第二十八話 激動 Ⅰ
第二十八話 激動
「今日から、貴女の名前はリンドウと名付けましょう」
「リンドウ・・・・・・」
これは夢。私が新しい名前を貴女に頂き、貴女に忠誠を誓ったあの日の記憶。
「どうして・・・・・、花の名前を・・・・・・?」
「私は花が好きなんです。名付けるなら、貴女に相応しい花の名をと思ったのですが・・・・・・、お気に召しませんでしたでしょうか・・・・・」
貴女はずるい。そんな悲しそうな顔をされて言われたら、嫌だとは言えない・・・・・。今思えば、貴女は策士だった。
リンドウ。花言葉は、勝利や正義感、そして誠実。私に不似合いだと思ったが、響きは悪くない。だから私は、その名を受け入れた。
「気に入りました。今日から私はリンドウ。帝国メイドとして、貴女に忠誠を誓います」
私がそう答えると、貴女は嬉しそうに微笑んだ。微笑む貴女の美しさは、天使の様だと思った。
この時私の傍には、この後ラフレシアと名付けられるメイド仲間と、メイド長ウルスラの姿もあった。この日私は、後の帝国メイド部隊、「フラワー部隊」最初の隊員となった。
「これから宜しく御願いします、リンドウ」
「はい、女王陛下」
これは私が、メイド長ウルスラに拾われ、ヴァスティナ帝国女王ユリーシア・ヴァスティナに絶対の忠誠を誓った、あの日の記憶。
私は帝国メイドの一人として、幸せな日々を送っていた。一癖も二癖もある仲間達と共に、ユリーシア陛下を守るメイドとして、新しい人生を送る事ができた。
この日々のお陰で、初めて私は、人生が楽しいと感じたかもしれない。陛下は私達のような人殺しを、まるで家族のように扱ってくれた。温かくて、優しくて、儚く美しい少女だった。そんな陛下が、私達は大好きだった。
私達は陛下に救われた。だから私達は、いつか陛下を救いたいと願っていた。彼女の心を蝕む闇から、いつか必ず救い出すと、皆そう誓っていた。
それなのに・・・・・、陛下は私達を置いて、この世を去った。
「・・・・・・」
「リック様、体をお拭き致します」
陛下を失ったあの日から、彼は自分の寝室から出て来なくなってしまった。
彼の名は、リクトビア・フローレンス。亡きユリーシア陛下に絶対の忠誠を誓った、陛下にとって最愛の人・・・・・。
自分の愛した女性を失い、生きる意味そのものだった陛下も失い、彼の心は壊れてしまった。もう二度と、戻る事はないと思えた程だ。
寝室に籠ってしまった彼のお世話をしていたのは、私だった。陛下を愛し、陛下のために戦い続け、陛下を救うためにその手を血で染め続けた、そんな彼の傍に寄り添っていたかったのだ。
「拭き終わったら、新しい包帯を巻き直します。その後は、お食事をご用意いたしますね」
「・・・・・・」
あの時の彼は、ほとんど言葉を発せず、その眼から光を失い、絶望の底に沈んでいた。私だって、彼と同じだった。
だから傍にいたかった。彼の気持ちが痛いほどわかるからこそ、せめて傍で寄り添いたかった。彼の悲しみと苦しみを、少しでも癒す事ができるのなら、私は貴方のために何でもしよう。
寝室のベッドで悲しみに暮れ、何もできなくなった彼のために、私はどんなお世話もした。怪我を負った体を治療し、毎日体を拭いて、食事を食べさせた。そうしなければ、彼はこのまま何もせず、この部屋で朽ち果ててしまうからだ。
服を脱がせ、怪我の治療を行ない、体も綺麗に拭いて、用意しておいた着替えの服を着せ、食事を用意する。パンと温かいスープを用意したが、彼は自分でそれに手を付けない。
「失礼いたします・・・・・」
そう言って私は、スープを口に含み、彼と唇を重ねた。スプーンを使っても、口を閉ざして食べ物を受け付けない彼には、口移しで無理やり食べさせるしかなかったのだ。
彼の食事は全て、私が口移しで食べさせた。食事を終え、眠りにつかせようとすると、生きる意味も希望も失い、心が壊れたてしまった彼の、絶望に沈んだ瞳が、私を見る。
「メシア・・・・・ユリーシア・・・・・・・」
「!!」
その時の私は、無我夢中だった。
彼が呟いた、二人の名前。彼にとってはかけがえのない、愛おしく大切な二人。この時の彼は、時々二人の名を呟く事があった。恐らく、二人との幸福な日々を思い出していたからだ。
その言葉、その姿が、私の心を駆り立てた。私は彼を抱擁し、涙を流してしまっていた。彼を抱擁し続け、涙が枯れるまで泣き続けた。
彼を救えない己の無力さと、痛いほど伝わってしまう彼の苦痛・・・・・・、そして、愛する陛下を失ってしまった、私自身の悲しみが、涙と変わって流れ続けていくようだった。
「リック様・・・・、リック様・・・・・・っ!」
何度も何度も、私は彼の名を呼び続けるばかりだった。
泣き続けるそんな私のために、貴方は私に抱かれ続けた。自分だってもっと泣き喚きたいはずなのに、貴方は私のために傍に居てくれた。これでは、どっちが傍に寄り添っているのかわからない。
そんな貴方に、私は・・・・・・・。
「んっ・・・・・」
夢を見ていた彼女は目を覚まし、目覚めたばかりのその眼で周囲を見まわす。明かりのない部屋の中、壁にもたれかかり、三時間ほど仮眠をとっていた。周囲を見まわしたのは、警戒のためである。自分が寝てる間に、敵が現れていないか、それを警戒していたのだ。
