第二十八話 激動 Ⅱ
「なんてことだ・・・・・・、まさかこのような事態になるとは・・・・・・」
独裁国家ジエーデル国、総統府。
この国の絶対的支配者が君臨する総統府の、総統専用の執務室前に彼の姿はあった。執務室の扉の前で、動揺を隠し切れない様子でいる彼の名は、セドリック・ホーキンス。ジエーデル国の若く優秀な外交官である。
彼は今、予想もしていなかった事態に直面していた。彼の眼に映る扉の中では、ジエーデル国総統と、ある人物が対談している。彼が慌てているのは、その人物のせいであった。
この対談の前日、彼のもとに手紙が届いた。手紙の内容を簡単に言うと、「明日そっちに行くから、総統と会える場を設けて欲しい」、である。最初は、質の悪い冗談かと思ったセドリックだが、手紙を送った主が本当に現れたため、度肝を抜かれてしまった。
冗談と思っていたために、何も準備していなかったセドリックは、急いで対談の準備を行なった。総統に事情を説明し、対談のための時間を作って貰い、どうにか相手の要望に応える事ができたのである。要望に応じなければ、連れてきた護衛の者達に命令し、セドリックを人質にして総統府に乗り込むと脅されたため、止むを得ず準備を行なったのであった。
脅しをかけてきた相手が、あまりにも悪かった。この人物ならば、脅しではなく本当にやりかねないと、そう思わせる人物だったのだ。
(一体何をしに現れたと言うんだ・・・・・。しかも私ではなく、直接総統に会いたいなどと・・・・・)
相手の目的は不明だ。少なくとも、何かの交渉をしに来た事だけはわかる。問題は、それがどちらの得になるかだろう。
(この部屋の中で、二人は何を話しているんだ・・・・・・)
対談の結果、何が起こるというのか。この時のセドリックは、閉じられた扉の前で、対談が終わるのをただ待つ事しかできなかった。
ジエーデル国総統府にある、総統専用の執務室には、毎日必ずこの部屋の主が席についている。会議などで部屋を出る以外は、この部屋で政務に集中しているのだ。
ジエーデル国総統、バルザック・ギム・ハインツベント。それが、この執務室の主の名である。
バルザックは、ジエーデル国に君臨する絶対的支配者であり、独裁体制を敷く、この国の王と呼べる存在だ。誰も彼に逆らう事は出来ない。もし逆らえば、命はないのである。
自分に逆らう者を皆殺しにして、彼はこの国の頂点に立った。そんなバルザックの恐ろしさは、国内のみならず、国外でも有名である。故に国内外の政官も、外交官も、兵士も、国民も、彼に会う時は必ず緊張してしまう。そのせいか、バルザックの事を、ジエーデルの化け物と呼ぶ者もいる程だ。
だがしかし、そんな化け物を目の前にしても、全く動じない存在が、今彼の眼前で紅茶を飲んでいる。
「ふふっ、良い茶葉を使っているようですね。総統は紅茶の趣味が良い」
「そうかね?高級な茶葉を使っているわけではないが、口に合って何よりだ」
総統専用の執務室には、来客用の円形のテーブルと椅子が用意されており、彼女はその席で、バルザックの淹れた紅茶を飲んでいた。彼を前にしても恐れず、妖艶な笑みを浮かべ続けるのは、ヴァスティナ帝国宰相リリカである。
紅いドレスを身に纏い、長く美しい金色の髪と、ドレスの胸元から見える豊満な胸、透き通るような白い素肌が、彼女の魅惑の美貌を形作っている。顔立ちも美しく整っているため、彼女の事を絶世の美女と評する者もいる。交渉事などで、一度彼女が他国との会議の場に顔を出せば、その場の男達の多くは彼女の美貌に眼を奪われてしまう。時には女性ですら、彼女の美貌に魅了されてしまうのだ。
しかしバルザックは、そんな彼女の妖艶なる美貌に全く興味を示さない。普段来客と接するように、急な来客にもかかわらず落ち着いていた。
「本当に来るとわかっていれば、もっと良い茶葉を用意できた。来訪の手紙はもっと早く貰いたいものだよ」
「申し訳ない総統閣下。何分急ぎだったのでね、手紙を送りつつ向かわさせて貰ったよ」
帝国宰相リリカは、護衛の部隊を連れて、今日の朝突然ジエーデル国に現れた。ジエーデル国の関所の一つに到着した彼女は、自分の身分を明かし、外交官セドリックを呼び出して、半ば無理やり入国したのである。
