箱の中身は、言葉ではなかった
午後は、静かに深まっていた。
窓の外では、
変わらない一日が、
きちんと順序どおりに進んでいる。
通りを行く足音。
遠くの扉が閉まる音。
どこかの窓辺で揺れる、
規則正しい生活の気配。
どれも、
少しも乱れていない。
整いすぎているほどに、
外の世界は穏やかだった。
部屋の中も、
大きくは変わっていない。
椅子は同じ位置にあり、
本は同じ角度で重なり、
カーテンのひだも、
朝のまま静かに垂れている。
ただ——
机の上の空気だけが、
ごくわずかに、
やわらいだままだった。
手の中の欠片は、
光を受けて、
控えめに色を返している。
強くは光らない。
けれど、
見失うこともない。
灯りは、まだともっている。
昼の明るさの中で、
その小さな火は、
相変わらず静かに続いていた。
競うでもなく、
消えるでもなく、
ただ、そこに在る。
しばらく、
時間はゆっくりと流れた。
欠片は机の上に置かれ、
指先はそっと離れる。
転がりはしない。
最初から、
そこに居場所が決まっていたかのように、
自然な位置で止まる。
そのときだった。
ほんのわずかに、
椅子の脚が、
床を擦ったような気がした。
音は、ほとんどない。
気のせいと呼べるほどの、
かすかな違和。
視線が、
静かに部屋を見渡す。
椅子は、ある。
机も、ある。
本の重なりも、
確かに変わっていない。
——けれど。
机と椅子のあいだの距離が、
ほんの指先ひとつ分だけ、
広がっている。
錯覚のような、
それでいて、
見過ごせないほどの差。
誰かが動かした形跡はない。
床に引きずった跡も、
空気の乱れもない。
ただ、
位置だけが、
静かに馴染み直している。
灯りの火が、
小さく揺れた。
風は、入っていない。
窓は閉じたまま。
扉も動いていない。
それでも、
火だけが、
呼吸のように、
ひとつ瞬きをする。
欠片の縁が、
その光を受けて、
やわらかく色を深めた。
部屋の奥で、
本の影が、
ほんの少しだけ形を変える。
崩れたわけではない。
倒れたわけでもない。
ただ、
長い時間をかけて、
より自然な位置へ
落ち着き直していくような、
そんな微かな移ろい。
外では、
いつもの時刻を知らせる鐘が鳴る。
正確な間隔。
正確な音量。
何ひとつ狂いのない、
整いすぎた響き。
その音が、
窓越しに、
きれいに部屋へ届く。
けれど、
灯りの火だけは、
その規則に従わなかった。
ほんのわずかに、
遅れて揺れる。
欠片の中に、
淡い色がひとすじ走った。
意味を持つ変化ではない。
名前を与えるほどの、
出来事でもない。
それでも、
部屋の空気は、
確かに一度、
静かに呼吸を変えていた。
やがて、
動きは収まる。
椅子は、
新しい位置で落ち着き、
本の影も、
穏やかな形に戻っていく。
何事もなかったように。
最初から、
こうであったかのように。
外の世界は、
相変わらず整っている。
通りの足音。
遠くの話し声。
規則正しく流れる午後。
そのどれもが、
少しも揺らいでいない。
部屋の中だけが、
ほんのわずかに、
やさしく馴染み直していた。
欠片は、
机の上で静かに光を受けている。
灯りは、
まだともっている。
昼の中で、
小さく、
しかし確かに。
その火は、
消える理由を探すでもなく、
強く燃え上がるでもなく、
ただ、穏やかに続いていた。
まるで——
ここが、
もう少しだけ
居やすくなったことを、
知っているかのように。
午後の光は、
ゆっくりと角度を変え、
机の端を、
静かに撫でていく。
部屋は、
相変わらず何も語らない。
けれど。
ほんの少しだけ、
前よりもやわらかく、
静かな呼吸を続けていた。




