第四十八話 鴉の名 Ⅲ
ジエーデル国の侵略行為に対する、ホーリスローネ王国軍の一大反攻作戦。これに不安を覚えるアリオン達の考えに関係なく、戦いの火蓋は切って落とされた。
ホーリスローネ国王オーウェン・オブ・グリフィズの命に従い、将軍グローブスは大軍を率いて出陣した。権力と金を利用し、予定されていた数以上の兵を集め、物資も充実させたグローブスの軍勢は、ジエーデルの侵攻軍が展開している国境方面を目指した。
大軍ではあるが、その進軍速度は驚くほど速かった。理由は、一日も早い接敵をグローブスが求めたために、兵の進軍を急がせた結果である。今が好機であるからこそ、兵の疲労の事など考えていないグローブスは、到着までの間は全軍の足を速めさせた。
多少無理してでも、今直ぐに攻撃を行なう事ができれば、戦いの流れは一気に王国軍に傾く。何故なら、国境に展開するジエーデル軍の指揮官、名将ドレビンは主力と共に国へと戻っているからだ。
現在国境に存在する敵の数は少なく、構築された防御陣地も要塞化はされていない。数で圧倒的に勝る王国軍が今攻めれば、敵軍を蹴散らす事は容易なのである。この好機を逃す手はないだろう。
グローブスが掴んだ情報によれば、ドレビンが主力と共に戻ってくるのは、あと数週間ほどかかる予定らしい。勝負は、敵の名将が主力を率いて前線に帰還するまでの間である。この間に敵軍陣地を蹂躙して、侵攻軍を国境線から追い出しながら進軍を続け、慌てて戻って来るであろう敵主力と交戦し、これを撃破する。
グローブスは速さと数を活かした作戦で、名将率いる軍勢を撃破し、今度はこちらからジエーデル国へ侵攻を行なうつもりでいた。オーウェンにそんな事までしろとは命令されていないが、ドレビンを打ち破る事で流れを掴めば、そのまま一気にジエーデル侵攻への道が開けると考えたからだ。
確かに、王国からしてもジエーデル国の存在は危険である。今回のようにまた侵攻などされては、隙を付いてゼロリアス帝国までもが、王国への侵攻を開始してもおかしくはない。それを阻止するためには、大陸中央の脅威の排除が必要不可欠である。
もし、戦いの流れを掴んで勢いに乗り、敵国であるジエーデル国を打ち倒せたなら。その時グローブスは、名将を倒した将軍というだけでなく、自国を脅かした敵を倒し、王国の力を世に再び知らしめた英雄となるだろう。
全盛期の頃の自らの権威を取り戻すべく、グローブスは勝利を求めて戦地へと向かった。そして王国軍は、将軍グローブスの指揮のもとに、ジエーデル侵攻軍への攻撃を開始するのだった。
ホーリスローネ王国が対ジエーデル戦のために投入した兵力は、約五万の大軍である。
敵軍指揮官のドレビンが率いた精鋭は、現在展開している敵軍の中にはいない。国境線に陣を敷いたジエーデル軍の現在の戦力は、約一万と言ったところである。
緒戦を戦い抜いた一万三千の先鋒は、今はドレビンと共に本国へ帰還している。侵攻作戦の際、後方から続いた四万の軍勢の一部が、先鋒と交代する形で陣に展開したのである。
後の三万の軍勢の内、二万は周辺地域の確保や残敵処理などに加え、王国と同盟を結ぶ各国の軍への対応に当たっていた。残りの一万は後方にて、補給線や占領した地域の管理に当たっているため、両軍共に戦力には数えていなかった。
よって、実質的なジエーデル軍の戦力は約三万となる。
王国軍は陽動作戦を開始しており、同盟国に働きかけて軍を動かし、ジエーデル軍への攻撃を開始させた。大軍による攻撃とはいかないが、各国の戦力が各地で反撃を開始すれば、ジエーデル軍はその対応に追われる形となり、戦力は分散する。
こうして作り出した隙を付く形で、将軍グローブス率いる五万の軍勢は、王国の領土内に陣を敷く敵戦力に対して攻撃を行なった。グローブスの命令に従った兵士達が、侵略者の魔の手から国を救うべく、反撃の狼煙を上げたのである。
攻撃は正午から始まった。
昨晩の内に到着した王国軍は、攻撃のための準備を整えつつ兵を休ませ、防御陣地を構築した敵軍と睨み合った。全ての準備を整えた王国軍は、無数の矢の雨と、魔法兵による攻撃を敵の頭上に降らせ、防御陣地への突撃を行なったのである。
