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Bar Absolution ~罪喰いの夜~  作者: 翠


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8/11

7.Godfather/Godmother―家族のカタチ―

 真夏と言われる時期が過ぎ、ジメジメとした残暑を纏う初秋の夜。

 Bar Absolutionの扉が、静かに開いた。


「久しぶりだね」

「……ご無沙汰しております、昌宏様」

「ご無沙汰しております」


 淡々とした透と樹の応対に、来店した男――月峯(つきみね)昌宏(まさひろ)は、穏やかな笑顔のまま悲し気に眉を下げる。


「えー、何でそんな他人行儀な言い方するのー? 昔みたいに『パパ』って呼んでよぅ。それにしてもこのお店、あるってわかってるはずなのにほんと見つからないよね。この辺何往復もしちゃった」


 透はおどけたような話し方をする昌宏を一瞥し、おしぼりを手渡した。


「本日は、どのようなご用件でしょうか」

「本当につれないんだから、透君は。樹君もそう思わない? あ、このおしぼり冷たくて気持ちいい~ありがとうね」


 汗ばんでいた顔をおしぼりで拭きながらのんびりとのたまう昌宏に、透が一瞬顔をしかめた。だがすぐにいつもの笑顔を取り繕い、もう一度尋ねる。


「何か御用があっていらしたのではないのですか?」

「息子の顔を見に来るのに、理由なんている?」

「私達はそのような間柄でもないでしょう。ご用件をどうぞ」


 氷をたっぷり入れたグラスに注いだミネラルウォーターをカウンターに置きながら透が畳み掛けると、ヘラヘラしていた昌宏が表情を引き締めた。


「実はね、芙美(ふみ)ちゃんの記憶が戻るかもしれないんだ」

「――っ!」

「――それは、透のことを、という意味でしょうか?」

「そう。まだはっきりはしていないんだけどね。『何か大事なことを忘れている気がする』段階って感じ」


 息を呑み、動揺している透の手を握り、樹が前に出る。


「どういうことなのか、説明していただけるんですか……?」

「もちろんだよ。ただ正直、まだ何とも言えない状態だから説明も何もないんだけど。それでも一応、透君の意思確認だけしておこうと思ってね」

「意思確認、ですか?」

「そう。もし、芙美ちゃんが透君に会いたいってなったら、会いたい? 会いたくない?」

「……」

「それによって、僕もほら、対応の仕方が変わるかなーって」


 透は何も言葉を発しない。昌宏の言葉を理解しているのかも怪しい状況だ。


「答えは、急ぎますか?」

「んー、そうでもないけど。次の“発作”が起きる前には、聞いときたいかな」

「発作? どこかお加減悪いんですか?」

「いや、最近たまに、突然頭を抱えて苦しむことがあってね。その時に、“何か”を思い出そうとしてるんだ」

「それが透のことだと……?」

「たぶんね。『あの子はどこ?』って繰り返し言ってるから」


 正直、何を言っているんだろう、と樹は思った。

 透が誤って“喰って”しまったことで、芙美は透を忘れてしまった。それ自体は、事故みたいなものだ。だが、大好きな母親に忘れられてしまった事実が幼い透の心に深い傷をつけたことは間違いない。

