第五十話 貴方には愛を、私には銃を Ⅱ
ヴァスティナ帝国がジエーデル国の支配下に置かれていた、旧オーデル王国への侵攻を行ない始まった今回の戦争は、待ちに待った報復戦争であり、決して負けられぬ決戦である。
この戦いは突発的に始まったものではなく、いつでも実行できるよう準備され、辛抱強く機会を窺っていたものであった。そして、ジエーデル軍将軍ドレビン・ルヒテンドルクの死という切っ掛けを得たリックは、作戦計画を実行に移したのである。
これはその計画が発動される少し前の、まだ彼らが帝国で穏やかな時間を過ごしていた時まで遡る。
「ふふふっ⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯なんで笑ってるんですか?」
「ベッドの上だと、甘えんぼさんな可愛い顔してるなと思って」
「⋯⋯⋯恥かしいじゃないですか、まったく」
夜も更けた帝国国防軍将軍の寝室に、その二人の姿はあった。お互いに一糸纏わぬ姿でベッドに潜り、二人の男女が顔を見合わせ頬を朱に染めている。
窓から差し込む月明かりのお陰で、二人は互いの顔を見つめる事ができた。少し揶揄うような感想を口にした女の言葉に、男は彼女から逃げるように羞恥で顔を逸らした。
「もっと甘えて下さい、リック様。それとも、本当はいじめられる方がお好みですか?」
「⋯⋯⋯リンドウさんにだったら、どうされても嬉しいです」
恥ずかしそうに正直な気持ちを話したリックを、微笑を浮かべたリンドウが堪らず抱きしめた。リックの事が愛おしくて堪らない彼女にとって、今の彼は抱きしめたくなる程に可愛い顔をしていたのだ。
「今宵で貴方に抱かれるのは、これで三度目。リック様が満足して下さっていて、私嬉しい⋯⋯⋯」
「俺が抱くっていうか二回目からは完全に抱かれてる気がするんですけど⋯⋯⋯。主導権取られっぱなしで情けない男になってません?」
「情けないだなんてとんでもない。リック様は前戯がお上手ですし、女の扱いをよく分かっています。時々ヴィヴィアンヌ様としているだけありますね」
「そうなんですよ。あいつは舌技も指使いも神業的で、色々やり方を教えて貰うんですが⋯⋯⋯⋯⋯、いやちょっと待って下さい何でそれ知ってるんですか?」
一瞬で背筋が凍る感覚を覚えたリックは、彼女の胸に抱かれていた自分の顔を、恐る恐る上げてリンドウを見る。リンドウにしろヴィヴィアンヌにしろ、別に付き合っている相手というわけではないのだが、修羅場を予感させる彼女の言葉は、天敵に襲われた兎の如くリックを怯えさせた。
顔を見上げたリックが見たリンドウの顔には、怒りや嫉妬の感情はなかった。怯えているリックを可愛らしく思った彼女は、微笑んだ顔のまま言葉を続ける。
「私はメイド部隊の洗濯担当ですよ。誰が毎日リック様やヴィヴィアンヌ様の衣服を洗い、ベッドのシーツを替えていると思っているんですか? その日したかどうか何て、洗濯物を見ればすぐわかります」
「そっ、それじゃあ! 俺がメシアに片想いしてた頃、我慢できなくて一人でしてたのも全部⋯⋯⋯!?」
「もちろん知ってました」
「恥ずかしくて死にたい⋯⋯⋯」
修羅場的展開ではなく安心したものの、これはこれで衝撃的な事実を知った今のリックは、人生でこれまで感じた事のない羞恥を覚えた。そして同時に、思春期の男の子の衣服や寝具を洗濯する母親の気持ちというものを、今ようやく理解するに至ったのである。
「まあ兎も角、ヴィヴィアンヌ様に手取り足取り教えて貰っているなら、この先どんな女性ともベッドの上では上手くやれると思いますよ」
「⋯⋯⋯本当にそう思ってます?」
「彼女の才能と性格からして、その辺は情報局時代にみっちり鍛えていると思いますから。私なんか未だに⋯⋯⋯」
言いかけたリンドウが言葉を詰まらせ、「どうかしましたか?」とリックも言いかけそうになるが、その言葉は無理矢理呑み込んだ。
ヴィヴィアンヌもリンドウも、元は諜報員だった。そして二人は女でもある。情報収集のための男を篭絡する術を、ヴィヴィアンヌだけが仕込まれているはずがない。
「⋯⋯⋯無理に話さなくていい」
「いえ⋯⋯⋯、いいんです。そろそろ私も、貴方に抱かれる以上はちゃんとお話ししておきたいと考えていたので」
「リンドウさん⋯⋯⋯」
「私が処女じゃないってことは、初めての夜に気が付きましたよね。実は私の初めての相手は、あのルドルフの屑野郎なんです」
