耳鳴り
2040年代に入った近未来。シンギュラリティが囁かれるなか、都心から離れた街では、大企業の本社が移転してくるのをきっかけに生活が変わっていく日常を、高校生三人の視線で、友情や恋愛を通して正義や悪、様々なことに触れて、ゆらゆらします。
平日はだいたい朝7時に起きる。
目覚めると、足元の窓のカーテンが陽光に照らされ、ゆっくりと部屋が明るくなっていく。その頃に、目覚める時間を記憶した携帯端末のアラームが鳴り響く。音は昭和に発売されたアナログの、文字盤の真ん中に取り付けられた長い針と短い針がぐるぐる回る目覚まし時計の音だ。最近のトレンド。脳に優しいと根拠のない理由で人気となった音をAIが選んでいた。
だいたい二回ほど鳴ったところで君子は起きた。
「起きた〜起きた」と、言えば、AIが音を止めた。
声を発せずとも、上体を起こしたり、腕を伸ばしたり、AIが起きたと判断できる行動を取ると、音は消える。だが、なかなか鳴り止まない時がある。それはAIが判断できなかったのか、意地悪でやっているのか、実のところ分からない時があった。だから君子はあえて声を出して判断を促した。
目を覚ました君子は、相変わらず耳の奥で鳴り響いている耳鳴りに顔を顰めた。
何かの音に似ている、繰り返す、キュロキュロ…ボワーン…シャーシャー…ザーーーー…という音。絶え間なく鳴り響く。気になり出したら、やかましくて、他の音が聞こえなくなってしまう。だけど、忘れている時もある。実際そんな時は音が消えているのではないかと期待するのだけど、それを意識した途端、突然、大きく鳴り響く。だから耳鳴りが消えることなどないと分かる。
AIに聞いたら、耳鼻科を勧められた。と、言うより必ず行くように命じられた。難聴になる可能性を示唆された。
それは不安喚起だ。と、君子は小声で呟くと、大雑把に、壁に備え付けられたベッドをカパツと壁へと収める。ベッドが綺麗に壁に収まった。
君子の部屋はベッドと勉強机しかない、すごく狭くてシンプルな空間だ。それでもストレスを感じないのは、寝るだけだからだ。
そこまですると、ドアの横に設置された鏡を見て、髪をくちゃくちゃしながら整えて、ドアの外側に出た。顔を掌で擦りながら内階段で階下に降りた。
そこは広いスペースにダイニングとカフェスペースがゾーニングされていて、この時間帯はダイニングテーブルにいつもの顔ぶれが席についているはずだったが、今朝は誰もいない。
ダイニング側の壁には、集合ポストに似たフードボックスが縦、横4個、全部で16個設置されてある。これはハウスキーパーの横内さんと、久保さんが自分たちのスケジュールに合わせて作り置きした料理が入っている。いつでも食べられるように、16個それぞれが料理にあった温度と湿度をAIが調整。料理の内容と美味しく食べられる期限が表示してある。いつも全てのボックスに料理が入っているとは限らないが。
君子は、ボックスを眺め、朝食を物色した。その時、耳鳴りが大きくなった。
ブッブッ…ブーーーザッザッザーーザーーーー…んっ?なんか?ザーーーー
耳鳴りのなかに言葉のようなモノが混じる時がある。
君子は、振り返ってカフェスペースを眺めた。すると、窓際のソファーに時宮悠亮が座っているのが見えた。
その時、フードボックスの壁を隔てた奥のキッチンから久保さんが顔を出した。
「君ちゃん、おはよう。今朝は驍さんと麗香さんが、なんだかモリモリ食べていたから、随分無くなっているでしょう?」と、久保さんが言った。
「えっと、そう言えば…スクランブルエッグとか目玉焼きとか、コーンフレークとかフルーツ見当たらない。魚とかはあるけど…」と、君子が答えた。
「あの二人、今朝はいつもより早く出掛けて、時間ないからそっち食べちゃったのよ。いつもはご飯と味噌汁のくせに。だから今ね、チーズオムレツ作った。出来立てだ。食べるでしょう?」
「うん、食べる。驍さんも麗香さんも、もう行っちゃったんだ」と、君子は少しばかり寂しそうな顔をした。