初めセドリックは、彼女の入国を拒否しようとしていた。だが、彼女がバルザックに直接話したいと言った、ある情報を聞かされたために、仕方なく彼女を入国させたのである。
セドリックの導きで、リリカと、彼女の護衛をしている帝国軍の精鋭鉄血部隊は、あまり人目に付かないよう案内され、総統府へと入った。そして、現在に至る。
「さて、話の続きといこう。宰相殿の話が事実ならば、今現在、帝国参謀長の身柄はアーレンツにあるという事かね?」
「ええ。我が国の参謀長は今、国家保安情報局の手中にあります。私はあれを救い出すために、貴方のもとへ交渉に来た」
帝国宰相リリカはバルザックに、現在の帝国の状況を話してしまっていた。帝国参謀長リクトビアが、中立国アーレンツの諜報員に捕らえられ、今も敵の手中にあるという事実は、情報漏洩を許されない極秘事項である。
しかしリリカは、その最重要機密を明かしてしまった。しかも、ヴァスティナ帝国の宿敵である、ジエーデル国総統バルザックに、その情報を教えてしまったのである。つまりこれは、帝国最大の宿敵に、帝国軍史上最大の危機を知られてしまった事になる。
「帝国軍がサザランドの街より突如撤退した理由はわかった。まさか、アーレンツの国家保安情報局がそのような大胆な行動を起こすとは・・・・・」
「まったく困ったものです。お陰で私の仕事が増えてしまった」
「それはそれは、御愁傷様であるな。それで、宰相殿は吾輩に何を求めているのだね?」
リリカが最重要機密を明かした理由は、リクトビア奪還のための交渉を行なうためである。彼女はリクトビア救出のために、宿敵ジエーデル国の力を借りようとしているのだ。そのために彼女は、バルザックに直接交渉を持ちかけようとしているのだ。
「総統閣下、我が国の参謀長を救出するために、この国の力を貸して欲しい」
「帝国にとって敵である吾輩に、どうして助けを求めようとするのかね?そのような望み、吾輩が聞くわけがないだろう」
当然な話である、敵に塩を送るような事を、ジエーデル国がするわけがない。誰にでもわかる、簡単な話だ。あまりにも彼女が非常識なため、平常を保っているバルザックも、内心ではかなり驚かされている。
「確かに、我が国の参謀長を助けたところで、貴国には何の得もない」
「寧ろ損しかない。このまま帝国の狂犬が消えてしまった方が、我が国にとっては都合がいい」
「ふふふっ、そうとは限りませんよ」
妖艶な笑みを全く崩さず、彼女は平常を保っていた。その態度には不気味さすら感じる。
リクトビア奪還のために、宿敵ジエーデル国の力を借りようとする、この圧倒的不利な交渉において、彼女は勝利を収めるつもりでいるのだ。並みの精神ではない。今の彼女には、弱気や諦めなどは全く感じないのである。彼女は勝利を得るまで、一切退く事はないだろう。
「このまま我が国の参謀長がアーレンツに捕らわれたままでは、我が国の軍事機密があの国に漏洩してしまう。それは総統閣下にとっても都合が悪いのではないですか?」
「都合が悪い?アーレンツは中立の国だ。吾輩に牙を剥けば脅威だが、中立であり続ける限り、吾輩の脅威とはならない」
ヴァスティナ帝国の軍事機密。それは、バルザックも欲しがる強力な力である。それがアーレンツの手に渡るなど、彼からすれば面白い話ではない。
しかし、アーレンツは中立国であり、ジエーデルと敵対関係にある国家ではない。アーレンツが敵国であるならば、全力で阻止するべき案件かもしれないが、中立ならば慌てる必要はないのである。それより、情報大国と呼ばれ、他国に情報を売っているアーレンツから、帝国の軍事機密を買う事ができるのだ。ジエーデルからすれば、これは寧ろ好機である。
「おや?てっきり私は、総統閣下が近くアーレンツを攻めると、そう考えていたのですが」
「そのような愚行を、吾輩が犯すと思うかね?いくら吾輩が国力を拡大させているとは言っても、あの国に手を出せば破滅するのはわかっている」
「口ではそう言っても、本心は違うのでは?閣下の大陸侵攻計画の次の目標は、アーレンツだとわかっておりますよ」
妖艶な笑みを浮かべ続け、リリカは語る。彼女の発言には、絶対的な自信があった。
