴァースでキメラとして生まれ変わっていた男子高校生だったゼオは、同じく地球から召喚され、聖男神教という宗教主導で勇者として祀り上げられていたクラスメイトの一人である村上和人との戦い、その決着の間際、和人が変身し強大化したラファエルが創造した核爆弾の光と衝撃に呑み込まれ、気が付けばこの山の中腹に墜落していた。
《鋼の甲羅》を含めたスキルの複合発動によって何とか命を守ることは出来たものの、重傷であったゼオはしばらくの間、食虫植物のように近づいてくる生物を食べて体力の回復に勤しむ日々を送っていたのだが……今しがた、ようやく動ける程度には回復したのである。
(ごくっ……ごくっ……ぶっはぁあああああああっ!! あー……不味過ぎて死ぬかと思った……)
どんなに不味くても栄養にはなる。だからと言って好んで魔物を食べたいわけでもないのだが。
何とか見つけた川に口を突っ込み、口腔に充満していた悪臭を洗い流したゼオは辺りを見渡す。
(…………あれから十数日は経ったよな……? カストの奴は倒したけど、セネルは大丈夫だったのか?)
以前までベールズに位置する大樹海に拠点を置いていたゼオは、まったく見ず知らずの荒山に不安な気持ちが湧き上がってくる。
セネルはもう大丈夫……その確信を得られないまま、彼の元を離れてしまった。魔物の身ではあの町の情報を得て戻ることも出来ず、もはや彼とその周りの人々を信じる以外にないのだが、それでも酷く心残りだ。和人は確実に倒したから問題ないとは思うが。
……ちなみにカストとは、あまりに下種な言動が目立つ和人に対してゼオがつけた綽名だが、それは今はどうでもいい話だ。
(いずれにせよ、俺は物理でざまぁする以外に解決策がない。後はセネルを信じよう……だってあいつ、何も悪いことしてないもんな)
出来る限りのことはやった。むしろ、シャーロットの時と同じように、凶悪な魔物との繋がりがあったとは思われていないはずだ。そういう結論に至ったゼオは、これから先の事を考えてみる。
(何の当てもない旅をするつもりだったんだけど……これからはそうも言ってられないかもな)
ゼオは和人との戦いに赴く直前、真っ白な空間の中で再会を果たした女の事を思い出す。
言動から察するに、地球で死んだ男子高校生だった自分を、異世界ヴァースの魔物ゼオに転生させた張本人だとは思うのだが、彼女は罪悪感に塗れた悲壮な表情を浮かべながら告げたのだ。
――――私はもう力も命も何も要らない……! 私の大切な人たちの魂を守って……!
その時に見せた、宝石のような瞳から零れ落ちる涙が、どうしても頭にこびり付いて離れない。
いったい自分はこの世界の何に巻き込まれたのか。あの白い女は何者で、一体何を想っているのか、それが気になって仕方がないのだ。
(……放っておけばいい……と、考えられたら楽なんだけどなぁ)
ゼオは頭を掻きながら嘆息する。こればかりは性分なのかもしれない。シャーロットの事と言い、セネルの事と言い、一度気になる相手を見つけたら、何かと庇護せずにはいられないのだ。
(よし、決めた。その辺りの事情を、ちょっと探ってみるか)
どうせ当てのない旅、目的のない生だったのだ。なら、この世界に生まれ変わった意味を知ろうとするくらいが丁度いい暇潰しになるだろう。
不謹慎な物言いだが……正直、野生で生きるにあたってこのくらいの目標が無いと暇で暇でしょうがないのだ。
(とりあえず……今のところの手がかりはコレだけなんだよなぁ)
ゼオは自らのステータスを閲覧する。
名前:ゼオ
種族:アビス・キメラ
Lv:92
HP:10987/16320
MP:13456/16300
攻撃:13102
耐久:13098
魔力:13100
敏捷:13034
SP:3000
スキル
《邪悪の樹:Lv5》《火炎の息:Lv4》《雷の息:Lv1》
《凍える息:Lv4》《烈風の息:Lv3》《睡眠の息:Lv2》
《透明化:LvMAX》《嗅覚探知:Lv3》《猿王の腕:Lv5》
《妖蟷螂の鎌:Lv6》《触手:Lv4》《鮫肌:LvMAX》
《死霊の翼:Lv1》《鋼の甲羅:Lv1》《天空甲羅:Lv1》
《回転甲羅:Lv1》《息吹連射:Lv1》《重力魔法:Lv5》
《飛行強化:LvMAX》《精神耐性Lv:MAX》《空間属性無効:Lv2》
称号
《転生者》《ヘタレなチキン》《反逆者》《狂気の輩》
《魔王候補者》《解放者》《殻付き勇者》《王冠の破壊者》
《栄光の破壊者》《彫刻職人》《レベル上限解放者》
