第二十五話 勝利の裏に潜む影 Ⅰ
第二十五話 勝利の裏に潜む影
二週間前、ローミリア大陸全土を一本の急報が駆け巡った。
南ローミリアを支配する国家、小国ヴァスティナ帝国がエステラン国と戦争して勝利を収め、軍事同盟を締結したとの報であった。
これにより、ローミリア大陸の勢力図は大きく変わり、新たな軍事同盟勢力が誕生した事になる。一年前まで、ヴァスティナ帝国は南ローミリアの小さな国でしかなかったが、それはもう過去の話となった。エステランと軍事同盟を結んだ事で、ヴァスティナ帝国の軍事力は中規模国家に匹敵する。
「新たな戦争が起こる」。各国の主だった者達はそう予感した。事実帝国軍は、新たな戦いに向けての準備を着々と進行させている。次の戦争は、いつ起こってもおかしくはなかった。
だからと言って、今すぐに戦争が起こるわけではない。
帝国にもエステラン国にも、戦争で負った傷を癒す時間が必要なのである。その傷を癒すため、エステラン国より帝国軍の主力部隊がヴァスティナ帝国に帰還した。
「今日の予定だけど、会場の準備は万全か?」
「問題はないよ。会場の設営も物資の調達も万全さ。リリカ宰相の注文を揃えるのには苦労させられたけどね」
「あいつの注文内容見たけど、南ローミリア中から搔き集めさせる事になるはずだよな?あれ全部集めたのか?」
「当然さ。これ位出来ないと君の軍師は務まらないよ」
「流石、帝国軍自慢の軍師だ。俺も鼻が高い」
ヴァスティナ帝国城、参謀長執務室。
久しぶりに自国の執務室に戻って来たこの部屋の主は、自分の頭脳と言える配下の軍師と共に、書類整理に勤しんでいた。
エステラン攻略戦を終えた帝国軍は、エステラン国内に構築された仮設駐屯地に戦力の半分を残し、主力部隊を率いて帝国に帰還した。それはまさに勝利の凱旋であり、多くの帝国国民が彼らを英雄と讃えたのである。
その後、帰還した兵士の多くは家族のもとへと帰り、久々の再会を大いに喜んだ。だが、家族のもとへと帰れなかった兵士達もいる。エステラン国に残った者や、戦場で散った者達は、故郷である帝国に戻っては来られなかった。兵士として従軍し、戦場で戦死した兵士達の家族は、溢れんばかりの涙を流して悲しみに暮れていた。
犠牲無くして勝利無し。勝利の代価は、兵士達の犠牲である。
これが戦争なのだから仕方がない。そう割り切れる者もいれば、そうでない者も沢山いる。悲しみに暮れる遺族達は、夫や息子達を戦場に出してしまった事を、後悔せずにはいられないのだ。
しかし、彼らの犠牲があったからこそ、帝国はエステラン国に勝利を収めた。彼らの犠牲は無駄ではなかったのである。遺族達には申し訳ないが、彼らの従軍は必要不可欠なものであり、その犠牲もまた必要不可欠であったのだ。
帰還した帝国軍の者達全員が、彼らの犠牲を胸に刻み付けている。彼らの死を無駄にしないと心に誓い、帝国へと帰還したのだ。それは、帝国参謀長リクトビアことリックも、帝国軍師エミリオ・メンフィスも同じである。
「今日の準備はほとんど終わってるみたいだな。後は・・・・・・」
「後は、君がこの書類の山を片付ければ全ての準備が整うわけさ」
「ぐっ・・・・・・」
執務室の机の上に積まれた、山のような書類の数々。執務室の机の席に座り、それらと格闘を続けているリックは、うんざりした表情を見せて、また一枚書類にサインをして片付ける。彼を補佐するエミリオが、朝早くから彼を補佐し続けているため、どうにか今日中に終わるところまで書類整理を片付いているものの、まだまだこの山を崩すには時間が掛かる。それがわかっているため、リックのやる気は下がる一方であった。