バルザックが何と言おうと、ジエーデルはアーレンツを攻めると彼女は言う。勿論、ジエーデルがアーレンツを攻めるという証拠は、何一つない。これは彼女の想像でしかないのだ。
だがリリカは確信している。ジエーデル国・・・・・というよりも、バルザックがアーレンツを滅ぼそうとしているのは、間違いないと・・・・・。
「ジエーデルはアーレンツを避け、着々と大陸侵攻を続けている。一見、その勢力拡大範囲は、アーレンツを無理やり避けているようで、彼の国の逃げ道を封じている」
「偶然だ。君も知っての通り、アーレンツは誰も触れてはならない禁忌の箱なのだよ。触れれば最後、その者に明日はない」
「だから触れられないと、そう仰るのですか?大陸一の独裁者、バルザック・ギム・ハインツベントともあろう者が、たかが中立国一つ滅ぼせないと?」
敵国・・・・・、しかもその中心部で、この国の絶対的支配者に向かい、彼女は挑発して見せる。大胆不敵過ぎるこの妖艶な美女は、恐怖という感情を持っていないのか?このような女性に会うのは、バルザックも初めてである。
リリカという宰相に関して、セドリックから話には聞いていた彼も、まさかここまでとは思ってもみなかった。しかし、そんな女性が相手だからと言って、彼が恐れる事はない。
「ここで吾輩を挑発して、生きて国に帰れると思っているのかね?」
「ふふふっ・・・・・、無理でしょうね」
「君と護衛の者達を皆殺しにして、その首を帝国に送り付ける事もできる。君は、助けを求める相手を間違えた」
執務室の扉の外には、セドリックの他に、バルザックも護衛も控えている。彼が一声かければ、リリカの命はない。バルザックは冷酷非情な独裁者である。相手が誰であっても、自分に牙を剥いた者を許さない。彼はそうして、この国の頂点に昇りつめたのだ。
リリカも馬鹿ではない。当然その危険を理解している。眼前の交渉相手が、大陸一残酷で非情な男と知りながら、彼女はここにやって来たのである。今、帝国参謀長リクトビアを救うためには、バルザックの力が必要不可欠になるからだ。
リリカは命懸けでここにいる。リクトビアを救い出すために、彼女もまた他の仲間達と同じように、己の命を懸けているのだ。
「総統閣下。帝国がアーレンツに侵攻し、同時にジエーデルも動くとなれば、他の国々はどのように動くと思いますか?」
「・・・・・・」
「答えは簡単です。他国は静観するだけ。ゼロリアスもホーリスローネも、何もしてはこない」
殺気すら放つバルザックの脅しも、彼女には通用しないのか。リリカは彼の眼を真っ直ぐ見据え、笑みを浮かべて語り続ける。
「アーレンツに手を出せば、彼の国を利用している国々が動く。ふふっ、本当は利用されているとも知らずにね」
「故に、どの国もアーレンツには手を出さない。仮に、帝国とジエーデルがアーレンツを攻めたとすれば、各国は我が国も帝国も潰しにかかる」
「昔はそうだったかもしれません。でも、今は違う。今は多くの国家が、彼の国を邪魔に思っている。滅ぼすならば、今を置いて他にはない」
リリカの言葉は事実であった。
今までアーレンツは、他国に情報を売る事で経済発展を遂げてきた。しかし、各国の機密を収集し、それを商品として扱うという事は、大陸中の国家の弱みを握っている事を意味する。
各国の秘密を知り過ぎているアーレンツは、各国の支配者達からすれば、目障りな存在でしかない。アーレンツを利用する事で、自国の発展を遂げたとしても、自分達の国はアーレンツに弱みを知られたままとなってしまう。弱みを握られているだけならまだしも、その弱みを他国に売り渡されてしまっては、堪ったものではない。
今現在、ローミリア大陸で力を持つ国々は、アーレンツから情報を買う事で、今日の国力を得た。だが、それは昔の話である。大陸に勢力を造り上げ、力を得た各国には、最早アーレンツの情報は必要ない。寧ろ、自国の弱点を握るあの国を、これ以上放置するわけにはいかないと考えている。
そのような状況下で、もしも帝国だけではなく、ジエーデルまでもがアーレンツに侵攻を開始すればどうなるか?各国は、これを絶好の機会だと考えてもおかしくはない。