これが現在のゼオのステータスである。数値やスキルレベルは上がっているが、それは重要ではない。
あの白い女の言動に関係がありそうなスキル《邪悪の樹》と称号の《魔王候補者》と《王冠の破壊者》に《栄光の破壊者》、《解放者》……後は強いて言うなら《殻付き勇者》だけが手掛かりだ。
【称号《栄光の破壊者》。第八の果樹、栄光の所有者を倒したことで得た称号。それは栄光への階段か、はたまた破滅への坂道か】
《王冠の破壊者》と同じ部類の称号であるとは推測できる。しかし情報不足は相変わらずで、これだけでは何のことかさっぱり分からない。
【称号《殻付き勇者》。臆する心の殻を破り、人々を守った者へ送られる称号。理念はなくとも、救世に至る確かな歩み】
こっちは白い女に関係があるのかは分からない。しかし、《魔王候補者》と同じ時期に入ったので、念のために確認しているだけだ。地味に称号としてランクアップもしているし。
(さぁてと……とりあえず方針は決まった。次は寝床の確保だな)
この荒山に墜落してからしばらく経つが、ここに現れる魔物は大樹海の魔物と比べて遥かに弱い。先ほど倒したクピードも捕食する前に害の有無を確認するため、そのステータスを確認したのだが、レベルは34でHPは500ほどしかなかった。
(むしろこの山の魔物が弱いっていうか、あの樹海の魔物の強さがおかしいような気もするけど)
そう思わせる根拠が、あの樹海を住処としている巨大マンモス。《獣王》ノーデスだ。
ステータスはどれも二十億越え。ゼオは人から見れば正真正銘の化け物に見られるが、ノーデスと比べれば赤ん坊も同然である。
あんなのが暮らしていれば、半端な魔物は生きてはいられないのではないか。根拠はないが、そう思わせるだけの絶対的強さがノーデスにはある。
(まぁ何はともあれ、このあたりの魔物は弱い。それはつまり、貰える経験値が低いってことだ)
ステータスの高い者を倒せば、それだけ高い経験値を貰え、レベルを上げやすくなる。強くなるのに越したことはないので、丁度良い狩場を見つける必要があるだろう。
(次に食糧。幸い、綺麗な川が近くにあるけれど、こんな荒涼とした山に食料は期待できない)
転生した当初の森。そしてベールズの大樹海に辿り着いたのはある意味幸運でもあった。緑が深ければ、それだけ食料も豊かになる。こうも寂れた山ではそれも望めない。
(しばらくは此処を寝床にしても良いけど、何にするにしても住むに適した場所を見つけるのが急務ってやつだな)
とりあえず、寝床を作ってしまおう。そう考えたゼオは、鉱山を登って岩壁を巨大な爪で地道に彫り進めていく。
まだシャーロットの元に居た頃に遭遇した、オーガベアという熊型の魔物の巣の作り方と同じ手法だ。《火炎の息》で一気に大穴を開けるという手法も考えたが、爆発するというスキルの特性上、崩落する可能性もあるので止めた。
(でもまぁ面倒くさい。いっそのこと洞穴でも探したいくらいだけど、昔は鉱山だったのか、空いてる穴は俺には小さすぎるしな)
線路が伸びている横穴は人が通ることを想定して掘られたのか、大きくてもゼオの巨体の半分ほどしかない。
そもそもゼオほどの大きさの魔物が入れる洞穴など滅多にないのだから、むしろ自分で掘ったほうが手っ取り早いのだ。
そう観念して面倒な洞穴作りに専念する。そうしてしばらく経ち、納得のいく広さの洞穴まであと半分といった程度まで作業を進め、ゼオは少し休憩することにした。
(それにしても……ここは石材が多くて良いな。これだけあれば彫刻が作り放題じゃないか)
目的は出来たが、転生して以降初めて出来た趣味にも妥協しないゼオ。新たな住まいをどうやって彩ってやろうかと辺りを見渡し、色合いの良い石材を休憩がてらに探していると、ふとある事に気が付いた。
(あれ……? この鉱山、勝手に昔に打ち捨てられた場所って思いこんでたけど、もしかして結構新しかったりするのか?)
そう思う根拠は、野晒しにされた鉄の線路。昔に捨てられた鉱山の線路なら錆で真っ茶色になっていてもおかしくないのだが、ここの線路はまだ鉄特有の漆黒を残しているのだ。
しかもだ。横倒しになっているトロッコからは黒い塊がゴロゴロと零れている。鑑定してみると、どうやらこれは鉄鉱石のようだ。
(何だろ……商品になるはずの鉄鉱石までこんな捨てられたみたいに放っておかれるなんて)
これではまるで、何かから急いで逃げたようではないか。
ゼオは砂塵舞う風に吹かれる山々を眺めながら、体の底からゾワゾワとした嫌な予感を感じるのであった。