 そして、何よりもこの男は。泣きじゃくる我が子を抱きしめようともせず、静かに距離を置いたのだ。

 母親を“失い”、父親に見放される……それが、どんなに辛いことなのか。

 今になって「会いたいか」とは、どういうことなのか。

 あまりにも、透の――息子の心を、蔑ろにしすぎなのではないのだろうか。


「お帰りください。今日、お返事することはできません」

「……そう。わかったよ」


 昌宏は素直に席を立ち、「また来るね」と言葉を残し、店を出て行った。


「透」

「……」

「透。大丈夫か?」


 声をかけても反応がない透の肩を揺さぶる。すると、今にも泣きそうな、縋るような目で樹を見上げた。


「いっちゃん……」

「ああ」

「俺、……」

「ああ」

「わかんない……」

「そうか」


 透の頭を胸元に抱き込み、宥めるように背中をさする。


「すぐに答えを出さなくてもいい」

「……うん」

「思うことがあれば俺に言え」

「うん」

「どんな答えでも、俺が隣にいる」

「うん」


 樹の腰に腕を回し、一度ぎゅっと力を入れて。樹を見上げた透の目が、今は安心したように細められていた。


「ありがとう、いっちゃん」

「ああ」



 *

「――まぁ正直さ、どっちでもいいんだよね」


 翌朝、「おはよー」といつも通り起きてきた透が、唐突に結論を出した。

 今朝は食欲がないかもしれないな……と、透の好きな卵がゆを作っていた樹は、思わず拍子抜けした表情を向ける。


「昨日の話。昨日はさすがに急だったし動揺しちゃったけど、よく考えたらどっちでもいいなって」

「どっちでも、か?」

「うん。別に積極的に会いたいとも思わないし、だからと言って絶対会いたくないかって言われたらそうでもない」

「……そうか」

「だって、俺ももう二十六になるんだよ? 母親を思って泣く五歳児じゃない。むしろ今更親子やれって言われてもどうしたらいいかわからなくて困ると思うんだよね」


 そう何でもないことのように話す透の表情には、無理をしている様子はない。


「でも、」

「ん?」

「あの人には、もう会いたくない気持ちの方が大きいかな。あのノリ面倒だし」

「そうか」

「だからさ、ちょっと今日行きたいところがあるんだけど、いい?」



 *

 朝食後――透は嬉しそうに卵がゆを二膳食べた――二人が向かったのは、透の実家である月峯家本邸の敷地内にある別邸だった。

 

「連絡はしてあんのか」

「うん、お祖父様にね。さっきメッセージ送っといた」

「先代、メッセージアプリ使ってんのか……」


 玄関のチャイムを鳴らすとすぐに応答があり、開錠された。


「お帰りなさいませ、透様、樹様」

「じぃ、ただいま。久しぶりだねぇ」

「お久しぶりです」


 出てきたのは、老齢の家令だった。透が本邸で暮らしていた頃から、先代当主――月峯(つきみね)宗介(そうすけ)に仕えている男だ。


「お元気そうで何よりです。こちらへどうぞ、宗介様がお待ちですよ」


 案内されたのは別邸のリビング。家族やごく親しい人間しか通すことのない、プライベートルームだ。そこの一人掛けソファに座っていた宗介が、二人の顔を見て嬉しそうに立ち上がって迎える。


「透、よく来たな。樹も、また大きくなったんじゃないか?」

「お祖父様、お久しぶりです。お元気そうで安心しました」

「お久しぶりです。身長は、たぶん前にお会いした時と変わってないです」

「はっはっは、そうか。いや、元気そうだ。まぁ座んなさい。生憎ばあさんは出かけていて留守なんだがな、帰って来たら自慢してやろう。しかし、ここに来るのはいつぶりだ?」


 豪快に笑う宗介に勧められるままに、二人は三人掛けのソファに腰を下ろした。


「最後に来たのはお正月でしたね。新年の挨拶に伺った際に」

「もう半年以上経っているじゃないか! もっと頻繁に帰って来んか、このじじ不幸者どもがっ」


 ご機嫌だったかと思えば、突然拗ねたようにそっぽを向いた。相変わらず感情が豊かな祖父の姿に、思わず顔を見合わせて苦笑する。


「すみません、お祖父様。お世話になっているのになかなか顔を出せなくて」

「いや、責めてるわけじゃないんだ。ちょっと寂しかっただけで……すまん、大人気なかったな」


 透の申し訳なさそうな笑顔に慌てて謝罪する宗介には、旧家の先代当主としての威厳は全く感じられず、“孫に弱いお祖父ちゃん”そのものだった。


「それで、聞きたいこととは何だ? 何か困ったことでもあったか?」


 使用人が紅茶とケーキをセットし、退出したタイミングで宗介が切り出した。


「実は昨日、昌宏様が来店されたんです」

「な……っ!?  もしかして、芙美のことでか?」

「はい。『会いたいと言われたら会いたいか』と問われたのですが、お恥ずかしながら少々動揺してしまいまして……お返事ができていない状態です」

「そうか……急にそんなこと言われて、すぐに返事できるわけがないのになぁ。透、嫌な思いをしたろうに、よく会いに来てくれたな。じじは嬉しいぞ」


 宗介の言葉と笑顔に、透の表情も綻ぶ。幼い頃、両親と離れることになった透を引き取ってくれた宗介。ずっと味方でいてくれた祖父のこの快活さに、どれだけ救われてきたことか。