リリカはこの事実を話に出して、バルザックを動かそうとしている。バルザックにとっても、アーレンツが邪魔な国である事は変わりない。リリカは彼に、これはまたとない機会だと訴えているのだ。
アーレンツは中立を貫き、額さえ出せば、どのような国が相手でも情報を売ってきた。そのお陰で、アーレンツと関わりのない国はほとんどいなくなり、誰もアーレンツに手を出せない、暗黙の協定が造り上げられたのである。アーレンツから情報を得ていた国々は、今まで利用しているようで、ずっと利用されていたのだ。
それを打ち破る好機は、今しかない。そう訴える彼女の思惑を、当然バルザックは理解している。絶好の機会だという事も、よくわかっている。だが彼は、首を縦に振る事はない。
「都合のいい話を聞かせ、吾輩を利用しようと企んでいるのならば、考えを改めるべきだ」
「ふふふっ、改める必要など感じませんが。実際、この状況は貴国にとって好機です」
「国の支配者たる吾輩が、帝国に利用されて動くなどあってはならない。それなりの見返りを用意するならば、話は別だ」
帝国がジエーデルに用意できる見返りは、帝国の軍事機密か、帝国領の一部だ。どちらか一方、もしくは両方を差し出さなければ、バルザックは動かない。見返りを提示しなければ、彼は交渉するつもりはないのである。
「見返りですか・・・・・。なら、こういうのは如何でしょう?」
「何だね?」
「国家保安情報局の最高機密。公表すれば、大陸中を戦火に包むと言われている、情報局の保管庫。アーレンツから参謀長を救い出した暁には、それを差し上げましょう」
そう話した瞬間、バルザックの瞳の奥が一瞬揺らいだ。表情こそ変えなかったが、明らかに彼はこの話に動揺したのである。
「何の事かね・・・・・・、と言いたいところだが無駄の様だ」
「情報国家アーレンツが長年に渡って収集した、大陸中の裏情報の数々を保管する、秘密の倉庫。噂では、そういうものがあの国にはあると聞きます」
「所詮は噂だ。本当に存在するのかも定かではない」
「しかし実在するのであれば、誰もが欲しがる保管庫でしょう。閣下もまた、その保管庫を欲しがる一人では?」
もし、この保管庫を手に入れる事ができれば、他陸全土の裏情報を手に入れる事ができる。例えば、とある国で次期国王となるために、第二王子が第一王子を毒殺したという情報や、とある国同士の裏の繋がりまで、何もかもが収められているのである。
この保管庫の中身が大陸中に公表されれば、どんな混乱が起こるか予想もつかない。しかし、広く公表できない裏情報を集めた、情報局の保管庫の存在は、あくまでも噂でしかない。本当に実在するのかもわからないのである。そんな曖昧な存在を、リリカは交渉の材料とした。
「我が国だけがアーレンツに侵攻すれば、各国は保管庫を手に入れさせまいと、我が国を潰しにかかる。ですが、ジエーデルも共に侵攻すれば・・・・・」
「我が国と戦端を開くのを恐れ、誰も手を出さない。魅力的な話であるな」
「もし存在しなかったとしても、保管庫は実在した事にしてしまえばいい。そうすれば、ジエーデルは各国相手に有利な交渉を進められると思いますが?」
アーレンツを帝国とジエーデルが滅亡させ、仮に保管庫が実在しなかったとしても、その事実を知るのはこの二国だけとなる。ならば、保管庫は存在した事にして、大陸中の裏情報を手に入れた事にしてしまえば、各国はジエーデルを恐れ、今後二度と、有利な交渉を進める事は不可能になるだろう。
「君の提案は魅力的だ。だが、保管庫を手に入れようとすれば、ゼロリアスやホーリスローネも黙っていない」
「両国は黙るしかありません。あの二国は、互いへの警戒が強いですから。他の国も、ジエーデルが動けば黙って見ている事しかできません」
ヴァスティナ帝国において、宰相リリカを帝国最凶と呼ぶ声は非常に多い。帝国を裏で支配する、真の支配者と呼ぶ者もいる程だ。
目の前にいる女性が、自分に匹敵する人物であると知り、バルザックの眼が変わる。鋭い視線でリリカを見据え、彼女から視線を外さない。その眼はまるで、獲物を狙う獣の眼であった。
「・・・・・・君の眼を見ていると、あの眼を思い出す」
「あの眼とは?」
