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氷姫の旗を掲げよ~秘めたる愛影に抱かれて~  作者: 椎名将也
第6章 霧の里の獣たち

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28.藍龍の逆鱗、三つの刃

挿絵(By みてみん)


【登場人物紹介】

水龍(ヴァッサードラーク)

・SS級魔獣。全長120m、翼を開いた全幅は150m。

・衝撃波(ブレス)は絶対零度の波動で、川や森を一瞬で凍結させる。

・全身は深い藍色の鱗に覆われ、喉から胸・腹にかけてだけ銀灰色の板状の鱗が重なる。

・縦長の頭部には、太い鬣(たてがみ)のような藍色の角が何本も伸び、冠のように頭部を囲む。

・首、背、尾の先には、鋭く尖った藍色の棘が逆立つ。瞳は青白く光る。

・蝙蝠のような巨大な翼の皮膜も深い藍色。四本の脚に黒く湾曲した鉤爪、棘の並ぶ長い尾。

・衝撃波(ブレス)は、口から渦を巻いて噴き出す青白い冷気。


※【登場人物紹介】は、ネタが切れるまで続ける予定です(^_^;


 水面(みなも)が、割れた。

 隊列の最後尾――輜重車の真横で大河が山のように盛り上がり、ザアーッと音を立てて崩れ落ちた。飛び散った水飛沫の奥から現れたのは、想像を絶する異形だった。


 それは、オーディンヴァルト大森林の魔素が生み出した龍に他ならなかった。

 深い藍色の鱗に覆われた巨躯は、全長百m(メッツェ)を遥かに超えていた。龍独特の縦長の頭部には太い鬣(たてがみ)のような角が何本も伸び、喉から胸にかけては銀灰色の板状の鱗が夕陽を鈍く返していた。

 極端に吊り上がった眼が冷たい青の光を宿し、騎士団すべてをギロリと睨(ね)め回す。その直後、鋭い牙の並ぶ巨大な口が凄まじい咆哮を上げた。


「馬鹿な……SS級が……!」

 バルハルトの手から、火を点けたばかりの『龍刻の長煙管』が滑り落ちた。いつもの間延びした口調は、どこにもなかった。

「水龍(ヴァッサードラーク)……」

 掠れた呟きが、ディアナの唇を震わせた。


 巨龍が首を大きく反らせた――

 喉の奥が、淡い青に光る。開いた顎から、渦を巻く冷気が白く零れ落ちた。

 ディアナは、それが何なのかを知っていた。

「輜重隊、退がれーッ!」

 声は、間に合わなかった。


 轟音とともに、衝撃波(ブレス)が放たれた。

 青白い奔流が最後尾の河原を舐める――絶対零度の波動が、触れたものをことごとく凍らせた。

 河面も、砂利も、二台の輜重車も……。

 その脇に立っていた輜重兵たち――氷と化した人形(ひとがた)が、何かを叫ぶ口を開いたまま動かなかった。

 次の瞬間、輜重車が硝子細工のように砕けた。

 人形も、同時に砕けた――


 悲鳴と怒号が、河原を満たした。

 ディアナの胸の奥で、刻んだばかりの決意が同じ音を立てて砕けていく。

(この全員を、生きて故郷へ帰すと誓ったのに――)

 奥歯を噛みしめ、強張る指に力を込めて手綱を握る。


【氷姫(アイス・ドール)】の仮面を被り直すと、ディアナは蒼灰色(ヘイズブルー)の瞳で水龍を見据えた。

「全軍、河原から森の際へ散開! 固まるな、二度目が来るッ!」

 張り上げた声は、自分でも驚くほど冷たく響いた。


「デューク、後ろを!」

 ディアナは、傍らに馬を寄せていた副団長に命じた。

「お任せを!」

 デュークは即座に馬首を返した。

 龍が浮き上がってから衝撃波(ブレス)を吐くまで、数秒(タルザン)とてなかった。隊列の前にいた彼には、身構える暇さえなかったのだ。


 最後尾へ駆け戻った老将は、第二部隊に負傷者を担がせ、残る八台の輜重車を巨木の陰へ下がらせていく。そして、自らは馬を飛び降りて砕けた氷の前に立った。アダマンタイト製の大盾が、河原の砂利に深々と突き立てられる。

 ――この先は、一歩も通さぬ。

 遠目にも、その背中がそう語っていた。


 バルハルトは、散開する兵たちを森へと追い立てていた。拾い上げた煙管の火は、消えている。

「兵は私が引き受けます! 団長は龍を!」

 参謀長の視線の先には、隊を離れて向かってくる黒い鎧があった。その後方では、ギュンターの号令で重騎兵たちが馬を下り、森の手前に盾を連ねて壁を作り始めている。


「輜重隊(あいつら)の仇だ。やるぞ、ディアナ」

 愛馬ヴァルカンを飛ばしたザックが、ディアナのもとへ辿り着いた。彼女の右隣には、すでにシンディが控えている。

「当然よ……!」

 月の雫のような銀髪(シルバー・ムーン)が風を孕(はら)み、黒鴉(くろからす)の双眸が藍色の龍を見上げた。その二人の後ろで、「漆黒の金属鎧」が守護神のようにそびえ立つ。