「ありがとうございます。お祖父様には心から感謝しております。先日も、顧問弁護士の先生にお世話になりまして」

「透は本当にかたっ苦しいのぅ。可愛い孫の世話をするのは、老い先短いじじの数少ない楽しみだといつも言ってるだろう。なぁ樹、お前さんもだぞ?」

「はい、ありがとうございます」

「かたい! お前らは二人揃って本当に……。まぁ、いい。それで、報告だけじゃないんだろ? 何か聞きたいことがあるのか?」

「ええ。もしかしたら、なんですが……僕はもう一度、芙美さんの『罪』を喰うことになるかもしれません」

「「――っ!」」


 透の言葉に、宗介はもちろん、何も知らされずに連れられて来た樹も驚いている。


「あ、あくまでも必要があれば、です。でも可能性がある以上、お祖父様の意向も聞かないと、と思いまして」

「それは……儂の意向よりも芙美の気持ちの方が大事ではないか?」

「はい、そこが一番ではあるのですが……もしすべてを思い出してしまったとしたら、冷静ではいられないかもしれない。そうなったら、また忘れてしまうことが最善だと思うんです」

「透は、それでいいのか?」

「ええ。今までと何も変わらないだけですから」


 一切の悲壮感も感じられない表情で淡々と話す透に、宗介と樹の方が困惑を隠せていない。そして、一度樹の顔を見て、もう一度宗介に向き合った。


「それと……お祖父様にお願いがあるんです」

「何だ?」

「僕と樹を、お祖父様の養子にしていただけませんか?」

「は!? 養子……養子って、養子か? 儂の孫じゃなくて、息子になるってことか? 樹と一緒に?」

「はい」

「はい、って……樹、お前も同じ気持ちなのか? って何だ、聞いてなかったのか?」


 またもや何も聞かされていなかった樹は、ポカンとした顔をしているだけだった。


「はい……昌宏様のことで何か話があるんだろうって思っていただけで」

「透、そういう大事なことはきちんと話し合って決めないといかんじゃないか」

「だって樹が『どんな答えでも、俺が隣にいる』って言ってくれたから」

「は?」

「ね、いっちゃん?」

「ああ、確かに言ったが」

「だから、これが俺の出した答えです」

 

 どこか誇らしげに、だけど宗介に対しては唐突だったことを自覚しているのだろう。少しだけ申し訳なさそうに、眉を下げて笑った。


「そうか。ではまず、その答えに至った経緯を聞こうじゃないか。儂の返事はそれからだ」

「ありがとうございます、お祖父様」


 嬉しそうに礼を言うと、佇まいを直し、樹の手を握った。


「……僕にとっての家族は、樹とお祖父様、お祖母様。そして、じぃだけです」


 その言葉に、宗介が悲しげに顔を歪め、樹は握られている手を強く握り返す。


「“あの日”、自分の能力をよく理解せずに使ってしまったことで、僕は母を失くしました。それと同時に、父も。だけど、僕の隣にはいつも樹がいました。お祖父様は、お祖父様であり父のように僕を守ってくれて、お祖母様は母のように優しく、いつも包み込んでくれました。使用人たちは表面上は優しかったけど、僕の能力を怖がっていることは伝わりました。両親に捨てられたことも重なって、腫れ物を扱うように僕を見ていた。その中で、じぃだけは変わらず僕と接してくれて……だから、じぃが僕のおじいちゃんでした」


 母に忘れられた時、透は大泣きした。だけど父である昌宏は、大泣きしている透を横目に、妻である芙美を優先したのだ。碌に声もかけずに“切り離す”ことを選んだ。

 宗介と雅がすぐさま状況を把握し、透の保護に動いてくれなかったら……透の傷はもっと深く抉られていただろう。

 