ルドルフ・グリュンタール。忘れもしないその名は、リンドウとヴィヴィアンヌを苦しめた元凶で、リックを拷問し殺そうとした男だ。
ルドルフはリックが放った一発の弾丸によって、既にこの世を去っている。だがあの男の存在は、今もリンドウを苦しめる過去として、彼女の記憶の中に存在するのだ。
「情報局の女のほとんどは、男と寝るための訓練を受けさせられていました。ルドルフはその訓練を利用して、自分の趣味のためによく女性局員を抱いていたんです」
「趣味⋯⋯⋯?」
「好きでもない男に抱かれて嫌がる女の顔を見るのが好きだったんです。そのせいで私も⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯」
「私、この訓練だけは苦手で下手だったんですけどね。でもこれが切っ掛けだったのか、それとも単純に私の戦闘技術に目を付けたのか、その後ルドルフは私を自分の指揮下に置きました」
やはり嫌な話をさせてしまったと、リックは後悔していた。だが同時に、これは彼女自身が過去と向き合った覚悟である事も分かっている。
だからリックは、湧き上がりそうになったルドルフへの怒りを鎮め、リンドウから目を逸らさずに向き合い続けた。それが、過去と向き合う彼女を受け入れる事だからだ。
「⋯⋯⋯嫌な話を聞かせてしまいましたね。リック様を愛しているから、貴方に抱かれているから、こんな隠し事は続けたくなかったんです」
「⋯⋯⋯」
「あんな奴のせいで汚れてしまった女の体なんて、本当は貴方に捧げるべきではないとわかっています。でも私、この想いだけは―――」
抑えられない感情が昂り、瞳に涙を浮かべたリンドウの唇を、言葉の途中でリックの唇が塞いだ。口付けによって伝わる愛する男の温もりが、昂った彼女の感情を静めていく。
優しい口付けを交わし合い、唇を離したリックが彼女の涙を指で拭った。少し放心した顔のリンドウに向かって、今度はリックが微笑みながら口を開いた。
「あいつのせいで汚れたっていうなら、今度は俺がリンドウさんを汚しまくります」
「⋯⋯⋯!」
「前の汚れなんて忘れるくらい汚して、リンドウさんを俺色に染め上げますから覚悟しといてください。そういうわけなので寝る前に二回戦してもいいですか?」
最初の夜、彼女は「貴方の悲しみに寄り添いたい」と望み、愛する彼に抱かれた。
だが今は、彼女の悲しみに彼が寄り添ってくれている。それが心苦しくて、辛くて、嬉しくて、愛おしくて、また涙が溢れてしまう。
「⋯⋯⋯どうしようもない変態さんですね、リック様」
「よく言われます。それで、リンドウさんはどうします?」
「貴方がもう無理だって言うまで付き合います。今夜は寝かしませんからね?」
愛する彼に、隠し続けた本心を告白した日から、彼女は覚悟している事が一つある。
彼が待ち望んだ戦争は、もうすぐ幕を開ける。戦争が始まって万が一の事があれば、最愛の彼を抱きしめる事が、永遠にできなくなるかもしれない。それだけ次の戦争は、今まで以上に苛酷な激戦となるからだ。
だから今夜が、二人にとって最後の夜となるかもしれないからこそ、彼女は愛する彼の誘いを決して拒まない。
「そうでした。二回戦の前に言っておきたいことがあります」
「何ですか?」
「ルドルフの屑はですね、実を言うとあんまり上手くなかったんです。強引で力任せなだけで、リック様とは大違い」
「そいつは良いことを聞きました。だったら簡単にあの野郎を忘れさせられそうだ」
抱く覚悟とは別に、彼女には願いがあった。
最愛の彼に愛されなくても、自分を選んでくれなくても、誰を抱こうとも構わない。ただ一つだけ願うのは、最愛の女性メシアとの別れに彼が向き合い、もう一度誰かを愛して欲しい⋯⋯⋯。
「それともう一つ」
「まだ何か?」
「また敬語に戻ってます。二人だけの時はリンと呼んで下さい」
「⋯⋯⋯わかったよ、リン」
次の日。
平和で賑わうヴァスティナ帝国の街中を少し離れ、この国唯一の孤児院がそこにある。プレシア孤児院という名のその場所では今、ある一人の剣士が、孤児院の庭にて院長と熾烈な戦いを繰り広げていた。
但し、その戦いは武器を使ったものではなく、ある調理器具を使って行われていた。
「うっ、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