戦闘開始から二時間が経過した頃、王国軍の後方で指揮を執るグローブスは、兵に用意させた玉座のような派手な装飾の椅子に腰かけ、愉快そうに笑みを浮かべていた。
「名将なしでは満足に戦えまい。抵抗を続けても無駄だというに、愚かな奴らよ」
軍人とは思えぬ肥えた肉体で、肘掛けに腕を立てて頬杖を付くグローブスは、諦めの悪い敵軍の抵抗に愉悦していた。いくつもの勲章を下げた、白く派手な軍服を着るこの男の言葉に、空気を読んだ配下の将達が面白くもないのに無理やり笑う。
この男の御機嫌を取っておかなければ、自分達の立場など、バートン家の権力の前に簡単に潰される。失態を犯しようものなら最後、この戦争の勝敗に関わらず、その者に明日はない。個人の感情で人間をどうにでもできる力を、このグローブスという男は握っているのだ。
だから誰もが、グローブスの言葉を肯定するしかない。笑いを求められれば、空気を読んで一斉に笑いもする。ただ一人を除き、グローブス配下の将は皆そうしてきた。
「しかし閣下、少し妙だと思われませんか?」
「⋯⋯⋯なんだと?」
この場に一人だけ、元々グローブスの配下ではない軍人が一人いる。二十代後半の若さの、髪をオールバックにしたその軍人は、無礼を承知と理解した様子で、不快そうな顔をしたグローブスの前に出た。
彼の名は、マット・テイラー。実戦経験を積ませる教習過程の一環として従軍している、若き将の一人である。マット以外にも数人が従軍していて、各自の所属に応じて作戦に参加しているのだ。
「閣下の作戦は実に見事でありまして、自分のような若輩者が口を出すことは何一つありません。ただ一つ、気になっていることが御座いまして」
「言ってみろ」
「我が国の国境を突破したにもかかわらず、名将はこの地を離れて未だ不在。この理由が自分には見当もつかないのです」
グローブスとマットを除き、場の者達は自分達への飛び火を恐れ、余計な事はせずに一切口を閉ざしていた。無知なマットを庇えば、自分達もグローブスの怒りを買うのは明白だからだ。
しかし、作戦が順調に進行しているため、今日ばかりはグローブスも機嫌が良いからか、マットの発言を鼻で笑うだけだった。怒号を浴びせる事はなく、まだ若く未熟なマットの無知を笑うグローブスが、将軍としての威厳を見せつける様にして口を開く。
「まだ貴様は、我が策を理解していないようだな」
「っと、仰いますと?」
「簡単なことだ。ルヒテンドルクは王国による反撃がまだ先だと考えていたのだ。そのために、兵の休息と民の士気高揚を狙って国へ帰っていった。それを見抜いた私は、速やかに軍備を整え進軍した」
依然マットは、グローブスの策の狙いに気付けていない様子だった。それを見たグローブスは悦に浸って、機嫌を良くしながら言葉を続けた。
「古くからの兵法書にもある通り、戦の基本は早さにある。多少強引な手を使ってでも早期決着を目指し、先手を打って仕掛けることで勝利に近付く。ルヒテンドルクは三万の後続を置いて安心していたようだが、策に嵌った敵は戦力を分散させている。分散した戦力では、五万を誇る我が軍勢を前にして成す術もない」
「成程! 名将の思考を読んだ閣下の戦略眼、お見事という他ありません。こうして将軍閣下のもとで戦略を学べるなど、自分にとってはこの上ない経験となりましょう」
大袈裟に煽てるマットの態度に、上機嫌に笑うグローブスではあったが、内心では彼の言葉を疑っていた。大方、絶大な権力を持つバートン家に取り入るべく、従順な将の振りをしているだけだと思ったのである。
そういう手合いは今まで星の数程いた。物心付いた時からそれらを見てきたグローブスにとっては、最早飽きすら覚える日常茶飯事の事であった。
それでも悪い気はしない。バートン家という絶対の力の前に屈し、媚び諂う哀れな者達の姿を眺めるのは、寧ろ気分が良い。この瞬間こそ、自分が他者の上に立つ支配者であると実感できるからだ。
(ジエーデルを討った暁には、誰がホーリスローネの真の支配者か分からせてやる。ギルバートの奴の悔し顔が目に浮かぶ)
今度こそジエーデルを打ち破るための大反攻作戦は、まだ始まったばかり。戦いはこれからではあるが、勝利を確信しているグローブスは一人、戦後始める己の野望に胸を躍らせているのだった。




