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第五十二話 あなたを愛して⋯⋯Ⅱ

 ギャビットが敗北したのと同じ頃、村人をアンデッドに変えて操るネクロマンサーは、アングハルトの部下と未だ戦闘中であった。

 アングハルトがギャビットと戦っている間、アンデッドと戦闘を続けていた三人の部下達。多くのアンデッドを倒しているが、装備していた弾薬はほとんど使い果たし、仲間の一人をアンデッドに喰われ失いながらも、必死に戦い続けていた。


「しまった!? ぐわあああああああっ!!」

「畜生!! 今助けるぞ!」

「俺のことはいい!! お前は早く術者を殺せ!」


 仲間の一人を失い、今もう一人がアンデッドに群がられ襲われている。対特殊魔法兵との戦闘を想定し、無反動砲を背中に装備していたその兵士は、武器の重量のせいで回避が遅れ、襲い掛かってきたアンデッドに軍服を掴まれてしまったのだ。

 腕を振り解こうと藻掻いたが、群れを成したアンデッドが次々と彼を襲い、血肉を求め噛み付いたのである。助けようとした最後の一人は、助けを拒んだ仲間の言葉を胸に、覚悟を決めて家屋の扉を蹴破るのだった。

 彼らはアンデッドとの死闘を繰り広げながら、特殊魔法を操っている術者を捜索していた。敵は必ず何処かに潜んでいて、アンデッド化の魔法の維持に集中している。その術者を捜し出して仕留めれば、残りのアンデッドを無力化できるはずなのだ。

 周囲を隈なく捜索した彼らは、犠牲を払いながらも、まだ調べていない最後の家屋に目星を付けた。犠牲となった者達の死を無駄にしないために、生き残った最後の兵が、蹴破った扉から家屋に突入する。


「⋯⋯⋯!」


 そこには、一人の少女の姿があった。最初は村人の生き残りかと思ったが、少女の両隣にアンデッドが立っているのを見て、この少女こそが術者だと確信する。縮毛の茶髪と目元の隈が特徴的な、まだ幼さの残るその少女は、現れた兵士に向けて笑みを浮かべて見せた。


「くたばりやがれ!!」


 相手が少女だろうが関係なかった。無関係の村人達、そして殺された仲間達の敵を討つべく、躊躇を捨て去って彼は突撃銃を構える。銃口は少女に合わせて引き金を引き、弾倉に残された弾丸を全て発射した。

 しかしその弾丸は、少女の命令で盾となった二体のアンデッドに命中し、彼女の身体を撃ち抜く事が出来なかった。舌打ちした彼は、弾切れとなった突撃銃を投げ捨て、瞬時に拳銃を抜いて発砲しようとする。だがその瞬間、彼は背後から襲い掛かってきたアンデッドに掴まれ、地面に押し倒されてしまう。


「ぐあああああああっ!? くそったれがああああああああっ!!」

 

 倒れた彼にアンデッドが群がり、歯を剥き出しにして全身に噛み付いていく。腕や脚の肉を貪り、腹に喰らい付いて服ごと肉を食い散らかす。

 この残虐な光景が余程愉しいのか、少女は愉快そうに笑っていた。少女は声を発する事ができず、笑っている顔を見せているだけなのだが、それが一層、この少女の不気味さと狂気を感じさせる。

 少女の名はチャコ。同じく特殊魔法使いのチャムの姉で、アンデッドを生み出す結界を張る事ができる。この静かで平穏な村を、たった数時間の間に地獄に変えた張本人だ。


「てめえも道連れだあああああああっ!!」

「!?」


 自らがアンデッドの仲間になる前に、彼は最後の力を振り絞り、装備していた手榴弾をその手に掴んだ。この場のチャコやアンデッドを巻き込み、死を覚悟して自爆するつもりである。右手に持った手榴弾の安全ピンを引き抜こうと、アンデッドに噛まれながらも左手を上げようとした。