雷剣の二つ名を持つ、帝国国防軍最強の剣士クリスティアーノ・レッドフォードは、気合の雄叫びを上げて眼前のキャベツと向き合い、目にも止まらぬ速さの包丁捌きで微塵切りを行なっていた。
丸々一玉のキャベツが、用意された調理台のまな板の上で、一瞬にして細かく切られていく。キャベツ一玉が微塵と変わるその間、一分も掛からない。しかし、この速さを以てしても、彼の隣で同じように高速の微塵切りを披露する彼女は、一歩も譲らず離されない。
「包丁の扱いなら負けませんからね!」
「くっそおおおおおおおお負けてたまるかよおおおおおおおおおおっ!!!」
ローミリア最強の剣士を目指すクリスは今、伝説の六剣の血を引く女性ユン・シャオと、最強の剣士の座を懸けた戦いを繰り広げていた。
だが何故、剣士であるクリスが剣ではなく包丁を握り、人ではなく野菜を切っているのかと言えば、六剣の血を引いているはずのユンが剣士ではないからである。
事の始まりは、風の剣士ジン・シャオの血を引くユンと、刃を扱っての決着を付けたいと、クリスが考えたところから始まる。
これまでクリスは、伝説の六剣の血筋を二人倒している。しかし、折角見つけた六剣の一人が、剣を扱った事のない平和主義者と知って、彼はずっと落胆していた。残りの剣士達を倒したとしても、一人だけ戦わずに不戦敗という結果は、彼にとって満足いくものではない。
そこでクリスは、ユンが包丁の扱いが得意だと言っていたのを思い出し、それで決着を付けるしかないと考えた。クリスはユンに強引に頼み込み、数日後に料理勝負の試合が組まれる事になったのである。
勝負は三回戦。立会人兼、審判兼、残飯処理係は、炎槍の二つ名を持つ帝国最強の槍使い、槍士レイナ・ミカヅキが選ばれた。レイナが立ち合いのもと、クリスとユンによる料理対決は始まったのである。
最初の一回戦は、川魚をより綺麗に捌けた方が勝利という内容で、これはユンが勝利した。包丁が得意とは言ってはいたが、流石は六剣の血筋というべきか、プロの料理人も腰を抜かすであろう、神速かつ華麗で正確な包丁捌きを披露し、クリスとレイナを驚愕させた。
続く二回戦は、森で掴まえた猪の血抜き処理と解体である。正直本来は包丁でやるべき作業ではないのだが、一人旅と野宿と食料調達経験を持つクリスが僅かに勝り、辛くもユンに勝利を収めた。
一勝一敗の状況の中、最後の三回戦が始まって現在に至る。最後の戦いは、用意された沢山の野菜の微塵切りであり、今両者が最後のキャベツに取り掛かろうとしていた。
「ユンもクリスも、どっちも頑張るんだな」
「お母さんがんばれー!」
「恐い金髪に負けるなー!」
「金髪指切っちゃえー!」
立会人であるレイナの他に、孤児院の子供達と、ユンの夫であり帝国が誇る鉄壁の盾ゴリオンも、白熱する戦いを観戦していた。因みに子供達は、特に男の子達はユンを応援していたが、奮闘しているクリスに対しては終始冷たかった。
「これで終わりだああああああああああっ!!」
包丁勝負はクリスに不利な戦いであり、三回戦の勝負とも技術ではユンに負けていた。故に、勝敗を決するこの最終勝負に於いて、クリスは気合で挑んでいる。
自身の剣術が放つ神速の技を、気合で無理矢理微塵切りに活かして、目の前のキャベツを細かく刻んでいく。両者、手加減は一切なしの全力勝負となり、神速の包丁捌きで半分を切った互いのキャベツが、ほぼ同時に二人の手によって刻まれたいった。
そして、両者同時に微塵切りを終えたその瞬間、立会人のレイナは勝者の判定を下す。
「⋯⋯⋯お前の勝ちだ、破廉恥剣士」
勝敗は決し、勝負は二対一でクリスの勝利に終わった。
この結果は、レイナやクリスのような、神速の技を放つ者のみが捉えられる、極めし者達の速さの世界。勝負を行なっていたクリスとユンを除けば、この場でそれを捉えられるのはただ一人、レイナだけである。こうなる事を予想し、犬猿の仲であるにも関わらずクリスはレイナに、この戦いの立会いを求めたのだ。
「勝ったぞちくしょおおおおおおおおおおおっ!!」
「クリスさん、おめでとう御座います」
微塵切りのし過ぎで右手が痺れ、疲れ果てたクリスが地面に向かって大の字で倒れた。そんなクリスの勝利をユンが讃えているが、恐ろしい事に彼女は平然としている。
「おい、大丈夫か破廉恥剣士?」
「⋯⋯⋯心配なんざするな気持ち悪い。こんな勝負で疲れるようじゃ、俺もまだまだってことか」
