51 シュバルツ国の王子
(つがいってまさか……)
前世の記憶の中にある、物語の中で使われていた言葉が思い浮かび、目の前が暗くなっていく。
「エリアス殿下、落ち着いてください。そちらのご令嬢だけでなくランドール第二王子殿下方も驚いております。ここがどこかお忘れになっては困ります」
傍に控えていた従者の声に腕の力が緩んだが、サーシャが離れようとした途端再び強い力で抱きしめられる。
「エリアス殿、彼女の名誉のためにも放してやってくれませんか。屋外でそのような振る舞いは看過できるものではありません」
苦しいが口に出すこともできず困っていると、強い口調でアーサーが抗議してくれた。
渋々と言った様子で身体を離してくれたが、片手は腰に添えられたままでもう一方の手はサーシャの手を握り締めている。
「驚かせてしまってすまない。俺はシュバルツ国の王子、エリアス・フォン・ルドルフだ。君の名を教えてくれないか」
手の甲に唇を落としながら、熱のこもった瞳で自分を見つめている男性は隣国の王子だった。緊張と込み上げてくる恐怖を堪えながら、サーシャは必死で口を動かし自己紹介を行う。
「ガルシア子爵家の娘、サーシャでございます」
片手を掴まれているが、不敬にならないよう視線を伏せて腰を落としてカーテシーの形を取った。
「サーシャ、可愛い名前だな」
嬉しそうな声とともに身体が浮き上がるのを感じて、サーシャは息を呑んだ。
「エリアス殿!」
アーサーの声を無視して抱きかかえられたサーシャが腰を下ろしたのは、エリアスの膝の上だ。遠くで悲鳴のような声が聞こえたのは気のせいではないだろう。会場から一番離れているが、人目がないわけではない。男性の膝上に腰掛けるなど淑女としてあるまじき行為で、ふしだらだと思われても仕方がないことだ。
「ああ、もう話が進まないのでせめて隣に座らせてください。エリアス殿下は陛下の名代としてランドール国に訪問しているのですよ。番を知らないこの国の方々にとって貴方様の行為は蛮行でしかないのです」
それでもサーシャを解放する様子のないエリアスに業を煮やしたのか、従者の青年はエリアスの耳元に何事かを囁いた。
僅かに顔を顰めたあと、エリアスは隣の椅子を真横に引き寄せてそこにサーシャを座らせた。相変わらず片手は繋がれたままだったが、過剰な接触が減ってサーシャはようやく息を吐く。
しかし安堵したのも束の間のこと、従者の青年―レンが告げた番の内容は、サーシャの記憶のものとほぼ同一のものだった。
シュバルツ国は竜を祖先に持つと言われており、その王族に時折現れる運命の相手、番と呼ばれる存在がいる。番は本能に近いもので、番に会えばどんな理性的な持ち主であっても、相手に惹かれずにはいられなくなる。もっと言えば番と傍にいられないことなど耐えられない状態になるため、過剰ともいえる求愛行動を取ってしまうらしい。
「エリアス殿下は理知的で他者を寄せ付けないほどの冷淡さから国内では氷雪の王子と評されるほど周囲に敬遠されるような生真面目な方なのです。それが番相手には本能が抗えず、このような行為を取ってしまったようです。ご令嬢におかれましては大変申し訳ございません」
レンの言葉も謝罪もどこか遠くから聞こえてくるようだ。
強制力から逃れるため攻略対象候補たちからの興味を削ぎ、婚約者との仲を改善すべく行動し、ようやく自由になったと思ったのに番の相手だと告げられてしまった。隣国の王族相手にただの子爵令嬢が拒否などできるわけがない。
(どうしてこうなるの?私、頑張ったのに……)
そう思ったらもう駄目だった。こらえる間もなく大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「サーシャ?!」
動揺したようなエリアスの声に続いて、冷たい指先が頬に触れる。王族の前で見苦しい真似をしてはいけない、と半ば反射のように必死で涙を止めようとぎゅっと目を閉じた。
「申し訳…ございませ…ん」
途切れ途切れだが謝罪の言葉を口にして目を開けると、俯いた視界の先に泣きそうなエリアスの顔が映った。
座っている自分よりも低い位置にエリアスがいることに驚愕し、次に王族を跪かせている事実に卒倒しそうになりながら立ち上がる。
「シュバルツ王太子殿下、どうかご容赦ください」
「サーシャを泣かせたのは俺だろう。番にあって浮かれてしまった。許してほしい」
衝撃のあまり涙はすっかり引いていたが、子爵令嬢ごときが王族を許すなどおこがましい。どう答えていいか言葉に詰まっていると、背後から冷ややかな声が聞こえた。
「アーサー殿下、これはどういうことでしょうか?」
そこにはいつもの笑みが消えたシモンが、責めるような眼差しをアーサーに向けていた。