「・・・・・・そうであるな。吾輩を恐れず真っ向から立ち向かった、その勇気を讃えて教えよう」
リリカの力に敬意を表し、彼は語り始めようとする。彼女もまた、バルザックの言葉に興味を示し、話すのを静かに待っていた。
「君は、この世界の神を見た事があるかね?」
「神・・・・・?」
「神は空想上の存在ではない。この大陸には、神と呼ばれるに相応しい存在がいるのだよ」
流石のリリカも、この言葉には戸惑ってしまう。まさかバルザックの口から、神を見た事があるかと問われたのである。驚くのも無理はない。
本人は冗談を言っている様子ではない。彼は真面目に、神の存在についての話を始めたのである。
「かつて吾輩は、その神について調べていた。そうして辿り着いた先で、吾輩は神を見た」
「・・・・・閣下の言う神とは、一体何者なのですか?」
「この世界の全てを知る、恐ろしい女神だよ。その女神は、今の君と同じ眼をしていた」
そんな存在がいるなど、リリカですら聞いた事がない。話への興味は尽きず、リリカは話の続きを静かに待つ。
「神との出会いは吾輩を変えた。吾輩はその神に、この世界の全てを教わろうとしたが、聞く事は叶わなかったよ」
「・・・・・それは残念でしたね」
「代わりに神は、吾輩にこう言った。・・・・汝、楽を選ぶ事なかれ」
「!!」
その言葉を聞いた瞬間、リリカは眼を見開いて驚きを露わにした。彼女の反応に驚いたバルザックだが、彼は尚も言葉を続けた。
「一度の人生、痛み苦しみ演じるものであれ。さすれば--------」
「さすれば汝、劇的な死を与えられん」
「!!」
今度はバルザックが彼女と同じように驚き、場に沈黙が流れる。
彼の顔にはこう書かれていた。「何故、自分しか知らない言葉を貴様が知っている・・・・・」と。
「どうして君が・・・・・その言葉を・・・・」
「・・・・・どうやら、その神は私が知っている人物のようです。私は閣下以上に、彼女の事を知っている」
「ばっ、馬鹿な・・・・・。君は一体、何者なのだ・・・・・?」
「少なくとも、神と呼ばれるような存在ではありませんよ。まあ、閣下も知りたいであろう、この世界の真実くらいなら、けちな神の代わりに教えてもいい」
「!?」
リリカの言葉を受け、バルザックは席から飛び上がり、その眼を子供のように輝かせ、彼女を見つめていた。その反応を見て、妖艶な笑みを浮かべたリリカは、自らの強運に感謝していた。思いがけず彼女は、最高の交渉材料を手に入れてしまったのである。
「どう致しますか閣下?私の知るお話に、興味津々のご様子ですが」
「ふふっ・・・・・・ふはははははははっ!これはいい、感謝するぞ宰相殿!さあ、私にこの世界の真実とやらを教えたまえ!」
先ほどまでの慎重さは嘘のように消え、今は己の興味に夢中である。彼は今、国よりも自分を優先させていた。
これほどまでに彼を変えてしまう、この世界の真実という話。彼が目の色を変えてしまうのも無理はない。何故なら彼は、リリカの知っているであろう真実を、長年追い求めてきたのだから・・・・・・。
「それでは、お話致しましょう。総統閣下、この世界は---------」
「!」
総統専用の執務室の扉が開かれ、姿を現したのはリリカであった。余裕の笑みを浮かべて、堂々と執務室を後にした彼女に、部屋の前で待機していたセドリックは驚愕した。まさか彼女が、無事にこの部屋から出て来れるとは、思ってもみなかったからである。
リリカは笑みを浮かべ、セドリックを一瞥し、執務室から離れていく。部屋の中で何があったのか、一刻も早く確認するため、セドリックは慌てて執務室に入っていった。
執務室を離れ、総統府の通路を歩いていく彼女に、セドリックと同じように部屋の前で待機していた、鉄血部隊部隊長ヘルベルトが後に続く。彼はリリカの護衛のため、セドリックや総統護衛の兵士達と共に、部屋の前で待機していたのである。
「姉御、その顔は上手くいったって事ですかい?」
「ふふふっ・・・・、予想以上に上手くいったよ」
その言葉を聞いて、ヘルベルトの口元が吊り上がる。彼は邪悪な笑みを浮かべ、その眼をぎらつかせた。
「それを聞いて安心しましたぜ。今度はエステランの時よりも大暴れできる」
