知っているようで知らない日常
――ヨムカ。
誰かが呼びかける。記憶にない誰か懐かしい声のように思う。目を見開くとおぼろげに揺らぐ何処かの街並み。
「おい、ヨムカ」
振り返ると真っ黒な人影が四人分。みなが口々に自分の名を呼び笑っている。その笑い声は馬鹿にしているわけでも、見下しているものでもない。自分を迎え入れるような温かなもの。知っているようで知らない彼等の声はヨムカを困惑させていく。
「どうして私の名前を呼ぶの。キミ達は誰なの?」
彼等の雰囲気を汲むに敵では無いのだろう。ヨムカはこのまま無視してもよかったのだが、どうしても彼等の存在が心を離さないのだ。これは夢だと言うのは分かっている。だって、自分は先程までは自宅に居て、父と母とテーブルを囲んで夕食を食べていたのだから。
夢なら何をしてもいいだろう。もしかすると、彼等は自分の妄想が創り出してしまった都合の良い存在なのかもしれない。だったら、彼等を知るのもいいだろう。
「ツナパン食うか?」
「もう……君ったら。今日は美味しいデザートを食べるんだよ。ヨムカちゃん、今日はいっぱい甘いケーキを食べようね」
「ふふ、そうですね。ヨムカさん、遠慮なんていりませんからね」
「ということだ。さっさと食いに行くぞ」
彼等の姿は黒い影だから、どちらを向いているのかは分からないが、きっと今は背を向けているのだろう。ちょうど真ん中に人一人が入る隙間を開けて歩いているので、ヨムカがその隙間に収まると妙な居心地の良さを感じてしまう。
突如として視界が一転。
次いではどこかの狭い部屋。部屋の中央には四人分の木製机があり、部屋の奥には書物の城塞で彩られた一際高級な机がある。その前にはやはり四人の先程の影に一人プラスされており、何やら言い合っているようだった。
「い・い・かなぁ!? 馬鹿……はさァ、己の身の程を知ってモノを言って欲しいんだよねぇ」
「あ~、馬……いちいちうるさいぞ。少しお前も静かにすることを覚えたらどうだ?」
「はぁ~!? 僕がうるさいって? ありえないでしょ! そもそもがだよ。……は隊長としての自覚がなさすぎだと思うんだよねぇ」
一人が勝手に騒ぎ、もう一人が冷静に流していく。
そんな構図もどうしてか懐かしい。でも、自分の記憶にない出来事にいちいち心動かされるのもどうだろうか。ヨムカはぼんやりとそのやり取りを眺めているとまたしても視界が一転する。
そこは、廃墟だった。
前二回の光景とは違って寂しさしかない。割れた窓ガラスは地面で日差しを反射してキラキラと輝いている。等間隔に左右平等で並ぶ柱の奥から現れた存在。だが、彼は今までのような影ではなく。ちゃんと色をもった現実味ある人間の姿。
「こんな所でまたお前と会う事になるとはね」
年齢は二十代半ばくらいだろうか。蜂蜜色の甘い髪。浅葱色の右目と髪と同じ色をした左目を持つ青年。相手は此方の事を知っているようだったが、あいにくと自分は相手を知らない。反応に困っていると、向こうは可笑しそうに笑う。
「おい、お前。まさか記憶がないんじゃないか? だが、それ以上に何故お前がここに居る?」
「えっ、分からないですけど……ここは私の夢じゃないんですか?」
「夢……夢だって? 何を寝ぼけたことを。ここはお前達の住む世界とは隔絶された上位の領域だ。間違っても人だるお前が来れる次元じゃないんだがね」
青年は好奇心とも侮蔑が交じり合ったような色を乗せた視線を押し付けられる。何と答えたものかと押し黙っていると、肩を竦められた。
「身に覚えが無いのならそれでも構わない。お前がどうして記憶を失っているのかは知らないし興味もない。だが、一つ助言をしてやる。無理に全てを思い出す必要はない。一点を狭い範囲で思い出すよう努力するんだな。あとは勝手に思い出せるときもある」
「え、あ、うん。ありがとう……?」
「元居た世界に帰るといい。希望照らす夕日色の魔術師」
青年は指を鳴らすとヨムカの意識は暗転した。
こんばんは、上月です(*'▽')
次回の投稿は9日の夜になります!