 透が泣き疲れて寝てしまった後、樹は昌宏の元へ一人で向かった。「何故透を抱きしめてやらないんだ」と、直談判するために。

 だが、そんな樹に昌宏は「月峯家にとって重要なのは透ではなく芙美だ」と言い放ったのだ。「可哀想だとは思うよ?」と、半笑いで。

 当時五歳の樹でもわかった。“昌宏は透を捨てたんだ”と。

 だから、その分も樹が傍にいて透を守るのだ、と心に誓った。そのために格闘技を習い、身体も鍛えた。

 だけど子供にできることは限られているので、宗介たちの愛情には本当に救われたものだ。


「最初は流石に寂しかったし悲しかったけど、みんながいてくれるから大丈夫だった。僕は、充分過ぎるくらい幸せでした。だから……今が、ちょうどいいタイミングかなって」

「ちょうどいい、とは何だ?」

「春に樹とお花見に行った時、二人を見ました。……小学生くらいの、娘さんも一緒に。血縁上は妹になるんでしょうけど、“あの家族”は、僕とは無関係のものでした。あの笑顔の中に、僕は入れません」


 元々は感情豊かだった透は、あの大泣き以来、感情を隠すようになった。その代わり見せるようになったのは、今みたいな曖昧な笑顔。きっと、自分でもどのような感情なのかわかっていないのだろう。


「でも、今の僕はまだあの二人の子供です。いくら家を出ていても戸籍上は僕が長男なので、昌宏様に何かあった時、月峯家の跡継ぎに僕の名前が上がってしまう。正式に辞退すればいいのかもしれないけど……もし許されるのなら、僕はあの戸籍から抜けたいんです」

「それで、儂の養子に、か?」

「はい。先ほども言いましたが、僕にとっての父はお祖父様です。分籍すればいいのかもしれませんが、できることならお祖父様の家族でいたい。何かあった時、すぐに駆けつけて傍にいられるように。樹と一緒に、というのも、同じ理由です。血で繋がっている家族、というものに正直僕は何の重要性も感じませんが、法律上での家族という立場は、いざという時に必要になるので」


 生まれてすぐに両親を亡くした樹は、宗介が樹の祖父の友人だったことから後見人となり、ずっと月峯家で過ごしてきた。だが、どれだけ同じ時間を過ごしたとしても、どれだけ互いを大切に思っていようとも、透と樹に血縁はなく、書類上では他人でしかない。

 この現状でどちらかに何かがあった時、二人は引き離されてしまうのだ。“法律”という名の下に。


「月峯家は、もう昌宏様が継いでいます。必要であれば継承権放棄の書類を作成するので、僕が跡継ぎ候補に挙がることはありません。もちろん、遺産目当てなわけでもないのでそちらも放棄させていただきます。……厚かましいことはわかっています。でも、……お願い、できないでしょうか」


 上目がちに宗介を見る透の顔は、迷いのない瞳をしていた。だが、拒絶される可能性を恐れているのだろう、樹と繋がれている手は小刻みに震えている。


「樹よ」

「はい」

「透はこう言っておるが、お前さんはどう思う?」

「俺は……透が安心して暮らせるのなら、何も言うことはありません」

「お前さんも儂の息子になるということだが、異論はないのか?」

「宗介様と雅様には、返しきれないほどの恩があります。どんな立場になろうとも、一生をかけてこの恩に報いたいと思っております」


 背筋を伸ばし、真っ直ぐに宗介を見つめながら言葉を返していく樹の表情からもまた、迷いなどは感じられない。

 だが、樹の答えを聞いた宗介が顔をしかめた。


「そうじゃないだろう」

「え?」

「そういうことを聞いてるんじゃない」

「……?」

「透。この選択に、後悔はしないか?」

「っ! はい、しません」

「儂の息子に……儂とばあさんの子供になれたら、嬉しいか?」

「はい、嬉しいです」


 少し照れたように、だけど嬉しそうにはにかむ透に「うむ」と頷き、もう一度樹に問いかける。


「樹。お前さんはどうだ? 儂らと家族になることを、喜んでくれるか?」

「――っ」

「まぁ、関係性としては何も変わらないがな。儂らにとって、樹は大事な孫だった。それが書類上の手続きで息子に変わるだけだ」

「あ、えっと……」

「何だ? やっぱり嫌か?」

「いえ、その、……嬉しい、です」

 