 だが、左手は最早原型を留めていない程に喰われ、指は一本も残っていなかった。ならば口で引き抜こうとするも、アンデッドの群れは手榴弾を持つ右手や、彼の顔面にも喰らい付く。自爆を封じられてしまった彼は、全身を喰われる激痛に絶叫しながら、床を真っ赤な血で染め上げ死んでいった。

 

 最初は驚いたものの、チャコはアンデッドを上手く操る事で爆発を回避した。そして彼が殺される間も、ずっと嬉しそうに笑っていた。彼女にとって、人が苦しみ悶えながら息絶える光景は、極上の楽しみなのである。今日も良い死に様が見れたと、一人御機嫌に小躍りしている程だ。

 人が恐怖と絶望に顔を歪め、自分の手によって殺されていく瞬間。それを見たい衝動が抑えられず、敵の前に姿を現す事もある。今回は隊長であるミッターの指示で、護衛が片付くまで隠れている予定だったところを発見されたが、何の問題もなく処理できた。

 後は、残っているアンデッドを連れて移動し、弟のチャムを支援するため合流する。それがチャコに与えられた命令だった。命令されずとも、この世でただ一人の可愛い弟の為なら、初めから彼女は何だってするつもりでいる。

 あのチャムが敵に負けるはずはない。彼には最強の合成魔獣が付いていて、手練れのミッターやゲッベもいるはずなのだ。そう信じていても、大切な弟の事を想うと心配で堪らなくなってしまう。遊んでいる場合ではないと気持ちを切り替え、喰われて息絶えた兵を一瞥すると、チャコは外に出ようと家の入口に目を向ける。


「⋯⋯⋯逃がさねぇよ」

「!」


 チャコの前に立ちはだかったのは、既に喰われて死んだと思っていた、無反動砲を担ぐ兵士だった。全身傷だらけの血塗れの中、腕や脚をアンデッドに噛み付かれながらも、気合と根性で歩を進め、チャコの前に姿を現したのだ。

 

「死んだ連中の分だ⋯⋯⋯。俺と一緒に地獄へ行こうぜ」


 弾切れとなった銃を全て捨てた彼に残された、最後の武器。最早痛みは感じず、薄れていく意識の中で、彼は最後の力を振り絞り、担いでいた無反動砲を構えた。例えアンデッドがチャコの盾になろうと、これは絶対に防げない。

 自分へと向けられた武器の威力を悟り、アンデッドを盾にしたチャコが、大慌てで家の奥に逃げようとする。だが、最強無敵のアングハルト分隊の兵士は、相手が死の恐怖に怯えて背を向けていようが、幼さの残る声を発せない少女であろうが、敵であるならば決して容赦しない。


「アングハルト隊長⋯⋯⋯。あんたと共に戦えて光栄でした」


 覚悟を決めた彼は、自分達にとって最高の上官だった女性に、届くはずのない別れの言葉を口にした。

 アングハルト分隊最後の生き残りは、兵士としての最後の命令を全うするべく、逃げ惑う少女の背に向けて、構えた砲の引き金を絞るのだった。










「!?」


 今日聞いた中で一番大きな爆発音が鳴り響いた。その音に驚いたチャムが、音のした方向へと慌てて振り向く。突然の爆発音は、村の中でも家屋が集中している場所からであり、一筋の黒煙が空に向かってゆっくりと伸びていっていた。


「確か⋯⋯⋯、あっちには姉さんが!」


 チャムが愛する姉のチャコは、爆発のあった場所の付近に隠れ、結界とアンデッドを維持している。アンデッド軍団がいて、おまけにギャビットまで付いているのだから、チャコがやられるなど万に一つもないはずなのに、チャムは胸騒ぎを落ち着けられずにいた。

 自分が手に入れた玩具と遊んでいる間に、大好きな姉の身に危険が迫っていたのではないか。こんなところで遊んでいる場合ではないと、爆発があった方に向かおうとするチャムだったが、次に彼は信じたくない光景を目にしてしまう。


「そんな! 姉さんの結界が⋯⋯⋯!?」


 村を覆っていた特殊魔法結界は、爆発音から程なくして、まるで霧が晴れる様に消滅していった。結界が消え去るという事は、村は目に見えない壁から解放され、結界の中でアンデッドに変えられた人間は全て、元の屍に戻る。そしてそれは、術者の死によって解除される事も意味している。