 ディアナは、ザックと目を合わせた。

 それ以上の言葉は要らなかった。迷宮(ダンジョン)の深層で、二人は水龍と戦った。あの時と何も変わらない。


「俺が衝撃波(ブレス)を受ける」

 ザックが、<フレイム・ハルバード>の柄を握り直した。

「お前が逆鱗を割れ」

 ディアナは無言で頷き、腰の<蒼月刀(アズルーナ)>に手を掛けた。そして、右のシンディを見た。


「シンディ。あの龍を、あそこまで誘い出して」

 指した先は、河が大きく曲がる岸だった。長い年月をかけて流れが岸辺を削り、その足元に黒々とした深い淵(ふち)を作っている。

「……龍と踊るのは、初めてですけど」

 切れ長の目が、すっと細められた。


 三人は、嘶(いなな)く馬から次々と飛び降りた。龍の咆哮に怯えきった三頭は、手綱を放されるや、一目散に森の奥へ駆け去っていく。

 シンディが、古代級(エンシェント)の双刀<冰刀(アイス・ダガー)>を逆手に引き抜いた。水の精霊ウンディーネの加護を宿した刃から白い靄(もや)が立ち昇り、足元の砂利が音もなく霜に覆われていく。


 ザックは、<フレイム・ハルバード>を大きく一振りして構えた。唸りを上げて夕空を裂いた斧槍に嵌め込まれた火龍(フレイムドラーク)の宝玉が、主の闘気を映すように赤く脈打つ。

 そして、ディアナが<蒼月刀>を鞘から抜き放った。反りのある白刃が茜色の空を映し、冴え冴えとした蒼い輝きを帯びる。はばき(・・・)の水龍(ヴァッサードラーク)の宝玉が、同族の気配を感じ取ったかのようにかすかに瞬いた。




 シンディが、消えた。

 砂利を蹴った音だけが、わずかに遅れて聞こえた。黒銀の革鎧はすでに龍の鼻先をかすめ、凍った河面を跳んでいた。

 宙で振り抜かれた<冰刀>から幾筋もの氷の刃が放たれ、藍色の鱗を撫でた。

 絶対零度の冷気が走り、鱗の上に白い霜を散らした――それだけだった。同じ冷気を宿す龍の体には、傷一つ付かない。

 だが、龍の首がゆっくりと巡った。

 淡く青い双眸が、自分と同じ匂いを放つ小さな敵を捉えた。


 龍の尾が、河原を薙いだ。

 砂利と氷の塊が、雨のように跳ね上がる。シンディは岩の上を跳び、尾の下を潜り、ふたたび氷の刃を浴びせた。黒い爪が岸の巨木を引き裂き、天を衝く幹が轟音を上げて河へ倒れ込む。

 シンディは、かわし続けた。

 天恵【暗殺者(アサシン)】が、龍の筋の動きから次の一撃を生まれる前に拾い上げていく。かわしているのではない。来る場所に、初めからいないのだ。


「風が止むよ! 今なら、矢が真っ直ぐ届く!」

 リュシカが、バルハルトを振り返って叫んだ。

「弓兵隊、龍の眼を狙え! ――放てッ!」

 参謀長の号令一下、百五十の弦が一斉に鳴った。


 矢の雨が、龍の双眸めがけて降り注いだ。鱗には弾かれる。だが、幾本かが瞼に刺さり、龍は首を振って咆哮した。

 リュシカは、風を読み続けていた。金茶色(トーニー)の瞳は、戦う三人の方を見ない。見なくても、黒い鎧の匂いがあの騎士団長の隣にあることは風が教えてくれる。

 狼の耳は、もう伏せなかった。


 龍の首が、また反り始めた。

 喉の奥に、冷気が渦を巻いて収斂(しゅうれん)していく。

 シンディは、それを目ではなく肌で読み、射線の上から跳んだ。

 衝撃波(ブレス)は、シンディのいた岩場を抜けて岸へ走り、巨木を根元から白く凍らせた。凍りついた幹は砕け散り、氷と岩の破片が河原を転がって、負傷者を運ぶ兵たちの方へ押し寄せる。


