28.藍龍の逆鱗、三つの刃
【登場人物紹介】
水龍
・SS級魔獣。全長120m、翼を開いた全幅は150m。
・衝撃波は絶対零度の波動で、川や森を一瞬で凍結させる。
・全身は深い藍色の鱗に覆われ、喉から胸・腹にかけてだけ銀灰色の板状の鱗が重なる。
・縦長の頭部には、太い鬣のような藍色の角が何本も伸び、冠のように頭部を囲む。
・首、背、尾の先には、鋭く尖った藍色の棘が逆立つ。瞳は青白く光る。
・蝙蝠のような巨大な翼の皮膜も深い藍色。四本の脚に黒く湾曲した鉤爪、棘の並ぶ長い尾。
・衝撃波は、口から渦を巻いて噴き出す青白い冷気。
※【登場人物紹介】は、ネタが切れるまで続ける予定です(^_^;
水面が、割れた。
隊列の最後尾――輜重車の真横で大河が山のように盛り上がり、ザアーッと音を立てて崩れ落ちた。飛び散った水飛沫の奥から現れたのは、想像を絶する異形だった。
それは、オーディンヴァルト大森林の魔素が生み出した龍に他ならなかった。
深い藍色の鱗に覆われた巨躯は、全長百mを遥かに超えていた。龍独特の縦長の頭部には太い鬣のような角が何本も伸び、喉から胸にかけては銀灰色の板状の鱗が夕陽を鈍く返していた。
極端に吊り上がった眼が冷たい青の光を宿し、騎士団すべてをギロリと睨め回す。その直後、鋭い牙の並ぶ巨大な口が凄まじい咆哮を上げた。
「馬鹿な……SS級が……!」
バルハルトの手から、火を点けたばかりの『龍刻の長煙管』が滑り落ちた。いつもの間延びした口調は、どこにもなかった。
「水龍……」
掠れた呟きが、ディアナの唇を震わせた。
巨龍が首を大きく反らせた――
喉の奥が、淡い青に光る。開いた顎から、渦を巻く冷気が白く零れ落ちた。
ディアナは、それが何なのかを知っていた。
「輜重隊、退がれーッ!」
声は、間に合わなかった。
轟音とともに、衝撃波が放たれた。
青白い奔流が最後尾の河原を舐める――絶対零度の波動が、触れたものをことごとく凍らせた。
河面も、砂利も、二台の輜重車も……。
その脇に立っていた輜重兵たち――氷と化した人形が、何かを叫ぶ口を開いたまま動かなかった。
次の瞬間、輜重車が硝子細工のように砕けた。
人形も、同時に砕けた――
悲鳴と怒号が、河原を満たした。
ディアナの胸の奥で、刻んだばかりの決意が同じ音を立てて砕けていく。
(この全員を、生きて故郷へ帰すと誓ったのに――)
奥歯を噛みしめ、強張る指に力を込めて手綱を握る。
【氷姫】の仮面を被り直すと、ディアナは蒼灰色の瞳で水龍を見据えた。
「全軍、河原から森の際へ散開! 固まるな、二度目が来るッ!」
張り上げた声は、自分でも驚くほど冷たく響いた。
「デューク、後ろを!」
ディアナは、傍らに馬を寄せていた副団長に命じた。
「お任せを!」
デュークは即座に馬首を返した。
龍が浮き上がってから衝撃波を吐くまで、数秒とてなかった。隊列の前にいた彼には、身構える暇さえなかったのだ。
最後尾へ駆け戻った老将は、第二部隊に負傷者を担がせ、残る八台の輜重車を巨木の陰へ下がらせていく。そして、自らは馬を飛び降りて砕けた氷の前に立った。アダマンタイト製の大盾が、河原の砂利に深々と突き立てられる。
――この先は、一歩も通さぬ。
遠目にも、その背中がそう語っていた。
バルハルトは、散開する兵たちを森へと追い立てていた。拾い上げた煙管の火は、消えている。
「兵は私が引き受けます! 団長は龍を!」
参謀長の視線の先には、隊を離れて向かってくる黒い鎧があった。その後方では、ギュンターの号令で重騎兵たちが馬を下り、森の手前に盾を連ねて壁を作り始めている。
「輜重隊の仇だ。やるぞ、ディアナ」
愛馬ヴァルカンを飛ばしたザックが、ディアナのもとへ辿り着いた。彼女の右隣には、すでにシンディが控えている。