 

「僕と合流する前に結界を解くなんてあり得ない⋯⋯⋯! じゃあまさか、姉さんは⋯⋯⋯!?」


 結界を解けと彼女に命令できる人物は、チャムの手によって既に息絶えた。チャコに言う事を聞かせられる人間は、この場にもうチャムしか残っていないが、離れた場所で戦い、互いの状況など分からない二人に、そんな事ができるはずもない。

 残る答えは、頭の中でチャコが全力で否定し続けている、最悪の結果である。しかし、さっきの爆発の後に結界が解除された時点で、答えは明らかだった。


「姉さんが⋯⋯⋯、姉さんが死んだ⋯⋯⋯!! うっ、うわあああああああああああっ!!!」


 たった一人の家族。この世界でたった一人だけの、心を許し合える最愛の存在。チャコを失ったと知った衝撃は、あの残虐非道だったチャムの瞳に、悲しみと絶望の涙を溢れさせた。

 

「ああっ、チャコ姉さん!! 姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん!!!」


 元々壊れかけだったチャムの心は、チャコの死によって完全に破壊された。地面に両膝を付き、悲しみに暮れるチャムは、最愛の姉の顔を思い浮かべ叫び続けた。もう二度と、優しく自分を甘やかしてくれる、愛する姉に触れられないと思うだけで、涙が止まらない。


「ううっ⋯⋯⋯、メシア⋯⋯⋯ユリーシア⋯⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯っ!」


 失われた姉の記憶から、チャムを現実に引き戻す男の声。こんなところに来なければ、この男を捕まえようとさえしなければ、チャコは死なずに済んだのだ。

 

「お前が⋯⋯⋯!! お前のせいで僕の姉さんがああああああああっ!!」


 憎悪に駆られたその瞳が、姉の仇へと向けられる。

 右腕と左脚を折られ、全身を蔓の鞭に打たれて傷付けられ、受けた毒のせいで満足に身体を動かせないまま、チャムの魔法によって生み出された合成魔獣によって、抵抗できないよう拘束されている。合成魔獣ギガントウーズが操る触手のような蔓に、両手を縛られ吊り上げられたリックは、一切の抵抗を封じられて虫の息だった。

 

「遊びは終わりだ!! 姉さんを殺した連中をお前の目の前で八つ裂きにしてやる! それが終わったら、お前をぐちゃぐちゃにして殺してやる!」

「⋯⋯⋯」


 チャコの死を知るまでの間は、リックの身動きを封じ、ずっと彼を甚振り続けていた。魔獣の蔓でリックの全身を打ち続けるだけでなく、首を絞め上げ窒息させたりと、死なない程度に遊んでいたのだ。

 なるべく殺さず捕獲という命令だったが、今のチャムに冷静な判断など出来るはずがない。自分の姉が死ぬ原因となった男を、自らの手で最上級の残酷な手段で殺すということ以外、チャムの頭にはなかった。


 これだけ重傷を負い、ミッターの特殊魔法によって精神を汚染されているリックが、まだ息があるという事自体、奇跡と言っていいだろう。本来ならミッターの魔法の力で、心が狂い壊れ、最終的には自ら命を絶ってしまうのだが、チャムがリックを必要以上に痛め付け、気力も身動きも奪ってしまったが故に、幸い死ぬ事はなかった。

 だが、ミッターの魔法で自らの命を絶っていなくとも、死にかけているのに変わりはなかった。放っておいても命は危険だが、このままゆっくりと死なせる気など、憎悪に囚われるチャムにあるはずもない。


「姉さんを殺した連中は僕が全員殺す!! だから待っててね、姉さん! こいつらをそっちに送ったら、僕もすぐに姉さんのところに行くからね!」


 暴走するチャムの殺意が、死にかけのリックを決して逃がさない。

 怒りと憎しみに駆られ叫び続けるチャムの声は、絶望の中で苦しむリックには届いていない。自分を殺そうとする少年の瞳も、自分を拘束する魔獣の姿も、今のリックには見えていない。