「来い」

 デュークの灰青色(スチールブルー)の瞳が、見開かれた。

 老躯から、空間を軋ませるような覇気が噴き上がる。天恵――【金剛(アダマス)】。突き立てた大盾と鎧が、結晶のような硬い輝きを帯びた。

 氷と岩の波が、盾に激突した。

 大地を揺るがす衝撃に、砂利が舞った。大盾は、一cm(セグメッツェ)も退かなかった。盾の後ろで仲間を担いでいた兵たちが、呆然と宿将の背を見上げた。

「呆けている暇はないぞ! 負傷者を一人残らず、森の中へ運べッ!」

 デュークは、振り返りもせずに一喝した。


 シンディは、龍を誘い込んでいた。

 凍った河面から岸の岩へ、岩から倒れた大木の幹へと、黒銀の影が駆け抜けていく。そのたびに、氷の刃が藍色の鱗に弾け、白い霜を散らした。傷を負わせる必要はない。苛立たせ、追わせればいい。


 龍の顎が、背後で空を噛んだ。牙と牙が打ち合わされる音が、すぐ耳元で鳴る。肩で切り揃えた髪が数本、千切れて宙に舞った。

(……まだ。もう少し)

 振り返らずに、河の曲がり角へと駆ける。


 龍は、小さな敵を追って巨体を進めた。浅瀬の水を蹴散らしていた四肢が、不意に深みへと沈む。ディアナが指し示した、あの淵だ。淀んだ水が藍色の巨躯を胸まで呑み込み、龍の首だけが岸の真上に高々ともたげられた。


「衝撃波(ブレス)が来ます!」

 シンディの叫びと同時に、龍が首を大きく反らせた。

 顎の陰に隠れていたものが、晒された。

 銀灰色の鱗の中で、一枚だけ逆さに生えた鱗。夕陽を他の鱗とは違う向きに返している、人の背丈ほどの鈍い光。

 逆鱗――


 ザックは、淵の岸に立っていた。

 <フレイム・ハルバード>を正面に構える。斧刃と刺先の間の紅い宝玉が、応えるように燃え上がった。

 ディアナは、その背後に身を伏せた。

 黒い鎧の背中が、目の前にあった。六年間、振り返れば必ずそこにあった背中。白い霧の中で、見失いかけた背中――

 今は何も言わず、ただ、そこにある。


 衝撃波(ブレス)が、来た。

 青白い波動が、正面からザックを呑み込もうとした。

 その瞬間、ザックの全身から劫火が噴き上がった。

 天恵【鬼神(ダイモン)】の炎が、斧槍の刃から溢れ、絶対零度の波と真っ向からぶつかった。白い蒸気が爆ぜ、河原の石が凍っては砕け、砕けては燃えた。

 漆黒の籠手が、霜に覆われていく。腕の肉が、焼けるように凍えた。

 それでも、一歩も退かなかった。

 ディアナは、その背中の後ろで何一つ凍えなかった。


 波が、途切れた。

 龍の首は、まだ反ったまま残っていた。逆鱗が、晒されたままだった。

 ほんの、一瞬――

「行け、ディアナ!」

 ディアナが斧槍の柄に足を掛けるや、ザックが渾身の力でそれを振り上げた。

 体が、空へ放り出された。


 河面が遠ざかり、夕空が近づく。

 逆鱗が、真正面にあった。――まだ遠い。ここからでは、刃は届かない。

 ディアナは、<蒼月刀(アズルーナ)>を振り抜いた。

 刃から、蒼い覇気が三日月の形に迸(ほとばし)った。

 神刃(しんじん)――

 研ぎ澄まされた水の刃が、大気を裂いて一直線に飛ぶ。届くか、届かないか――その境目の、さらに先へ。


 ガッキーンッ!!


 逆鱗が、割れた。

 銀灰色の鱗が真ん中から二つに裂け、その奥にある黒い肉が覗いた。

 龍は天に向かって首を伸ばし、最後の咆哮を上げた。大森林の梢が、一斉に震えた。

 そして、淡く青く光っていた双眸から、光が消えた。




 ディアナの体から、力が抜けた。

 覇気を、使い果たしていた。空にあった体が、落ち始める。

 その下で、龍がゆっくりと傾いた。百二十m(メッツェ)の藍色の巨体が、淵へ崩れ落ちていく。

 水が爆ぜ、渦が生まれた。


 ディアナが、その渦潮へと吸い込まれる。

 冷たさを、感じる暇もなかった。逆巻く水流が彼女を絡め取り、深淵へと引きずり込んでいく。

 水の向こうに、茜色の光が揺れていた。その光が、少しずつ遠ざかっていく。

 自分の名を呼ぶ声が、遠くに聞こえた気がした。

(……ザック)

 手を伸ばした。何も掴めなかった。

 茜色が、藍色に溶けていった。

 そして、闇になった――


「28.藍龍の逆鱗、三つの刃」をお届けします!

いきなり、大ピンチですねぇ(^_^;

ディアナの運命、どうなるのでしょうか?

どうぞ、29話をお待ちください!


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