「あー・・・・・、めんどくさい。後は全部ミュセイラに丸投げしようかな・・・・・」
「彼女は昨日徹夜して君の倍以上の書類を片付けたんだよ。それは酷過ぎる」
「えー・・・・、いいじゃんか別に。あいつ事務仕事大好きなお仕事万歳人間だろ?どんどん仕事押し付けようぜ」
「君は彼女に対しては本当に容赦ないね・・・・・」
「だって、あいついつも俺に喧嘩売ってくるし・・・・・」
「だからと言って、押し付けるのはよくない。彼女は今頃疲れ切って眠っているだろうから、絶対に起こしては駄目だよ?」
まだまだ勉強中の身である軍師ミュセイラ・ヴァルトハイムの名前を出し、自分の仕事を押し付けようとしているリックだが、そんな事はやはりエミリオが許すはずもない。諦めたリックは大きな溜息を吐いて、席から立ち上がる。
執務室の窓の前に立ったリックは、書類の山から外の風景へと視線を移した。窓から空を見上げ、自由に空を飛ぶ鳥達を見つめた。
「あの鳥みたいに自由に空が飛べたらなあ・・・・・・。この地獄から解放されたい」
「もう少しの辛抱じゃないか。ほら、席に戻ってくれないかい」
「はあ・・・・・・。じゃあ席に戻る前に、ちょっと話がある」
「?」
窓から離れ、エミリオのもとへと近付いたリックは、彼の目の前で止まる。先ほどまでのやる気のない表情は消え、真剣な眼差しでエミリオの事を見つめていた。リックが何を話そうとしているのか大体察し、エミリオは覚悟を決めて彼の言葉を待った。
「なあエミリオ・・・・・。今回の戦闘で決戦部隊を指揮したその手腕、本当に見事だった。お前がいなかったら帝国軍は敗北していた。圧倒的不利な状況をお前は覆し、帝国を勝利に導いたんだ」
「私にとっては、まだまだ課題の残る結果だったよ。君にそこまで称賛されるわけにはいかないさ」
「いや、お前は称賛されて当たり前なんだ。それだけの結果を残したんだからな。ただ、俺はお前に言いたい事が残ってる」
「・・・・・・」
「あの時はあの場で言わなかったが、俺はお前にも説教したい事がある」
リックの言うあの時のあの場というのは、エステラン国内に構築された帝国軍仮設駐屯地内での、配下の者達に対してのお説教の事だ。あの時あの場において、自分の配下の無茶な戦いをした三人に対し、激怒したリックが三人を叱ったのである。
あのお説教時、エミリオは説教を受ける事はなかった。あの場にいなかったし、例えいたとしても、彼が説教を受けるとは誰も思わない。何故なら彼は、作戦通りに軍団を動かし、突発的事態にも冷静に対処して見事作戦を成功させたのである。故に、あの場の誰も、彼が説教を受ける理由は思い付かないのだ。
「お前の作戦指揮は完璧だったって聞いてる。俺は決戦部隊の指揮を執ってなかったから、お前や兵士達の報告でしか戦況がどうだったかは知らない。でも、これだけは直感でわかった」
「・・・・・・・」
「エミリオ・・・・・。お前、クリスとゴリオンを犠牲にしようとしただろ」
エステラン攻略戦。帝国軍とエステラン国軍の主力同士が激突した、両軍の一大決戦時、危うく帝国軍は最強の剣と盾を失うところであった。帝国軍最強の剣士クリスティアーノ・レッドフォードと、剛腕鉄壁の戦士ゴリオンは、エステラン国軍との戦いの最前線で己の武を存分に発揮し、エステランの精鋭部隊と死闘を繰り広げたのである。結果は彼らの勝利で終わったが、二人は重傷を負い、リックを大いに心配させたのであった。
しかし彼らの無茶が、帝国を勝利に導いたのも事実である。もう少しで死んでしまうところだったが、彼らは絶体絶命の窮地に陥りながらも、見事生還を果たした。彼らが生還できたのは、彼ら自身の優れた武と、予想外の援軍登場によっての結果と言えるだろう。