 虚ろな彼の瞳には、何度も何度も繰り返され続ける、愛する者達の死の光景だけが映っていた。










 自分を守るために、愛を誓い合ったメシアが死んだと聞かされた。己の無力さと、愛する彼女を守れなかった絶望感に打ちひしがれ、リックはあの日涙を溢れさせて泣いた。

 何も考えられない。何も感じない。深い悲しみと絶望の底に沈んだリックを待っていたのは、あの白百合のように美しく儚かった、優しいユリーシアの死だった。

 同時に二人の大切な存在を失い、リックの心は壊れた。あの時の悲しみと絶望、自分への後悔と怒りと憎しみは、忘れる事ができない。

 今リックは、心の奥に封じ込めたその感情が、何倍にも膨れ上がって溢れ出してしまっている。激しい後悔と憎悪がリックを苦しめ、失われし愛する者達による怨嗟の幻聴と、自分を残し去っていく彼女達の幻覚が、彼を悲しみ狂わせる。


(お願いだ⋯⋯⋯。行かないでくれ⋯⋯⋯)


 守ると誓った二人に先立たれ、リックだけが残された。残される者の気持ちなんて、考えてはくれなかったのだろう。二人の後を追い、自分も彼女達のもとに行きたいと願った。自ら命を絶とうとさえ考えもしたが、彼は今もこうして生きている。

 

(どうして⋯⋯⋯。俺は、彼女達を追わなかったんだ⋯⋯⋯?)


 あんなにも彼女達を愛していたのに。彼女達が全てだったというのに、まだ生きたいと、生きなければならないと考えた自分がいる。

 

(こんなに苦しくて辛いのに⋯⋯⋯。悲しくて痛いのに⋯⋯⋯。俺はなんで、まだ生きたいって願ってるんだろう⋯⋯⋯?)


 滅茶苦茶にされていく心の中で、リックは自問する。何か大切な事を忘れているはずなのに、魔法で精神が狂わされたせいか、それが思い出せない。

 己の瞳に、自分を苦しめる少年の姿は映らない。変わらずその瞳に映り続けるのは、愛する者達が命を落とす光景と、今も生きている大切な者達が、自分のせいで命を奪われていく幻覚。傷付き倒れていく仲間達の光景の先に、彼の瞳は漆黒の衣装に身を包んだ、一人の少女の姿を映し出す。

 長く美しいその黒髪は、色こそ違えど、ユリーシアの髪にそっくりだ。瞳に映る黒に染まった少女の姿に、失われしユリーシアの面影が重なる。


(そうだ⋯⋯⋯。ユリーシアとの約束のために⋯⋯⋯、そして彼女のために俺は⋯⋯⋯!)


 自分が何のために戦っているのか。何のために数えきれない程の人間を殺し、大勢の仲間を失ってきたのか。己の両手を血で真っ赤に染め上げて、何を守るために生きてきたのか。

 その理由だけは、決して忘れない。


「まだだ⋯⋯⋯。まだ死ねない⋯⋯⋯」


 まだ幻覚に瞳を支配されながらも、精神操作の魔法に抗い、リックは意識を覚醒させる。空間が歪むような朧げな視界の中で、彼は自分を拘束する魔獣の姿と、姉を失い狂い壊れたチャムの姿を見た。

 ここで死ぬわけにはいかない。絶対に生き続けなければならない。その一心で、折られた腕と脚が動かない分、残りの手足で必死に藻掻き、魔獣の蔓の拘束から抜け出そうとする。だが、リックが如何に常人を超えた力を持っていようと、毒に受けて傷付いた今の身体では、逃れるのは不可能だった。

 

(こんなところで死ねるか⋯⋯⋯! 俺が死んだら、誰も彼女を救えない⋯⋯⋯!)