 絞り出すような、小さな声。大きな身体が、何だか小さな子供に戻ったように縮こまって見えた。


「そうかそうか。なら良かった。じゃあ、決まりだな。お前さんたち二人は、今日から儂の息子だ!」


 ニカッと歯を出して笑う宗介が、大きな声で家令を呼んだ。


「おう、榊原(さかきばら)や。至急この二人の養子縁組手続きをしてくれ」

「かしこまりました。早急に手配してまいります」

 

 宗介の唐突な言葉に驚く様子も見せない家令が、指示を受けすぐさま退出していった。とんとん拍子に進んでいく展開に、透は苦笑し、樹はまだどこか困惑している。


「お祖父様、ありがとうございます。ただ、僕が言うのも何ですが、お祖母様の許可は得なくてよろしいのですか?」

「ばあさんが反対すると思うか? きっと泣いて喜ぶぞ。サプライズだ、サプライズ。あと、『お祖父様』じゃない。『お父様』だ」


 いたずらっ子のような顔を見せる宗介に、透の緊張は解れ、樹もようやく息を吐いた。


「宗介様、本当に良かったのでしょうか」

「『お父様』」

「え」

「今、透に言ったばかりだろう。『お父様』だ」

「お父、様……?」

「ん? 何だ、樹よ」

「いえ、透はともかく、俺のことまで養子にだなんて、良かったのでしょうか……」


 恐縮したような樹の態度に、宗介は顎に指を当て前のめりに座り直した。


「実はな、昔お前さんたちを儂らの養子に迎えようと、ばあさんと話していたことがあったんだ」

「え、いつ頃ですか?」

「芙美のことがあって少し経った頃だな。透、お前さんがとにかく不憫でな……儂らの養子にして、兄弟として育てようかと真剣に考えた。だけどな、そこにお前さんたちの意思はないだろう? 儂らの勝手なエゴで決めてしまうのもどうかと思って、保留にしていたんだ」

「そう、だったんですか……」


 初めて聞く話に、透も樹も驚きを隠せず、ポカンとしている。

 

「あんなに辛いことがあったのに、よく頑張った。透は穏やかで聡明に育ち、樹はみるみる大きくなって……最初はそんなに身体を鍛えてどうするつもりなのかと思っていたが、透を守るためだったんだもんな。いつも隣で透を気にかけていることがわかって、本当に嬉しかった」

「お祖父様……」

「『お父様』な。次間違えたらペナルティーだぞ。……お前たちは儂らにとって自慢の孫だった。それが今、自分の意思で『息子になりたい』と言ってくれたんだ、今、儂がどれだけ嬉しいかわかるか?」

 

