呪歌使い戦記第六十話
「悪いな、坊主」
「いえ、これくらいお安い御用です」
戦場はにわかに騒がしくなった。竜の国の指揮官が吹き鳴らした角笛によって、竜の国の軍が撤退を始めたからだ。獅子の軍はそれに追撃することなく負傷者への手当を始めた、銀の将軍の指示だ。忙しく手当して回る軍医達に交ざって、僕も傷付いた兵士達の手当をしていた。
「これでどうでしょう、包帯がきつ過ぎたり緩かったりしませんか?」
「いやいや、これくらいがちょうどいい。坊主は腕がいいな」
「ありがとうございます」
「おーい! 坊ちゃん、次はこっちも頼む!」
「はい! 今行きますね!」
目の回るような忙しさに、打ちつけた背中の痛みを忘れかけていた頃。不意にその声が耳に入ってきた。
「おめが、獅子の国の魔法使いだな?」
聞きなじみのない訛りが背後から聞こえたと思ったら。手当中の兵士に向けていた目線が左側へと回って、ひっくり返って、見えるはずだった青い空は何かが隠した。
「あいづは何処だ。あの死にだがりの馬鹿は何処へ行った!」
僕の視界を埋め尽くしたのは人だ。高価で珍しい眼鏡のレンズの奥に揺れる黄みがかった淡いブラウンの瞳がいの一番に目を惹いた。それなりに長く伸ばされた色素の薄い茶髪を左肩から流して、その下に着込んだ服装からして軍医。しかし獅子の国の軍医は全員の顔が頭に入っている、その中にこの人はいない。つまりこの人は竜の国の軍医。
「てめぇ何してやがる! 坊ちゃんを離しやがれ!」
「うるせえ! おれぁ今ごいづがら話聞いでんだ! 邪魔するならごいづの首切っぞ!」
竜の国の軍医が何故こんなところで獅子の兵士に抜き身の剣を突き付けるのか、僕にはわからない。兵士達の持つ剣よりずっと細身の、斬るよりは刺すことに長けていそうな剣が近寄る兵士を追い払おうと振るわれる。
「ま、待ってください……。貴方の言う馬鹿とは、誰のことですか?」
「しらばっくれるんじゃねえ。あいづどうごう出来んのはおめぐらいだっぺ!」
見知らぬ顔の軍医はかなり興奮した様子でまくし立ててくる。僕に馬乗りになって見下ろしてくるその体は大きい。ラーベや、竜の国の兵士達に負けないくらい鍛えている体の大きさ。その上で、右手に剣を握っている。手を出せない獅子の兵達に動揺が広がる。
「失礼。私はルイス、獅子の国の魔法使い。そこにいる魔法使いはプイスと言う。そこの我が弟子が貴方に何ぞ粗相を働いただろうか。貴方様は竜の国の軍医とお見受けするが……」
動揺を鎮める落ち着いた声。騒ぎを聞きつけて助けに来てくれたのだろう。
「我々の知っていることならば全てお教えしよう。ですからその子を開放してくださらんか。もう戦闘は終わった、今更人質が必要にはなりますまい」
その言葉を紡ぐテノールに、軍医の纏う空気が緩む。多少は興奮も落ち着いたようだ。
「……取り乱したところを見せてしまって失礼した。私はリーラローゼ、お見立ての通り竜の国の軍医をしている」
「そんな奴が魔法使いの坊ちゃんに何の用だ!」
リーラローゼと名乗った軍医は獅子の兵士の声にも臆さず、佇まいを直す。僕と、そばに寄り添ってくれた先生と向かい合って膝をつく彼の面持ちは悲痛の色に染まっている。
「魔法使いの……我が軍の魔法使いの行方を知らぬだろうか」
竜の国の魔法使い。となれば一人しかいない、ラーベのことだ。軍医の言葉を聞いて、先生が言葉を返す。
「その、魔法使いが何か」
「この戦場の何処にも見つからぬのだ。死体も見つからない。生きているのか死んでいるのかもわからぬ。貴方がたなら……奴の行方を知っていると……」
「……それを知って、貴方はどうなされるおつもりか。あの魔法使いは竜の……自国の軍に刃を向けられていた。貴方はそれを知って、彼に追っ手を差し向ける気か」
「何? ……私情を挟むことをご容赦願いたい。あの魔法使いは私にとって良き友であった。それゆえ、あれの行方を捜している」
「つまり、彼を狙う気は無いと?」
「私の知りたいのは、奴の安否。ただそれだけ」
血気盛んな獅子の兵達は、膝をつき首を垂れるリーラローゼに野次を飛ばす。
「そんなことで坊主に剣を向けたのか!」
兵達を手で制する先生は静かな声で告げた。
「我々には、彼が何処に行ったのか皆目見当がつかない。魔法によって姿を消したものだから」
「……そう……か……」
冷たい草原についた膝の上、血や土に汚れた白い布手袋が強く握りしめられる。
「……リーラローゼ殿。一つお訊ねしたい」
「……なんだろうか」
「貴方様にとってあの魔法使いは、ラーベという魔法使いは、どのような友だったのだろうか」
「……どのような……か……。……あの馬鹿は嵐のような男だった。突如私の前に現れて、面倒ごとを引き起こして、私をしょっちゅう巻き込んだ。……ほんっとによぉ、あのでれすけは!」
握りしめた拳が、折った膝に打ちつけられる。その汚れた手はかすかに震えていた。新しく濡れた灰色の染みが一つ二つ増えていくのが見えた。
「……だが、あれの隣は退屈だけはしなかった。竜の国の王城の薄暗い生活に現れた一本の松明のような男だった。……今後あれ以上に面白い男は巡り合えんだろう、そう思っている」
「……そうですか……」
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