「当然よ……!」
月の雫のような銀髪が風を孕み、黒鴉の双眸が藍色の龍を見上げた。その二人の後ろで、「漆黒の金属鎧」が守護神のようにそびえ立つ。
ディアナは、ザックと目を合わせた。
それ以上の言葉は要らなかった。迷宮の深層で、二人は水龍と戦った。あの時と何も変わらない。
「俺が衝撃波を受ける」
ザックが、<フレイム・ハルバード>の柄を握り直した。
「お前が逆鱗を割れ」
ディアナは無言で頷き、腰の<蒼月刀>に手を掛けた。そして、右のシンディを見た。
「シンディ。あの龍を、あそこまで誘い出して」
指した先は、河が大きく曲がる岸だった。長い年月をかけて流れが岸辺を削り、その足元に黒々とした深い淵を作っている。
「……龍と踊るのは、初めてですけど」
切れ長の目が、すっと細められた。
三人は、嘶く馬から次々と飛び降りた。龍の咆哮に怯えきった三頭は、手綱を放されるや、一目散に森の奥へ駆け去っていく。
シンディが、古代級の双刀<冰刀>を逆手に引き抜いた。水の精霊ウンディーネの加護を宿した刃から白い靄が立ち昇り、足元の砂利が音もなく霜に覆われていく。
ザックは、<フレイム・ハルバード>を大きく一振りして構えた。唸りを上げて夕空を裂いた斧槍に嵌め込まれた火龍の宝玉が、主の闘気を映すように赤く脈打つ。
そして、ディアナが<蒼月刀>を鞘から抜き放った。反りのある白刃が茜色の空を映し、冴え冴えとした蒼い輝きを帯びる。はばきの水龍の宝玉が、同族の気配を感じ取ったかのようにかすかに瞬いた。
シンディが、消えた。
砂利を蹴った音だけが、わずかに遅れて聞こえた。黒銀の革鎧はすでに龍の鼻先をかすめ、凍った河面を跳んでいた。
宙で振り抜かれた<冰刀>から幾筋もの氷の刃が放たれ、藍色の鱗を撫でた。
絶対零度の冷気が走り、鱗の上に白い霜を散らした――それだけだった。同じ冷気を宿す龍の体には、傷一つ付かない。
だが、龍の首がゆっくりと巡った。
淡く青い双眸が、自分と同じ匂いを放つ小さな敵を捉えた。
龍の尾が、河原を薙いだ。
砂利と氷の塊が、雨のように跳ね上がる。シンディは岩の上を跳び、尾の下を潜り、ふたたび氷の刃を浴びせた。黒い爪が岸の巨木を引き裂き、天を衝く幹が轟音を上げて河へ倒れ込む。
シンディは、かわし続けた。
天恵【暗殺者】が、龍の筋の動きから次の一撃を生まれる前に拾い上げていく。かわしているのではない。来る場所に、初めからいないのだ。
「風が止むよ! 今なら、矢が真っ直ぐ届く!」
リュシカが、バルハルトを振り返って叫んだ。
「弓兵隊、龍の眼を狙え! ――放てッ!」
参謀長の号令一下、百五十の弦が一斉に鳴った。
矢の雨が、龍の双眸めがけて降り注いだ。鱗には弾かれる。だが、幾本かが瞼に刺さり、龍は首を振って咆哮した。
リュシカは、風を読み続けていた。金茶色の瞳は、戦う三人の方を見ない。見なくても、黒い鎧の匂いがあの騎士団長の隣にあることは風が教えてくれる。
狼の耳は、もう伏せなかった。
龍の首が、また反り始めた。
喉の奥に、冷気が渦を巻いて収斂していく。
シンディは、それを目ではなく肌で読み、射線の上から跳んだ。
衝撃波は、シンディのいた岩場を抜けて岸へ走り、巨木を根元から白く凍らせた。凍りついた幹は砕け散り、氷と岩の破片が河原を転がって、負傷者を運ぶ兵たちの方へ押し寄せる。
「来い」
デュークの灰青色の瞳が、見開かれた。
老躯から、空間を軋ませるような覇気が噴き上がる。天恵――【金剛】。突き立てた大盾と鎧が、結晶のような硬い輝きを帯びた。
氷と岩の波が、盾に激突した。
大地を揺るがす衝撃に、砂利が舞った。大盾は、一cmも退かなかった。盾の後ろで仲間を担いでいた兵たちが、呆然と宿将の背を見上げた。
