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元勇者と薬屋  作者: momo
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吹き抜ける風が、無精に伸びた金髪を揺らす。

かつて世界を救った勇者と讃えられたアレクは、今やただの隠者だった。

魔王を倒したあの日、アレクは自らすべての名誉と身分を捨てた。王が差し出した莫大な褒賞も、高位貴族の地位も辞退し、ただ、人の来ない静寂だけを求めて山にこもった。

髪と髭の下は、男らしく整った精悍な顔立ちと空を切り取ったような碧眼。しかしその瞳の奥には、底知れない諦念が張り付いている。

平和のためという大義名分のもとに、自らの手で奪い去った数多の命。その血の重みと罪悪感が、彼を蝕んでいた。生きていること自体が、アレクにとっては緩やかな罰のようなものだった。

そんなアレクが、ただの足の踏み外しという酷く間抜けな理由で、崖の下へ転落したのは今朝のことだ。

受身は取った。致命傷ではない。だが、打ちつけられた脇腹と足首が激しく痛み、身動きが取れずにいた。

(……このまま、ここで果てるのも悪くないな)

冷たい地面に身を横たえ、アレクが静かに目を閉じた、その時だった。

「うわっ、大変だ! 誰か倒れてる……!?」

場違いに慌てた、しかしどこか温かみのある声が静寂を破った。

アレクが薄く目を開けると、薬草の入った籠を背負った青年が、血相を変えて崖を駆け下りてくるところだった。


***


青年――ジノは、山の麓で小さな薬屋を営んでいる。

人付き合いが苦手で、誰も寄り付かないこの呪われた山――通称魔の山に平然と薬草を摘みに来る、少し変わり者の男だった。

「もしもし! 大丈夫ですか!? 聞こえますか!?」

駆け寄ってきたジノは、アレクの姿を見て一瞬だけ息を呑んだ。

伸び放題の髪と髭、そして鋭くも虚な瞳。普通の人人間なら見て見ぬ振りするような、近寄りがたい雰囲気がアレクにはあった。

しかし、ジノの視線はすぐにアレクの傷口へと向けられた。

「酷い怪我だ……。すみません、少し触りますね」

ジノはアレクの荒んだ空気に怯えることなく、迷わずに傷口へと手を伸ばした。手際よく背負い籠から薬草と包帯を取り出し、応急処置を始める。

「放っておいてくれ。……大した怪我じゃない」

アレクは掠れた声で、拒絶するように目を背けた。

だが、ジノは処置を止めない。それどころか、困ったように眉を下げて、ふわりと微笑んだ。

「大したことありますよ。こんなところで寝ていたら、夜には魔物の餌食です。僕の家はすぐ麓ですから、動けるようになるまで来てください」

「……お前、俺が恐ろしくないのか」

「恐ろしい……うーん、確かに怖いかもしれませんね」

ジノはあっけらかんと言った。

「でも、怪我人を目の前にして素通りできるほど、僕の心臓は毛深くできていないんです。さあ、肩を貸しますから、ゆっくり立ち上がってください」

罪に汚れ、生きることを諦めた元勇者の体を、ジノは懸命に支え、険しい山を下った。


***


山の麓にあるジノの家は、乾燥させた薬草の香りが満ちる、小さくとも小綺麗な場所だった。

ベッドに寝かされ、丁寧に包帯を巻き直されたアレクは、差し出された木製のスープ皿をじっと見つめていた。

「毒なんて入ってませんよ。ただの野菜スープです」

ジノが冗談っぽく言い、アレクはバツが悪そうに頬を掻いた。過去に何度か毒入りの食べ物を出されたことがあるアレクは、食べ物を観察する癖があった。

ジノの裏表のない態度に、警戒していた自分が馬鹿らしくなった。小さく息を吐き、スープを口に運むと、その温かさが冷え切った身体に染み渡っていく。

「……美味いな」

「よかったです。その様子じゃあなた、ずっとまともなものを食べていなかったでしょう」

ジノは軽く部屋の片付けをしながら、世間話を始めた。街の噂、今年の薬草の育ち具合。アレクが何も話さなくても、相槌さえ打たなくても、ジノの態度は一貫して穏やかで、飾らないものだった。

アレクはその様子を眺めながら、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じていた。

(この青年は、自分がかつて世界を救ったことも、この手で数多の命を奪ったことも知らない。ただの山で倒れていた、人相の悪い男として扱ってくれる)

「俺は、アレクだ」

ふと、アレクは偽名ではなく、本当の名前を名乗った。

「アレクさんですね。僕はジノ。改めて、よろしくお願いします」

ジノは嬉しそうに微笑み、右手を差し出した。

アレクはその手を、恐る恐る握り返す。自分の、血に塗れたはずの手。けれど、ジノの手は優しく、確かにその手を握りしめてくれた。

「足が治るまで、ここにいてくださいね。あ、その代わり、治ったら薬草摘みの用心棒、手伝ってもらいますから」

「……ああ。構わない」

髭の隙間から、アレクの唇がほんの少しだけ、本当に久しぶりに、穏やかな弧を描いた。

元勇者の止まっていた時間が、薬屋の青年との出会いによって、静かに動き始めようとしていた。

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