 精一杯の力を振り絞り、拘束を解こうと藻掻き続けるも、体力を消耗するだけで徒労に終わる。魔獣相手に手も足も出せず、息も上がり、また意識が遠退いていく。身体から力が抜けていき、足掻く力さえなくなってしまう。

 最早、殺されるのを待つばかりだった。それでも尚リックを、愛する者達の死の光景と、苦しみ喘ぎ彼を責める彼女達の幻聴が、傍を離れず苦しめ続ける。


(お願いだ⋯⋯⋯。誰か、助けて⋯⋯⋯)


 段々と目の前が真っ暗になっていく。ここで意識を失えば、次の目覚めはないだろう。闇へと変わっていく視界の中で、リックに更なる苦痛を与えようと、魔獣の触手が彼の身に迫る。

 弱り切ったリックの心が、最後に助けを求める。誰に向けたものでもない。ただ自分をこの苦しみと絶望から解き放ち、せめて彼女を救う事ができるまで、この身を生かして欲しいと願って⋯⋯⋯。


「吹き飛べええええええええええええっ!!!」


 その怒号が彼らの耳に届いた瞬間、チャムの合成魔獣は突然爆発による攻撃を受けた。腕が爆発で吹き飛び、魔獣は不気味な奇声で悲鳴を上げる。爆発に驚愕したチャムが敵襲を察し、慌てて周囲を見回すと、今度は自分に向けて擲弾銃の銃口を構える、一人の女兵士の姿を捉えた。


「ぎっ、ギガントウーズ!!」


 チャムが魔獣の名を叫ぶと同時に、引き金を引かれた銃口から榴弾が発射される。直撃すればチャムの身体など粉々に吹き飛ぶが、命令を聞いた魔獣の身が間に合って、盾となった魔獣の身体に直撃して爆発する。

 傷付いた身体で排莢と装填を行ない、再びチャムを狙って彼女は榴弾を放つ。最初はリックを助けるべく魔獣を撃ち、今度は術者であるチャムを狙う。術者さえ倒せば、この不気味で巨大な化け物を消滅できるかもしれないからだ。


「ひっ!? ねっ、姉さん⋯⋯⋯!!」


 チャムは再び魔獣を盾にしようと命令するが、今の爆発で体勢を崩した魔獣は、彼の盾となるのが一瞬遅れた。その遅れが命取りとなり、榴弾はチャムの腹部に直撃し、彼の身体を容赦なく爆散させるのだった。

 痛みに苦しむ間もなかっただろう。一瞬でその命を終わらされたチャムは、肉片と変わってこの世を去った。狂おしいほど愛していた、最愛の姉と同じところへ旅立ったのだ。


 しかし、チャムを爆死させたにも関わらず、彼の合成魔獣は消滅しなかった。術者を失い消え去るどころか、制御をなくして暴走を始めたのである。村全体に響き渡る程の、狂暴な咆哮を上げて腕や触手を振り回し、遂には拘束しているリックの身を引き千切ろうとする。

 そんな事はさせまいと、弾が切れた擲弾銃を捨てた彼女は、最後の力を振り絞って駆け出しながら、ホルスターに収めていた拳銃を抜き放つ。当たってくれて切に願い、拳銃に込められた弾丸を全弾発射する。走りながら彼女が狙ったのは、リックを拘束する魔獣の蔓だった。

 銃と弾丸は彼女の願いに応え、リックを拘束し続けていた蔓を全て吹き飛ばした。拘束されていた事で宙に浮かされていた彼の身が、拘束を失って地面へと落下する。「間に合え!」と必死に地を蹴り駆け続けた彼女は、弾切れの拳銃を捨て、間一髪のところでリックを自分の両腕に抱き受けた。


 だがそこに、銃撃を受けて怒り狂った魔獣が、暴走しながらも二人をその眼に捉えてしまう。自らの意思で二人を敵と定め、魔獣は二人に向かって残る蔓を全て構える。構えた蔓の先端が形を変え、全ての蔓の先が鋭利な針へと姿を変えた。

 魔獣の咆哮と共に、先端を針と変えた蔓が二人に一斉に襲い掛かる。今の二人では避ける事などできず、リックの身を守るため、彼女は己の身体を盾にし、放たれた針をその背中で全て受け止めた。