 ん? と、首を傾げる表情は本当に嬉しそうに緩んでいた。そして、初めて聞く祖父母の思いに、その優しさに、透の瞳からは涙が溢れた。


「ありがとうございます、お父様……」

「ありがとうございます」


 透の涙に宗介が慌てながらティッシュを差し出し、「お父様」呼びにキュンとして。室内の空気が緩やかになった頃、廊下からパタパタ、という足音が聞こえ、扉が開いた。


「あなた、ただいま帰りました。透ちゃんと樹ちゃんが来てるって聞いたのだけれど……あら、泣いてるじゃない! あなた何かしたの!?」

「え!? いや、儂は何もしておらん! 何なら儂も泣きそうなくらいなんだ!」

「……何を言っているのかしら? 透ちゃん、大丈夫?」


 帰宅した雅が室内の様子に驚き、二人のもとに駆けつけて泣いている透を抱きしめる。しかし透は、宗介と雅のやりとりにすっかりと涙が引き、楽しそうに笑っていた。


「大丈夫です。ありがとうございます、お母様」

「お母様……? え、どういうこと!? あなた? 樹ちゃん?」

「いえ、あの。よろしくお願いいたします、お母様……」

「え!? 樹ちゃんまで……!? あなた、もしかして……?」

「ああ。正式に、透と樹は儂らの息子になった。もちろん、二人の希望で、だぞ」


 キャーッと、叫びながら喜ぶ雅はもう一度透を抱きしめ、腕を伸ばし樹も巻き込む。


「すみません、ご不在の時に話を進めてしまって……」

「そんなの気にしなくていいわよ。嬉しいわ、本当に。……だけど、突然こういう話になったっていうことは、何かキッカケがあるのよね?」


 二人の顔を手のひらで挟みながら、心配そうな眼差しを向けた。わかっているのだろう、“何か”を。


「僕が、お二人の息子になりたいと望んだんです。樹と一緒に」


 そんな雅に、透は無垢な笑顔を向けながら。ハッキリと自らの気持ちを伝えた。

 ――そう、透の心がいつだって家族のもとにあった。昌宏のことはあくまでも“キッカケ”になっただけで、そこはさして重要ではないのだ。


「まぁ! まぁまぁ……っ、嬉しいわぁ。ね、お昼はみんなでいただきましょう? 何か出前をとりましょうか。何がいいかしら」

「ありがとうございます。でも、今日は樹と僕が作ってもいいでしょうか?」

「樹ちゃんと透ちゃんが? あら、それは嬉しいわね! お願いしてもいいの?」

「ええ。簡単なもので申し訳ないんですが……」

「何を言う! 二人の料理を食べられるなんて、それだけで嬉しいに決まってるじゃないかっ」

「ふふ。ありがとうございます。キッチンお借りしますね」



 *

「お待たせいたしました」


 数十分後、透と樹が料理をワゴンに載せ、戻ってきた。


「おお、冷やしうどんか」

「あら、さっぱりしていて美味しそうねぇ」


 ダイニングで待っていた二人の前に、給仕人が丁寧に皿を並べる。透と樹も向かいの席に座り、礼を言いながら受け取った。


「小さい頃、体調を崩すとお母様が作ってくださるうどんが大好きだったんです。温かいうどん、冷たいうどん……季節や体調によって僕が食べやすいようにいろいろ考えてくださっていることが伝わって、本当に嬉しかった。だから、今日は僕が。外はまだ暑いので、冷しゃぶうどんにしました」

「透ちゃん……」

「僕はあまり料理が得意ではないので、本当に簡単なものになってしまったんですが……たれは樹の手作りなので味は保証します」

「はっはっはっ、そうかそうか。じゃあ、いただこうか」

「ふふ、そうね」


 「いただきます」と手を合わせ、箸でうどんを口に運ぶ。麺をすすると、もちもちとした麺にたれが絡みつき、ほんのりごまの風味が香る。さっぱりしていて美味しい、二人にとって夏の定番とも言える料理だ。


「あら、すごく美味しいわ」

「ああ、このたれか? 馴染みがあるような、でも初めて食べるような……何とも箸が進む味だな」

「お肉も美味しいけど、トマトもいいわね。バテてる時でもたくさん食べられそう」


 絶賛しながらも箸が止まらない状態の義父母に、透と樹が顔を見合わせて笑顔を交わした。


「お口に合って良かったです。元々は、お母様が昔作ってくださった冷しゃぶうどんを樹が再現しようとしてくれたレシピなんです。全く同じものにはなりませんでしたが、これが僕たちの味になりました」

「レシピくらいいくらでも教えるのに……でも、こんなに美味しい“二人の味”ができたなら、結果オーライね。素敵だわ」

「ああ、本当に美味かった。ごちそうさん。ありがとうな、二人とも」


 綺麗に食べ終え、宗介が満足そうに手を合わせた。少し遅れて雅も食べ終わり、にこにことご機嫌そうに口を拭いている。

 

