63 魔女
学園内で囁かれる噂は、他愛無いものから家同士の争いに発展しかねない過激なものまで大小さまざまだが貴族にまつわることが大半だった。ここしばらくはエリアスやサーシャが中心であったが、最近は魔女の噂がひそやかに語られている。そのことに気づいたのはミレーヌだった。
「魔女といえば魅了の魔女か。誰を示しているか明白だな」
苦々しそうな口調は厄介な事態になったと察したからだろう。心配したミレーヌから相談を受けたシモンも同じ見解を抱いたからこそアーサーに相談することにしたのだ。
「不快ですが不敬に問えるほどでもありません。ただそれを真に受ける愚か者が現れることを懸念しています」
昔から多くの家庭で読まれているただのおとぎ話だ。王子様に魅了を掛けた魔女が結婚式直前に聖女に見破られて呪いを解かれ、聖女が王子と結ばれる勧善懲悪の物語。
王族を頂点とした貴族社会で身分の差は歴然と存在する。学園内では身分の差を問わないという前提ではあるが、子爵令嬢であるサーシャがアーサーやエリアスといった王族と関わりがあるのは何かあるのではないかと勘繰られても仕方がない。
「噂なので言い出した者の特定は難しいでしょう。おまけに噂を下手に咎めれば収まるどころか余計に燃え広がります」
番はシュバルツ国の王族に現れる性質なのでサーシャは関係ない。当事者にとっては不運だが、傍からみれば奇跡のような幸運と妬まれる。
「魅了などそんな呪いはないと証明することができない。もっともそれは番に関しても同様だが、目に見えないものだからこそ厄介だな。――ヒュー、サーシャ嬢の護衛に回れ」
魔女扱いされて危害を加えられる可能性を考慮して、傍に控える侍従に命じるが、嫌な顔をされた。
「シュバルツ王太子殿下に殺されます。そもそもあちらの手の者が護りに付いているので不要でしょう」
結局、噂の動向とサーシャの周辺に気を配ること、その二点だけ確定してこの場はお開きとなった。ただの噂と切り捨てられない不穏な気配にアーサーは胸騒ぎを覚えた。
張り出されたテスト結果を前にざわめきが起こった。レイチェルの付き添いで掲示板の前に着いた途端、サーシャの周囲から人が消えて落ち着かない空気が流れる。
「レイチェルさん――え…?」
首位にレイチェルの名前を見つけてお祝いの言葉を掛けようとしたが、その隣に自分の名が表示されているのを見て驚く。
「不正じゃない?」
小さな囁き声はサーシャの耳にも届いたが、泣きそうなレイチェルの顔に大丈夫だと頷いてみせた。
番について調べてくれているお礼にと休憩の合間にエリアスが勉強を見てくれていた。その成果なのだから恥じることはない。これまで20位前後の成績を維持していたが、掲示される成績は上位10位までだ。
元々の成績を他の生徒は知らないし、上位入りした理由も穿った考え方をしようとすればできる状況だったので、言い訳を口にせず無言を貫く。
「やっぱりあの噂は…」
ひそやかに非難や疑いの声が混じり始めた時、凛とした声が耳に届いた。
「サーシャ、よく頑張ったな。教えた甲斐があるというものだ」
「エリアス殿下のご指導のお陰でございます。ありがとうございます」
不穏な空気が和らぎ、納得する声があちこちで呟かれている。エリアスのおかげで自然な形で誤解を解くことができた。無意識に息を詰めていたせいで、呼吸が楽になったことに気づく。
「サーシャさん、おめでとうございます!」
場の雰囲気に呑まれていたレイチェルも安心したようにお祝いの言葉を掛けてくれた。
お礼を言いながらサーシャは自分の認識の甘さを悔やんでいた。ただの噂と放置していたものが未だに収まらず、レイチェルにも嫌な思いをさせてしまった。
「サーシャ、大丈夫か?」
最初に出会った頃よりもずっと穏やかになったエリアスだが、これが本来の彼の姿なのだろう。体質改善の効果が少しずつ表れているのかもしれない。
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
自分に向けられる悪意なら耐えられる。番でなくなれば婚約の話も消えるのだから、エリアスを頼るのは間違っている。少し寂しそうな横顔がシモンの見せる表情と似ているような気がして、思わず見つめるとエリアスの顔に柔らかい笑みが浮かぶ。
(気のせいだったかしら?)
安心したサーシャが視線を逸らしたため、エリアスの表情には気が付かなかった。