「⋯⋯⋯もう大丈夫よ、リック」


 抱きしめられて知る、彼女の胸の温もりと感触。強く、もっと強くと自分を抱いて離さない、傷だらけな彼女の両腕。もう二度と離れまい、離すまいと抱きしめる彼女が、リックの顔を見て微笑みを浮かべた。

 リックは彼女を知っている。魔法で精神を狂わされようと、意識が闇の中に消えゆこうとしても、忘れはしない。本当は守ってやる立場なのに、自分が情けない男だから、彼女はどんな時も助けに駆け付けてくれる。

 強くて、逞しくて、男勝りで気高く美しい女性。でも純情で、情熱的で、なのに可愛らしくて、愛に生きる優しい女性。それが彼女⋯⋯⋯。


「セリーヌ⋯⋯⋯?」


 本当は彼をリックと呼ぶのも、自分の名を呼ばれるのも、恥ずかしがって拒んでいた。だが彼女は、愛している男をやっとその名で呼べた。だからリックもまた、女の子らしく可憐な彼女の名を呼んだ。

 互いを見つめ合う瞳。その瞳を鏡にして、傷付いた互いの姿を映し出す。立っているのがやっとな有様で、今にも倒れそうな二人だが、抱擁の中で互いの温もりを確かめ合うと、不思議と安心できた。

 

「やっぱり私は⋯⋯⋯、あなたが大好き」

「⋯⋯⋯!」


 微笑む彼女はリックに口付けし、愛する彼の温かさを忘れまいと、強く抱きしめた。柔らかな彼女の唇の感触と、伝わる彼女の熱に、薄れていたリックの意識が少しだけ蘇る。彼女から伝わる愛が、リックを苦しめていた幻覚と幻聴を消し去り、ほんのひと時だけ、二人が愛を確かめ合う時間が流れた。

 これが最後の抱擁。これが最後の、愛する彼への口付け。自分の背を貫く無数の針と、止め処なく流れ出る鮮血の感触で、彼女はもう分かってしまった。

 後悔はない。寧ろ嬉しいとさえ思える。やっと自分の想いを告げられ、精一杯好きな人を愛せたのだ。本当に悔いがないのかと聞かれると、正直、無いとはっきり言えないが、最後に起きている彼に口付けできたのだから、これで十分だった。


 彼女の背後で暴れ狂う魔獣は、二人に止めを刺そうと怒りの咆哮を上げる。魔獣は二人纏めて始末する気なのか、人を丸のみにできる巨大な口を開け、動けない二人の真上から襲い掛かろうとしている。

 魔獣の狙いを悟った彼女だが、残された武器はもう一つしかない。ギャビット相手に使う機会を逃した、最大にして最後の武器が残っていたのだ。これさえあれば、この巨大な魔獣さえも倒し、リックだけは守り切れる。


「私の分まで生きて。約束よ、リック」

「っ!?」


 名残惜しくも触れ合った唇を離し、抱擁していた両腕を解いて、彼女はリックを力の限り突き飛ばす。もう一歩たりとも動けぬ自らを囮に、彼を巻き込ませまいと逃がしたのだ。

 突然の事で何が起きたのか分からず、驚いた顔をしたリックが、突き飛ばされながらも彼女の姿を瞳に映す。装備していた爆薬の信管を作動させた彼女は、今までで一番穏やかな顔を浮かべると、離れていく彼に向かい一筋の涙を流す。


「あなたを愛して⋯⋯⋯、幸せでした」

「待って、セリーヌ―――」


 離れていく彼女に手を伸ばそうとした直後、微笑みを浮かべていた彼女の姿を、真上から現れた魔獣が覆い隠してしまう。

 そして瞬きする間もなく、次の瞬間、魔獣は内側から大爆発に耐え切れず、何もかもを吹き飛ばさんばかりの爆風と共に爆散する。


 それがこの地でリックが見た、最後の光景となった。

 爆風に巻き込まれたリックは、全身に奔る猛烈な衝撃にその身を打たれ、そこで意識を失ってしまうのだった。

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