もし、帝国軍のもとに、チャルコ国からの援軍が現れなければ、二人がどうなっていたかわからない。戦死していてもおかしくなかっただろう。そういう戦いに、帝国軍決戦部隊は臨んでいたのである。
「一緒に作戦を話し合った時はわからなかった。決戦部隊の作戦計画は、大体お前に任せてたからな。最初からクリスとゴリオンを失うつもりで、二人を最前線に投入した。違うか?」
「・・・・・・そうさ。君の勘は間違っていないよ」
「兵力差は三倍だった。バンデス国との挟撃作戦があったからと言って、前線を維持するのが至難の業だったのは俺でも予想できる。だからお前は、ゴリオンを前線正面の最前線に投入して、正面の前線崩壊を死守させつつ、サーペント隊を撃破させた」
「最悪相討ちでもよかった。そうすれば、正面の敵前線の最大戦力を排除できるからね」
「そうして前線を維持しつつ、今度はクリスを囮に使ったんだろ?あいつが独断専行したのも上手く利用して、敵軍の中で孤立させて、メロースを釣り出した。そうなんだろ?」
結果、クリスとゴリオンは助かった。あの戦闘で、クリスは部隊を率いて突撃し、自らメロースを誘き出す餌となった。エミリオは彼の狙いを利用して、レッドフォード隊の独断専行を認めたのである。
しかしリックは、クリスが独断専行しなくとも、彼を危険に晒すつもりだったと言いたいのだ。勝利のためにクリスを贄として、メロースを討ち取るつもりだった。最初からそれが、エミリオの作戦だったと言いたいのである。
「クリスとゴリオンは帝国軍の主戦力だ。だが、エステラン国の国力と天秤にかけるのなら、誰でも国力の方を取る。二人を犠牲にしてでもエステラン国を攻略するのが、初めからお前の作戦だったんだろ」
「その通りだよ。多大な犠牲を払う事がない策があると君に嘘をついて、私は決戦部隊の指揮権を君から得た。勝利の代償として、クリスとゴリオンは勇猛果敢に戦って散ったと報告するつもりだった」
「レイナを温存してたのは、あいつだけは犠牲にできなかったからだな?」
「何もかもお見通しのようだね。彼女は帝国の新しい軍神であり、君の右腕と呼ぶべき存在だ。彼女を失ってしまったら、全兵士の士気が大幅に失われてしまう。だから彼女は犠牲にできなかった」
もしも、あの決戦でクリスとゴリオンに加え、帝国軍最強の槍士レイナ・ミカヅキまでも失えば、帝国軍の士気は完全に失われてしまっていただろう。三人の戦力的価値は極めて高く、帝国軍全兵士にとっては軍団の希望なのである。三人の損失は、軍団の希望が失われる事を意味するため、帝国軍の瓦解は免れない。
故にエミリオは、レイナをここぞという時まで温存し、彼女だけは失わないよう運用した。彼自身が言った通り、今や彼女こそが帝国軍の軍神であり、兵士達の精神的な支えであるのだ。クリスとゴリオンを失ったとしても、彼女だけは失うわけにはいかなかった。
クリスとゴリオンを代償に勝利を得た場合、エミリオが考えていた次なる作戦展開は、二人の英雄化である。「英雄二人は帝国のために勇敢に戦い、敵と相討ちになって戦場に散った。ならば我々は、彼らの死を無駄にしてはならない」とでも演説し、二人の死を徹底的に美化して、逆に全軍の士気を向上させようと画策していたのである。
それすらも、リックには見破られている。既に観念しているエミリオは、全て正直に答えたのである。
「勝利を得るために、初めから仲間を犠牲にしようとする作戦。俺がいつそんな作戦を許可した?」
「・・・・・・」
「黙るの禁止。お前の独断のせいで、クリスもゴリオンも死にかけた。俺がそんな作戦許すわけないだろ」
