㊵苦手意識
「おはようございます」
先に声を掛けてくれたのはレイチェルだった。
「おはようございます、レイチェル様」
「あの、サーシャ様、昨日はありがとうございました」
「どういたしまして。生徒会のお仕事、頑張ってくださいね」
お礼を言われ、昨日の行為が余計なお世話でなかったことにサーシャはほっとした。
「あ、あの」
「おはようございます!レイチェル様」
何かを告げようとしたレイチェルを遮るようにエマがレイチェルにだけ挨拶をする。まるでサーシャがいないかのように背を向けて、笑みを浮かべるエマにレイチェルは戸惑いを隠せない。
「あ、おはようございます。エマ様」
「そんな様付けされるような身分ではありませんよ。よければエマと呼んでください」
笑顔の中に感じる圧力にレイチェルは助けを求めるかのように視線を彷徨わせている。
まだ登校している生徒は少なく、ジョルジュの姿も見えない。怯えた小動物のようなレイチェルをそのまま放っておくことはできなかった。
「エマ様、レイチェル様はお仕事があるようですわ」
レイチェルは大人しいが頭の回転が速く、サーシャの言葉の意味もすぐさま理解したようだ。
「ごめんなさい。入学式の準備があるので、失礼します」
そう言って軽く会釈をするとレイチェルは足早に講堂へと向かった。残されたエマは不服そうな表情を浮かべているが、サーシャは気にせず席に着くことにした。
(彼女が転生者でヒロインであったとしても、なるべく関わらないほうが良いタイプだわ)
放課後、サーシャは生徒会室に向かっていた。新しい生徒会としての初仕事を終えてささやかな慰労会が行われることになっている。
生徒会長のシモンを筆頭に副会長のソフィー、会計のアーサー、そして書記を務めるレイチェル。顔見知りのメンバーではあるが、わざわざサーシャにまで声を掛けてくれたのはレイチェルとの仲違いを知ってシモンが気を回してくれたようだ。
部外者が参加することに引け目を感じたものの、レイチェルが望まないならお菓子だけ差し入れて帰ればいいと前向きに考えることにした。このまま微妙な雰囲気を抱えたまま1年間過ごすより、きちんと向き合ってみようと思ったのだ。
「待ってたよ、サーシャ」
義兄のシモンに温かく迎えられて部屋に入ると、ソフィーの侍女であるミラがお茶の支度に取り掛かっているところだった。サーシャは手伝いを申し出るが、丁重に断られ仕方なくお菓子だけを渡して引き下がる。
(せっかく間近で見せてもらうチャンスだったのに)
アーサーはそんなサーシャの心中を見抜いたのか、忍び笑いを漏らしている。
「…あら、レイチェル様はどちらへ?」
サーシャよりも先に教室を出たはずのレイチェルが見つからない。何か雑務をこなしているのであれば手伝うつもりでいたが、シモンは訝しげな表情で答えた。
「いや、レイチェル嬢はまだ来ていないよ」
その時焦ったようなノックの音がして、髪を乱したレイチェルが慌てて入ってきた。
「遅れて、申し訳ございません!」
走って来たのかすっかり息を切らしている。そんなレイチェルに椅子を勧めようとした時、彼女に続いて誰かが部屋に入ってきた。
「もうレイチェル様、意地悪しないでくださいね」
ふわふわとしたソプラノの声にレイチェルが怯えたように身体を強ばらせる。それを見てサーシャは何が起こったのか、何となく予想がついた。生徒会室に行きたいとねだるエマを振り払おうとしたが上手くいかなかったのだろう。
「レイチェル嬢に何か用事があるのかな?」
急に現れたエマを気遣うようにシモンが尋ねる。
「学園を案内して頂く約束をしたのに、ずっとそのままにされているんです。私はレイチェル様と仲良くしたいのに、やっぱり平民だから嫌われているのかもしれません」
目に涙を溜めて、弱々しく項垂れる様は同性から見ても庇護欲を誘う。
「ああ、君が昨日編入して来た子か。レイチェル嬢は生徒会メンバーでここ数日は入学式準備に追われていたから時間が取れなかったのだろう」
さりげなくレイチェルを庇う様子に、シモンがレイチェルを信頼しているのが分かった。
優秀だったからこそ2年生で唯一の生徒会メンバーに選ばれたレイチェルは、最初は緊張のあまり倒れそうなほどだったとソフィーが話していた。それから一緒に仕事をするうちに徐々に慣れていき、今ではメンバー全員と良好な関係を築いているということも。
「会長は優しい方なんですね。私、エマと言います。仲良くしてくれたら嬉しいです」
先程とは打って変わって、満面の笑みを浮かべて自己紹介をするエマの変わり身の早さに嫌な感情が込み上げてくる。
遠い昔の記憶と感情が入り混じって、無意識に口元を押さえた。
「サーシャ?」
その様子に気づいたソフィーから声を掛けられて、過去に引きずられそうだったサーシャは何とか踏みとどまる。
「お打ち合わせのお時間ですわね。それでは私は失礼いたします。エマ様、よろしければ教室までご一緒しましょうか?」
部外者である自分がここに留まれば、エマも慰労会に参加することになりかねない。それだけはどうしても嫌だと強い感情に従って、サーシャはエマに声を掛けた。
不満そうな表情を浮かべたエマが言葉を発する前に、何かを察したアーサーが言葉を重ねる。
「サーシャ嬢、ありがとう。頼んだよ」
そう言われてしまえば退室するほかない。暇を告げて生徒会室を出ると痛いほどの視線を感じて、振り向くと案の定エマから睨みつけられていた。
「サーシャ様、どうして邪魔をするんですか?」
今まで嫌がらせを受けた時も平静だったはずなのに、明確な苛立ちをぶつけられて胸がしめつけられるように苦しい。
「何か邪魔をしてしまいましたか?」
正面から対峙する気になれず、質問に質問で返した。
その態度に言い返す気も失せたのか、そのまま無言でエマはサーシャに構うことなくそのまま階段を下りていく。エマの姿が見えなくなると、ようやく呼吸が楽になり自分が息をつめていたことに気づいた。
(エマ様は苦手だわ…。どうしても前世のあの人たちを思い出してしまう)
今まで自分が転生者だという認識は薄かったが、エマの存在にサーシャは過去を強く意識させられた。