「座ってて、持って行くから。それとコーヒーがいい?ミルク?」
「ミルクって…。もう高校生なんだけど…。コーヒーだね。えっと、オレンジジュースも。っていうか、それくらい自分でやるよ」
そう言うと、君子はダイニングとカフェスペースの間にあるエスプレッソマシンやドリンクサーバーの置かれたカウンターに歩み寄った。
その時、カフェスペースの窓際のソファーで携帯端末を見ていた時宮悠亮と目が合った。
と、同時に耳鳴りが大きくなった。
悠亮君…。
ぽつりと、君子は呟いた。
ザーーザーーーーシャーー…ずっと…ザーー…嫌な感じだ…何かが…ザザザーーザーザザーー…起こる…シャーシャーザーーーー
耳鳴りの中に混じる言葉の声が止み終わるまで、君子はずっと時宮悠亮を見ていた。
「君ちゃん、ここに置いておくよ。わたしは上を掃除してくるから、食べたらシンクに置いといてね。ちゃんと学校に行くのよ」と、言うと久保さんが、すごく快活な歩調で内階段を上がって行った。
君子は、カップにコーヒーを入れ、もう一つのカップにオレンジジュースを注ぎ入れると、ダイニングテーブルに着いた。
テーブルには、チーズオムレツにカリフラワーと、トマト、ラディッシュが添えてあった。そして、クロワッサンと、ゴロゴロのポテトサラダとポテトスープ。
「芋尽くしだ」と、君子は呟いた。
少しだけ時宮悠亮との距離が離れたせいか、耳鳴りの音が僅かに小さくなった。
しかし、明らかに言葉が混じっている。
ザーーーーザザザーーザザーーーー…起こる…何かが…君ちゃん…聞こえている?…近いうちに…身近なところで…何かが…注意して……ザーーーーザザザーーー
ダイニングに着くと、エスプレッソマシンが置かれたカウンターで、角度的に時宮悠亮の姿が見えにくくなった。
返事をするべきか、君子は迷った。
君子は、悠亮のように思念伝達などできない。だから、普通に悠亮に歩み寄り「分かった!」と伝えるだけなのだが、どうも椅子から離れたくないとお尻が言っている。チーズオムレツも普通に美味しいし。
それに君子の勘では悠亮は言葉以上の情報は解らないに違いない。
いつもそうだったからだ。
悠亮の声が聞こえるようになったのは小学生低学年の頃だった。
悠亮は声が出せない。
声帯に壁のようなものを感じ、声を出そうとしても、すーと空気が漏れるだけだった。耳鼻咽喉科では原因が分からず、心因性失声症と診断された。
それが起こり始めたのは、幼い悠亮に対する母親の完全無視からだった。
悠亮は、届けようとする言葉が虚空の中へ容赦なく喪失していく様が見えていた。そのうち発する言葉が失われていった。そして、長い時間喋らなくなった。だが、ある日喋るきっかけを与えられた悠亮が口を開くと、声帯に壁のようなものがあるのを感じた。そこから声が出なくなっていることに気がついた。
その頃、母親が去った。
母もまた、多忙な父に依存していたことで、次第に孤独の苦痛を感じるようになり、やがて壊れてしまった。そして、悠亮の元を去った。
そんなことがあった少し前、悠亮の父親が働く日本有数の大企業、乃木亜株式会社の本社が移転した。
移転を機に、悠亮の父は、通勤時間の短縮のために同じ街に引っ越すことを計画した。その頃、母の感情の起伏が次第に激しくなっていった。都心を離れる不安と、希望を抱かせる父の思惑が毒に思えたのだ。
希望の毒だ。
希望の毒とは、希望を抱くことにより、ありもしない裏切りの妄想に取り憑かれ、希望を抱く前の裏切りよりも更に絶望が強調されてしまったのだ。だが、全て妄想の産物だ。もはや父親にはどうすることもてきなかった。
そして、本社ビルの竣工を目前にして、母は、壊れてしまった。周囲からしたら自滅だ。誰一人悠亮の父を悪く言う者はいなかった。
母が去った時、父はひどく冷静だったことを悠亮は覚えていた。
そして、母がいなくなっても父は冷静に計画を実行。本社が移転した街に引っ越した。