「勝負は刹那の差だった。ぎりぎりの戦いだったな」
「ああ、まったくだ。ある意味、今までの六剣との戦いで一番手強かったぜ⋯⋯⋯」
一応心配して言葉をかけたレイナから顔を逸らし、疲れた体を地面に預けたまま、一切の疲れを感じさせない顔で調理を始めたユンを見た。この後ユンは、勝負に使われた食材を料理に使い、ゴリオンと子供達に昼食を作る予定なのである。
流石、今まで一人で孤児院を運営していただけある。普段から大人数の料理を一人で準備しているからこそ、この程度の調理勝負の後でも、慣れのお陰で平気なのだろう。勝ったはいいが、平気そうなユンの姿を見て、内心クリスは悔しさを覚えていた。
ただ、素直に勝ちを喜べない結果であっても、勝利した事には変わりない。この悔しさは忘れず、己の力を今以上に高める事で、次の戦いに活かせばいいのである。
何よりもこれでクリスは、伝説の六剣の血筋を三人倒した事になる。残る相手は三人となり、彼は大陸最強の剣士に取り敢えずはまた一歩近付いた。
「⋯⋯⋯貴様は凄いな」
「ああ?」
「いつも直向きで、真っ直ぐで⋯⋯⋯。私も見習うべきだな」
普段のレイナならば、クリスを見習おうなどと絶対に言わない。驚いて目を見開いたクリスに、起き上がるのを助けようと彼女は手を差し伸べる。
戸惑ったクリスだったが、結局レイナの手は借りず、自分の力で起き上がった。レイナへと背を向けたクリスの後ろで、「私達には似合わないか」と思った彼女は、差し出したその手を下げるのだった。
「⋯⋯⋯ったく、調子狂うぜ」
「ふっ⋯⋯⋯、悪かった。それより破廉恥剣士、例の約束は忘れてはいないだろうな?」
「立会人を引き受ける代わりに、今度ハーロン産の高級果実を奢れってやつだろ? 槍振るうのと食うことしか頭にないのかよ」
「それと果実酒も忘れるな」
「ちっ、注文が多くてめんどくせぇ⋯⋯⋯」
食べ物の事になると瞳を輝かせ、レイナは瞬時に上機嫌となる。例えるなら、餌をチラつかされて興奮する犬と言ったところだろうか。クリスの目に今のレイナは、尻尾を振って喜ぶ飼い犬のように映っていた。
「やっと見つけたで、お二人さん。こんなところで何してんのや?」
クリスとの約束にレイナが胸躍らせていると、二人のもとにいつも通り癖のある言葉遣いをした、一人の眼鏡少女が現れて近付いてきた。
二人もよく知るその少女の名は、シャランドラ。ヴァスティナ帝国国防軍技術開発本部主任にして、帝国一の発明家である。
「リックが探しとるで。二人がおらんせいで、うちまで探しに行かされたやんか」
「そういや、今日は城で作戦会議やるって言われてたな。すっかり忘れてたぜ」
「執務室でリックがお待ちかねや。ほら急がんと、おっさんみたいに減給って言われるで」
「ったく、しょうがねぇな⋯⋯⋯」
ヴァスティナ城へと戻ろうとするシャランドラの後ろにクリスが続くが、何故かレイナはそこから動こうとせず、昼食の用意を始めているユンの方を眺めていた。
「おい、何してんだ槍女。さっさと行くぞ」
「待て破廉恥剣士。今城に戻ったらユン殿が作る昼食が食べられないではないか」
「お前人ん家の飯にありつこうとしてんのか? 食い意地張り過ぎだろ」
「お前の勝負に付き合ったせいで、まだ昼食を済ませていないんだ。料理勝負で使った食材の処理も私の役目なのだから、ユン殿の手料理を頂くまでは帰れない」
「こいつはどうしてこう馬鹿なんだ。仕事だって言ってんだから諦めて付いて来い」
「こっ、こら! 何をする破廉恥剣士!? 腕を引っ張るな!! はーーーなーーーせーーーーっ!!」
料理に使われようとしている沢山の食材を見つめ、必死に手を伸ばそうとするレイナだったが、情け容赦なく彼女の腕を引っ張るクリスによって、抵抗空しく無理やり引き摺られていった。
自分のものだと思っていた食材が段々遠くなり、今にも泣きそうな顔をしたレイナがお腹を鳴らしている。これでも朝は最低で大人三食分の飯を平らげているのだが、それだけ食べても昼にはまた胃袋が空くというのだから驚きだ。
「私の⋯⋯⋯! 私のお昼ご飯があああああああああっ!!」
「ああ、くそっ!! だからこいつといるのは嫌なんだ!」
「仲が良いんか悪いんかそろそろはっきりしてくれへん。ってか、もうちょい大人になって欲しんやけど」
いつまで経っても変わらない二人に呆れつつ、シャランドラは一人でさっさと歩きだすのだった。




