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机の上には、何もなかった  作者: ゆうぎり


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4/7

最初に灯りを消した夜

その夜のことは、

あとから思い返しても、

特別な出来事としては思い出されない。


音も、

においも、

空気の重さも、

どこにでもある夜と、ほとんど同じだった。


ただ、

部屋の灯りだけが、

いつもより少しだけ、

近くにあった。


机の端に置かれた、小さな灯り。


強すぎず、

弱すぎず、

紙の上の影を、

やわらかく受け止めるような明るさ。


その前に、

まだ小さな手があった。


今より、

少しだけ短い指。


今より、

少しだけ、

ためらいの少ない動き。


本は開かれている。


文字を追っていたのか、

ただページを眺めていただけなのか、

その違いは、

この夜の記憶の中では、

もう溶けてしまっている。


外は静かだった。


遠くで、

誰かが戸を閉める音が一度だけして、

それきり、

夜は深くなるばかりだった。


灯りは、

机の上で、

変わらず呼吸している。


そのとき——


ふと、

その明るさが、

少しだけ気になった。


まぶしいわけではない。


邪魔でもない。


けれど、

もしここに光がなかったら、

この部屋はどう見えるのだろう、と。


理由のない、

小さな興味だった。


手が、

ゆっくりと持ち上がる。


急ぐ様子はない。


止めるものも、

まだ何もない。


指先が、

灯りの縁に触れる。


熱くはない。


ほんのりと、

生きているものの体温のような、

やさしいぬくもり。


そのまま——


音もなく、

灯りは消えた。


部屋は、

暗くなった。


けれど、

思っていたほど、

世界は失われなかった。


机の輪郭は、

まだそこにある。


窓の位置も、

椅子の影も、

完全にはほどけない。


暗闇は、

すべてを奪うものではなく、

ただ、

輪郭の言葉を減らすだけだった。


そのことに、

少しだけ驚いた。


怖さは、

なかった。


代わりに、

胸の奥に、

静かな余白が生まれていた。


灯りが消えたことで、

何かが終わったわけではない。


むしろ——


部屋が、

少しだけ近くなった。


そんな感覚が、

確かにあった。


手は、

まだ灯りのそばにある。


もう一度つけ直すことも、

そのままにしておくことも、

どちらもできる位置。


しばらく、

そのままでいた。


時間は、

正確には分からない。


夜は、

時計よりもゆっくり進む。


やがて、

指先が離れる。


灯りは、

つけ直されなかった。


それでも部屋は、

不思議と不安定にならない。


暗さの中で、

物の位置は、

むしろ静かに落ち着いている。


窓の外で、

風が一度だけ通り過ぎた。


カーテンは、

わずかに揺れ、

すぐに元に戻る。


それを見届けるように、

視線が止まった。


この夜、

何かを決めたわけではない。


何かを学んだ、

という実感もない。


ただ——


灯りは、

消しても、

世界はそのまま続く。


その小さな確かさだけが、

胸の奥に、

静かに残った。


やがて、

椅子が引かれる。


本は、

閉じられた。


暗いままの部屋に、

足音がひとつだけ響いて、

そして消える。


机の上には、

消えた灯りが、

そのまま置かれている。


何も終わっていない。


何も始まっていない。


けれどこの夜、

確かに——


灯りとの距離だけが、

ほんの少し、変わっていた。

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