呪歌使い戦記第三話
魔法使い……呪歌使いの弟子になって十年、沢山の呪歌を教わった。薬の作り方も、独り立ちした先での生き方も、僕が生きている獅子の国の歴史も、先生にはたくさんのことを教わった。
僕が得意な事もわかってきた。呪歌は一通り使えるようになった、しかし呪歌よりは薬を作る方がずっと好き。材料を乳鉢で粉になるまですり潰したり、長時間の抽出に付きっきりだったり。歌う者キャンウィールの他に、医術や薬学に長けた流派の一つである癒す者フェルリードに適性があるのかもしれない。そう先生は言った。しかし料理や裁縫などの作業も好きだから、そもそも何かをこつこつと積み上げること自体が得意なのかもしれない。畑や鶏小屋の鶏の世話、近くの湖のほとりに薬草を摘みに行ったりする事も好き。僕はこの赤レンガの家で穏やかに暮らす方が性に合っているのだろう。
先生のことも、十年一緒にいれば大概のことはわかるようになる。魔法使いではあるが、あまり魔法は使わない人。薬を作るのは上手だけど、料理はあまり得意じゃない。絵を描くのが好きで、几帳面な字がずらりと並んだノートのページの隅っこに目に付いたものを落書きしていることもある。あとは少し呼吸器が弱いのだろうか、季節の変わり目によく咳をしている印象がある。先生の為にと咳止めの薬を作った時は非常に喜んでくれた。
一つ、先生に関することで気になる点がある。稀にだが自室でノートを開きながらため息を吐いているのだ。悩みの種を知りたい、そんな好奇心で先生が留守の間にノートを開いたのが、僕が十一になった冬の話。知らない人の文字と、その文字に補足の書き込みを入れる先生の文字。内容は呪歌に関してのようだ。呪歌に関する研究であるのはわかる、しかしどんな効力を持つ呪歌なのかはわからなかった。研究を書き留めたノートを見てため息を吐いているのなら、研究が上手くいっていないのだろう。僕がもっと大人になって呪歌の事がわかるようになれば、先生の悩みの種も解決出来るかもしれない。ノートを見ながらそんなことを考えていたら。
「プイス、どうした?」
まだ帰ってこないはずだったのに。僕の手の中に悩みの種であるノートがあるのを見た先生は血相を変えて言う。
「そのノートを、どこまで見た?」
今にも叫びたいのを我慢して無理やり絞り出すような声。しかしその顔には鬼気迫る迫力があった。
「え、えっと……。何某かの呪歌であることがわかるくらいには……」
「何の呪歌であるかは?」
「わ、わかりません……」
正直に言えば、先生は大きく息をついた。この呪歌は、そんなに危ないものなのだろうか。知りたい。好奇心が疼いてしまうのは、与えられた名が知恵の意を持つからだろうか。
「先生、この呪歌は何の効力を持つのですか?」
「知らぬ方がいい。知らないことの一つや二つやある方が、生きやすいこともある」
「知りたいです。この呪歌が何なのか、教えてください」
「……その呪歌は、行使した者の願いを叶えると言われている。術者の願いを、悪魔が叶えるとな」
「人の願いを悪魔が叶える……」
「そんなもの、使わぬ方がいい代物だとわかるだろう? わかったらそのノートは本棚に戻しなさい」
「はい……」
気迫に押されて、ノートを本棚に戻す。悪魔が願いを叶えてくれる呪歌、確かにそんなものはない方がずっといい。ならば何故、先生はこのノートを見てため息を吐いていたのだろう。わからないのは僕がまだ子供だからだろうか。僕がもう少し大人になれば、ため息の理由もわかるだろうか。そう考えた頃もあったが、このノートの事もいつしか記憶の海の中に埋もれて次第に思い出さなくなった。悪魔が願いを叶えてくれる呪歌よりもずっと楽しい、他の呪歌や薬の作り方を沢山教わったからだ。
そんな穏やかな日々を十年重ねて、僕が十六になる年の晩秋。全ての歯車が狂った日がやってきた。