(陛下・・・・・リック様・・・・・)
彼女の名はリンドウ。ヴァスティナ帝国メイド部隊、フラワー部隊の一人である。
今彼女がいるのは、中立国アーレンツの軍事施設内である。施設内には、軍事物資が保管されている倉庫があり、その倉庫の屋根裏に彼女は潜んでいた。
彼女が軍事施設内に潜伏している理由は、この国の諜報組織、国家保安情報局に捕らわれている、帝国参謀長リクトビア・フローレンスの救出のためである。
(こんなところで、二人の夢を見てしまうなんて・・・・・・)
彼女にとって、夢で見た二人の人物は、特別な存在と言えた。自分が絶対の忠誠を誓った女王と、彼女に忠誠を誓った一人の男。どちらも、彼女にとってはかけがえのない存在だ。
リンドウがリクトビア救出の任に就いているのは、帝国宰相リリカと軍師エミリオ・メンフィスから要請された、帝国軍の最重要任務だからである。だが彼女は、与えられた任務という理由だけでなく、助けたいという自分の意志を持って、彼女はここにいる。
アーレンツは彼女の故郷。国家保安情報局は彼女の古巣。ここは、彼女の闇を生んだ地。
二度と戻るつもりなどなかった。戻りたくもなかった。それでも、彼を救い出すためには、自分がここに戻るしか手はなかった。
彼女はこの国を捨てた。
この国で生まれ育ち、情報局の諜報員にされて、愛する祖国のためにと、毎日毎日諜報任務に就いた。任務の過程で殺した人間の数は、口にするのも躊躇う。殺した人間の中には、女子供もいた。彼女は情け容赦なく、任務の中で多くの人間を殺してしまった。
自分の異常さ、残酷さ、人でなしさ。それに気が付き、自分の手を見つめ返した時、その両手は血で染め上げられていた。その瞬間、彼女は一つの決心をしたのである。「この国から抜け出そう」と・・・・・。
ここにはいられない。この国にいては、いずれ自分は壊れてしまう。だからその前に、この国を出なければならないと、そう考えたのだ。
この国を脱走するために、彼女は部隊を率いてとある任務に就き、部隊を態と全滅させ、自分の死を偽装し、情報局の眼を誤魔化して、アーレンツから脱国を果たした。アーレンツの事をよく知り、情報局の精鋭であり、「人狼」という異名まであった彼女だからこそ、脱国は成功したのである。
国を抜け、行く当て無く彷徨い、ヴァスティナ帝国に訪れ、彼女は新たな人生を手に入れた。幸福な新しい人生を守るために、アーレンツには二度と戻らないと誓っていた。
しかし、彼女でなければ、捕らわれた彼を救い出す事は出来ない。これは彼女だけでなく、彼を救い出したい多くの者達の願いでもある。故に彼女は、己の誓いを破り捨て、再びこの国へ来た。
(必ず救い出す。そのためには・・・・・)
そのためには、彼の居場所を特定しなくてはならない。いや、どこに捕らわれているのか、見当はついている。国家保安情報局特別収容所。そこに必ず彼はいると、彼女は確信していた。
アーレンツに潜伏し、この国の現在の情報を集め、状況の把握をほぼ終えた彼女だったが、未だ彼の正確な居場所は特定できていない。特別収容所にいるというのも、彼女の予想でしかないのだ。特定できていない大きな理由は、情報不足のせいである。
帝国参謀長リクトビア・フローレンスを、情報局が拉致したという事実が、どこにも伝えられていないのだ。まるで、そんな事実などないかのように・・・・・・。
彼女の勘が訴えている。これは裏で情報局の大物が暗躍し、何かを企てていると、彼女の直感がそう告げる。
(きっとリック様は、この国の対立に巻き込まれたんだ。という事は、誰かがリック様を利用しようとしているはず)
彼女の任務はリクトビアの救出である。正確には、この国で戦火が燃え上がった瞬間、その混乱に乗じてリクトビアを救出するのが、彼女の役目だ。今彼女がすべき事は、見つからないよう潜伏し、戦火が燃え上がる前に、リクトビアの居場所を突き止めておく事だ。
戦火が何もかもを焼き尽くそうとするまで、あまり時間は残されていない。急がなければ、戦火はリクトビア事、全てを焼き尽くしてしまうかもしれない。
彼が本当に特別収容所に捕らわれているのか。収容所にいるのならば、どこに捕らわれているのか、その正確な居場所を突き止めなければ、彼を救い出す事ができない。だが、収容所は警備が厳重であり、彼女も容易に近付く事ができないのである。
救出のチャンスは一度しかない。確実に成功させるには、このまま見つからずに潜伏し、彼の正確な居場所を特定するしかないのだ。情報を求め、焦って厳重警備の収容所に侵入を試み、ここで見つかってしまうわけにはいかない。
(それにしても、一体誰がリック様を利用しようとして・・・・・・。まさか、あの男が・・・・)
彼女の脳裏に浮かぶ、最悪の可能性。もしも、リクトビアを利用しようとしている人物が、彼女の予想した通りの人物であれば、彼の身が非常に危険なのである。
(もしそうなら、作戦開始を待つわけにはいかない。急がなければ・・・・・・)
焦る己の気持ちと戦いながら、彼女は思考し続ける。リクトビアの居場所を突き止めるための、様々な手段を考え続けた。
思考を止めてはならない。諦めるわけにはいかない。何故なら、リクトビアを奪還できるのは、彼女しかいないのだから・・・・・・。