実戦経験豊富な戦闘狂達を率い、自分もまた戦いを楽しむこの男には、戦場にいる姿が相応しい。リリカの護衛をするよりも、最前線に出て敵の軍団に突撃し、大暴れする方が性に合っているのである。故に、この後に待つ大きな戦いが、彼は楽しみで仕方ないのだ。
「もう少しの辛抱だよ。それまでは、酒でも飲んで待っているといい」
「いや、隊長を奪い返すまで、酒はやらねぇと決めてる」
酒好きの彼が、自分達の主を助けるまでは、酒を飲まないと決めている。今回の事件は、彼にとっても衝撃的な事であったのだ。
護衛に当たっていたのは、帝国軍最強の二人であった。帝国一の狙撃手もいた。その三人が護衛していたというのに、帝国参謀長リクトビアは奪われた。
今回の相手は、帝国軍として今まで戦ってきた、どんな相手よりも強い。もし戦場で、リクトビアを攫った敵、ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼと出会ったら、今度こそ死ぬかもしれない。
だからこそヘルベルトは、今だけは酒を断った。リクトビアを救い出すべく、最強の敵と本気で戦うために。そして何より、勝利した先に待つ、最高の美酒を得るために・・・・・。
「ふふっ、それは良い心がけだ。でもいいのかい?」
「?」
「君の仲間達は我慢できずに酒盛りを始めていたよ。ジエーデル産のビールは最高だと言って」
「あっ、あいつらああああああああっ!?」
「総統閣下!」
慌てて総統専用の執務室に入室し、バルザックの席に早足で近付いたセドリックは、どんな交渉が行なわれたのかを急いで確認しようとしていた。
部屋を後にしたリリカの顔を見て、彼女の思惑通りに事が運んでしまったと察したセドリックは、バルザックが彼女に負けたのではと思い、焦りと興奮を覚えていたのである。あのバルザックが、帝国宰相リリカと戦い、本当に破れてしまったのか?常に彼の傍に仕え、彼の力を誰よりも知っているセドリックだからこそ、帝国の狂人であるリリカと、どんな交渉を行なったのか気になって仕方がないのだ。
「ホーキンス君かね・・・・・、ふふっ・・・・ふははは・・・・」
「そっ、総統閣下・・・・・?」
バルザックの様子がおかしい。彼は執務室の椅子に腰を下ろし、こめかみに右手を当てて、怪しく笑っていた。明らかに今の彼は、いつもと違う。その怪しい笑みが、彼をより一層狂人に見せ、セドリックを恐怖させる。
「吾輩は・・・・・遂に知ったぞ・・・・・・!」
「一体、彼女と何を・・・・・?」
「これで吾輩は、この世界の神となる切符を手に入れた・・・・・。まさかあのような女が、この切符を持っていたとは・・・・・・」
神となる。そんなものを彼が目指しているなど、セドリックも初耳であった。
確かに、ジエーデル国は大陸中に侵攻作戦を展開しており、このまま各国を征服する事が叶えば、この世界を征したと言っても過言ではなくなる。だが今のバルザックが、そういった意味で、神という言葉を口にしたようには思えない。
今のバルザックの眼に映るのは、セドリックの姿でも、この国でもない。その眼に映るのは、この世界である。
「この大陸を我が手中に治め、吾輩は神となる。そのために・・・・・」
その眼を輝かせ、狂喜の笑みを浮かべるバルザック。彼はこの大陸全土を支配すると決めた。バルザックはジエーデル国を己の武器として、この世界の神となるつもりなのだ。
力による絶対支配。冷酷な独裁者が君臨する世界。彼に敵と見なされれば、明日の命はない世界。
彼がこの大陸を支配すれば、そんな未来が待っている事など、セドリックも承知の上だった。しかし、狂喜して狂い笑う今のバルザックを見て、彼の全身に鳥肌が立つ。
セドリックは、より一層の恐怖を覚えてしまったのだ。目の前にいる大陸最凶の独裁者が、この世界を呑み込もうとする、巨大な怪物に見えたのである。
「吾輩を阻み続ける存在には、そろそろ消えて貰おう」
「総統閣下、まさか・・・・・!?」
「ふふっ・・・・、ふはははははははははっ!!」
立ち尽くすセドリックに構わず、彼は笑い続けた。バルザックが笑い飽きるまで、狂喜し続ける彼の高笑いは、執務室とセドリックの耳に鳴り響き続けたのである。