「呆けている暇はないぞ! 負傷者を一人残らず、森の中へ運べッ!」
デュークは、振り返りもせずに一喝した。
シンディは、龍を誘い込んでいた。
凍った河面から岸の岩へ、岩から倒れた大木の幹へと、黒銀の影が駆け抜けていく。そのたびに、氷の刃が藍色の鱗に弾け、白い霜を散らした。傷を負わせる必要はない。苛立たせ、追わせればいい。
龍の顎が、背後で空を噛んだ。牙と牙が打ち合わされる音が、すぐ耳元で鳴る。肩で切り揃えた髪が数本、千切れて宙に舞った。
(……まだ。もう少し)
振り返らずに、河の曲がり角へと駆ける。
龍は、小さな敵を追って巨体を進めた。浅瀬の水を蹴散らしていた四肢が、不意に深みへと沈む。ディアナが指し示した、あの淵だ。淀んだ水が藍色の巨躯を胸まで呑み込み、龍の首だけが岸の真上に高々ともたげられた。
「衝撃波が来ます!」
シンディの叫びと同時に、龍が首を大きく反らせた。
顎の陰に隠れていたものが、晒された。
銀灰色の鱗の中で、一枚だけ逆さに生えた鱗。夕陽を他の鱗とは違う向きに返している、人の背丈ほどの鈍い光。
逆鱗――
ザックは、淵の岸に立っていた。
<フレイム・ハルバード>を正面に構える。斧刃と刺先の間の紅い宝玉が、応えるように燃え上がった。
ディアナは、その背後に身を伏せた。
黒い鎧の背中が、目の前にあった。六年間、振り返れば必ずそこにあった背中。白い霧の中で、見失いかけた背中――
今は何も言わず、ただ、そこにある。
衝撃波が、来た。
青白い波動が、正面からザックを呑み込もうとした。
その瞬間、ザックの全身から劫火が噴き上がった。
天恵【鬼神】の炎が、斧槍の刃から溢れ、絶対零度の波と真っ向からぶつかった。白い蒸気が爆ぜ、河原の石が凍っては砕け、砕けては燃えた。
漆黒の籠手が、霜に覆われていく。腕の肉が、焼けるように凍えた。
それでも、一歩も退かなかった。
ディアナは、その背中の後ろで何一つ凍えなかった。
波が、途切れた。
龍の首は、まだ反ったまま残っていた。逆鱗が、晒されたままだった。
ほんの、一瞬――
「行け、ディアナ!」
ディアナが斧槍の柄に足を掛けるや、ザックが渾身の力でそれを振り上げた。
体が、空へ放り出された。
河面が遠ざかり、夕空が近づく。
逆鱗が、真正面にあった。――まだ遠い。ここからでは、刃は届かない。
ディアナは、<蒼月刀>を振り抜いた。
刃から、蒼い覇気が三日月の形に迸った。
神刃――
研ぎ澄まされた水の刃が、大気を裂いて一直線に飛ぶ。届くか、届かないか――その境目の、さらに先へ。
ガッキーンッ!!
逆鱗が、割れた。
銀灰色の鱗が真ん中から二つに裂け、その奥にある黒い肉が覗いた。
龍は天に向かって首を伸ばし、最後の咆哮を上げた。大森林の梢が、一斉に震えた。
そして、淡く青く光っていた双眸から、光が消えた。
ディアナの体から、力が抜けた。
覇気を、使い果たしていた。空にあった体が、落ち始める。
その下で、龍がゆっくりと傾いた。百二十mの藍色の巨体が、淵へ崩れ落ちていく。
水が爆ぜ、渦が生まれた。
ディアナが、その渦潮へと吸い込まれる。
冷たさを、感じる暇もなかった。逆巻く水流が彼女を絡め取り、深淵へと引きずり込んでいく。
水の向こうに、茜色の光が揺れていた。その光が、少しずつ遠ざかっていく。
自分の名を呼ぶ声が、遠くに聞こえた気がした。
(……ザック)
手を伸ばした。何も掴めなかった。
茜色が、藍色に溶けていった。
そして、闇になった――
「28.藍龍の逆鱗、三つの刃」をお届けします!
いきなり、大ピンチですねぇ(^_^;
ディアナの運命、どうなるのでしょうか?
どうぞ、29話をお待ちください!