誰にだってわかる。リックは今、煮えたぎる湯が如く怒っている。その怒りに恐怖し、エミリオは指一本動かす事ができず、その場に立ち尽くしていた。
エミリオの眼を見つめ、怒りの空気を身に纏いながら、彼の言葉は続く。
「歯・・・・・、食いしばれよ」
「わかった・・・・・・・」
これから殴られると理解し、言われた通り歯を食いしばって、目を伏せるエミリオ。
許されるわけがないと、当然知っていた。殴られるだけでは許されない行為であると、十分理解もしていた。それでも彼が、犠牲を払ってでも勝利しようとしたのは、帝国のためでも女王のためでもなく、リックのためである。
二人が死んでいたら、リックは嘆き悲しみ、その心はまたも壊されてしまっていただろう。それがわかっていても、彼の野望を実現させるためには、この作戦が最善の選択だった。エミリオの軍師としての行ないは、全てリックの望みを叶えるためのものであり、それによって生じる犠牲の責任は、自らが負うと決めている。
それが、彼の軍師として傍に仕える事なのだ。殴られようとも、怒鳴られようとも、この覚悟は揺るがない。
「・・・・・・!?」
拳で殴られるのを覚悟していたエミリオだったが、彼が感じたのは痛みではなく、温かな手の温もりであった。驚いて目を開けると、彼の左の頬にはリックの右手があてられていた。
エミリオの目の前には、悲しげな表情を浮かべるリックがいる。先ほどまでの怒りの視線と空気は、完全に消え去っていた。
「ごめんな、エミリオ・・・・・。お前は俺の代わりに汚れ役になってくれようとしたんだろ?」
「リック・・・・・・」
「いいんだよ・・・・・・、仲間を犠牲にしなきゃいけない時がきたら、その時は俺が命令を下す。お前にそんな辛い役目を押し付けたりはしない・・・・・・」
エミリオはリックの事を考え、彼の悲願成就のために、常に最善の行動を選択している。その選択が彼の怒りを買う事だろうと、己の手を汚す事であろうと、躊躇いはしない。
クリスとゴリオンを殺したかったわけではなく、リックの求める勝利のためには、彼らの犠牲が必要だった。ただ、それだけだったのである。
しかし、リックはそれを許さない。エミリオが二人を殺そうとした事に対して、リックは怒りを示したわけではなく、彼が仲間殺しの汚名を背負おうとした事に激怒したのだ。
「俺の仲間達の誰かが死ななきゃならない時が来たら、その時は俺が命令する。お前もあいつらも、俺の大切な仲間だ。そして、その命は俺が預かってる」
「・・・・・そうだね。私の命もまた、君のものだ」
「皆に死ねと命令できるのは俺だけだ。俺が許可する以外、誰かを犠牲にする作戦は許さない。わかったな?」
エミリオは無言で頷き、彼の言葉を承知した。それを見て、リックは悲しげな表情を消し、優しく微笑んで見せた。
「よし!わかったならこの話はここまでだ。さっさと仕事片付けて、夜の作業に備えようぜ」
笑ってそう言い、リックは自分の席へと戻っていく。椅子に腰かけ、机の上に山のように積まれた書類を掴んで、黙々と作業に取り掛かっていった。
「リック、やっぱり君は・・・・・・」
「んっ?」
「・・・・・いや、何でもない。珈琲でも淹れようか?」
「淹れてくれるのか?助かる」
リックが仕事に戻った事で、エミリオも彼の手伝いを再開させる。書類の量は相当なものだが、今から黙々と作業を進めれば、日が沈む前には終わりそうであった。
(やっぱり君は優し過ぎる・・・・・・。だからこそ私は、君を守りたい)
彼の行為全ては、リックを守るためのもの。
それは、リックの復讐劇が始まったあの夜から、決して揺るがぬ彼の信念だ・・・・・・・。