そこは、大企業、乃木亜株式会社の本社移転が決まった時から、三つの市が統合される計画が動き出し、本社移転とともに、三つの市が一つになった。菟針市と命名され、本社が移転したほぼ同時期にはすでに約1.5倍の人口増加が見られ、新たな副都心となる様相を見せ始めていた。近い将来、更に膨れ上がる人口増加が予測され、ますますの発展が期待されていた。
乃木亜株式会社の本社周辺にはすでに複数のタワーマンションも完成しており、悠亮の家族はその中の一つに引っ越した。
充実した福利厚生を全面的に表に出した乃木亜は、本社ビルの巨大エントランスから内階段を上がった中2階に社員の為の最新設備やAIロボットを贅沢に駆使した託児所を創った。
大勢の子供たちが集う託児所はひとつのシンボルとなり、乃木亜の広告塔の役割も果たした。
そこで君子と悠亮は出会った。
悠亮はすでに喋ることができなかった。
大勢の子供たちを避けるようにいつも片隅にいた悠亮は、子供の安全を守り育成する最新ロボットと対戦ゲームをしていた。ひとつも笑わずに…。
一方君子は活発に子供たちの中心となって飛んだり跳ねたりして遊んだ。いつもロボットから注意を受けたり、説教をされたりしたが、全く気にせず揶揄ったりして、ロボットの目を怒りの真っ赤な三角に変えた。それが面白くて、また繰り返した。
だが、そうした君子の活発さは、次第に周囲の子供たちから距離を置かれるようになっていった。
君子の耳鳴りはこの頃から始まった。
君子がから騒ぎをするのは、耳鳴りへの違和感からだった。突然、耳を覆うように始まった耳鳴りに君子はひどく不快感を覚え、その音を振り落とすように活発に動き回ったのだ。
やがて、何をしても耳鳴りが消えないことが分かった。君子は、無理して騒ぐのをやめた。
そして、君子と距離を取った子供たちの冷酷さを心の何処かで蔑み、俯瞰するようになった。
そこは一人で過ごすには最適な場所だったのだろうか、君子もまた、片隅で時間を過ごすようになった。
君子は、ぼんやりソフャーに座って、一心不乱に育成ロボットとゲームをする悠亮を眺めた。だが、視線の先にいる悠亮にピントを合わせているわけではなかった。巨大な窓に広がる高層ビルに塞がれて見えない空を感じながら、すっかり変わってしまった日常に困惑していた。
そんな時、育成ロボットが声をかけてきた。
ー君子さん、一緒に遊びましょうー
君子の視線の先の悠亮にピントが合った。
「それは難しんじゃない。その子、毎日、ずっとあなたとゲームをしている。休日はひとが少ないのに、やっぱりゲームしている。この前の休日は私と二人だけで、他の子は皆んな図書室で本を読んでいたのに、ずっとゲームをしてた。その子は友達作る気がないと思うよ。そっとしといた方がいいのよ。そんなことも分からないの?」と、君子は言った。
ー友達を作る?よく分かりませんが、一緒に遊びましょうー
「その子に聞くといい」
ー悠亮は口が聞けません。だから質問できませんー
「おい、ロボット、そんな個人の弱点を軽々しく言っちゃ駄目だ。ロボットはそんなことも分からないのか?」と、君子は怒鳴った。
ー個人の弱点?これは弱点ではありません。悠亮さんの個性ですー
「また、都合のいい解釈しやがって。ろくでもないな!」
君子が、そう言った時、強く耳鳴りが響く。
ん…。
君子は顔を顰めた。
ザーーザーーザーーーーザザーーザーー…違う。ザーーザーー…僕だって…ザザーザーー…友達…ザーーーー…欲しい…ザーー…気持ち…ザーーザーーーー…あるよ…シャーーー
「えっ?何、何か言った?」
君子は悠亮を見た。
悠亮も君子を見ていた。涙を溜めて…。
「なんだよ。友達くらいなってやるけど…」と、咄嗟に君子が言った。
すると、悠亮の表情が変わった。
「えぇぇぇーーー」
明らかにそう叫んでいた。
先週、「怪物の視界線」が一区切りついたので、第二章に入る前に他のものが書きたくなって、書きました。更新日とか決めていないので、次はでき次第更新します。宜しくお願いします。