「いえ、こちらこそ。……お二人はこの後、何かご予定はありますか?」

「いや、特にないぞ」

「私も。あら、もしかして今日は二人ともお泊まりできるの?」

「あ、いえ、そうではなくて。もしよろしければ、お二人にカクテルを作らせていただけたら、と思いまして」

「おお、そりゃあいい。ぜひ作ってくれ」

「もちろん、私もいただきたいわ」


 では、と、透はリビングに設置されているバーカウンターに向かう。

 透が、『罪喰い』の能力を活かすためにバーテンダーを目指したい、と言った時に宗介によって設置された透専用のバーカウンターだ。

 久しぶりに立つその場所に、感慨深さを感じながら、透はロックグラスを二つ取り出す。

 氷を入れ、一方には宗介お気に入りのスコッチウイスキーを。もう一方には、癖のないクリアウォッカを。それぞれにアマレットを入れ、軽くステアしたら出来上がりだ。


「お待たせいたしました」


 カウンターチェアに座り、透が作る姿を見ていた二人の前にグラスを置く。


「お父様にはゴッドファーザー、お母様にはゴッドマザーを。お父様は僕にとって、一番尊敬している『偉大』な父であり、お母様は『無償の愛』を与えてくださった優しい母でした。これまでの感謝と、これからもよろしくお願いいたします、という気持ちを込めて」


 透の後ろには樹が立ち、透と同じように二人に視線を向けていた。


「やだ、もう……っ」

「うちの息子たちは随分といい男に育ったもんだなぁ。ばあさんよ、儂らは果報者だな」

「ええ、ええ。本当に、その通りね」


 宗介が、堪えきれずに涙を流す雅の震える肩をそっと抱き、その手を握る。

 

「ほら、いただこう」


 まずは宗介が、グラスを手に取りゆっくりと口をつける。


「うむ、美味いな。スコッチはいつもストレートで飲んでいるが、少し甘さのあるこれも飲みやすくて美味い」


 次に、少し落ち着いた雅が。


「あら、こっちはとても甘くってジュースみたい。お酒、なのよね?」

「はい。ウォッカを使っていますので、飲み過ぎには気をつけなければならない、ちょっと危ないお酒です」


 透が冗談っぽく言うと、雅の顔に笑みが戻った。

 チェイサーとして樹がミネラルウォーターの入ったグラスをカウンターに置くと、二人は時折水を飲みながらゆっくりとカクテルを味わう。


「――最初、透ちゃんがバーテンダーになるって言った時、正直不安だったの」

「不安、ですか?」

「ええ。バーテンダーになること、と言うよりは『罪喰い』の能力を使うことに、だけれどね」

「それは……ご心配を、」

「だけどね、この人は手放しに応援して、すぐにこんな立派なバーカウンターまで作らせちゃったでしょ? 透ちゃんについて行くと言った樹ちゃんの瞳にも、迷いはなかった。……心配していたのは私だけ。ううん、信じてあげられてなかったのよね、透ちゃんの強さを」


 そう言うと雅は、自嘲するようにグラスを傾け、透の目を真っ直ぐに見上げた。


「ごめんなさいね、透ちゃん。今日改めて、あなたの強さと優しさを感じられたわ。ありがとう」



 *

「いっちゃん、今日はありがとうね」

「いや。……でも、びっくりしたぞ。ああいうことは先に言っておいてくれ」

「ふふ。ごめんね」


 月峯邸からの帰り道。ご機嫌に酔っ払いながら「車で送らせる」と言う宗介の言葉を丁重に辞退し、二人は駅までの道をゆっくりと歩きながら会話を交わしていた。


「――透」

「うん?」

「ありがとう」

「ううん。俺が、いっちゃんと“正式な”家族になりたかっただけ」

「それでも、俺は嬉しかった」

「うん」

「まさかまた、家族ができるとは思わなかった」

「うん」

「だから――ありがとう」

「うん」




 『血は水よりも濃い』と言うが、『血』に感情はない。

 血が繋がっていても、分かり合えないことがある。

 記号で記された繋がりよりも

 共に過ごした時間、互いを思いやる心が、人と人とを繋いでいくのだ。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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