放課後はお菓子と共に
僕が自室に戻ってアレスを待っていると、扉が開いた。何ともくたびれた様子のアレスが鞄を持ちながら、部屋に入って来た。
昼に見た時の顔とは、明らかに姿が違う。どの授業でも褒めちぎられて、他の生徒より疲労が蓄積しているようだった。劣等と見下される僕より賢者と呼ばれる彼は、疲れているようである。
だが、アレスは僕と目が合うと笑顔を向けて来た。
「ただいま」
と、それは僕の実家を思い出す景色だった。
遊び終わった弟がよくそう声を掛けてくれていた。ここに来てからは、そのように言ってくれる人はいなかったので、懐かしくなった。
僕もアレスに同じ笑顔を見せた。
「おかえり……って、何でアレスはそんな挨拶をしたの?」
「何となくレイの部屋に愛着が湧いたからかな。昨日部屋を間違えた事もあるから」
佇んでいるアレスに僕は近付いて、鞄を受け取った。その隙に、鞄越しに回復魔法を掛けた。
僕の無詠唱魔法は発動時に色が発せられないので、誰も気付く事はない。いつもする訳にはいかないけど、今日は許されると思った。友達の疲れを癒すのも、隣人のする事だろう。
魔法の発動後、アレスの顔色がよくなり、生まれ変わったようだった。彼から漂って来るオーラも変わっていた。
「体が暖かくなって、すっきりした…レイが何かしたの?」
「アレスへのおまじない」
と、僕は一言答えた。
「ありがとう。何をしてくれたのか分からないけど、嬉しい」
そうアレスはお礼を言った。
僕はそのような事を言われて、心からほっとした。この学園に来てからは、彼が初めてそう言ってくれた。
僕はアレスを近くの椅子に案内した。狭い部屋は勉強机と椅子、ベッドなどで大体埋まってしまう。だから、一応客人であるアレスを案内するとしたら、椅子かベッドしかない。僕がベッドに座るので、必然的に彼は椅子に座る事になる。
アレスが座ったのを確認すると、僕はアレスの鞄に手を入れた。突然の事にアレスは驚きを隠せないようだった。
「ちょっと何をするの、レイ…僕の鞄を見てもいいけど、大したものはないよ」
僕はアレスに笑い掛けると、鞄からお菓子の包みを取り出した。当然、鞄に元から入っていた訳ではない。僕が収納魔法から取り出しただけの、簡単なトリックである。だけど、何も知らない人からしたら、それはそれは驚く限りであろう。
「えー。何で、どうして、どうやったの? 僕の鞄に入っていなかったよ」
アレスは僕から鞄を取ると、中身を引っ繰り返した。
僕が弟にした時も同じような事をしていた。アレスが全く同じ事をするので、僕は見ていて面白かった。
答えを知りたいアレスが僕を直視してくる。だけど、言う訳にはいかない。今の所は。彼に取ったら、僕は不思議な友達として、映るだろうけど。
「それは秘密だよ、アレス……それより、さあ頂こう。勉強で疲れた後は糖分が必要だよ」
僕は包みを開けると、アレスに差し出した。彼は中のクッキーを一枚取って、口に入れた。
美味しそうに味わう音と、ほんのり甘い匂いが漂って来る。
アレスの顔からして、そのクッキーは彼が好きな味であるようだった。故郷で一番売れている、お菓子屋さんのクッキーだからだろう。嫌いな人などいるはずがない。
アレスは最後の欠片を飲み込むと、輝く目を向けて来た。
「何でしっけてないの? 普通のクッキーなら、その日に食べないと絶対味が落ちるのだよ。レイは今日買いに行ってないだろ」
それは僕の収納魔法に入れたものの、時間が止まるからだった。だから買ってすぐに入れたクッキーは、味が落ちない。いつまでもその美味しさを保ち続ける。
アレスは何も言わない僕を理解したようだった。
「分かったよ。レイの特技の一つとでもしとくよ。だから、もう何も気にしない」
真剣そうな表情を崩すとアレスは、こちらを見た。そして、頭を下げた。
「お願い、レイ。もう一枚頂戴」
「よろしい」
と、僕はアレスの雰囲気を真似て見た。
だけど、すぐに軽く吹き出した。
真剣に言っていたであろう、アレスがこちらを恥ずかしそうに見ていた。まだ、あのような事を言った事がないのだろう。
「ごめんごめん。そんなに畏まらなくていいよ、アレス。そもそも二人で食べるために開けたのだから、好きなだけ食べたらいいよ」
「本当!?」
と、アレスがじっと見て来た。
これはすっかりこのお菓子の虜になった、と僕は思った。故郷に貢献出来るのはいいけど、本当に大丈夫なのかなあ。
僕はアレスが取りやすいために、ベッドと椅子の間の空間に包みを浮かせた。アレスは一瞬ギョッとしていたが、何とか平常心を保ってくれていた。きっとそれより、お菓子の事が気になるのだろう。
僕もアレスと同じように、クッキーを口に入れた。あの懐かしいお菓子屋さんの、僕が大好きな味だった。自然と口元が緩むのが、感じ取れた。
室内はこの甘い香りで包まれているのだろう。




